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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第一章 ペンカーデル
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第4話 「彼方より来たる者 4/7」

 ソラを風呂に案内した後、ジーノは兄に「後で相談があるから家で待っていてほしい」と言って買い物に出かけた。


 裏手の小さな玄関から外に出たジーノは表の礼拝堂の方へと回り、正面の広場を抜けて斜面の下り道へと向かった。活火山であるソルテ山とは谷を挟んで南側にある村の中で、教会は少し高い場所に建っている。ジーノはその小高い位置から眼下に広がるソルテ村の全景を眺めた。


 未だ雪が降りしきる中、屋根の雪下ろしをする人の姿がちらほらと見える。寒さ極まる今の時期、人々は家にこもりきりだと思われがちだが、それはむしろ逆だった。雪が止まないこの村では除けたはずの雪も数時間後には元の通り降り積もってしまう。ゆえに朝から晩まで誰かしらが外に出て除雪作業に当たっており、雪のせいで人を見かけないということはなかった。


 ジーノは我が家を振り返って積雪の状況を確かめる。教会周辺は山から吹き下ろす風のおかげで、窪地の底に広がる村と比べて積もる雪の量は少ない。それでも、やはり今日も夕方あたりに一度下ろした方がよさそうだった。ジーノは屋根での作業を午後の予定に追加し、なだらかな坂道を下りて村に唯一ある商店へと向かう。靴後も残らないほど踏み固められた雪道を危なげなく駆け抜け、彼女は高床の階段を上って格子玻璃の扉を開ける。扉の上部に取り付けられた鈴がカランと鳴って来客を告げた。


 店内には先客がいた。裾の長い黒衣に紫の肩掛けという服装で、少々薄めの赤毛を後ろへ撫でつけ、その頭髪が示すとおりの年に相応なしわを目元に刻んだ中年の男だ。透き通った低めの声は柔和な印象を与え、話す相手の心を優しく解きほぐす。彼は緑がかった淡褐色の瞳を細め店主と世間話をしていたのだが、鈴の音を聞いてジーノを振り返った。


「おや、ジーノじゃないか」


「見回りお疲れさまです、お父様」


「どうしたんだい? 夕食の材料で何か足りないものでもあったかな?」


「そうではないのですが……うーんと、少しお待ちを。先にこちらの用事を済ませてしまいますね」


 ジーノは服の裾をはためかせて店内を回り、必要なものを手早く購入すると、再び彼のところへ戻ってきた。


「あの、お父様にご相談したいことがあるのです。このあと教会の方に戻ってもらっても構いませんか?」


「ああ、いいよ。今日の巡回はここで最後だからね。ちょうど、もう少ししたら戻ろうと思っていたところなんだ」


 そう言うと、彼は店主との世間話を適当に切り上げて帰り支度を始めた。ジーノは話の途中で急に割り込んでしまったことを店主によくよく謝り、父を連れて店を出た。父親は「寒いねぇ」などと言って、先を急ぐ娘の後について行く。教会に帰り着くと、ジーノは父に居間で兄と一緒に待っていてほしいと言い、買った物を携えて風呂場へと向かった。


「ソラさん、下着を持ってきました。着替えのところに置いておきますね」


「はーい。ありがとー!」


 ソラの声は風呂に入る前と比べて随分と元気を取り戻しているようだった。そのことに安堵し、ジーノは静かに居間へ戻る。


 そこには頼んだ通り、父と兄が待っていた。


「それで、ジーノの相談というのは何だろう? 急いでいたようだし、大変なことでもあったのかい?」


「俺もただ相談があると聞いただけだったし、これからその話をしてくれるってことかな?」


「はい。お父様も揃ってからと思っていたもので、お待たせしてしまってすみません。きちんと順を追ってお話ししますね」


 ジーノはできるだけ手短に、ソラという記憶喪失の人物を助けたことを話す。聖域の掃除をしていたところ、足音を聞いて振り返ったら見知らぬ人間の姿があったこと。彼女は時期外れの真夏の装いで凍えていたこと。不審者とも思ったが、言葉に嘘はないようなので連れて帰ってきて、今は風呂で体を温めてもらっていること、などだ。


 父と兄はジーノの話を熱心に聞き、そのうち父親の方が深く頷いて娘の行動を褒めた。


「それはいいことをしたよ、ジーノ。じゃあ、相談というのは彼女のことなんだね?」


「ええ。というのも、ソラさんは……その……」


 これから言うことを信じてもらえるかどうか不安に思うジーノの声は次第に小さくなっていく。


「聖域の祠からいらしたようなのです……」


「何だって!?」


 父親は今にも飛び上がらんばかりに驚いた。エースも普段はあまり大きく動かない表情を驚愕に染めてジーノを問いただす。


「ジーノ、それは本当なの?」


「私もその一部始終を見ていたわけではないのですが、歩いていらした方向は確かに祠からで……それで、これが一番重要なことなのですが……あの方が立ってらしたのは自然結界の内側だったのです」


