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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第二章 カシュニー
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第11話 「私の理由 2/3」

 ペンカーデルとカシュニーの旧領地境界には、標高は低いながら山地が広がっている。ソラたちはその谷間(たにあい)に開かれた道を進んでいた。雪の量は山の奥へと入るにつれて多くなっていったが、ソルテ村の周辺に比べればないも同然で、馬は難儀することなく、なだらかな登り坂を越えていった。


 足下の谷がいっそう急峻になるあたりまで上ってくると、急に開けた地形が見えてきた。まるで山の上半分を真っ平らに切り取ったような場所だ。


 そこにあるのが今日の宿にと考えていた村なのだが、到着してみると、どうにも休んでいられる状況ではなかった。


 村はその半分ほどが土砂によって押し流されていたのだった。


「……これは、何があったんです?」


 村に着いてすぐに人が集まっている宿屋へ向かい、エースは大旦那に話を聞いた。


「どうもこうも、地滑りってやつですよ。上の斜面がバァーっと崩れましてね。今の時期、まとまった雨が降ったわけでもねぇのに……」


「村の方々は大丈夫なのですか?」


「幸いにも死者は出ませんでしたが、怪我人が多くて……」


 宿の広間は避難してきた村人でいっぱいになっていた。


 ある者は家財の一切を失って途方に暮れていた。自分が逃げることに精一杯で家畜たちを置き去りにしてしまったことを後悔している者もいた。折れた足に副木を添える従業員に対して、その手際の悪さから「下手くそ!」と声が上がることもあった。


 その声に驚いた子どもが泣き出し、母親は血のにじむ包帯を巻いた手で我が子を宥めている。


「祷り様には申し訳ありませんが、救護を優先させていただきたく思います」


 頭を下げる大旦那に、ソラは自分こそが申し訳ないと首を振った。


「こちらこそ、こんな大変なときに……何というか、すみません。私たちもできる限りお手伝いさせていただきますので」


 山道を歩くには暗い時間だし、そうでなくてもこんな一大事を見て見ぬ振りはできない。そう言うソラに、ジーノとエースも頷く。


「お兄様、私は土砂の処理の方を手伝ってきます」


「……ジーノは平気?」


 エースは心配そうな顔になってジーノにそう聞く。


「何なら、祷り様のそばにいても──」


「いいえ、お兄様。私がやるべきなのです」


 こういう時こそ自分の無駄に膨大な魔力が役に立つと、ジーノは腕まくりをして被害のあった村の方に出て行った。


「それじゃあ、俺は怪我人の手当ですね」


 村の医者が腕を怪我して十分に治療ができない中、エースの持つ医薬の知識と経験は大いに役立った。


 魔法も治療もできないソラに任されたのは炊き出しの手伝いだった。と言っても、調理をするのは宿の料理人で、ソラはできあがったものを避難者に配るだけである。作った食事を配るついでに、村人の不安や不満に耳を傾け、少しでも気が楽になるようコミュニケーションを取ることこそが、仮とはいえ祷り様という立場にあるソラの役目だった。


