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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第一章 ペンカーデル
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第3話 「彼方より来たる者 3/7」

 今しばらく暖炉の前で待っていると、片づけが終わったと言ってエースが戻ってきた。ソラは待っている間にジーノが用意してくれた靴を履き、毛布にくるまったまま風呂場へと向かった。


「湯殿はこちらです。すぐにお着替えをお持ちしますね」


 ソラを脱衣場に案内したジーノはそう言ってドアを閉める。ソラは彼女の姿がドアの向こうに隠れるまでひらひらと手を振り続けた。


 パタンと音がして締め切られた空間に一人になる。ソラは腰に手を当てて鼻から息を吐くと、勢いよく背後を振り返った。湯気で曇るガラス戸の向こうには温泉が待っている。


「温泉、温泉~」


 ソラは洗濯かごを引き寄せ、その中に羽織っていた毛布を畳んで入れた。急な冷気に肌がぷつぷつと粟立つ。これ以上冷えないうちにさっさと湯船に浸かってしまおう。ソラが上着を脱ぎ下着に手をかけようと……したところ、あるものが目に入った。


 上半身の右側、視線近くにあったのはわきの下から体の中心に向かって斜めに走る傷跡だった。


「あ、そっか。そういえば……」


 これもまた例によって忘れていたようだ。ソラはかつての闘病の痕跡を指先でなぞって、気が滅入ったようにため息をつく。


「治療は中断かぁ。あともうちょっとで終わりだったのにな。こっちに飛ばされる時に何かいろいろあって治ってるとかならいいんだけど……んなわけないか」


 傷が残っているというのに都合良く病気だけがなかったことになるとは思えなかった。ならばせめて治療が終わった頃合いで召喚してくれればいいものを、本当に間が悪い。ソラは盛大にため息をつき、同時にまた別の事実に気づいた。


「あれ? よくよく考えてみたら自分の下着ってこれ一組しかないわけじゃん? え……やばい、どうしよう……」


 ソラは下着のカップ下部を押さえて絶句する。


 これがゲーム世界への召喚だったら、明らかに防御力と魅力と精神の値にマイナス補正が入る非常事態である。


「この世界にはパッドという画期的な発明品はあるんだろうか」


 ソラは決して豊かとは言えない胸の膨らみを半眼になって見下ろす。体型を補正する下着を多く試し、ことごとく打ちのめされてきた彼女にとって、「控えめな谷間がカワイイと各所で絶賛!」という謳い文句に乗せられて買ったその商品は藁にもすがる思いで手に入れた最後の砦だった。


 浅いながらも谷間を作ることに成功したのはこのシリーズだけだったのだ。


「汗かいてるからパッドだって洗わなきゃだしなぁ。まずいな……」


 この先パッドによる底上げが望めないとなると、代替できそうなものと言えばハンカチだが、あまりつけ心地はよくなさそうだ。


 ソラは苦渋の決断を迫られる。


 日によって大きさが変わるのも不格好だ。彼女は仕方なく、長い間お世話になったそれをそっと外すことにした。


「まあ……もともとそんな見せるほどのもんでもなかったし……水着だって昨今着てませんしぃ。ええ、一人で悦に入ってただけですから。ほとんど実用性もなか──って実用性って何だよ!?」


 一人沈鬱な面もちでノリツッコミなどしていると、脱衣場のドアがノックされた。ジーノが着替えを持ってきてくれたようだ。


「あの、お待たせいたしました。大きな声が聞こえましたが、何かありましたか?」


「……独り言です。とても悲しい独り言ですので、どうかお気になさらず」


「えっと……そうしましたら、下着はソラさんがお入りになっている間に村の方で新しいものを買ってきますので、軽く寸法を見させていただけますか?」


「お願いします。何か重ね重ね悪いね。手立てが見つかったらお金はきちんとお返しするので」


「分かりました。気長にお待ちしています」


 ジーノは柔らかな仕草で頷き、着替えを棚のかごに入れてソラの後ろに立つ。彼女はショーツだけの姿になったソラを後ろから抱きすくめるようにして手を回し、持っていたメジャーの端を手に取って元の位置に戻る。


 背中で目盛りを読むジーノに、ソラは両腕を肩の高さに上げて広げたままぼそりと話しかける。


「ジーノちゃん。ダメ元で一つ聞きたいんですけど、パッドって知ってる?」


「ぱっど、ですか?」


「胸のコンプレックスを補うものなんだけど……」


「こん、ぷ……? とは何でしょう?」


 ジーノはソラの言葉に首を傾げる。ひょっとすると、この世界あるいは国では外来語が通じないのかもしれない。ソラは咳払いを一つすると、自分の真意を伝えるべく言葉を換えて言い直した。


「コンプレックスってのは、劣等感というか……私の場合は見栄を張って盛りたいものというか……」


 それを聞いても上手く想像できず、ジーノはまた違う方向に首を傾げた。


 そこでソラは背後にいるジーノの服装を思い出す。


 彼女はコルセットを巻いていた。その縁に乗る胸はお世辞にも大きいとは言えないにもかかわらず、である。ソラにとってのコンプレックスは彼女からすればその対象ではないのだろう。そうでなければ、胸部を強調するあんな格好はできない……とソラは自らの胸を見やって考える。


