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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第二章 カシュニー
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第15話 「悪の牙」

 カシュニー地方はその地域の多くを森に覆われている。木々の背は高く、頭の先に被さる葉は大きく広がり、地上に濃い影を落とす。カシュニーの人々はこうした森の中に住居を構えていることが多く、日中でも日が陰る環境のせいか、その暮らしは他の地域と比べてやや陰湿である。


 木を切り倒せば日も射すはず。


 それは確かにその通りだが、目の前の一本を見上げれば目線を地面と垂直にしなければならないほどの巨木がそびえ立っているのだ。この地方における伐採という作業は、他で言うほど容易ではない。


 また、ここカシュニー地方は降水量が多いことを生かして(主に渇水が続くクラーナを相手にした)水事業を展開している。水の品質を一定に保つためにも森は欠かすことのできない存在となっており、住居のためといえど安易に手を入れるわけにはいかないのだった。


 そういったわけでクラーナ人の大半が森の影に暮らしているのだが、とある森林区の中にぽっかりとあいた穴──小さな日溜まりの草原には、木々の影から逃げ出すようにして数軒の家が建っていた。


 その集落の中で一軒だけ森の中に隠れている家から、一人の少年が慌てた様子で軒先に出て来る。


 彼は雨が降ってくる前に、ほんの数時間ではあったが晴れ間を見て干した洗濯物を取り込もうとしていた。天高い緑の葉の間から見える薄曇りの空、その端から近づいてくる雨雲。少年は遠くから漂ってくる雨のにおいに鼻を利かせ、そうでなくても洗濯物を取り込む動作を早めた。


 家の中で父親が「メシー! 早くしろー」と叫んでいるのだ。


 少年は仕方なさそうにため息をつき、「少し待てよ、クソ親父!」と同じく叫ぶ。その言い方は乱暴だったが、態度は父親を嫌っているようではなかった。


 少年は陶器の職人である父親を尊敬していた。年がら年中、工房に籠もって泥をこねてろくろを回し……家事なんてほとんどしない困った人物であったが、それでも少年は仕事に打ち込む父親の後ろ姿を尊敬していた。


 母親は何年も前に他界していた。


 愛する者がいなくなってしまったとき、少年の父親は自暴自棄になって手当たり次第に器を壊して工房をめちゃくちゃにした。しかし、集落で一緒に生活する他の職人に励まされて……何より忘れ形見である息子がいるのを思い出し、父親は立ち直った。


 口うるさいし、声はでかいし、ろくろを回し始めると周りが見えなくなるし、人柄はお世辞にもいいとは言えない。少年の頭を撫でる手はいつだってがさつで、乱暴で……けれど、嫌いじゃない。


 その扱いに父親なりの愛情を感じるくらいには、少年は父を慕っていた。


「よし、っと。あとは飯を作って──」


 洗濯物の最後の一枚を手に取ったところで、少年は後ろから聞いたことのない声に呼び止められた。


「そこの少年、ちょーっといいか?」


 振り向いて顔を確認すると、案の定、相手はこの集落の人間ではなかった。白いシャツを着た黒髪の男は馬も連れていないのに乗馬鞭を腰に差すという妙な格好をしており、隣には寸法の合わない大きな服を着た白髪の子どもを連れていた。


「何だよおっさん。旅の人……にしては軽装だけど。もしかして迷った?」


「そうそう。実は迷子なんだよね、僕たち。それで教えてほしいことがあるんだけど」


「何だよ。俺で分かることなら答えるぜ」


 にっこりと人好きのする笑みを浮かべる男に、少年は同じような表情をして笑った。そこに、家の中から食事の準備を急かす父親の声が聞こえてくる。少年はばつが悪そうに洗濯物を抱え直して言う。


