第8話 「追う者たち 2/3」
翌日。
ソルテ村を出て北の峠を回り、西側の麓に下りる山道へと出たセナとロカルシュは、頭に降り積もった雪をぱらぱらと落としながら道を下っていた。
「ひどい目にあったー。いやー、ひどいひどいひドイヒー」
「……」
後ろで大口を開けて盛大なため息をついたロカルシュに、セナは何一つ言い返せなかった。少年がなぜこんなにも大人しいのかと言えば、昨日のロカルシュの心配が見事に的中してしまったためである。
ロカルシュが言った「山の天気は変わりやすい」という言葉。
それは真実で、二人がスランの教会を出た時点で小康状態だった雪は、峠を越えたあたりで急に勢いを増し、結果として彼らは猛吹雪に晒されることになったのである。しかも予想外に険しい山並みに阻まれ日暮れまでに峠を越えられず、夜はロカルシュの伝手で狼のねぐらである洞窟に身を寄せ、夜を越したのだった。
「ちょーっと獣くさいかなぁ、私たち」
「……悪かったよ」
「魔女さんを捕まえたいのは分かるけどぉ、これからはもう少し慎重にいこうよー」
「そうする……」
「じゃあ、仲直りー。今日も元気にいこー」
ロカルシュはセナを追い越し、蹄の音を軽快に響かせて道を進んで行った。
「痕跡はどーお? 続いてる?」
「ああ。ばっちり残ってるぜ……ってもここは一本道だからな。そのまま街道まで出たんだろ」
それから黙々と痕跡を追い、街道に出て麓の街へ向かう。
ところが、魔女一行の光の軌跡は道の途中で途切れていた。セナは立ち止まって辺りを見回し、どこかに痕跡が残っていないかと探してみる。
残念ながら同様の痕跡は見つからなかった。
こうなると、ロカルシュの出番である。
「においは街の方に向かってるみたーい」
「そしたら街の周辺をぐるっと回ってもらってくれ」
「はいはーい。狼さんたちは街の中に入れられないもんねー」
魔女たちが街から出たのなら外ににおいが残っているだろうし、もしも見つけられなかったら、彼女らはまだ街の中にいるということだった。
「アンタの友達が外を探索してくれてる間、俺たちは街の方で聞き込みといこうぜ」
「あとは朝ごはん~。お腹すいたよぉ」
「仕事が終わったらな」
「え。先に食べたい」
「仕事が終わったらな」
「……分かったー」
ぐぅ、と鳴る腹を押さえたロカルシュは不満を頬いっぱいに詰め込み、不服の表情を浮かべてセナの言葉に従った。
そうとなれば、まず向かうのは街の教会である。魔法院から魔女に関する知らせを受け取っているだろうし、街の見回りの際に怪しい人物を見かけているかもしれない。何にせよ得られる情報はあるだろうと踏んでのことだった。
教会は街の中心部にあった。近くにある市場の方からは芳ばしい香りがしている。セナはその香りにつられて道を逸れようとしたロカルシュを引きずって、教会正面の礼拝堂の扉を開いた。
堂には掃除といった日々の作務を行う修道僧と、それを手伝う信心深い街の人間がいた。それらの姿を見て、ロカルシュは少し眉をひそめて二の足を踏んだ。
「私、外にいるねー」
「アンタばっかり休みかよ?」
「教会って窮屈でニガテー。必要ないなら入りたくなーい。ふっくん連れてってよ。そしたら私もお話聞けるから~」
ふっくんとはロカルシュの肩にとまっているフクロウの愛称である。ロカルシュの目であり時には耳にもなるその猛禽類は、セナの頭に飛び移ってホゥと鳴いた。
「邪魔すんなよ」
「ホゥホゥ、ホーゥ」
翼を羽ばたかせて胸を張るフクロウは「任せろコノヤロー」と言っているようだった。セナは頭に彼を乗せたまま、祠祭服を着る中年の女性に声をかけ、用向きを伝える。
「失礼。王国騎士の者ですが、折り入ってお尋ねしたいことがあります」
「何でしょう?」
「魔法院から出ている鳩の件です」
「……ここでは何ですので、別室でお聞きしても構いませんか?」
「ええ。どこでも」
祠祭はその内容を手伝いに来ている人間の耳に入れたくないのか、セナを奥の応接室に案内した。しばらくはもてなしの茶を待って、茶請けの菓子までそろったところでセナが話し始める。
「魔法院からの鳩は届いているんですね?」
「はい、受け取っております。やはり魔女の件でしょうか?」
「そうです。手がかりを追ってこの街まで来たのですが、似顔絵にあったような女に心当たりとかありますか?」
「いいえ。街を見回っていてもそれらしき人物は全く……」
「そうなんですか」
セナと同じく頭の上のフクロウが残念そうに肩を落とす。セナは諦めずに、別方向から祠祭の記憶を攻めることにした。
「最近、何かいつもと変わったことがあったりは?」
「変わったことですか? 特別ありませんが……そうですね、つい先日、祷り様がおいでになったことくらいでしょうか」
「祷り様が? 正確にはいつ頃のことです? どこからいらしたのか分かりますか?」
「三日前にこちらにお着きになって、昨日の昼前に次の巡礼地へ出発されました。氷都の方から来たとお聞きしましたが……」
セナはどことなく引っかかるものを感じ、もう少し詳しく話を聞いてみることにした。
