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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第二章 カシュニー
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第13話 「噂」

 ソラたちは地滑りのあった村を、着いた日の翌朝には発っていた。


 村長は近隣の街の教会に緊急で鳩を飛ばし、ちょうどその街にまとまった騎士の一行がいるとのことで、次の日にでも支援に向かわせる旨の返事をもらっていた。きちんとした支援が届くのなら、あえて自分たちがここにとどまる必要もない。


 というか、騎士などと大仰な名前の付く団体に自分という存在を捕捉されたくなかったソラは、先を急ぐからと理由をつけてさっさと村を出たのだった。


 去り際になると「少し薄情だったかな」とソラは心配したが、土砂を片づけてくれたジーノと怪我人の救護に当たってくれたエースの働きのおかげもあって、村人は「十分に助けてもらった」と言って彼女たちを快く送り出してくれた。


 そうしてソルテ村を出てから数十日が経ち、ソラたちの現在地はペンカーデル地方からカシュニー地方へと移っていた。旧領地境界の山を下り、進路はやや南へ下る方向に変わる。人の暮らしのすぐそばに背の高い樹木がある。それがカシュニー地方の特徴だ。


 見える景色も変わり、フランの屋敷へと確実に近づいている。


 ある街の教会で祈りを済ませた次の日、ソラたちは朝食を食べた後で市場へと出かけ、昼食と薬草の買い出しを済ませてから街を出る予定にしていた。


 活気があると言うにはやや静かだが、人通りはそれなりにある大通りを歩いていく。


 建物の屋根からは、溶けた雪がポタポタと滴を垂らしていた。通りに店を構えるカフェのテラス席には、外套を着込んで朝食を食べている住民の姿もあった。


「この辺はだいぶ暖かいね~」


 ソラはあっけらかんとした様子でそんなことを話す。彼女は地滑りのあった村を出てからというもの、傍目には表情も明るく快活な様子だった。殺すと脅されて逃げ出し、今もなお追われる身であるとは思えないほどに、その姿は一般人に溶け込んでいる。


 エースとしてはその変化が少し気がかりであった。正確なことは分からないが、何か違和感がある。しかしその原因が分からないエースには対処のしようがなかった。できることといえば、ソラの様子を注意深く見守ることくらいだった。


 エースはソラの横顔を見つめ、言う。


「今は西南に下ってきてますから。南方のクラーナまでいくと常夏ですよ」


「そっか、クラーナってところは赤道近くになるのかな。なるほど」


 所々で自分のいた世界と共通する点があるおかげで、ソラにもこの世界の姿は想像しやすい。頭の中に地球儀を思い描いて黙り込んだソラに代わって、クラーナの話題にはジーノが食いついた。


「あそこは鳳梨や甘蕉といった果物が美味しいんですよね」


「うん。甘みも酸味もはっきりしていて、贈答用に目が飛び出るような値段の物も売っていたりするらしいよ」


「ふーん、果物か。ってか、ジーノちゃんってけっこう食いしん坊だよね」


「そうですか? 私ったら、何だか恥ずかしいです」


「いいんじゃない? 食事を美味しくたくさん頂ける人って好きだよ、私」


 それはソラ自身がどうせ食べるなら美味しくたくさん食べたい、と考える人間だからなのかもしれない。彼女は道端に視線を向け、テラスのテーブルに並ぶよそ様のモーニングセットを「美味しそうだな~」と眺めた。自分もついさっき朝食を食べたばかりだというのに。


 これでは食いしん坊などと人のことを言えない。


 だが、美味しそうに見えた物を食べたいと思ってしまうのは仕方がない。「今日のお昼にエースくんは何を買ってきてくれるだろう?」などと考えていると、どこからともなく聞き流せない話が聞こえてきた。


