第12話 「私の理由 3/3」
夜も更けて人々に疲労がたまってくると、残った作業は日が昇ってからにしようという声が上がった。被害を逃れた宿は簡易の避難所となり、村人の大半はそこで夜を越すことになった。
子どもや老人を優先的に客室に入れ、体力のある者は一階の広間で雑魚寝である。その多くは泥を除ける作業から帰ってきた男たちで、疲れきっている彼らは堅く冷たい寝床に関わらず、いびきもかかずに深く眠っていた。中には傷心に涙して鼻をすする音もあったが、一時間もするとそれも静かになった。
エースはそんな人々の寝顔を見て回り、具合が悪そうな様子がないかを確認していた。回り終わると、彼は自分も仮眠を取ろうということで部屋に戻った。さすがに巡礼者一行を広間で雑魚寝させるわけにはいかないと、宿の大旦那が部屋を用意してくれたのだ。
「あれ? 二人とも、いない……?」
先に部屋に戻っていると思っていたソラとジーノの姿がない。
冷えて体調を崩しても困るので、今日だけは三人で寄り添って眠ると決めたのだが、どこへ行ったのだろう。エースが廊下を行ったり来たりして二人を探していると、ある時、唐突に外の方から窓が叩かれた。
そこにいたのは、ほとほと困り果てた様子のジーノだった。エースは窓を開け、周りに誰も人がいないのを確かめてから訳を聞く。
「ジーノ、どうして外に?」
「お兄様……少しお話が……」
しんと静まり返った夜空の下で二人の声はよく響いたが、すぐさま吸い込まれるようにして闇の中に消えていく。ジーノは声を一段と潜めて言った。
「ソラ様が夜明けまで祈ると言って、外に。何やら思い詰めているようで……」
ソルテ村に比べれば、ここはずいぶん暖かいと思う。しかし、それでも辺りにはまだ雪が残っているし、日の光がない夜となればそれなりに冷え込む。エースは外套を持ち出してジーノと合流すると、ソラがいる場所に案内してもらった。
ソラは宿の敷地内にいた。水の湧き出る小さな池に向かい、水面に映る夜空に懇々と祈っていた。エースは彼女の近くまでやってくると、持ってきた外套を広げてその肩に掛けた。
「あ、エースくん。遅くまでお疲れさま」
「ソラ様、中に入ってください。風邪をひいてしまいますよ」
「うん。そうなんだけどさ、建物の中で祈るよりも外でやった方が神様にも見えるんじゃないかと思って」
「でも、もう夜も遅いですし」
「もしかしたら昼間に寝てる神様かもしれないじゃん?」
「ソラ様……」
頑として動こうとしないソラに、兄妹の眉がハの字に下がっていく。
無理を言っている自覚があるものの、ソラはそんな二人から顔を背けて目を閉じ、祈りを続ける。
「わがまま言ってごめん。けど、今はちょっと……好きにさせてほしい」
月明かりに照らされて闇夜に白く浮かび上がるその横顔は、まるで血が通っていない人形のような印象を与えた。いつかのジーノと同じような姿で、エースは内心ギクリとする。
「ですが、ソラ様……」
「キミたちは寝てていいからさ」
声だけは明るくそう言う人形は、もう話を聞く気がないようだった。その態度に少しだけ眉をひそめ、胸の内にわき起こったわずかな苛立ちに兄妹は顔を見合わせ……肩を落とす。
ソルテ村を出るとき、自分たちの頑なな態度にソラが腹を立てていたのはこういうことだったのだ。
「ジーノ。今日はここで、代わり番で寝ようか」
「そうですね。ええ、そうしましょう」
仕方なく、エースはたき火の準備を始める。ジーノもいそいそと杖を取りだし、地面を叩いて周辺に風の膜を張った。
これで火の暖を閉じこめれば、それなりに暖かく過ごせるはずだ。
「ソラ様。今夜のお祈り、私たちもおつきあいします」
「そう? 何か道連れにしちゃったみたいで悪いね」
ジーノたちを巻き込むならと、ソラが考え直して部屋に戻ってくれないかとも思った。しかしソラは特に動じることもなく、池に映る星々の揺らめきを眺めながら言った。
「聖人様がちゃんと来てくれるといいね」
その資質があるのはソラも同じなのに、彼女は他人事のようにそう言う。
それは常々、察しが悪いことを嘆いているエースでさえもそうと分かるほど、あからさまだった。村の惨状を目の当たりにして気が弱っているのかもしれない。その様子に不安を覚えたエースは、どうにかして元気づけられないかと言葉を探した。
「フラン博士のお住まいはもうすぐですし、そこまで頑張りましょう」
「フラン……? フランって誰だっけ?」
「魔女の研究をしている元魔法院の学者さんです」
「アー、そうだったね。ごめんごめん。やっぱ私、横文字って苦手だわ」
言葉では自分の記憶力の悪さを恥じながらも、顔にそれらしい表情はない。
「そっか。フラン博士ね。一応、話は聞いとくか」
「え?」
「いえいえ、何でもないですよ」
取って付けたような言葉を口にし、ソラは黙り込んでしまう。
彼女は水面に切り取られた夜空に視線を落とし、湧水の波紋の合間に浮かぶ星の一つ一つに、あるいは地下の水脈を伝ってこの星そのものに語りかける。
自分は帰れなくていい。
もう何も思い出せなくていい。
だから、せめて。
せめて……何を望むというのか?
「ジーノ、俺は荷物を取ってくるから。部屋も空けておくのはもったいないし、他の人に使ってもらうよう言ってくるよ。戻って来たら何か温かい飲み物を作るね」
「分かりました」
「ソラ様は……、足が痛くなったら無理せず休むようにしてくださいね」
「あの、もしも寒かったら私の外套もお貸しするので。その時は言ってください」
親身になってくれる兄妹の声を聞きながら、ソラはいったい何のために、何を祈っているのだろうかと自問する。
かつての世界に帰らない代わりに。家族の記憶を忘れる代わりに、何を求めているというのだろう?
答えは出ないまま夜が明ける。
いつの間にか寝てしまっていたソラは、握り込んだままになっていた自分の手を寝ぼけ眼で見て、思う。
形だけの祈りに意味はない。
けれど昨日は、祈らずにはいられなかった。
どうして?
なぜ?
必死に握りしめた手の中にあるモノは、いったい何なのだろう。
ソラには分からなかった。
今はまだ、分からなかった。




