第7話 「追う者たち 1/3」
セナとロカルシュは魔力の痕跡を辿ってソルテ村にたどり着いた。二人はその軌跡が続く教会へと一直線にやってきて、礼拝堂の扉を開いた。
祭壇の前までくると、セナは大きな声で人を呼ぶ。
「王国騎士の者です。祠祭様はいませんか!」
すると、程なくして奥から男が姿を現した。スランである。彼はセナを見て、こんなに小さな騎士がいたものかと驚いているようだった。
「騎士様がお越しとは、何のご用でしょうか?」
「何って、お分かりのはずでしょう? 魔法院から出ている鳩の件です」
「というと、魔女の再来のことで?」
「ええ。俺たちはその魔女を追ってこの村に来たんです」
「この村が魔女に何か関係があると?」
スランは人好きのする笑みを浮かべて疑問ばかりを口にする。セナは少し苛立ちを覚えながら話を続ける。
「魔法院から魔女の逃亡を手助けした女がいるんですが、その魔力の痕跡がこちらまで続いていました」
「ああ、なるほど。そういうことでしたか」
スランは年端の行かない騎士にも礼儀正しい態度を崩さすに頷いた。
だが、頷いただけであとは無言である。
「祠祭さん、何か隠してるー?」
セナの後ろから隠れきれていなかったロカルシュがひょっこりと出てきて、首を傾げる。
「いいえ。そんなことはありませんよ」
「じゃあ家捜ししてもいーい?」
「ええ」
「手がかりになりそうな物見つけたら持ってくことになっちゃうけどぉ?」
「構いませんよ」
「わーい。許可もらった! そしたら私、あちこち見てくるねー」
「ロッカ、物を壊したりするなよ」
「はーい」
ロカルシュはフクロウと一緒に両手をバタバタとさせ、礼拝堂の奥のドアを開けて教会の居住部分に踏み込んでいった。
残されたセナは一つ咳払いをして、胡散臭い笑みを浮かべるスランを見上げる。
「……ここに魔女は来ましたか」
「何をもって魔女と見なすのかにもよりますね」
「魔女と言えば、陰の魔力を持ち黒き力を使う、世界の敵です。それは貴方もご存じのはずです」
セナは言葉の一つ一つに憎しみを込めてそう答えた。
「はい。存じておりますとも」
「その魔女の逃亡を手引きした女の魔力がここへ続いていました。魔女がここへ来たのでは?」
痕跡は村の中央の道を通り抜け、教会へ真っ直ぐに向かっていた。そして彼女たち──少なくとも魔女を助けた者はこの礼拝堂へ来て、ここで魔法を解いている。セナの目にはその事実がはっきりと見えているのだ。
加えて、スランのこの態度……何かを隠していることは明白だった。
しかしスランは怪しまれているのを分かった上で、笑顔の上に笑みを重ねた。彼は人差し指を胸の前に掲げ、セナに問う。
「一つお聞きしたいことがあります。私は世界を滅ぼす者が魔女と呼ばれるのだと思いますが、貴方はどのようにお考えになりますか?」
「その通りだと思いますよ。どうしてそんなことを聞くんです?」
苛ついた様子でかかとを鳴らすセナに、スランはわざとらしくため息をついた。
「貴方はご存じないのですね」
「何をですか」
「どうやら、魔法院からは何もお聞きでないようだ」
「だから、何を──?」
「貴方にとって聖人の条件とは何です?」
「今度は聖人の話ですか……」
セナは小さく舌打ちして頭を抱える。そんな彼の態度にも、スランはただ微笑むばかりだった。
「……聖人とは、光の加護を受けた白き力を使い、世界をお救いくださる尊き御方であると、俺は考えます」
「そうですね。私もそう思います」
そうしてまた例のごとく会話は途切れ、セナにとってスランの挙動がいちいち癇に障ることになるのだった。少年は頭に上ってくる血を止めるようにして米神を押さえる。
次第に、床を打つ靴音ばかりが大きくなっていく。
「あのですね。だから、俺が聞きたいのは魔女が来たのかという話でして……」
「ああ、そうでした。魔女の話でしたね」
ぽん、と手を打つ仕草に、セナは目の前の男を殴りつけてやろうと思った。無論、騎士たる自分がそんなことをするわけにはいかないので、あくまで想像の中でということになるが。
セナは頭の中でスランの頭を叩くことで、どうにか溜飲を下げようとした──のだが、
「貴方の言う条件に照らし合わせれば、あの方は聖人ではない。だが、魔女でもない」
「ハァ!? っと、失礼……」
思わず騎士の身分を忘れて素が出てしまったセナは咳でごまかし、スランを睨みつける。