「なあ、知ってるか? ついに魔女が現れたって話」


「それなら俺も教会に出入りしてる奴から聞いたよ。俺たちが生きてる間に魔女の時代が来るなんてな……」


「やっぱりあれ、本当の話なのか?」


「火のないところに煙はたたないって言うじゃないか。何でも、騎士様が追ってるってよ」


「ったく、冗談じゃないぜ。こっちは子どもが生まれたばっかりだってのに……」


 仕事前の若い男が二人、買ったパンを店の前で食べつつそんなことを話している。ソラは彼らから静かに視線を逸らし、兄妹にひそひそと話しかける。


「ここも早く出た方が良いかも」


「そうですね。市場での買い物はなるべく早く済ませるようにします」


「うん。よろしく」


 スランから見せてもらった鳩には、魔女の脅威について一般には知らせないようにと書かれていたはずだが、既にその再来は噂として広まってしまっているらしい。


 魔女の話は市場を回っていた時にも聞こえてきた。


「ここのところ雪もやんでたから、てっきり聖人様でも再臨なされたのかと思ったら、魔女だなんてね。本当なのかしら?」


「嵐の前の静けさ、なんてことじゃないといいのだけれど。私、心配だわ……」


 噂好きのご婦人方は「いやよねぇ」「そうよねぇ」と言いつつ、すぐに他の話題へ移っていった。その様子から察するに、魔女の再来はまだ現実味のある話として受け止められていないようだった。


 他では、客がいない間に隣同士で話し込んでいる出店もあった。


「魔法院の連中も頼りなくていけねぇ。奴ら塔に閉じこもってやれ研究だ実験だと難しい顔してるが、魔女への対策は講じてんのかね?」


「学者先生の考えてることなんぞ、一般人の俺らには分からんよ」


「教会も教会だ。嘘か本当かはっきりしろって聞いてるのに、院から詳しい説明がないだの言ってごまかそうとしやがる」


「何でもあの祠祭、プラディナムの方から来たって話じゃないか。そりゃあダメさ」


 話の趣旨は次第に教会、ひいては魔法院への不満に変わっていく。


 そんな二人の前を通り過ぎ、ソラたちは薬草を売っている店までやってきた。扉を開けると来客を知らせる鈴が鳴って、奥から店を切り盛りする夫婦が揃って出て来る。


 ソラは思いきって、魔女がどのように噂されているのか聞いてみることにした。薬草を買い込むエースの袖を摘み、小さな声で代わりに質問してほしいと頼む。エースは彼女の言葉に快く頷き、店主に話題を振った。


「ここに来てから魔女再来の話をよく聞くのですが、何か詳しく知っていますか?」


「さてね。又聞きの又聞きみたいなもんで、尾ひれがついて俺にも正確なことは分からなくてなぁ」


 首を傾げる店主に、その妻が声を被せるようにして言う。


「どっかにいるらしいって噂が一人歩きしてるのさ。ま、幽霊みたいなもんだよ」


「金髪の女をお供に抱えてるって話もあるが、ホントかどうか」


「それが本当ならとんでもないことさね。金髪なんて聞いて、アタシは真っ先に魔女と結託した聖霊族のことを思い出したんだからねぇ」


「そもそも、魔女ってどんな奴なんだ? 女なんだろ?」


「魔女って言われるくらいだからね。災禍の権化とも言われてるし、見ただけで呪われるって聞いたこともあるよ」


「伝承記だと、相当な醜女? とかって書かれてるんだったか」


「だったかってアンタ……」


 妻は半眼になって店主を見つめる。


「やめろって、そういう目で見るなよ。子どもの頃に読んだきりなんだ、仕方ねぇだろ。だいたいあんな分厚い本、開いただけで寝ちまうっての」


「アンタ本当にカシュニーの人間かね? クラーナ出身のアタシの方が詳しいってどういうことだい」


「カシュニーの人間にだって勉強が苦手な奴はいるんだよ」


 その内容はとっくの昔に忘れてしまっていると言って店主は首を振る。エースはそんな彼の前で、伝承記にある魔女に関する一文を暗唱した。


「彼の醜悪なる者、悪辣にして悪逆……と伝承記にはありますね」


「そうそう、それだよ。アンタも少しはお客さんを見習いな!」


 エースが差し出した薬草をまとめ、会計を進める店主の背中を妻が叩いて笑う。


「寝る前に読み聞かせてやろうかねぇ」


「勘弁してくれ……」


 手よりも口を動かしていたような夫婦だったが、受け取った薬草はきちんと個別に包装されていたし、釣り銭も間違っていなかった。エースの用事が終わったのを見届け、ソラたちはそれぞれに小さく頭を下げ、賑やかな夫婦が営む薬草店を後にした。