「うるせーよクソ親父! 今お客さんと話してんだ! ──っと、そのお客さんに恥ずかしいとこ見せちまったな」


「……、なぁに。構いやしねーよ。父親ってみんなあんなモンだろ」


「ったく、面倒な親父でさ。家事はなんもかんも俺任せで、何もできないくせに口だけは達者なんだよな。それで、おっさんたちは何が聞きたいんだ?」


「カシュニーってところに行きたいんだけど、どの辺目指せばいいか分かるか?」


「カシュニーね。アンタたち、『碩学の都』に用事があるのか?」


「そう。僕らオカーサンを探してて。な?」


 そう言って、男は隣の子どもの袖を引く。


「ぼくたち、オカーサンさがしてる。の」


 白髪の子どもは少し舌足らずな口調で男の言葉を繰り返す。


 何やら複雑な事情がありそうだと少年は思った。


「とにかく碩都に行きたいんだな?」


「そうそう」


「分かった。うちに地図あるから、それ見せてやるよ」


「それはありがたい。それにしてもキミ、年の割にしっかりしてんのな」


「? ああ、まあ。親父があんなだと、自然とな」


「家のこと、辛くない?」


「は? つら……くはねぇと思うけど? つか、別にアンタが気にすることじゃねぇよ」


「いやあ、気にするよ。大変気にするとも。なあ?」


 そう言って、男は隣の子どもに話しかける。


「アンタら、さっきから何言ってんだ?」


「しばしまちたまえ、しょうねん。これはすぐおわる、ます」


「……?」


 子どもはだらりと垂れ下がる袖をそのままに手を挙げて少年を制する。不遜にも思えるその態度に少年は首を傾げたが、特に気にせず家の方に入っていって、すぐに地図を持って出てきた。


 少年が玄関先で現在位置と、碩学の都への道のりを教えていると、


「おい。メシはまだか!」


「まだだよ。お客さんの相手してんの見て分かんだろ」


「ああ? 客だぁ?」


「道に迷ったんだと。教えたら作り始めるから、大人しく待っとけって」


 部屋の奥からずかずかと重たい足音がして、少年の父親が顔を出した。


「何だ……アンタら、そんな格好でどこ行くってんだ?」


 彼は大きな節くれ立った手で顎を撫で、訝しげな視線で迷い人を見た。それに対し、迷った本人たちが状況を説明するより先に少年が父親を振り向いて言う。


「碩都に用事だって言うから、道を教えてやってんだ」


「お前なぁ──」


 父親はそんな少年にゴツンとげんこつを落とし、「そんな大したモンじゃないんだ、地図くらいくれてやれ」。そう言おうとして……しかし、彼はそれを言葉にできなかった。


「は……?」


 ズグリ、と。


 いやに生々しい音が聞こえた。


 迷い人の男は腰に差していた乗馬鞭をいつの間にか抜いていた。そして、魔力を帯びたそれは父親の握り拳から肘を一直線に貫いていた。


 土をこねるための、長年たゆまぬ努力とともに器を作り続けてきた大切な相棒。我が子を抱きしめるためには必要不可欠なそれを。


「う、うで……俺の、う、うう腕が──ッ!!?」


 男は腕に刺さった鞭をそのまま横に薙いだ。父親の腕は引っ張られるようにして跳ね、肘まで一直線に裂けた傷から血がほとばしった。


 錯乱状態の父親は尻餅をついて腕を振り回し、あちこちに血を飛び散らせる。息子はその飛沫を頬に浴びてようやく我に返り、暴れる父親の体を押さえて凶行に走った男を睨みつけた。


「なに、な、何やってんだよお前!?」


「何って、見りゃ分かんだろ。鬼退治だよ」


「意味分かんねーよ! こいつは俺の親父だ!」


「だっからぁ。鬼だっつってんだろ」


「違ぇよ! クソッ!! こっち来んな! 親父から離れろこの野郎!!!」


 男は少年の言っていることが本気で分かってない様子で首を傾げる。少年はそんな男に構っていられず、口から泡を吹いて痙攣し始めた父親を抱きしめた。


「親父、親父……だ、大丈夫だ。大丈夫だからな──」


「いやぁ、大丈夫じゃないだろ。血が止まらないと出血多量で死ぬぜ? そうでなくてもショック死しそうだけどな」


「わけ分かんねぇこと言うな! 黙れよ!!」


 次第に力をなくしていく父親を抱き抱え、少年の頭には怒りが募っていた。


「いいじゃねぇか。面倒だったんだろ? いなくなって清々しただろ? な?」


 少年の感情は同意を求める男の言葉で一気に爆発し、彼は動かなくなった父親を庇うようにして立つと、手の中に石の刃を作り出して構えた。


「ブッ殺してやる……」


「はぁ? な、何でそうなるんだよ?」


 少年はもう話しているのも馬鹿らしくなって、無茶苦茶に刃を振り回して男に飛びかかった。男は突然のことに怯んでいるようだった。これなら仇を討てる。少年はそう思った。


 しかし、


「え……?」


 少年は自分の腹に突き刺さっている手を見つめ、何が起こったか理解できないまま目だけでその腕をさかのぼり、視線の先に白髪の子どもを見た。子どもは袖が赤く染まるのも構わず、少年の腹に自らの手を深く深く食い込ませていく。


