第21話 「積悪の館 1/3」
ソラたちが教会を発った日の昼、セナとロカルシュはフラン邸に続く十字路にさしかかっていた。
ロカルシュ曰く、追跡中の巡礼者一行は素通りしたというその角を曲がり、セナは少し進んだところにある門扉の前で馬を下りる。
「お疲れさまです。特務騎兵隊所属のセナと言います。上からフラン邸の状況を確認するよう通達を受けて到着しました」
「同じく、ロカルシュだよー」
門の前に立つ憲兵はセナの年齢とロカルシュの態度に驚いているようだった。その反応に慣れきっているセナはフィナンからの鳩と身分証を提示して言に偽りがないことを証明する。納得した憲兵は敬礼をすると、快く二人を通してくれた。
屋敷に近づくにつれて、手綱の先で馬が嫌がる仕草をし始める。ロカルシュの肩に乗っているフクロウも何か異変を察知したのか、体を細くして警戒していた。
「セナー。お馬さんたちこの辺までにしといてあげよ?」
「何か言ってんのか?」
「臭いって」
「……」
「そしたらふっくんもお馬さんたちとお留守番だねー。これじゃあちょっと連れてけないよー」
セナの了承を待たず、ロカルシュは近くの木に馬の手綱を結びつけていた。肩のフクロウも馬の鞍に飛び移って、まるでロカルシュに手を振るように羽を広げた。
セナは自分の馬を見上げる。彼女はつぶらな瞳でセナを見つめ返した。
「無理強いして嫌われたくないしな。そしたらここで待っててもらうか」
ロカルシュの馬の隣に手綱を結んで、セナはその長い鼻筋を撫でて待機を言い渡した。
屋敷の入り口はそこから歩いてすぐのところだった。玄関の手前は小さな噴水がある庭になっていた。樹木は整然と刈り揃えられ、花壇もきれいに整っているのに、白い石畳は憲兵たちの靴底の泥で茶色く汚れていた。
「ここはガキの遊び場じゃねえぞ」
両開きの玄関扉を開けようとセナが手をかけたところに、横から野太い声がかかる。
一見すると胡乱な印象のある無精髭を生やした男は、憲兵の制服に銀の階級章をつけていた。それはセナたちの上司──フィナンと同等の立場にあることを意味する。
彼はおそらくこの現場の責任者だった。
「お疲れさまです。特務騎兵隊のセナと言います」
「私はロカルシュっていうのー」
「特務? フィナンのところの……ああ、そういや若ぇのがいるって聞いたな。奴のお使いか?」
「まぁ、そんなところです」
「この屋敷であったのは殺しだ。遺体は動かしたが、それでもまだあちこちひどい状態だ。騎士とは言え、子どもの見るもんじゃねぇぞ」
自分が実際に子どもであることを自覚しているセナだが、それと同時に彼には騎士であるという自負もあった。その立場を軽んじられたと感じたセナは、眉間にしわを寄せながら吐き捨てるようにして言った。
「お気遣いどうも。ですが心配ご無用です。その手のものは嫌と言うほど……本当に嫌になるほど見たんで。他人の惨事に今更なにも感じませんよ」
「お前……」
わずかばかりの理性が仕事をしてセナは舌打ちこそしなかったが、それでも言い回しのせいで相手に与える印象は悪い。
「セナー。そういう言い方よくないよー」
「……失礼しました」
ロカルシュに窘められたこともあってムッとした表情で頭を下げるセナに、男はため息をついて諦めたように言った。
「いや……いい。お前さんたちが大丈夫だってんなら、気の済むまで見て行けや」
男は二人に手招きをして、玄関とは別の方に誘導する。
「俺は西方第五憲兵隊の隊長をやってるロゥだ。ここの現場指揮を任されている」
「隊長自ら案内していただけるんですか?」
「あちこち勝手に触られたら迷惑だからな。特にそこの糸目の兄ちゃんなんて一筋縄じゃいかなそうだし、目ェ光らせるのは当たり前だろ」
またしてもため息をついたロゥは、前庭の外れに設けられた屋外天幕に入るよう二人に言う。
「制服を着替えてくれ」
「わざわざですか?」
「ああ、そうだ。早くしろ。着てた服はその中にいる奴に渡しておけ」
「はーい」
訝るセナとは逆に、何の疑問も持たないロカルシュは手を挙げて元気よく返事をした。ロゥは横を通り過ぎていく彼の肩に、小さなうごめくものが乗っていることに気づく。
「おい、お前。肩に蜘蛛が乗ってるぞ」
「あ、いいのいいの~。私ってば蜘蛛さん好きだし、可愛いからこのままにしといてー」
「……変な奴だな」
むしろその蜘蛛が追い払われると頼りになる目がなくなってしまう。ロカルシュはひらひらと手を振ってへらへらと適当な言い訳をした。面倒事は部外者の現場案内だけで十分だと考えるロゥは、彼の言葉に首を傾げただけでそれ以上追及しなかった。