「念を押すようだけど……見間違いとかではないんだね?」


「はい。結界の中にいたのは事実です。上着を掛けようとしたところ、私は手を弾かれてしまいましたので」


「そう、か……」


 エースと父は共に腕を組んで、似合わない皺を眉間に刻んだ。ジーノはそんな二人に言い募った。


「それに、もしもソラさんの言っていることが違うというのなら、他の疑問が浮かび上がってきます。冬のただ中で、どうして夏の装いだったのかということです」


 何か企みがあってこの村に入り込むつもりだったのなら、きちんと防寒着を身につけて遭難者を装った方が無難である。だというのに、わざわざ真夏の格好でジーノの前に出てきてならず者扱いを受けてまで助けを求めたのはなぜか。


「それは確かにおかしいね……。けれど私はまだ彼女に会っていないし、どのような方なのか知らないから、はっきりとは言えないけど……」


「ソラさんは悪い方ではありませんよ」


「俺も彼女とは少しお話しをしましたが、ジーノと同じ印象です。思い出せないことがあって不安だろうに、必死に気を張っているようでした」


「ふぅむ。何かを隠している様子とかはなかったかい?」


「それはどうだか……俺はそういうのを見抜くのは苦手なので」


 自信がなさそうに視線を逸らすエースに代わって、ジーノが一歩前に出る。


「お父様。私はもう少しお話をお聞きしてから判断しても遅くないのではと思います」


「……そうだね。何にせよ、彼女はいま不安で仕方のない状況だろう。こちらを警戒して言えずにいることがあるのかもしれないね」


 元々我が子に甘いこともあって、父親は何だかんだで娘の考えに頷いてしまう。


「しかしそうなると、ソラさんがおいでになったのは……。いや、まだ確定したわけでもないし、軽はずみなことを言うのは控えた方がいいか」


 彼の頭の中にある推測はおいそれと口に出していいことではなかった。ジーノの言葉は信じてやりたいが、そう簡単に頷くことのできない心情もあり、彼は難しい顔をして腕を組む。


 そこに、廊下の奥から誰かがこの部屋に向かって歩いてくる足音が聞こえた。いち早く気づいたエースがジーノに知らせ、彼女は足音の人物を迎えるため居間のドアを開いた。


「ソラさん、こちらへ」


「わっ! ジーノちゃんか。びっくりした~。自動ドアかと思ったよ」


「冷えの方はもう大丈夫そうですか?」


「うん、ばっちり。いいお風呂でした。いやホント、ありがとうね。体の芯から温まってもうポッカポカだよ~」


 本人の言うとおり、風呂に入る前は青白かった顔色もすっかりよくなっている。


 ソラはおいでおいでをするジーノの手に導かれるまま居間の中に足を踏み入れた。湿った髪の毛を暖炉の前で乾かさせてもらおうなどと気楽に考えていた彼女は、その部屋に兄妹以外の人物がいるのを知ると、「ぴゃっ!?」と奇妙な声を上げて固まった。


 赤毛にヘーゼルの優しい瞳、美形とまでは言わないが均整の取れた容姿。周辺に漂う穏やかな雰囲気と、柔らかな物腰。声を聞かなくても想像できる美声。


「オゥ……ワーオ……」


 総合して好みドストライクの紳士を前に、ソラは引いた汗をぶり返して身構えた。


「あ、えと。あの……私……!」


「初めまして。私はこの子たちの父親で、この教会を預かる祠祭のスランと申します」


 彼の微笑みにソラは顔を赤く染め、頷くしか動作ができない人形のようになった。


「は、はい。私はソラと申します。申しまして、外で困っていたところを娘さんに助けていただいて、息子さんにもお世話になりっ、しかもお風呂まで借りてしまって。つまり、その……」


「ゆっくりで構いませんよ。落ち着かれてからお話になってください」


「と、とと、っとにかく。心より御礼申し上げます。お子さんたちのご厚意のおかげで命拾いをしました。大げさに言ってるとかではなく、本当に!」


 ソラは非常に畏まった動作で、上半身をきっちり九十度に折って頭を下げた。彼女は顔を上げた後も恐縮しきりであった。顔も相変わらず真っ赤だ。


「ソラさん。少し逆上(のぼ)せられましたか?」


「ハイ。思いのほか逆上せあがってマス」


「──大変! 転んでしまったら危ないですし、どうぞここに座ってください」


 ソラはジーノに促されて暖炉の前にある二人掛けのソファに腰掛けた。客人の居場所が落ち着いたこともあって、続いてスランも向かいのソファに座る。ソラはそんなスランの姿をちらりと見て、目が合ったのをきっかけに穏やかな笑顔を向けられると、ぴしりと凍り付いてしまった。


