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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
幕 間
37/153

「悪逆の正当性 7/7」

 日が沈みきった廊下をぶらぶらと歩きながら、ナナシは今夜の夕食について考えていた。凍えるような季節ではないが、夜になればそれなりに肌寒い。彼は何か暖かい物が食べたかった。


 厨房まで戻ってきたところで、手の中の石を弄びながらジョンが言った。


「そういえば。ななし、ほんとにべんきょ、してないかった。ぼくだけ」


「ジョンがやった方が効率的なんだもん」


「そう、だけどー」


「僕は後でお前に教えてもらおうと思ってたの」


「らくちん、ずるっこ」


「そんなこと言ったって。僕、あんな変な文字すぐに覚えられないし」


「ふむぅ……しかたない、わね。ぼくがおしえる、してあげる」


「何とぞお願いしますよ。先生」


「せんせい? ふふん。いいでしょう」


 尖らせていた口をニンマリとさせて、彼女はその言葉の響きに酔っているようだった。頭脳は人並み外れているが、こういうところは年相応に子どもっぽいのだなとナナシは微笑ましく思った。


 ジョンは相変わらず手の平の上で石を転がして遊んでいる。ナナシは秘密箱に保管されていたその石が何なのか、先ほどから気になっていた。


「それだけどさ」


 ジョンの痩せた小さな手より少し大きいくらいの透明な鉱物。それを指さしてナナシが聞く。


「何の石なんだ?」


「これ、こんごうせき」


「こん……?」


「だいやもんど」


 その単語を聞いたナナシは目を剥き、猫のように飛び退く。その際に厨房の前に転がる死体に足を引っかけ、背中から転倒しそうになった。彼は腕を振り回して何とかバランスを取り事なきを得る。


「ダ、ダダダ……ダイヤモンド!?」


 ナナシは戦々恐々といった様子でジョンが持つ石を遠巻きに見つめた。中に含有されている物体がないため、どうやら自分の手の中で光ったものとは違う鉱物であるらしいことは分かっていたが、まさか宝石だとは思わなかった。


「へ、へぇー。カットされてない原石とか初めて見たわ……その辺の石っころとあんま変わんないのな」


 ナナシは驚きながらも、さして関心がなさそうに眺める。貴重で高価な物だと知ってはいるが、彼はあいにくと石の輝きに価値を感じる人間ではなかった。


「そっかそっか。ダイヤモンドね。これだけ大きいと、結構な金になりそうだな」


 だからあの男はご丁寧に封印魔法までかけて、人目に付かない場所に保管しておいたのだろう。だが、ジョンはナナシの言葉に首を振る。


「ちがう。だいやにいっぱい、まりょくためる」


「魔力を溜める? んなことできんの?」


「たぶん。さいしょ、ななしにしたのとにてる。まりょくをつかんで、だいやにうつす。だいやのなかの、まほうへんかんしき。すこしいじって、ほぞんできるようにする」


「難しいことは分からんけど、ジョンの好きに使ったらいいよ。僕はとりあえず今夜の飯のこと考えっから」


 いまひとつ何を言っているのか分からないナナシは、それ以上彼女の話に突っ込まず、夕食の献立の思案に頭を戻した。


「めし。ごはん……おもいだし、た! ななし、ぽしぇっとは?」


 ジョンが聞いてきたので、ナナシは厨房の中に入っていって、煮詰めていた寸胴の鍋の蓋を開けた。近くにあったトングで挟んで中身を持ち上げてみると、骨に付着してた肉片がズルリと湯の中に落ち、白く丸い頭蓋骨が露わになった。


「おー。何かいい感じじゃん」


「こまかいところあらって、もいっかい、しゃふつしょうどく。それでかんぺき?」


「うん、それでいいと思うぜ。さて、そしたら僕は夕飯の準備にとりかかるとしますかね」


 茹でられ白くなった肉片が浮かぶ鍋を見た後でも、ナナシは食事のことを考えていた。


「じゃ、ぼくはじぶんのこと、してていい?」


「どーぞどーぞ」


「おわったら、てつだう。ね!」


「そん時はよろしく~」


 それからナナシは夕食の用意に取りかかり、ジョンはポシェット作りに集中した。


 ジョンは骨を煮ていた鍋と頭蓋骨を持って庭の流し場に向かった。骨をサッと洗い流し、次いで石造りの流しに鍋を安定させ、魔法で作り出した水を注いだ。


 水を瞬時に加熱し、ぐらぐらと煮立つ湯に頭蓋骨をそっと入れる。乳白色の骨は鍋の底からわき上がる気泡に押し上げられ、水面から顔を出したり潜ったりしていた。


 十分に熱して消毒を終えると、ジョンは湯と鍋を片づけ、頭蓋骨を片手に使用人室に駆けていった。散らかしたタオルを適当に取って細く裂き、紐を作る。左右の目を隔てる骨にその一方を結び、もう一方を後頭部に開けた小さな穴に通す。


 彼女はそれを持って厨房に戻った。ナナシの尻ポケットから巾着を取り出し、逆さまになったドクロの内部に袋を広げた。


 かくしてジョンのポシェットは完成である。


「ふい~。でき、た!」


「僕の方も、夕飯できたぞ」


「あら? てつだう、なかった。ごめんなさいね」


「いいってことよ。そしたら、さっさと食べようぜ」


「たべよ! しょっき、はこぶね」


「頼んだ」


 その後、二人は暖かい夕食を腹一杯に食べ、もう一度風呂に入った。寝間着に着替え、夜は屋敷の主のベッドで寝ることにした。


 ジョンは反発性の良いスプリングが気に入ったようで、寝付くまでずっと飛び跳ねていた。今まで触ったことのない生地──上質なシーツに転がったナナシはその上で手足をかいて泳いだ。