「……ソルテ村に寄ったとか、そういう話は聞きませんでしたか?」
「いいえ。そういったお話はしませんでしたが……」
「ちなみにどのような方々でした?」
「護衛の男性が二人に、祷り様の女性がお一人でした。護衛の方は兄弟のようで、弟さんの方が体調を崩していらしたので、宿坊を二晩お貸ししました」
何でも、その弟の方は丸一日寝こんでいたそうだ。セナは「まるで魔力切れを起こした自分のようだ」と思った。
「三人組の巡礼者一行か……」
「よもやあの方々を疑っておいでですか? 魔法院からの鳩には女二人組だとありましたが」
「あ、いえ。そんなことは……」
セナは慌てて首を左右に振る。さすがの彼も、各地で聖人の再臨を祈って回る巡礼者を怪しむのは気が引ける。人数も一人増えているし、連れは男二人だという話だ。
「うう~ん」
うなるセナの頭をフクロウがつつく。
ハッとして我に返ったセナは一度、深呼吸をして頭を切り替えた。
「祷り様のお顔を確認したりは?」
「あまり口をお利きにならない方でしたので。お食事の際も護衛の弟さんを心配なさって、お部屋の方で召し上がっていましたし」
「誰かと接触するのを避けているような様子はありませんでした?」
「少ないですが顔を合わせる機会はありまして、そういった印象は受けませんでした。ご挨拶すればきちんとお返事をしてくださいましたし、怪しいところなんてどこにも」
祠祭は器用に片方の眉を上げ、セナに訝しげな視線を向ける。
「そちらがお探しなのは、魔女のはずでは?」
「あー、っと。そうですね……すみません。ですがこちらも仕事なもので」
「この世に破滅をもたらす魔女が巡礼者を装うなんて、わたくしには考えられません」
「ええ、それは俺もそう思いますが──」
「あの方はきちんと祷り様としてのお勤めを果たされて、ここをお発ちになったのですよ」
祠祭はだんだんと語調を強めてきていた。
これ以上、巡礼者に疑いの目を向けることはできそうになかった。ここで無理を通すと、今後の教会での聞き込みに支障が出そうだ。
祠祭同士の情報網は広く、その伝播速度は鳩のように早い。人の口に戸は立てられぬと言うし、祷り様を魔女と疑う不敬な騎士がいると噂が広まっては堪らない。
セナは十分に申し訳なさそうな仕草で頭を下げた。
「すみません。一刻も早く魔女を捕まえようと焦り、見る方向を間違ってしまいました。お恥ずかしい限りです」
「いえ。ご理解いただければ、それで良いのです。そちらもお仕事ですものね……」
素直に謝ったセナに対し、祠祭はその暴走を若さゆえの過ちだと解釈し、口調を緩めた。
どうにか祠祭の怒りを買わずに済んだとセナは胸をなで下ろし、「最後に一つだけ」と前置きして質問をぶつけた。
「護衛の兄弟はどんな人物でしたか?」
「ご兄弟のことですか? それはもう、とても目を引く……美しい方々でした」
祠祭はぼんやりと虚空を見上げ、熱のこもった吐息を漏らす。彼女の目には兄弟の姿がありありと浮かんでいるのだろう。
「美しい……? 具体的に教えてもらえると助かります」
「金色の絹のような髪に、海原と青空を思わせる瞳がとても綺麗でしたわ。お兄さんの方はどこか憂いを帯びた雰囲気でしたが、作務を手伝ってくださったりと優しいお方で、手すきの時間には伝承記をお読みになっていました。勉強熱心なのでしょうね」
「そうですか」
「弟さんの方は出発の直前に少しお話ししただけですが、お兄さんによく似て優しい人柄の方でした。魔法がお得意なようで、お兄さんが我が事のように自慢なさっていたのを覚えています」
「なるほど」
「わたくし、お二人が揃ってお話しされている姿を見ていたら……何と言うか、こう。胸にこみ上げるものが……!」
「は、はぁ……?」
「正直、祷り様がうらやま──いえ、何でもありません。忘れてください」
とりあえず、見れば目を奪われるような美形であることはよく分かった。
「ご協力いただき、ありがとうございました」
「いいえ。あまりお力になれず、申し訳ありません」
「そんなことはありませんよ。こちらこそ、お時間を取らせてしまってすみませんでした」
「……騎士様はこれからどうされるおつもりで?」
「街の方で少し話を聞いて回ろうかと思ってます」
「あの……実を言うと、院からの通達で住民には知らせないようにとあったので、魔女の再来のことは皆さんご存じないんです」
「魔法院はそんなこと言っているんですか?」
「皆さんの不安を煽らないようにと」
「んなこと言ってる場合じゃないでしょうに……」
魔女をまんまと逃がしてしまったことを知られたくないのか? あるいは……元老は殺さずに捕らえよと言っていたし、不安に駆られる民衆が万一の行動を起こすやもと危惧して、そんな命を出したのかもしれない。
「分かりました。そういうことであれば、魔女のことは伏せるようにします。その辺は安心してください」
「はい。そうしてくださると助かります」
セナは出されっぱなしで冷めてしまった茶を一気に飲み干すと、襟を正して立ち上がった。