 その様子を不思議そうに眺めながら、エースが言う。


「ソラさんもだいぶ緊張されているようですし……俺、お茶を入れてきますね」


「あ! それなら私が村に下りたときに、何かお菓子も買ってくれば良かったですね……」


「アー。いやいや、いや。そんな、申し訳ないので。お構いなく」


 ソラは遠慮したが、エースは何の菓子が残っていたかと思い出しながら部屋を出て行った。自分を取り囲む他人が一人減っても未だにぎくしゃくとするソラを見ながら、ジーノが不思議そうな顔をして首を傾げる。


「珍しいこともあるのですね。お父様は初対面の方ともすぐに打ち解けますのに」


「そうだねぇ。だけど、知らない土地で見ず知らずの人間に囲まれたら、それはやはり緊張してしまうんじゃないかな?」


 笑顔を崩さないままソラに同意を求めるスランは、挙動不審とも言える彼女の胸の内を見抜いているようだった。


「アー、ははは。そうなんです。実は私、とっても……緊張してます」


 まさか部屋に入った瞬間から、スランの纏う紳士でナイスミドルな雰囲気に萌えていたとは言えず、ソラは自らに言い聞かせるようにして彼の言葉に同意した。ゴホゴホと咳払いをして邪念を頭の中から追い出し、彼女はにやにやと緩む頬を引き締めてスランの方に向き直る。


「改めまして、感謝を申し上げます。娘さん方には本当に良くしてもらいました」


「お気になさらず。人として当たり前のことをしたまでですので」


「当たり前の、ですか……。ちょっと確認しておきたいんですけど、スランさんは私のこと、どこまで聞いてらっしゃいますか?」


「記憶喪失であることはジーノから聞いています」


「そうですか。といっても、信じてもらえてるかは別の話ですが」


「何でも、覚えてらっしゃるのは名前と年齢くらいなのだとか?」


「まあ……その……」


 スランのヘーゼルの瞳は言いよどむソラの姿をまっすぐに見つめていた。先ほどとは別の意味で、見透かされているような気がする。ソラは「名前と年齢だけ(・・)とは言ってないからギリセーフ」と自分に弁解しつつ、目を少しでも余所に動かしたら疑われてしまう気がしてスランを見つめた。しかし直に彼の目を見る勇気はなく、ソラはその首に掛かっている十字架に視線を固定していた。


 それは教会の屋根に掲げられたシンボルとは少し形が違っているようだった。


「──ソラさんは、どういった経緯でジーノと出会った場所にいたのか覚えてらっしゃいますか?」


「え? あ……すみません。それが全く分からなくて」


「どこからいらっしゃったか、というのは?」


「それは、その……、すみません……」


「誤解をしないでほしいのですが、私は何もソラさんが分からないことを責めているわけではないのです」


「ええ、それは分かってます。分かってはいるんですが……」


 責められていると感じるのは、ソラ自身が嘘を後ろめたく思っているからだった。俯くソラを前に、スランは肘掛けに頬杖をついて優しいため息をつく。


「うーん。やはり回りくどいのはいけませんね」


 かく言うスランも、そのつもりはなくてもソラをいじめているような気分になって、落ち着かないところだった。そうして二人でそわそわとしていると、ジーノがアッと声を上げて素朴な疑問を口にした。


「そう言えば、ソラさんはどうしてお名前を思い出せたのでしょうか?」


「へ? 名前?」


「はい。何となくですが、最初にお会いした時はお名前を言うのもつまずいていらしたようだったので。どうしてなのかと思ったのです」


「ああ、そういうこと。それはジーノちゃんの瞳を見て、目の中に青い空があるみたいだなって思ったら……そーいやそれ私の名前じゃん! みたいな感じでポロッと思い出したんですよね」


「そうだったのですか。では同じように何かきっかけがあれば、他のことも思い出せるかもしれませんね!」


 彼女はソラを励ますようにしてそう言った。


「ジーノ、いいことを言ったね。うん、それはとてもいい考えだよ」


 スランは何度も頷いて娘を絶賛する。ソラはといえば、ついさっき会ったばかりの人間にここまで親身になってくれるジーノを天使のように思っていた。それと同時に、そんな彼女に隠し事をしている自分がひどく卑怯に思えた。

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