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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第二章 カシュニー
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第22話 「積悪の館 2/3」

 ちょうど屋敷の真ん中辺りに位置する書斎は、ロゥが言ったとおり手当たり次第に荒らされた状況になっていた。棚に収まっていたはずの本は全て床に落とされ、踏みつけられ、破けている。


 よく見ると、その紙切れの中には顔を縦に引き裂かれた女の肖像画も紛れ込んでいた。セナはそれを指さして聞く。


「この肖像の人物は誰です?」


「学者先生の元嫁さんだ。村の祠祭が言うには別れてから随分経つって話だ。今は碩都にいるらしい」


 不吉にも程があるそれを見て、セナは背筋が怖気立つのを感じる。


「この人に警告はしたんですか?」


「本人にも都の騎士駐屯所にも鳩を出してある。心配ねぇよ」


 また、机の上にある真っ二つに割れた箱からは証石を含む魔鉱石がこぼれ落ちて散らばっていた。そこにはかなり高価な魔鉱石も残されており、物盗りの犯行だとしたらかなりお粗末な手際である。


「それにしても、本当にやりたい放題ですね」


 セナは鉱石箱から視線を横に移して、その机の上に木の枝が生えているのを見つけて首を捻った。こんな悪戯を使用人がするとは思えない。それは博士本人であっても同じだ。おそらく、一連の殺しを行った人間がやったのだろう。


 セナは試しに眼球を裏返して、見えている景色に光の粒子が立ち上ってくるのを見つめた。


「この机に生えた木ですが、うっすらと魔法を使った痕跡がありますね」


「お前さん、痕跡が見えるのか」


「ええ」


「うちには鼻で嗅ぎ分ける奴がいるんだが、同じことを言ってたぜ。屋敷の人間がこんな悪戯するわけないだろうから、下手人の仕業なんじゃないかってな」


 セナはその意見に同意するように頷いて、そのまま部屋の中を見て回った。


 痕跡が浮かび上がって見えたのは、先ほどの机と二枚に引き裂かれた肖像画、床にこすりつけられた煙草の吸い殻、そして魔鉱石が納められていた箱だった。


 少年はそのうち吸い殻を特に興味深く見つめ、屈んで何かを拾い上げる動作をしたかと思うと、眉間にしわを寄せた。


「何だ坊主、その煙草が気になるのか?」


「はい。それから魔鉱石の入れ物だったらしき箱の断面にも、他と違って見える痕跡があるもんで」


「ああ。その二つには机のと違う人間の痕跡があるらしいな?」


「いえ、そうじゃなく。これまで見てきたどの痕跡とも違うって言うか……」


 通常、セナの目には光の筋のようなものが魔力の痕跡として見える。今回であれば、机と肖像画、鉱石箱を覆うようにして残留しているものがそうだ。


 しかし、例の煙草と箱の断面のものはそれと様相が違った。


 確かに痕跡としては見えている。だがそれは表面を絵の具で塗りたくったかのようにのっぺりとしていて、輪郭も妙にはっきりしていて……気味が悪いくらいに白かった。


 模様というよりは、形状と言った方がいい見た目も、奇妙だった。


「通常、俺の目にはどの痕跡も流水のようにしなやかな曲線として見えるんです」


 魔法を使用したまま移動すれば、定型の模様を繰り返し、帯か紐のようになって使用者に追随していく。


「ですが、この煙草に関しては違う」


 セナはまるっきり異質であるその痕跡を手控えに描き出し、ロゥとロカルシュに見せる。鉱石箱の断面の痕跡についても、角の先端が箱に突き刺さるようにして残っている様を描写した。