 ふわふわの羽毛布団に二人でくるまり、互いに手を握りあって眠る。廊下の向こうの書斎からはもの悲しくすすり泣く声だけが聞こえていた。




 翌朝、雲り気味の日差しを目覚まし代わりにして起きたナナシは、あくびを一つ漏らし、横になったまま体を伸ばした。


 ジョンは彼の隣でまだ気持ちよさそうに眠っている。


 生まれて初めての安眠。


 電子音や怒声で叩き起こされることのない朝。


 惰眠をむさぼるという選択肢もある一日。


 地獄での生活にしては、なかなかの幕開けだ。それもこれも、昨日一日かけて邪魔な鬼ども(メイドや執事)を退治して回ったおかげである。ナナシは小さくいびきをかくジョンの鼻をつまみ、何の不安もないその寝顔がしわだらけになるのを見ていた。


 非常におもしろい顔だ。


「ジョン、起きろよ。朝飯にするぞ。腹ごしらえしないと、鬼退治できないからな」


「んん~……、ごはん。てつ、だう。だう……」


 ジョンは鼻をつまんでいたナナシの手を振り払って起き上がる。短く切った毛がやたらと元気に飛び跳ねていて、その寝癖は手で撫でつけたくらいでは収まりそうになかった。


 彼女は寝ぼけ眼を擦りながらナナシに聞く。


「なな。あれ、しんだ?」


「あれって、オトーサンのことか? 何も聞こえねぇし、死んだんじゃね? 気になるなら見てくるけど」


「そこまで、じゃない。めんど」


「んじゃ僕もいいや」


 二人はまだ眠い足を引きずり、廊下に転がる死体を跨いで越えて、まずは顔を洗うべく浴室へ向かった。


 ナナシが洗面台の横に置かれた棚を漁る。


「ひげ剃りないかな」


「ひげ、そる?」


「身だしなみは大切だぜ? お前の寝癖も直してやるよ」


「おねがいします」


 ナナシはカミソリを見つけると、慣れた手つきで髭を剃って顔を洗った。ジョンもそれに続いて洗顔を終え、荒ぶる寝癖を落ち着けるべく湯で湿らせたタオルを頭に巻いてもらった。


 ジョンはポカポカとする頭を左右に揺らし、またベッドに戻りたくなったようだった。ナナシはそんな彼女の手を引いて厨房まで連れて行った。


 朝食は二人で作った。


 メニューはサラダと目玉焼き、スープ、そしてジョンが手の平の炎で焦げる一歩手前まで炙ったパンである。


 香ばしい炭水化物にかぶりつきつつ、ナナシが言う。


「さて。これからどこへ行こうかね?」


「オカーサンをさがす」


「おかあさん……名前はノーラだっけ?」


「うん。たぶん、かしゅにーのまほういん、いる。むかし、オトーサンときょうどうけんきゅうしてた」


 フォークに突き刺した葉をパリパリと咀嚼しながら、ジョンは先を続ける。


「せいじんとか、まじょについて。べんきょうしてたみたい。ろんぶんよんだよ」


「聖人ね。それ僕も言われた」


「いわれた?」


「あのオッサンにさ、お前が聖人だと~? って。失礼な言い方だよな」


「せいじん、せかいをすくう。らしい。いいひと。てんし!!」


「世界を救う、ね。それなら僕にぴったりじゃん」


 彼はそこでもう一つ、男に言われたことを思い出す。


「そうだ。僕な、上位魔法ってのが使えるらしいぜ」


「それも、よんだ。しぞくがかなわない、うちやぶるまりょく。ひかりのかご」


「ほうほう。それだと何かチョー強そうなんだけど」


「うん、つよいよ。だからまほうつかう、れんしゅうをしておく。と、いいでしょう」


「了解しました、先生。そしたら当面の目的地はカシュニーの魔法院……だっけ? そこだな。どこにあるか分かる?」


「わかんない~。みち、あるいていけば、だれかにあう。どこかのむらにつく。そのとき、きく」


「行き当たりばったりになるけど、まぁそれしかないわな」


 今後の方針を決めた二人はその後もゆったりと朝食を食べ進め、終わると食器をそのまま放り出してエントランスへ向かった。


 外は小雨が降っていた。ナナシは玄関近くの小部屋で雨具と靴を見つけ、拝借することにした。ジョンにも渡したが、彼女は雨具を着ることは了承してくれたものの、靴を履くことは嫌がった。


 どう説得してもジョンは首を縦に振らない。


 なので、彼女に靴を履かせることは諦めるしかなかった。


 雨具のフードを被って、二人は屋敷を出る。


「よし! そしたらオカーサンに僕たち(・・)を捨てたこと、後悔させてやろうぜ!」


「させてやろう!」


 おかしなことを言っているという自覚は、ナナシにはない。


 ジョンも彼の妙な言い回しを指摘することはなかった。


 オカーサンが自分を捨てた、というのは彼らにとって事実だった。


 二人は手をつないで、眼差しと同じように真っ直ぐに歩いていく。屋敷の門扉を通り抜け、小道を進んで十字路を渡り、ひたすら前のみを見て泥道を進んでいく。


 残された父親はその後、誰もいない館の中ですすり泣く気力も失い、絶望と恥辱にまみれて静かに息絶えた。

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