 成長の見込みがない自分にはパッドで盛らない限り出来ない格好だ。


 対して、ジーノはまだ十七歳だ。つまり伸びしろがある。


 希望はあるのだ。


「その若さが何ともうらやましいです……」


 思考が飛躍したソラはギリギリと奥歯を噛む。


「ソラさんも十分にお若いかと思いますが……あら?」


「ん? どうかした?」


「いえ、あの……。すみません。私ったら、もう少し気をつけるべきでした」


 メモリを読み終えたジーノはメジャーを引き取る際、ソラの体に残る傷跡を見て言葉を失った。彼女を振り返ったソラはパッドに気を取られてすっかり忘れていたそれを隠しもせず、


「ああ、こっちこそごめん。気まずいもの見せちゃったね」


 そう言ってはにかんだ。彼女は胸の大きさにはこだわるくせに、傷に関しては無頓着なのだった。


 ──否、いつも通り無頓着であるように努めていた。


「あんまり気にしなくていいですよ。別にこんなの何でもないから」


 あっけらかんとするソラに、ジーノはどこに目をやったらいいのか分からない様子で視線をうろうろとさせていた。それは体に傷のある人間を恐れているようにも見える。


 こちらの世界観的にはどうなのか分からないが、少なくともソラのいた世界では普通に生きていれば体に傷がつくということはほとんどない。理由の分からない傷跡を見せられれば怖がる者もいるだろう。


「あの、その。これはね……」


 この傷が原因で、ただでさえ不審人物の自分がさらに怪しまれることだけは避けたい。ならば、全て正直に話してしまった方がいいのかもしれないと、ソラは不必要に身振り手振りをしながらその訳を語った。


「私ってば病気しちゃいまして。命に関わるものじゃな……いや、関わるものではあったんだけど、私の場合は発見が早かったおかげで患部を切除してどうにかなったんですよ」


「そうなのですか……」


「うん、そうなの。何か危ないことしてついた傷とかじゃないから安心して」


「あ……。私ったら、顔に出ていましたか?」


「ちょこっとね」


「すみません」


「いいよいいよ。私もびっくりさせちゃったし、ごめんね」


「……さぞ大変な病だったのでしょうね」


「アー、まぁ人によってはそうかもしれないけど……私はそうでもなかったよ?」


 病状が進んで取り返しのつかないことになっていたなら話は別だが、病巣を取り除いた後は投薬による治療だけで済んだのだ。だからソラは自分の身に起こったことをさして大変だとは思っていなかった。


 そうは思わないよう心がけていた。


「ジーノちゃんも気をつけてね。いつどんな病気になるかなんて分からないからさ。日々の体調を把握しとくのが肝心ですよ」


「そうですね。お気遣いありがとうございます。でも私……あと兄もですが、健康には自信がある方なんですよ。生まれてこの方、私たち風邪も引いたことがないんです」


「え!? 何それ地味にすごい」


「ええ、密かな自慢なんです。ですが油断は禁物ですね。これからは気をつけます」


「そうそう。人間、健康で長生きが一番の贅沢だと思うし。体は大事にしてください」


 そうして話に一区切り着くと、ジーノは小さく頭を下げて一歩後ろに下がった。


「寒いのに長々と失礼しました。どうぞ、ゆっくり温まってくださいね」


 眩しく輝く笑顔を見せ、ジーノはスカートの裾を翻して脱衣場を後にした。それは雪の中での凍てつく出会いで受けた冷たい印象を溶ろかすような表情だった。


「うぅ……もう、何なのあの子。今更だけどめちゃくちゃ可愛いくない?」


 あの美しい微笑みが自分に向いていたのだと思うと、ソラは不思議と顔が火照るの感じた。何かに目覚めそうになる頭をぶんぶんと振り、奇妙な思考を捨て去るようにして彼女は潔く全裸になる。そして、着替えと一緒に渡されたタオルを片手に浴室のドアを開ける。


 温泉と聞いて想像していた独特の硫黄臭はなかった。ソラは入り口のすぐそばにあった桶を持って、石づくりの床を湯船に向かって歩いていく。白い湯気を上らせる湯は無色透明で、石を組み上げて作られた湯船の底をなめらかに揺らめかせていた。


 桶と一緒に手を浸してみる。水温はそれほど熱くない。試しに指先の滴を舐めてみたところ、少し塩辛い味を感じた。


「しょっぱいのだと……何だっけ? 切り傷とかにいいんだっけ?」


 ソラは首を傾げながら湯を汲み取り、体を軽く洗ってから湯船に足を入れた。縁にもたれて肩まで浸かると、自然と年寄りめいた声が出た。


「あぁ……極楽。こりゃいいわぁ」


 こんな風呂に毎日入れたら、確かに病気知らずになるかもしれない。


「塩素っぽいにおいとかしないし、これたぶん掛け流しだよね……温泉のある地域ってみんなこんな感じなのかな?」


 たゆみなく注がれる湯は緩やかに湯船の縁から落ち、そのまま外の排水溝へと流れていっている。


「そういえばここ、教会って言ってたっけ。公衆浴場的な役割もあったりして……。何てったってこの広さだしね。ありえる」


 ソラの独り言は広い浴室の高い天井に湯気と一緒に上って消えていく。


「はぁ……あったかぁ~い……」


 そして彼女は肩どころか口の上まで湯に沈め、手足を縦横無尽に伸ばして温泉を満喫したのだった。

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