「角がとがった糖花みたいだな?」


「いびつっていうか、不格好だねー」


「俺がさっき物を拾う仕草をしたのは、それが『痕跡』であることを確かめるためでした」


「なるほど。ここまで物質的だと、傍目に糖花が転がってるように見えちまうかもな」


「何だか不気味~」


 セナの絵を見ながら、ロカルシュとロゥはそろって首を傾げる。


「不気味と言えば……」


 ふと呟いたロゥが部屋の窓にちらと目をやり、その向こう側を意味ありげに見つめる。


 そこから見えるのは広い庭だ。


「──そういえば、一人だけ庭の小屋で発見された人がいるんですよね? あそこですか?」


 それは所々で壁の板が剥がれかけていて、今にも倒壊しそうな小屋だった。


「ああ。遺体の顔は叩き潰されて体中刺し傷だらけだった。殺された中じゃあ、彼女が一番ひどかったな」


「犯人は女性相手だろうが容赦しない奴なんですね」


「そうらしい。それであの小屋のことなんだが……遺体のことなんかを差し引いても気味の悪いことがあってな」


「何です?」


「言葉じゃ何とも説明しきれん。見せてやるからついて来い」


 ロゥは庭の方を顎でしゃくって、またしても二人に背を向けた。その後ろにセナが続いて、今度はロカルシュも遅れずについて行った。


 書斎を出てすぐの階段を一段ずつ下りる。混乱して逃げまどう人間を追い立てたのであろう血の手形が壁に残されているのを見て、セナは胸の悪くなる思いをした。


 同じ跡をロカルシュが見つめ、立ち止まる。


 セナはその姿を階下から見上げて言った。


「珍しく静かだな? らしくもなく険しい顔までしやがって」


「別にぃ。ただちょ~っと、さっきから頭がムカムカしてるのー」


「へぇ。意外だぜ。アンタはこういうことにあまり心を動かされないと思ってたけど?」


「ひっどー。私だって、プンプン怒ることはあるんだからねー!」


 ロカルシュは手形に向かって歯を剥くと、拳をぎゅっと握った。頬を膨らませて息を荒くし、憤怒とそれに伴う不快感を全身で表現して階段を下りてくる。


 三人は赤々と染め上げられた廊下を足早に進んで、玻璃張りの扉を開けて外に出た。そのまま外の空気に酔いしれる間もなく庭を横断し、例の小屋へと行き着く。


 それは遠目にもひどい有様であることは分かったが、近くで見るとなお一層みすぼらしく目に映った。家畜小屋の方がまだ上等に見え、立派なお屋敷には不釣り合いな建物だった。


 かすかに漂ってくる臭いに、セナとロカルシュは顔をしかめた。


 糞尿に血を混ぜて腐らせた激臭である。


 ロゥが小屋の戸を開けると、その臭いはさらに強烈になった。


「ひどい臭いだろう?」


「これは……っ、堪えますね……」


 渋面どころの話ではなく、顔の部位がバラバラになるほどのしかめっ面になり、セナは顔を背ける。まともに臭いを嗅いだら吐いてしまいそうだった。三人は布巾を口に当てた手で鼻もつまみ、その悪性の空気を決して吸い込まないようにした。


「これいったい何なのー?」


 鼻声になりながらロカルシュが聞く。


「詳しくは分からんが、この臭いの原因は遺体じゃないらしい。そもそもそこまで痛んでなかったからな。それで近隣の村で話を聞いてみたら、屋敷の方から悪臭がするって訴えが昔からあったようなんだ」


「その臭いの発生源がここである確証はあるんですか?」


「ない。だが、こんなにひどいのはここだけなんだ」


「そうなんですか……」


「気味が悪いっていうのはこの臭いのことー?」


「いや。臭いだけならそんな風には言わんよ」


「だーよね!」


 ロゥは小屋の中には入らず、明かり石に光を灯すと入り口の外から建物の中を照らし、入ってすぐの足元を見るように言った。


 地面は湿り気を帯びた泥のようであった。雨の多いこの地方で床も敷かずに小屋を掘っ建てたら、そうなるのは当たり前である。


「ここに女中が倒れててな。さっきも言ったが、まあひどい有様だった」


 女中が倒れていたという場所は大きく凹み、その周囲には何者かが激しく踏み荒らしたらしい跡が残っていた。


 ロゥが次に指さしたのはさらに奥だ。


 セナとロカルシュは彼の人差し指をたどって視線を向ける。


「あれは……子どもの足跡と、大人の靴跡ですか?」


「ご明察」


 こんな劣悪な環境に奥まで踏み込む人間がいたことは驚きだった。しかもそれが子どもの足跡を含むとなると、この小屋はとたんに奇怪な雰囲気をまとい始める。辺りをもっとよく照らしてもらうと、小屋は元々物置だったらしいことが分かった。