「俺は貴方と問答をしに来たんじゃない。質問に答えてください。始まりの魔女に連なるもの──ソラという女はここへ来たのですか?」
「その名の女性であれば、来ましたよ」
「……さっさとその一言を言ってくださればよかったんですよ」
少年は目を斜めにつり上げ、吐き捨てるようにしてそう言った。
「では、魔女がどこへ向かったかご存じですか」
「いいえ」
「金髪の女も一緒にいたはずですが、貴方の知り合いですか?」
「さて? どうだったか……」
「ペンカーデルの大祠祭の話で、その女がこの村の人間だってことは分かってるんです。これ以上はぐらかすつもりなら、拘束することも考えますよ」
「私をですか。それは困りますね」
そのくせ、全く困らないといった口調で彼は言うのだ。
セナはいい加減、礼儀を被るのも馬鹿らしくなってきていた。
米神を押さえていた手を離したところに、スランが言葉を続ける。
「騎士様はその金髪の女を気にされているようですね。そして魔女を憎んでおいでのようだ」
「……ッ、当たり前だ! 奴は俺の故郷を奪った!!」
騎士としての良識を投げ捨てるように手を振り、セナは怒りに唇を震わせる。
「金髪の女にしてもそうだ。魔女の側につくだなんて……聖霊族と同じ過ちを繰り返すなんて、愚かとしか言いようがない! 大馬鹿者だ!」
その女がスランの娘と知らないセナは言いたい放題だった。彼の言いぐさを聞いたスランはそれまで一切崩すことのなかった表情をわずかに歪める。
怒りに身を任せているセナはその変化に気づかなかった。
「──魔女を憎んでない奴なんているもんか。世界がおかしくなったのはみんな奴のせいだ。それは貴方もよく知っているでしょう!?」
「そうですね。私も魔女に良い印象は持っていない」
「だったら! 貴方は俺に魔女の行き先を教えればいいんですよ!」
「私は知らないと申し上げたはずですが?」
「本当でしょうね!?」
「魔女の行き先など、私は知らない」
「それならもうアンタに用はありませんッ!」
少年は年相応に自分勝手な物言いで礼拝堂を出て行った。そこに、とっくに捜索を終えていたロカルシュが戻ってくる。彼は言い争う二人の間にどう割って入ったものかと考えているうちに、どうにも出てくる機会を見失ってしまったらしい。
ロカルシュは布をかぶったフクロウと一緒にしょんぼりとしながら、両手の人差し指をつき合わせて小さく頭を下げる。
「祠祭さん、ごめんねー。セナは魔女さんのこととなると色々見えなくなっちゃうんだ。でも悪い子じゃないんだよー。これほんと」
言い終わると改めて深々と頭を下げて……そうと思えばピンと弾かれたように顔を上げ、ロカルシュはスランに歩み寄る。
彼は内緒話をするようにこそこそとスランに話しかけた。フクロウが頭に被っている布を指さし、
「あのね、祠祭さんに聞きたかったんだけど、この服って魔女さんのもの?」
それはソラがこちらへ来る際に身につけていた上衣だった。
スランは内心ギクリとしながら首を傾げる。
「分かりかねます」
「じゃあ言い方を変えるねー。これ、ソラっていう異界人のものー?」
「……そうだったかと思います」
「そっかそっかー。それが分かればいいや。ありがとー」
ロカルシュは手をヒラヒラとさせて離れていった。彼はまるで何も分かっていないように見えて、スランの言葉遊びを理解しているらしかった。
だというのに、それ以上追求してこないのは妙だった。
「貴方は……」
「なぁに?」
「いえ……何でもありません」
見た目は息子のエースよりも年上なのに、中身はジーノよりも子どもっぽくて、スランはロカルシュとどのように接すればいいのか分からなかった。
戸惑うスランに、ロカルシュが言う。
「私の故郷のプラディナムではね、魔女さんも信仰の対象だったりするんだー。聖人が創世の神の使いなら、魔女は滅びの神の使い。ってね~」
「ならば、魔女を悪とする立場の王国騎士である貴方は故郷の信仰と異なり、魔女を──滅びの神を信じていないということなのですか?」
「信じてない? うーん、そこんとこ真面目に考えたことなかったなー。どうなんだろ。私にとってはご褒美くれる神様もいれば、罰してくる神様もいるのは当たり前なんだけどぉ」
「それなら、なぜこのような……」