他の憲兵たちが着ているのとは違う白い作業服に着替えた二人は天幕を出て早速、屋敷の方に連れて行かれた。裏口から中に入ると、まず目を引いたのは床や壁、果てには天井にまで飛び散る血痕だった。
「う、ぅ。臭いよぉ……」
「これでもあらかた片づけて発見当初よりはマシになったんだがな。我慢できないなら口で呼吸しろ」
「うぇぇ……そうするー」
血が腐った臭いはすさまじい威力でもってロカルシュの嗅覚を刺激した。彼は口に布巾を当て、ロゥの言ったとおりにする。
セナは教えられるまでもなく、そのようにしていた。
「それで、どんな状況なんです?」
「屋敷の人間は残らず殺されていた。たいていはこの館の中で発見したが、一人だけは庭の端にある小屋で発見されている」
「じゃあ、フラン博士もお亡くなりに?」
「例に漏れず、な。殺され方は首を刈られたり滅多打ちにされていたりと、誰も彼も悲惨だったが、博士だけはどうにも殺され方が違って見えた」
ロゥは床に広がる血痕を避けるようにして歩き、広い廊下を進んで奥の方へと向かう。
「博士は椅子に手足を拘束された状態で見つかった。ずいぶんと強い力で縛り上げられて長時間そのまま放っておかれたみたいでな、手足は黒く変色していた」
あれでは仮に助かったとしても、手足は使い物にならなかったろうと、ロゥは頭を振った。フランは頭に浅い一撃を受けていたほか、顔を叩かれ傷を負っていたが、それ以外に目立った外傷は見られなかったと彼は言う。
死因は現段階では不明である。医学的な知識がないロゥたちでは判断のしようもなく、今は手足の血流を止めたことで死に至るものか、魔法施術士に確認中とのことだ。
そこでセナが素朴な疑問を口にする。
「博士は魔法院を追われはしましたが、優秀な魔法使いであったはずです。逃げられなかった理由は何です?」
「足首に魔封じの腕輪が無理につけられてたんだ。それでだよ」
「まず最初に頭に一撃を受けて気を失い、その間に縛り上げられ腕輪を装着。それで放っておかれたということでしょうか?」
「俺もそう考えている」
廊下を突き当たりまで進んでいく間、セナは視界の端々に場違いな痕跡をいくつも見つけた。
赤い小さな手形だ。
それが至る所に、紅葉のように散らばっている。明らかに、転んだ弾みなどでついたものではなかった。そうと分かるまでにはっきりと、まるで自分の存在を主張するかのように写し取られている。
顔を上げたセナが赤い手形について尋ねようとすると、彼が口を開くよりも先にロゥがある部屋の扉を開けた。
そこは食堂だった。
「侵入経路はここと睨んでる。窓が外から割られていたのはこの食堂だけだったからな」
部屋の右手奥にある窓には、確かに外から破られた跡があった。そこに背を向ける形になる席を指し、ロゥが言う。
「片づけちまった後だが、どうやら博士は飯の途中で襲われたらしいな」
「何で博士ってわかるのー?」
「あ? そりゃお前、屋敷の主人以外の誰が上座で飯食うんだよ」
「かみざ? かみ……あー、かみざね。うんうん、そうだよねー」
「オイ坊主。この兄ちゃん大丈夫なのか?」
「すみません。頭を使う方には向いてない人材なんです」
しれっと相棒を馬鹿呼ばわりしたセナは、その通りだと言って頷くロカルシュを無視して先を続ける。
「殺人鬼は庭の方から来たってことですか」
「正面からわざわざ庭に回って窓を破って侵入──ってのはどうにも回りくどいからな。そうだとは思うんだが……」
「庭の向こうは何があるんです?」
「地図を見る限りどこまで行っても森だ。木と草と石ころが落ちてる以外に何もありゃしねぇ」
わざと森の方から回り込んで侵入したと仮定してみると、これらの所業は計画的なものに見えてくる。だとすれば、その目的は何なのか?
「盗られた物とかってありました?」
「どこに何があったのか証言してくれる人間がいないんだ。何とも分からん。ただ、博士が見つかった書斎はずいぶんと荒らされてたな」
「見せてもらっていいですか?」
「お前さんのその図々しさ、フィナンの野郎にそっくりだぜ」
「尊敬する隊長ですからね」
「尊敬ときたか。俺ァあまりオススメしないがね。まぁよそ様のことに口は出さんよ」
「どうも」
「そしたら、博士の書斎だったか……あそこは遺体がない以外はまだ当時のままだ。ついて来な」
ロゥは親指で二階を指すと、主のいない食卓に背を向けて部屋を出て行った。セナは遅れないようその後について行き──自分の後ろに足音が続かないことに眉をひそめた。
「おいロッカ! 置いてっちまうぞ!!」
「……、はーい。待って待って~」
ロカルシュは森のずっと奥の方を眺めて何かを呟くと、サッと踵を返してセナの後を追った。