(くわ)(すき)、先端の折れた熊手、底の抜けた桶やら柄杓やら。とにかく何でもかんでも置いてあって、ここが何のための小屋なのかはさっぱりだ」


「ごみの捨て場所にでも使ってたんですかね? でも、家畜もいないのに干し草が引かれてるのは何でなんだ……?」


「っていうかぁ。ここで死んでた女の人って、こんなところに何の用だったのー?」


「知らんよ。何か捨てに来たんだろう」


 顔をあちこちに向けるロカルシュの横でセナは何となく、目を裏返して小屋の中を見回した。


 そこにあったのは、つい先ほど手控えに描いたばかりの痕跡だった。


「あの、ここにも書斎のものと同じ痕跡があるんですけど?」


「何だって? んなこと聞いてねぇぞ」


「確かそちらには痕跡を鼻で嗅ぎ分ける人がいるんですよね? この臭いの中だと判別できなかったのかもしれません──」


「どいつのだ?」


「え?」


「書斎のどの痕跡と同じなんだ?」


「机と肖像のものと、例の糖花のような痕跡もあります」


「……」


 ロゥは黙り込んで考えを整理しているようだった。セナは彼の思考がまとまるまで待とうと思っていたが、ロカルシュが空気を読まず思いついたことを口にする。


「殺しの犯人はこの足跡の二人ってことー?」


 ロゥはすぐには答えなかった。しばらく無言のままでいて、


「ここにある大人の靴跡だが、屋敷の人間のものと示し合わせて一致する物はなかった。小さい方は……そもそもこの屋敷に子どもはいないはずなんだ」


「仮にいたとしてもー、普通は子どもをこんなばっちい場所に来させないよねぇ?」


「ロッカの言うとおりてはあるけど、ここに人間が二人いたのは確かだ。そして女中さんはここで殺されていた。屋敷にはあちこちに小さな手形が残されている。となると……現段階での仮定は一つしかないのでは?」


「そりゃあ、そうなんだが……」


 ロゥの中ではまだ決定打に欠けるのか、彼はセナの言葉に明確な答えを出さなかった。


「そもそもこれだけ立派な屋敷の庭にこんな汚い小屋があること自体おかしいんだ。分からんことだらけで、こちとらお手上げさ……」


 彼は明かり石の光を弱めると、静かに小屋の戸を閉めた。少し離れたところまで歩いて、三人はようやく口元の布巾を取り去る。そこでロカルシュが地面と垂直に手を挙げて発言を求めた。


「セナー。私も気になってる場所があるんだけどー」


「アン? どこだよ?」


「こっちー」


 そう言ってロカルシュがてくてくと歩いて行ったのは、小屋とは反対の方向だった。


 彼の足は芝をきれいに刈り揃えた庭から外れ、様々な背丈の雑草が生い茂る森の中を進んでいった。周囲の樹木が低いものから巨樹に切り替わるところまで来て立ち止まり、先に続く地面を指し示す。


 ロカルシュが見せたかったのは、何者かに踏みつけられ倒れた草花だった。


「これね、たぶんだけど、人が通った跡だと思うー」


 動物であればもっと上手く(・・・)歩くと彼は言う。


「お前さん、これをどうやって見つけた?」


「うーん。教えてもいいけどぉ、オジサン頭固いひとー?」


「おいおい、今になってそれを聞くのか? お前さんのその口を縫いつけたりしない程度には柔軟なつもりだぜ」


「そっか! それもそうだねー」


 ロカルシュの不遜な態度は相手の人間性を計る定規の役目を果たすこともある。彼はロゥの言葉に心底納得がいった様子で先を続けた。


「えっとー。悪い奴は森の方から来た可能性があるってオジサン言ってたでしょ? だからあっちこっち探ってもらってたのー」


「探る?」


 ロカルシュがどこにともなく手招きをすると、その周りにリスやら鳥やらが一斉に集まってきた。


「この子たちが見つけてくれたんだよー。お礼言ってねー」


「お前、獣使いだったのか」


「そーなの。でね、この踏み倒したような跡がしばらく先まで続いてるの。あちこちグルグル回って、森の中でずいぶん迷ってたみたいなんだよねー」


 そうして、三人は動物たちに案内されて森の奥へと分け入っていく。


 ロゥは途中で何度かしゃがみ込んで地面を確認し、足跡が残っていないかと確かめていたが、残念ながら数日前まで続いていた雨のせいで期待した痕跡は流れてしまっていた。


 それでもどこかに難を逃れた証拠が残っているかもしれない。


 ロゥは一度屋敷の方に戻り、部下を連れて戻ってくると辺りを詳しく調べるよう指示した。その後、ロカルシュを先頭に余計な寄り道を省いてその軌道をさかのぼっていく。


 そうして突き当たったのは意外な場所だった。


「ここは……聖域か?」


 ロゥが首をひねりつつ、そう言う。


 岩の間に根を張り、かつて巨木だった幹に空いた虚。その先に続く洞窟。


 それがただの穴ではないことを示すかのように、周囲には儀式張った形状で石が積み上げられている。こういった場所はたいていの場合、人には不可侵の「聖域」として成立している。


