第3話 「王国騎士の二人 3/3」
翌日の早朝、ペンカーデルを出た二人の旅路は順調……とはいかなかった。
宿場の寝台に腰掛け、かかとで地団太を踏むセナの鼻には紙が詰まっていた。
「ちくしょう、ふざけんな。魔法で吹雪をよけるにしたって、限度ってもんがあんだろ」
「アハハー。夜に休んでもセナは二日が限界だったねぇ。魔法ってパッと使う分には負担はあんまないけど、ずっと使うとなるとかなり堪えるって本当だったんだー」
「他人事だと思って……。ったく、鼻血が出るまで魔法を使うなんて、魔法院で勉強してたとき以来だぜ」
どうしてそんな悲惨なことになったかというと、都を出てから二日後にロカルシュの予報通り天候が悪化し始めたからだった。とはいえそこで捜索の足を止めるわけにもいかない二人は、魔法を使って吹雪をしのぎながら進まざるをえなくなったのだった。
「魔女さんからの遅れが半日くらいだからって、甘く見てたよね~」
「本当だったら今頃、雪に足止めされてるところを確保できてたはずなんだ。なのに、まさか──」
魔女たちが吹き付ける雪と風をものともせずに進んでいるとは、思わなかった。
半日以上前から白銀に沈む道にはっきりと残されている痕跡を見つけ、セナは大いに焦った。このままでは引き離される一方だ。そして先を急ぐあまり魔法を連続使用して倒れ、今に至る。
「もうスッカラカンだ……」
「まぁ、お休みするのも大切だよ~。その間に『銃』? だっけ。それのお手入れでもしておいたらいいんじゃない?」
「だな」
セナは鼻血が止まるまでの間、愛器の手入れを行うことにした。
騎士といえば携帯する武器は剣や槍、弓などが一般的だが、セナのように「銃」を扱う騎士も多くなった。
「私、その黒い武器あんまり好きじゃないんだよね~」
「んだよ。美学がどうのとか言うつもりか?」
「まっさかー。私が気に入らない理由はたった一つ! 魔法院が開発したものだからだよー」
「ハハッ、魔法院嫌いのアンタらしいな。まぁそうじゃなくても、王都の正騎士様なんかには邪道だ非道だ言われて、不評らしいけどな」
セナは腰の革鞘と、肩掛けの筐体の中から銃を取り出す。彼は大きさの異なる二丁の銃を携帯することが許されている。一丁は片手で扱うことも可能な小型銃で、もう一丁は照準器を覗いて離れた場所から対象を撃ち抜く狙撃銃だった。
少年は慣れた手つきで解体、掃除を行った。
「でもそれ、武器としては扱いやすいんでしょー? 弓みたいに矢をつがえる手間もないし、連続してバンバン攻撃できるみたいだし。そのうち遠距離の武器は全部それに代わっちゃうんじゃないー?」
「そうとも言えねぇぞ? コイツ、発砲音がバカみたいにうるせぇからな。この音をどうにかできない限り、弓は現役だと思うぜ」
「弓は単純に射る分には魔力消費もないしね~」
「そういうこった」
セナは撃鉄を起こし、その先端に取り付けられている魔鉱石の劣化具合を確認する。その石は「銃」の要であり、鉱石莢の先端に仕込まれた鉄の礫を打ち出すために欠かせない部品である。
赤いそれにひびや変形、欠損などはなく、色にも濁りはない。それを確かめて、セナはおもむろに狙撃銃の照準器に目をやった。
「はぁ……俺だって『眼』を使ってなければ、こんなことには……」
「それ言い訳~」
「くっそー、この遅れをどう挽回するか考えねぇと」
セナの口は乱暴だが、手は丁寧な動作で銃を元の形に戻していった。手入れが終わる頃には鼻血もすっかり止まっており、彼は小型銃を革鞘に差し込んで枕元に置き、狙撃銃の方を筐体の中に片付けた。
鼻から紙を抜いて捨て、これからどうするかを考える。
寝台に倒れ込むセナを横で見ながら、ロカルシュが言う。
「とりあえず私の方で先に偵察出しとくからさー、セナはゆっくり休みなよ。急いては事を仕損じるって言うしぃ?」
セナと反対に寝台から飛び上がったロカルシュは窓のそばまで歩いていき、外に向かって手をかざす。遠方の鼠たちにどう頼もうかと考え、ふと妙案が浮かんだ。
「そーだ。セナ、ちょっと聞きたいんだけどさー。ここから魔女さんたちの魔力の痕跡って見える?」
「たぶん見えると思うけど。それが?」
「その目、貸してー」
ロカルシュは寝台を降りて窓際まで歩いてきたセナの頭を捕まえ、魔力の痕跡を見るよう頼んだ。セナはいまいち彼の考えを理解できず、不審に思いながら窓の向こうに痕跡を浮かび上がらせた。
