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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第二章 カシュニー
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第5話 「祷り 2/3」

 日が沈み、祈りの時間も終わりという頃を見計らって、エースは礼拝堂を訪れた。


 上空に雲はなく月も出ているというのに、街には雪が降っていた。窓から弱々しく差し込む月光が、堂の中に雪の影を降らせている。その黒い雪に埋もれながら無心に祈るソラは、エースがやってきたことに気づいていなかった。


 彼女は毅然と顔を上げて教会の十字架と相対していた。


 膝をつき、


 目を閉じ、


 食べることを許されず、


 誰一人、彼女の祈りを助ける者はない。


「ソラ様……」


 まるで戦っているようだと思った。


 魔法院で元老と対峙したときも、きっと彼女はこんな風に抗ったのだろう。


「……ソラ様。もう十分です」


 エースはソラの肩に手を置き、その戦いを終わらせる。ベールに隠れた彼女の顔には疲労の色が浮かんでいた。


「そしたら、今日はもう終わり?」


「はい、お疲れさまでした。あとはゆっくり休みましょう」


「ハァ~、疲れた。我ながら頑張ったわぁ」


 ソラは握っていた手を離して、絨毯に尻餅をついた。膝の痛みが想像以上にひどい。


 エースはそんな彼女の横にかがんでその背中に腕を添え、膝の裏に手を差し入れた。


 いわゆるお姫様だっこの準備である。


「ちょいっ、エースくん! な、何をするつもりですか?」


「お部屋まで運ぼうかと」


「そんな公開処刑みたいな……」


「失礼します」


「ぎゃあ!」


 抱き上げられたソラは可愛げの欠片もない声を発した。照れくささや甘酸っぱい感情などどこにもなく、まず恥ずかしさがやってきて彼女は思わず両手で顔を覆う。


「うう……二十七にもなって一人で歩くこともできないなんて」


「すみません。差し出がましいとは思いますが、膝の負担が大きいようでしたので」


「いや、キミのこの心遣いはとてもありがたいと思ってるんだ。ただ……人によっては心ときめくシチュエーションかもだけど、私はどちらかというと醜態を晒している感が強くてね……」


 ソラはひたすら羞恥に打ちひしがれていた。彼女にとって、こういう少女漫画的な展開は外野から羨望の眼差しで眺めているくらいがちょうどいいのだ。間違っても当事者になるものではない。


 すっかり意気消沈してしまったソラは大人しくエースに部屋まで運ばれていった。


「そういえば、ジーノちゃんはどう? 何ともない?」


 相変わらず顔を隠したまま、ソラが聞く。


「ええ。さっき覗いてみたら、寝言を言っていましたよ」


「そうなんだ。昨日とか息以外してない感じだったし、それだとだいぶ回復してると考えていいのかな」


 死んだように眠っているというか、瞼にしてもぴくりとすら動かないところを見ているので、ソラはそれを聞いて安堵した。


「様子を見ていかれますか?」


「うん。休む前にちょっと見ておきたいかも」


 エースはソラをジーノが寝ている部屋まで運び、空になっている方のベッドに座らせた。エースが指を振って小さく部屋の明かりをつける。兄妹以外に誰もいないところまで来て、ソラはようやくベールを持ち上げて視界を十分にした。