「どうやら皆さん、今は目新しい話題だから気にしてるという感じですね。先日の村と違って実際に被害を受けていないからなのか、危機感もあまりないようですし」


「もしかしてあの村の地滑りのこと、伝わってないのかな?」


「その可能性はあります。魔女の再来について、まるで他人事のようでしたしね」


 腕を組んで考え込むエースと一緒に、ソラも首を捻る。そんな二人を横から眺め、ジーノがつぶやいた。


「魔女の噂というのは、ひどい災害がある度に出回るものですから。今回もそうだと思われているのかもしれませんよ」


「まだそれほど深刻には考えてないってことか。だったら私たちもあまりビクビクすることはないのかも?」


 ジーノの言葉を受けて楽観するソラに、エースは気を引き締める思いで首を左右に振る。


「確かに過剰に警戒する必要はないかもしれません。でも気は抜かない方がいいかと思います。カシュニーは魔法院の影響が強い地域ですから」


「そうか~。はぁ、日陰者はなかなかに辛いわぁ……」


 ソラはそう言って肩を落とす。


 それから街を出るまでの間にも魔女の噂はたびたび耳にしたが、その話題はやはり挨拶代わりのように軽く扱われていた。


 また、昼間から道ばたで酒を飲んでる中年の男たちからはこんな話も聞こえた。


「魔女ってのは相当酷いらしいな」


「何がだ?」


「顔がだよ。何か豚の顔を潰したような面してんだと」


「あー、それなら俺も何か聞いたぜ。あとは風呂に入ってないから臭うとか何とか。うへぇー、近寄りたくねぇな!」


「この世の悪という悪を全てかき集めたような存在ってんだ。そりゃーありとあらゆるところの具合が悪いんだろうよ。ヒャヒャヒャッ!」


 噂はそんなところまでホイホイと歩いて行ってしまっているらしかった。


 似顔絵にあった極端に鼻が低い特徴を見れば、豚の顔がつぶれたようと形容されるのは何となく分かる気がする。だが、さすがに風呂には入っている。


 ため息をついてソラが通り過ぎた後方で、派手に何かが壊れる音がして男の悲鳴が上がった。


「──ッイ、てぇ!?」


「あーあーせっかくの酒が……もったいねぇ。俺にまで引っかかったじゃねぇか。何もないところで転けるとか、飲み過ぎなんだよお前」


「バカヤロウ、俺は酔っちゃいねぇよ!」


 続けざまに屋根の上から湿った雪が落ちてくる。


「……何だってんだ? 今日は厄日か?」


「真面目に働けってことかぁ?」


「明日からな、明日から……」


 酒と雪にまみれた二人は酔いが一気に醒めたのか、背筋に寒気を覚えて震え上がった。顔を赤くする彼らは、自分たちを見る一対の青い瞳があることに気づいていなかった。


 目にした者を凍り付かせるような表情で男らを見つめていた絶世の美少年は、兄に声をかけられるとその顔に温度を戻して振り返った。


「ジーノ、どうしたんだい?」


「何でもありません、お兄様。ただ、因果は巡るものだと思いまして」


「因果?」


「因果ねぇ。今のこの逃げてる状況も何かのそれなのかな? 何か悪いことしたっけ……?」


 それぞれにしゃべるエースとソラは、ジーノの杖が淡く光ったことに気づいていなかった。ゆえに、因果とはあくまで「巡るもの」であって、間違っても「巡らせる」ものではないと、彼女にそうツッコミを入れる者はいなかった。

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