「これでも一応、騎士だからさー。それにセナも魔女を捕まえるって言ってるし、まあ仕方ないかなーって」
「そんな……たとえ滅びを司るとはいっても、それが神であることを信じているのであれば……その使いを捕まえるなどとは、あまりにも──」
屈託のない笑みを浮かべて、故郷での信仰の対象を「仕方がない」で捕まえると言う彼は、スランには理解しがたい存在だった。
「何だろうねぇ? 常識と信心は別ってことかなー?」
「……」
「まあ、捕まえたら捕まえたでお国の人たちに怒られそうだから、セナにはあんまり深入りしてほしくないなーとも考えてるんだけど」
彼は少年騎士と違って、何を考えているのか分からない。その言葉が本当なのか、嘘なのか、まるで分からない。
急に……スランの頭に不安がのしかかってきた。
「じゃーねー、祠祭さん。そだ、娘さんたちに会ったら何か伝えることはある?」
スランが疑うようなことは何も考えていないロカルシュにとって、それは別れの定型句のようなものであり……言うなれば好意から出た言葉であって、字面以上の意味はなかった。
だが、スランは焦った。
「あ、あの子たちは……」
「ん?」
「操られて……ッ」
我が子のこととなると途端に冷静さを欠くのは、スランの唯一の欠点である。
「そーなの?」
「……」
首を傾げるロカルシュに、スランは無言で俯く。その顔は罪悪感と後悔で塗りつぶされていた。ロカルシュは何も言わず、何も聞かず。ただ、彼の肩にいるフクロウはどうしたらいいのか分からない様子で体をソワソワと動かしていた。
「えっとぉ。何だかよく分からないけど、お話は終わりだし、私たちはもう行くね~?」
「……お気をつけて。道中の安全をお祈り申し上げます」
「うん。ありがと!」
裏表のない表情で再度頭を下げたロカルシュは礼拝堂を後にする。しんと静まりかえった堂に一人残されたスランは首に掛けた十字架を握りしめ、子らの幸運を祈るしかなかった。
外に出たロカルシュが堂の扉を閉めると、頭から湯気を出さんばかりに怒り散らしているセナの姿が目に飛び込んできた。
「とんだ時間の無駄だったぜ……!」
彼は真っ白な息を絶え間なく吐きながら悪態をついていた。
「セナが怒ってるぅ。こわーい」
「うっさい。痕跡は北に向かってる。それは分かってんだ。さっさと追いかけるぞ!」
セナは待たせておいた馬の方に向かっていった。ロカルシュは珍しく慌てた様子で、その外套を掴んで引き止める。
「え? ちょ、ちょっと待って待って。確かに今は晴れてるかもだけど、山の天気は変わりやすいし、この時間に出て行ったら夜になっちゃうよぉ。私、遭難とかしたくないんだけどー?」
「今の俺なら一晩くらい魔法でどうにかしのげる」
「でもでも、どうにかなるって言っても負担が大きいんだから、さよなら言っといて何だけど、やっぱり今日はここでお世話になろーよ。寒いよぉ~。セナってば冷静になって」
「俺は十分冷静だ。つーかアンタはどうなんだよ。手がかりはあったのか?」
急に話題を逸らされ、ロカルシュの思考はさらに慌てた。今はとにかく宿の話は置いておいて、そして魔女追跡のため山越えを強行する話も置いておくとして……彼は記憶を辿り、教会の住居部分を捜索した時のことを思い出す。
そして乱雑に散らかる事実を一つ一つ整理して、その中からセナの問いに対する答えを見つける。
「えっと、えっとねー。何か見慣れない服を見つけたよ。異界の服っぽくてぇ。あと、一応この家の人たちのにおいを収集しといたー」
寝台から移し取ってきたそれは密封できる瓶に閉じこめられて、ロカルシュの腰にぶら下がっている。
「異界の? 魔女の服か……!」
「それね、狼さんに確認したらここに来るまでのと同じにおいがするってさー」
「途中で魔女と金髪女が別れてたらマズイと思ってたが、その心配はないわけか」
「そーゆーことー」
「これなら金髪女の魔力が追えなくなっても何とかなりそうだな」
「においもずっと残ってるわけじゃないから、急がないとだけどねー」
「だから急ぐって言ってんだろ」
セナは外套の裾を掴むロカルシュを引きずって馬の方へ歩いていく。
「とっとと行くぞ!」
「ええー? ほんとに行くの?」
「行くの!!」
「もー、頑固なんだからぁ……」
いざとなったら狼のねぐらにでも寄せてもらおうと考えながら、ロカルシュは仕方なく年下の相棒について行くのだった。