 ジーノは昨夜見たときよりも安らかな表情をしていた。


 しばらく二人でジーノの寝顔を見守っていると、その愛らしい口が小さく動いて、


「ソラ様……そんなものを食べては……ダメ、です」


「おーい。私そんなに食い意地張ってないぞー」


 ソラが拾い食いをしている夢でも見ているのだろうか。


「夢の中でもソラ様は美味しそうに食事をされているのでしょうね」


「フフフ、そうだといいねぇ」


 快方に向かってるようで、ソラは安心していた。祈りが通じたのだろうと思いつつ、痛めてしまった膝をさする。


 それを見たエースは荷物の中から薬を取り出し、ソラの前に片膝をついた。


「かなり痛みますか?」


「たぶん打ち身みたいなことになってるんじゃないかな~と、予想」


「診てみますので、裾を上げてくれますか」


「はーい」


 ソラは靴を脱ぎ、履き物の裾をくるくると巻いて上げる。


 膝頭は両方とも真っ赤に腫れていた。


 箇所によっては紫色に変色していて、ソラが言ったように打ち身になっているらしかった。


「けっこうエグい色してるなぁ」


「よく効く湿布があるので、それを貼っておきますね」


 エースは彼女の足を自分の腿の上に乗せると、適当な大きさに切った貼り薬を両の膝に貼った。その体勢が落ち着かないソラは手当が終わるや否やサッと足を下ろし、巻き上げていた履き物を足首まで引き下げて靴を履いた。


 それをどこか名残惜しく見つめていたエースはひざまずいたままソラの顔を見上げ、疲れで落ち窪んでしまって見える彼女の目元に手を伸ばした。その優しい親指は目尻を撫で、頬にうっすらと残って見える傷に伸び……、


「エースくん」


「はい?」


「それは天然ですか」


「てんねん?」


「お分かりでない……ということは、自然とそういうことしちゃうのね」


 ソラの冷静な手がエースの腕を掴んで下ろす。


 先のお姫様抱っこにしろ、手当の仕方にしろ、エースの行動は全てソラを心配してのことであって、他意はない。


 それは分かっている。


 分かっているからこそ、そういうことはやめてほしいと思った。


 自分は案外、絆されやすいのだ。


「今はそんな状況じゃないからね……」


「ソラ様?」


「あのね、エースくん。今のは私だからいいけど、他の子にこういうことすると、誤解されてしまいますよ」


「誤解とは……何のことでしょうか?」


 エースは本気でソラの言葉を分かっていないようだった。


「鈍感」


「それは、よく師匠にも言われます。だから患者の容態はしつこいくらいに把握するようにと──」


「えっと、そうじゃなくてね……」


 ソラはソルテ村で出会った女の子たちのことを思い出す。


 きっとエースは彼女たちにも同じように接してきたに違いない。だからこそ、少女たちはエースに憧れていた。


「さっきみたいな仕草をするのは、将来を誓うような相手だけにすべきです。と私は思いますよ、お兄さん」


 少し大げさ過ぎたかもしれないが、このくらい強く言わないと彼には通じそうにない。


 それを受け、エースはようやくソラの言わんとしたことに気づく。


「すみませんでした。そうですね……」


「まぁでも、キミのその優しさはとても嬉しかったよ。ありがとうね」


「はい……」


 エースのその性質は決して悪いものではない。ソラは自分をいたわってくれた彼の手をポンポンと叩いた。


「さてと。ジーノちゃんの顔も見たし、夕食までちょっと部屋で休んでようかな」


 まだ痛みの残る膝をかばい、ソラが立ち上がる。


 指摘を受けたばかりのエースはどこまでが手出しできる線引きなのか分からず、戸惑っていた。ソラは少し考えた後、人差し指で彼の肩を叩いて言った。


「肩を貸してくれるかな?」


「は、はい! もちろんです」


 エースは表情を明るくして、いそいそとソラの横に立つ。その時、彼女の手首に魔封じの腕輪がついているのが目に入った。


「これも外しておきますね」


「あ、すっかり忘れてた。追跡の機能とかあったらヤだしね。どっかに捨てちゃおうか」


「そうしましょう」


 エースはソラが差し出した手首から腕輪を外して預かる。そして隣の部屋まで彼女を送り、夕食の準備が整ったら知らせると言って扉を閉めた。


 その後、エースは誰もいない廊下を突き当たりまで歩いて行って、室内の景色が反射する窓に顔を向けた。彼は自分の姿を目に映すと、ソラの手首から外した腕輪を強く握った。


 自分のわずかな魔力を刃に変えて、ソラを魔女として見てきた石の目に突き立てる。


 腕輪は乾いた音を立てて壊れた。


「……将来を誓うなんて、そんな相手。俺には一生できませんよ」


 エースの心を覆い隠すかのように、雪が降る。彼はいつも腰に差しているお守り代わりの剣を撫で、自らを他人のように哀れんだ。

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