「──をきずつけるの。ぼくが、ゆるしません」


「あ、あ……? な……なん、で!?」


「そりゃこっちの台詞だっての。せっかく助けてやろうと思ったのに、結局お前も同じか。クソの詰まった肉袋かよ」


「たす……、た? なんで? そん、な……な……なん、でっ。こんな……こと。どう……、ぃ。て……?」


 子どもの腕が腹から引き抜かれると、あふれ出す血を追うようにして少年はその場に倒れ込んだ。


「何で、ってもなぁ……」


 男は頭をバリバリと掻きつつ、傍らの子どもを指さす。


「お前さぁ、コイツがどんな仕打ち受けてきたか分かる? コイツが苦しんでるとき、お前らはのうのうと笑って、飯食って、毎日ぐっすりお休みだったわけ」


「……しら、な──」


「そう。そこが問題なんだよ。僕たちのことだぁれも知らないんだ。僕はそれが許せねぇの。そのとおり、僕たちは許せない。ムカつく。腹立って、悔しくって。悲しくて恨めしくて羨ましくて、憎くて憎くて憎たらしくて──」


 男はそこで言葉を止め、遠くを見つめてどこかうっとりと呟いた。


「ホントずっと、みーんなブッ殺したくて仕方なかったんだよなァ」


 曖昧な表情とは裏腹に、その殺意は明確だった。この世の全て、人間はおろか動物から草木に至るまで何もかもが憎くてたまらないと、男は言う。


 白髪の子どもが男の服を引っ張り、正気に戻す。


「ねーねー。まりょく、ためる。ためし。やってみていい?」


「ん? ああ。構わないぜ」


 子どもはドクロの物入れから透明な石を取り出すと、それを少年の胸の上に置いて自分の手を重ねた。


「な……に、す……、……」


「だいじょうぶ。ぼく、じょうずだから。いたくないよ」


 そう言って笑った子どもは、続けてブツブツと口の中で何かを呟く。


 それは呪文のようであり、何かの魔法式を暗唱しているようでもあった。だが、ただの世迷い言であったかもしれないし、今日の夕餉の献立を言っているだけなのかもしれなかった。


 何にせよ子どもの手元で石は光りだし、その透明な結晶を通して少年の心臓に延びた見えざる手は、彼の体を巡る魔力を見る見るうちに吸い上げていった。


 少年の顔から血の気が失せていく。それは魔力を奪われたせいと言うよりは、腹部の出血によるところが大きかった。少年はだんだんと見えなくなっていく視界の中で、もう息をしていない父親を見つめて涙を流す。


「おや、じ……。ご、め……ん……」


 彼は父親を空腹のまま死なせてしまったことを後悔して……やがてその瞳は光を失った。


「おしまい」


 魔力を蓄えた石を手の上で転がし、子どもはそれを無邪気に隣の男に見せる。


 石はしばらく赤く輝き続けた後、光りを失ってもとの無色透明に戻った。


「何それ。ちゃんと魔力溜まったの?」


「もちろん、です」


「そ。んならいいわ」


 男は親子の死体をまたいで、奥の長椅子に身を投げ出す。


「あーあ。何か気分わるぅ」


「ぼく、つかれたー」


「じゃあ今日はここに泊まってくか。もう少ししたら僕が飯作るし、お前その間に服とか探しとけば?」


「あいあいさー。さがすさがすー、がすがすす~」


 同じようにひょいひょいと死体を越え、子どもは部屋の中を片っ端からひっくり返して着替えを探し始めた。男は椅子に横たわり、あちこちを飛び回る白髪を目で追いながら小さく微笑む。


 足下に転がる惨劇の痕跡がなければ、それは仲睦まじい親子のようにも見えた。後に「宿借り」と称されることになる彼らの一連の殺人は、これ以降も碩都カシュニーに至るまで点々と続いていく……。

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