 やってみれば、それはソラにとってどんな重労働よりも辛いものだった。


「これも魔女の呪いなのかねぇ」


「この前は山向こうが崩れたって聞いてたけど、まさかここも崩れるなんて思ってもみなかったよ」


「困ったな。こんなことが続いたら、住む場所がなくなっちまうじゃないか」


「それもこれも、全部魔女のせいだよ」


「聖人様がいてくれたら……」


 村人は口をそろえて魔女を憎み、聖人を望んでいた。ソラはそういった嘆きや恨み、不満の聞き役として宿のあちこちを回り、ついにある少年の前まで来た。


「お腹、すいてません?」


 ソラは一人でいる彼に不器用な敬語で話しかけ、そっと食事を差し出す。


「キミ、お父さんかお母さんは──」


「ねえ、祷り様。いつになったら聖人様は来てくれるの?」


「え?」


「僕、知ってるよ。あっちこっちでこういう悪いことが起こるの、魔女のせいなんでしょ? その魔女をやっつけてくれるのが聖人様なんだよね?」


 頭に包帯を巻いた痛々しい姿の少年にそう問われ、ソラはしどろもどろになる。


 こんな災害が各地で続く原因といわれる魔女。その証明である黒き力を持つソラは、まるで「この地滑りはお前のせいだ」と言われているように感じていた。


「魔女の……せい……」


 この子が怪我をしたのは、魔女のせい。


 家を失ったのは魔女のせい。


 その魔女の呪いを打ち消し、世界を救うのが聖人。


 人々の希望。


 ──私はそんな大層なものになんて、なれない。


 沈んでいく気持ちと裏腹に、ソラは笑顔を張り付けて少年の言葉に頷いた。


「そ、そうですね。聖人様とは世界をお救いくださるお方。再臨なされればこんなことも、きっと。なくなると思い、ます……」


 嘘つき、と少年が言う──いいや、ソラが頭の中で勝手に、彼にそう言わせた。


 ソラは内心、早く別のところへ行ってしまいたかった。目の前の純粋無垢な瞳に見つめられていると、たまらなく後ろめたくなってくる。


 しかし間の悪いことに、適当に話を切り上げて立ち去ろうとするソラの周りに人が集まってくる。


「なあ、祷り様よぉ。これまでにも何人か巡礼の方が寄ってったことがあったが、再臨の祈りはちゃんと届いてんのか? 俺たちゃいったいどれだけ待てば良いんだ?」


「それは、あの。すみません」


「あのなぁ、謝られたって困るんだよ。俺はいつまで、って聞いてんだ」


 頭の上からキツく言ってくるその人に、ソラは首を縮めて萎縮してしまった。


 そこに別の人間が宥めに入る。


「まぁまぁ。お前さんも祷り様に当たるんじゃないよ」


「分かってらぃ。だがな、やっぱり思っちまうんだよ。本当に祈りは届いてるのかって」


「そりゃそうなんだが……。聖人様がいてくれたら、こんなことにはならなかったんだろうかねぇ」


 聖人であり魔女でもあるソラには、その一言一言が突き刺さってくる。


 仮に……仮にだ。ソラは考えてみる。


 聖人の役目を受けたとして、自分にそれが果たせただろうか?


 極寒の地へ赴いて祈りを捧げる、死と隣り合わせの大任。


 もし失敗したら?


 吹雪の中に倒れてしまったとしたら?


 自分は何のために生きたというのか。


 ただ望まれたからというだけの理由で、自分は死ねるのか。


 そんなこと(・・・・・)のために死ぬのか。


 もちろん生きて戻るという結果も十分にあるが、その可能性は決して高いものではないだろう。


 想像は自然と最悪の方向へ向かっていく。


 ソラは胸に痛みを覚えて、ぎゅっと服を握り込んだ。この痛みは嫌いだ。刺されるような、抓られるような、押しつぶされるようなそれは、かつてソラを蝕んだ病の再現だった。


 白衣を着た医者に告げられた死を連想する、その病。


 それまで遠くにあると思っていた終わりの瞬間が、いとも簡単に隣にやってくる。


 ソラは死を身近に感じ、それゆえに生きることに対して虚しさを抱えた。その気持ちは今も胸の中にある。


 死ぬかもしれない。


 自分はもう、死ぬかもしれない。


 そんな思いをするのに、理由がないのは二度と御免だ。


「俺らだけじゃない。世界のためにも、早く再臨を──」


 村人は祷り様(ソラ)に手を合わせて祈りの成就を願う。その願いを受けながら、ソラは考える。もしもこの世界のために、この人たちのために世界を救って自分が死んだら……?


 最初は感謝されるだろう。あの方が救ってくださった。ありがとう、ありがとう。そう言って手を合わせてくれる。だが、人は過去を忘れる生き物だ。


「一つお聞きしたいのですが、構いませんか?」


 ソラはそう言って、答えを待たずに質問する。


「以前に再臨された聖人様について、どのような方だったか覚えている方はいらっしゃいますか?」


「そりゃアンタ……清廉潔白で、慈悲深く、穏やかで尊きお方ですよ。どうしてそんなことを、今更お聞きになるんで?」


「……聖人に対する思いを共有しておきたかったんです。この世界に生きる方々と聖人像を同じくすることで、祈りもまた届きやすくなるでしょうから」


 聞こえのいいでたらめを言う。


 質問に対する答えは予想したとおりだった。人々の中に残る聖人に具体性はない。個人を示すような特徴はなく、理想化されたイメージだけが残っている。


 人は過去を忘れる生き物だ。


 いつか必ず、絶対に、記憶は風化する。


 果たしてソラは、それを許せるのか?


 自分が犠牲になって救われた世界で、そこに住まう人々が自分を忘れて生きることを許せるのだろうか?


