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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
幕 間
35/153

「悪逆の正当性 5/7」

 そうして館の隅の一室に足踏みのミシンを見つけ、ナナシは慣れない機械を使って手探りで裁縫を始めた。授業で習った程度の知識ではあったが、やってみれば直線に縫うくらいはできるものである。彼はテンポ良く足を前後に踏み込み、ポシェットの裏地を作っていた。


 そんな中、執事の頭を抱えるジョンはミシン台に顎を乗せ、針が上下する振動で声を震わせて言った。


「ななしー。おなかすいたぁ」


「分かった分かった。あともうちょっとだから、待って」


 ジョンに横槍を入れられたせいか、ナナシの手元は緩やかに左右に揺れ、それまで几帳面に真っ直ぐだった糸目はやや不格好に曲がった。


 そうでなくても、実を言うと途中で下糸を噛んでしまったり、返し縫いで元の縫い目の上に針を落とせなかったりと、小さな問題が発生していた。前後に踏むだけなら簡単だと思っていた足の作業が案外忙しく、気を取られがちなのだ。


 そこにジョンの腹の具合も気になりだし、直線に縫うことすらも怪しくなってきたナナシは早々に音を上げ、裁縫作業を切り上げた。とりあえず袋の形になった布を押さえから外し、針から続く糸を切って目の前にかざしてみる。


 お世辞にも良い出来とは言えない。これが上手くいけばジョンの着ている服も肩の辺りを仕立て直してやろうと思っていたが、それはやめた方がよさそうだった。彼女には今しばらく、サイズの合わない服で我慢してもらうしかない。


 申し訳なさそうなナナシと視線を合わせたジョンは、改めて不満を口にする。


「おーなーかー」


 胃の中身を全て吐いてしまっているジョンは、もう動く気力もないといった様子で床に転がった。ナナシは袋を無理やり尻ポケットにねじ込み、ジョンの腕を自分の肩に回して抱え上げた。次の目的は食事である。


 だらりと伸びた少女の四肢が、ナナシが歩くのにあわせて揺れる。


 少し行ったところにある厨房にたどり着く。部屋の中は調理器具や食材が出たままになっていた。ナナシとジョンが屋敷を襲撃したのは、ちょうど主人の食事を出し終え、使用人たちの朝食を作り始めた頃合いであった。


 ナナシは厨房の中に足を踏み入れ、部屋の状況を確認する。今はもう昼になろうという時分で、食材は放置されてから時間が経っている。飛び散った血も付着しているし、そのまま使うのは避けた方がいいだろう。


「ななー。おなかすいたー」


「ジョンがそんなことばっか言うから、僕も何かお腹すいてきちゃったじゃん。でも、料理の前に部屋の中を綺麗にしないと」


 元気をなくしたジョンを部屋の隅にある椅子に座らせ、ナナシは床に倒れて邪魔になっている料理人を外に放った。使えそうにない器具や食材も排し、綺麗に拭き上げた調理台の上に使用可能なものを並べていく。


 簡単な野菜炒めと和え物、スープくらいなら作れそうだった。棚の中にはパンも見つけたし、それなりに腹を満たせるメニューになるはずだ。


 しかし、残念なことに肉がない。


 ナナシはジョンが持つ執事の頭を見て、続いて厨房の外に目をやった。


「──それはさすがに、ないな」


「ななし、どうした?」


「あー、いや。えっと。そう言えばお前のポシェット、どうやって骨だけにしよう?」


「ぐつぐつ、にこむ?」


「そのくらいしか思い浮かばないよな。とりあえず、やってみるか」


「ここで、にる。いいの?」


「蓋閉めれば大丈夫なんじゃね?」


「そかー」


 ナナシは頭が入りそうな寸胴鍋に水を張り、焜炉(コンロ)の上に置く。


「これ、火はどうやってつけるんだ? やっぱ魔法で燃やすの?」


「そ。じぶんで、ひかげん、ちょうせつ」


「ジョンさん、手伝ってくれたりしません?」


「ぼく、あたまのしたしょり。する」


「そっかぁ」


 ジョンはやることができて空腹が吹き飛んだのか、アドバイスの言葉も少なく、生首を抱えて庭に飛び出していった。ナナシは「あの小さな手に包丁を握らせるのも危ないしな」と思い、一人で手早く調理を済ませることにした。