「見えてるぜ」
「はーい。じゃあしばらくそのままでいてねー」
よいしょー、と気の抜けたかけ声と一緒に、ロカルシュは自分の額をセナの後頭部にくっつける。ロカルシュの真っ暗な視界に、ぼんやりとセナの目で見る世界が映し出されてくる。
窓の外には、重たく降る雪の中をひたすら北に邁進する軌跡が見えていた。
「何してんだ?」
「視界のきょーゆー」
「共有? 虫で覗き見してたのと同じやつか?」
「そう。私がセナの目で見てるのー」
「ふーん。何か勝手な方向に目が向くのはそのせいか」
意図せず視界が動くことを除けば、目を使われている側に違和感はない。
不意に、セナは「自分が本気出せば国を乗っ取るくらい朝飯前だ」と言っていたロカルシュの言葉を思い出した。兵舎では軽く聞き流したが、本当にそんなこともできそうだとセナは実感した。
ロカルシュの獣使いとしての能力は人間を含む動物全般に及ぶものだ。実際に自分の目が操られるのを体験した後では、言葉の重みが違う。
「もういいか?」
「いいよー」
セナは寒気を覚えてロカルシュから離れた。この青年は操る対象を人形のように動かせるばかりか、もしかすると自分の考えたとおりに喋らせることもできるのかもしれない。
「なあ、アンタのそれって考えてることまで分かっちまうもんなのか?」
「んーん。そういうのは分かんない」
ロカルシュは鼠たちに痕跡の「型」を覚えさせ、それを探って監視するように伝える。
「人間にもそういうことできるのかよ?」
「……」
ロカルシュは笑みを張り付け、肩のフクロウと一緒に窓の外を見つめ続けた。
その沈黙がセナの怖気を助長した。
ロカルシュは窓に反射した自分の後ろでセナが表情を固くしたのを見て、フクロウだけを振り返らせた。
「怖がらないでね」
「こ、怖くなんかねぇよ」
「そーお? 本当にぃ?」
本人は一切セナを振り向かない。その背中は少し寂しそうに見えた。
「いや、その。あ……ったりまえだろ! つーかアンタ馬鹿だし、その力が悪用されないかって俺は──」
「やだー! セナってば私のこと心配してくれるの? ウレシー!」
「してねぇ!!」
言っていて恥ずかしくなってきたのか、セナは頬を染めてそっぽを向いた。その様子があまりにも面白くて、ロカルシュは仮面のような表情を生きたものに戻してセナを振り返った。
フクロウがセナの肩に飛んでいき、赤くなった頬に体を擦り付けて小さく鳴く。
「心配しなくても、大丈夫だよー。私、セナ以外の言うこと聞くつもりないもん」
「……アンタ、俺の言うこと聞いたことあったか?」
「えー? ちゃんと聞いてるー、……よね?」
「いや知らねぇよ」
フクロウの愛情表現は次第に激しくなり、羽がセナの髪の毛に絡み始めたあたりで引き剥がされた。
「ってか、別に俺だけじゃないだろ。隊長の言うことは聞いてるじゃんか」
「セナがそうするから私も同じく従ってるだけー」
「はあ? じゃあ俺が裏切れって言ったら、アンタそうするのかよ?」
「切る切る裏切るぅー。故郷とセナ以外は敵だもんねー」
「敵って……アンタなぁ、適当なこと言うなよ」
「適当ー、テキトー、敵とー。……えーっと、なに?」
人差し指と中指で作ったハサミを閉じたり開いたりしながら、ロカルシュは上体ごと首を傾げる。
セナは手を額に当ててため息をついた。
ロカルシュのこういう態度を見ると、セナは急な脱力感に襲われることが多々ある。
「何かもうアホらしいな。そしたら悪いけど、俺は休ませてもらうぜ」
「はーい。おやすみなさーい」
「アンタもちゃんと休まないとダメだぞ」
「分かった~!」
言うや否や、ロカルシュはストンと布団に入って次の瞬間には寝息を立てていた。
「これでちゃんと偵察連中の行動は把握してんだから、不思議なんだよなぁ」
セナは横になったまま、枕に頬杖をついてその寝顔を見つめた。
野生動物のように本能的で、子どものように素直で、嘘というものから最も縁遠い純粋な生き物……セナは自分の方が年下だというのに、彼のことは何があっても守ってやらなければという使命感に駆り立てられることがある。
「……おやすみ、ロッカ」
部屋の明かりを消して、明日の行動に備える。
その後、二人は連日の悪天候をくぐり抜けて何とかソルテ村へと到着した。
それは魔女一行に後れを取ること、三日後のことであった。