「こんなところに聖域があるなんて。博士は知っていたんでしょうか?」


「聖域の場所はほぼ全て、魔法院の方で把握してるはずだからな。知ってたんじゃねえかとは思うが……」


 そんなことはどうでもいいと言いたそうにして、ロゥは顔をしかめる。その視線の先には、血痕があった。木陰になっていて雨では流れなかったようだ。


「いや、ちょっと待て。これは……?」


「なになに~?」


 ロゥはロカルシュの問いを無視して虚空に細く風の魔法を放つ。風邪の先端がある一線に触れると、景色に波紋が走ってその魔法を弾き返した。


 血痕はその内側にあった。


 つまり、侵入を拒む自然結界の内に。


 驚愕の表情で呆然とするロゥの横から、同じような顔をしてセナが覗く。


「これ、直上から落ちたような跡ですね?」


「え? 何それ。どゆことー?」


「誰かがこの中にいたかもしれないってことだ」


「ええー? 誰か、ねぇ?」


 ロカルシュは含みのある言い方で首を傾げる。


「何だよ。言いたいことがあるなら言えよ」


「動物ってこともありえるんじゃないのー? 人間以外は入れるんだからさー」


「そう、か。普通、そうなるよな」


 魔女の追跡なんて任務に就いているせいか、セナはあたかもそこに異界の人間が立っていたかのように考えていた。もしも魔女の再来を知らなかったとすれば、ロカルシュの言うとおり負傷した動物が雨宿りでもした跡だと考えたはずだ。


 それはロゥも同じだったらしい。


「普通に考えれば兄ちゃんの言とおりか。そうだな。俺は考え過ぎなのかもしれん」


「というと、何か心当たりでもおありで?」


「心当たりというか……」


 ぶつぶつと口の中で呟きながら視線を地面に落としたロゥは、まるで幽霊でも見たかのような顔でセナたちに目を向けた。


「お前さんたち、魔女の噂を聞いたことはあるか?」


「えっと、はい。ここに来るまでの道中で何度か聞きましたね。それがどうかしたんですか?」


「火のないところに煙は立たないって言うだろ。だからその噂も一概に根も葉もないとは思えなくてな」


「つまり何が言いたいのー? 私あんまり頭良くないからはっきり言ってくれないと分からないんだけどー?」


「この屋敷に来た時に思ったんだよ。これは人間のすることじゃねぇってな。それが何だか裏付けられちまった気がしてよ……聖域から魔女が現れて、屋敷の人間を襲ったのかもしれん」


 魔女もまた聖人と同じく異界人であり、それは世界の彼方からやってくる災厄であった。


 その仮説にセナは首を左右に振る。


「聖域は、聖人が御出でになる場所でしょう?」


「その通りだ。だから獣使いの兄ちゃんが言うとおり、傷を負った動物がたまたま結界の中で休んだのかもな」


「ええ。噂はあくまで、噂ですよ……」


 言いつつ、セナは胸の内に揺らめく炎を握りしめて、ロゥの言葉を頭の中で繰り返す。


 魔女が屋敷の人間を襲った可能性──それはセナにとって都合のいい解釈であったが、追っている魔女(巡礼者一行)はロカルシュの目によって見張られている。もしも彼女らがこんなことをしでかしたのだとしたら、さすがのロカルシュもセナに言うはずだ。


 セナはロカルシュの耳を引っ張って口元に寄せ、小さな声で聞いた。


「アンタ、例の御一行はずっと見張ってたんだよな?」


「もっちろん。してたよー」


「その誰かが、この殺しに関わってたりは?」


「やだなぁ、セナってば。そんなことあったらすぐセナに言うしぃ」


「……そうだよな」


 彼の言に嘘はなさそうだった。その答えに意識せず落胆して、セナは肩を落とした。


 聖域の周りには魔力の痕跡も見つからなかった。気になる手がかりも結界の中とあって、三人は屋敷に戻るしかなかった。

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