 だんだんと食べ物らしい香りが漂い始めると、下処理とやらを終えたジョンがいつの間にか涎を垂らした状態でナナシの隣にいた。


「そっちの作業は終わったのか?」


「うん。なかみだして、そとみはいだ。こびりついてるの、にこんでとるだけ」


「じゃあそこの鍋に放り込んどけよ」


「あい~。よわびで、ことこと……。そういえば、ななしのごはん、は。おいしいの?」


「ああ。たぶんな」


 少なくともネズミを食べるよりはマシな味がするはずだ。ナナシは棚の中から真新しい皿を取り出して、できあがったものから盛りつけていく。


 メニューは予定通り、野菜炒めと和え物、そしてパンにバターとジャム。最後に熱々のスープをよそって、昼食の完成だ。


 ナナシはそれをフォークなどと一緒にトレーに乗せ、隣の部屋のテーブルに並べる。香りにつられてついてきたジョンを抱え上げて椅子に座らせ、自分もその隣に座って食事の準備が整う。


 だがその前に一つ……、


「ジョン。スープに美味しくなる魔法かけてくんない?」


「おいしく? そのまほう、ない」


「声をかけてくれればいいんだよ。指をさして……リピートアフターミー、美味しくなぁれ」


「おい、しく。なあれっ」


 ジョンが指を振ると同時に、ナナシがぱらぱらと胡椒を振りかける。


「完璧。ジョンのおかげで美味しくなりました」


「ぼくの、おかげ。ました」


「さてと。食べようぜ」


「うん!」


 ジョンはフォークを手に取り、食べ散らかしたりせずに行儀良く野菜を口に運んだ。その様子を見ながら、ナナシは自分なりに作法に気をつかう習慣を身につけておいてよかったと思った。


 そう考えると、かつて目の前にいた下等下劣を極める忌々しいあの肉親もある意味役に立ったといえる。それが反面教師となって、彼は品位の大切さを知ったのだ。


 ナナシはジョンの手本となるように端々に気をつけながら食事を進める。


 よそ様の台所で適当に作った割に、炒め物もスープもなかなかの味だった。


「肉なしでも案外いけるじゃん」


「おにくなし?」


「まぁ、あると言えばあったんだけど」


 それはもう、そこら中に転がっていたわけだが、食わねば死ぬという差し迫った状況でもない今、ナナシはそれを口にする必要はないと思っていた。


「どう処理したらいいか知らないしな。変なクサみが出たら他の料理が台無しだし、そもそも柔らかく食べられるのかどうかも分からんし……未知のものには手を出さないに限る。うん」


「ぼく。かたいおにく、やぁよ」


「やっぱ硬いのかなぁ? 肉ってどうすれば柔らかくなるんだっけ?」


 ナナシに聞かれたジョンは、天井を見上げて考える仕草をした。


「にくのせんい、きる。よーぐると、つける。たんさん、つかう。とか」


「さっすが~! よくご存じで。まるで知識の泉だな」


「ぜんぶ、ななしのあたまの、なか。のだよ?」


「ふむ。ジョンは僕が頭の中に仕舞ったまま取り出せないのを引き出してくれてるわけだ。いやぁ、ありがたい」


「ありがたい~」


 そう言って笑う一方、ナナシは現在進行形で「頭の中に仕舞ったまま取り出せないもの」が存在する気がした。


 それというのも、勉強会の件である。


 しかし、その疑問はジョンの口を拭く間にすっぽりと頭から抜け落ちてしまい、ナナシは彼女への大切な連絡事項を未だ伝えずにいた。

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