「きっと許せないだろうな……」


 ソラはものの弾みで思っていたことを口走ってしまい、それを聞いた村人の一人が自分の膝に拳を振り下ろした。


「そう! 許せることじゃねぇんだよ! 魔女め……千年も飽きずに呪いを振りまき続けるなんて、ホントろくでもねぇんだからよォ!」


 その人は家財を失った喪失感をごまかすためか、酒を飲んでいるようだった。


「繰り返し、繰り返しで……。ずーっと堂々巡りじゃねぇか!」


「繰り返している?」


 何のことを指しているのか、文脈から理解できなかったソラは首を傾げる。


「あ? 何ってアンタ……この……こういう、不幸がいつになっても終わらねぇって話だよ。魔女のせいでな」


 彼は逃げ腰のソラの手を捕まえてにじり寄ってくる。


「聖人様なんて言ってありがたがってるけどなァ、みーんな思ってんだぜ。どうせまた数百年後には災厄が降りかかってくるってのに、何が世界をお救いくださる、だってんだ」


「混沌の、繰り返し……」


「そう、それだよ!」


 思い出してみれば、それはジーノから聞いたはずのことだった。


「ちょっとアンタ、祷り様に失礼じゃないか」


「うるせーババア!」


「はいはいアタシはうるさいババアですよ。まったく、酔っぱらうと大口になるんだから。それで明日、死ぬほど後悔するのはアンタなんだよ?」


「後悔なんてするもんか! 俺ァ生まれてこの方、後悔なんてしたことねぇよ!」


 酔っぱらいは妻らしき女性に首根っこを掴まれ、ソラから引き剥がされた。


「すまないね、祷り様。この人にはアタシからキツく言っとくから。許してやっておくれ」


「いえ、大丈夫です。こんな大変なことがあった後ですから、気持ちのやり場がないんですよ。分かっています」


 平謝りの女性に、ソラはそう言った。


 言いながら、ソラは心ここにあらずといった様子だった。


「魔女は、混沌の繰り返しをこの世界に刻んだ……」


 ジーノからその話を聞いた時、どうして疑問に思わなかったのだろう。「以前にも聖人が現れている」ことを理解しながら、その意味に気がつかなかった。


 災厄は何度もこの世界に訪れているのだ。そのたびに聖人が現れ、世界を窮地から救う。


 それは、つまり──。


「数百年後には無駄になるんだ……」


 ソラは自分の中にある空虚がさらに広がっていくのを感じた。


 彼女は村人のそばを離れ、少しだけ休憩をするつもりで外を歩く。空はすっかり暗くなってしまっていたが、辺りは火が焚かれているため随分と明るかった。村中では大きな石などの撤去が終わり、泥と家財を分けているところらしかった。


 人々は汗を流して、泥まみれになって、それでも挫けずに行動している。元の生活に戻れるよう、必死に。


 その姿を遠くから見つめながら、ソラは呟く。


「やっぱり、許せないよ」


 一人を犠牲にして助かる世界があるなんて許せない。その犠牲が自分なら、尚更。


 ソラはいつもより赤みを増して輝く月を見上げて思う。


 聖人も、魔女も、やはり自分の知ったことではない。


「ミュアーちゃんみたいにカッコよくはなれない、か。私は自分のことで精一杯だ……」


 そうやって開き直るのが良くない──ユナの声が聞こえて、ソラは「ごめん」と誰にともなく謝った。


 生気のない表情でフラフラとさ迷う。


 そんな彼女を引き留める声があった。


 ジーノだ。


「ソラさ──、祷り様! どこへ行かれるのですか?」


「え? どこへも行かないよ?」


「でも……でも、今にもどこかへ飛んでいってしまいそうなお顔をされています!」


 ジーノは靴に泥が跳ねるのもかまわずに、ソラの隣に走ってきた。そんな彼女にソラはあっけらかんと笑う。


「やだな、私は空なんて飛べないよ~」


 そんなことができるなら、今すぐここから逃げ出したい。


 そう。


 ソラは何もかも投げ出して逃げてしまいたかった。


 それは魔法院からということではなく……魔女の誤解も何もかも知ったことではないと放り出して、兄妹とともにソルテ村へ戻り、残りの人生で異世界生活を満喫する……そういう妄想だった。


 元の世界に戻る道を探すという頭はなかった。


 それは家族のことが思い出せないからとか、帰りたいという思いが薄いからというわけではなく。仮に帰りたいという思いがあったとしても、その望みはきっと叶うべきではないと思っていた。


 自分の犠牲が許せないソラは、この世界を見捨てることになる。


 世界を一つ見放すのなら、自分の大切だったそれも手放すべきだろう。それなら、どこかに忘れてきてしまった家族のことも思い出せないままでいい。


 きっと、思い出さない方がいい。


 ソラは不意に踏み外したわけではなく、今回に限っては自ら掘った穴に落ち、言った。


「ここでもお祈りしていきたいんだけど、どっかいい場所ないかな?」


 聖人も魔女も知ったことではないと思う自分は、その時が来たらジーノたちと一緒に死ぬべきだ。


 この世界の人間として終わるべきなのだ。


 氷都での夜にも考えたことがあるその結末こそが、自分の行き着く先だとソラは思った。

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