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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
幕 間
34/153

「悪逆の正当性 4/7」

 ナナシは大勉強会開催の決定を知らせるため、ジョンを探していた。赤と漆喰のコントラストが美しい廊下を歩いていって、階段を下りる。その角を曲がってすぐの手洗いで、ジョンは口に指を突っ込んで胃の中の物を全て吐き出していた。


 水の流れる音を頼りにそこへたどり着いたナナシは、ドアを開けて中を覗いた。


「おいジョン、ここ女子用みたいだぞ」


「おぇ……。いま、でる」


 ジョンはナナシに言われたとおりに口をすすいで、手も洗ってから出てきた。きれいになった口元には小さな裂傷があって、口をすすいだ時に傷が開いたのか、血の粒が浮かび上がっていた。


「そういや、ブチ(コロ)に夢中で傷の手を当してなかったな」


「いま、いたくない」



「ダメダメ。せめて綺麗な水で流さないと」


「いままで、ずっと。いたいの、ほうち。だったよ?」


「お前、それでよく死ななかったな?」


「きずのとこだけ、きれいしてた。まほうで」


「へぇ。じゃあ治療とかもできるのか?」


「なおす、むずかしい。いっかいためして、しっぱいした。もっといたくなった」


「ふーん。そしたら、やっぱ手当はしないとなんだな。消毒液とか、どっかに落ちてねぇかな」


 ナナシはジョンを連れて部屋を回り、救急箱を探した。それは使用人の部屋で見つけることができた。


 室内には、おそらく休憩中だったのだろうメイドや執事の死体が転がっていた。それらは皆、逃げられないよう足首を深く切られ、這うこともできないよう腹や肩を貫かれて床に縫いつけられた跡があり、その上で露出した肌をひどく打たれていた。


 壁紙は返り血で真っ赤だ。見ようによっては一面に彼岸花が咲いているようにも見える。ナナシは死体も血も無視して室内をひっかき回し、手当に使えそうな物を手元に集めていった。ジョンもヒヨコのようにその後ろについて歩き、突拍子もなく立ち止まったナナシの尻に激突したりしていた。


 応急の品を手にしたナナシはジョンを振り返り、眉を顰める。


 返り血で赤く染まった幼顔が首を傾げる。


「ってかジョンの場合、先に顔とか洗った方がいいか。いや、むしろ全身?」


「んんー?」


「そうだ! ひとまず風呂に入れば万事解決じゃん。僕らけっこう臭うし、ついでに着替えてすっきりしようぜ」


 二人は血だけではなく、泥と埃にまみれている。それらを全てきれいに落とすとなると、ずいぶんと長風呂になりそうだった。


「おふろ! はじめて」


「積年の恨みならぬ積年の汚れってか」


「おっふろ! ばすたいっむ! あーわあわ」


「なにお前。バスタイムって、英語まで覚えてんの?」


「うぃ」


「ハハ! 今度はフランス語かよ。お前マジ天才だな」


「ふへへ。すぱしぃば」


 ナナシの頭の中にあったものは全てジョンの中にもある。それこそ、ナナシが記憶の片隅に放り投げて思い出せないでいることも、ジョンは何もかも自分のものにしているのだった。


「るんるん。るーん」


 叡智の毛玉は初めて風呂を体験するとあって興奮しているようだった。適当にメロディを口ずさみ、長い髪を引きずりながら器用に死体をスキップで跨ぎ、部屋の中をくるくると走り回る。ところが彼はハッとあることを思い出して、天井を指さした。


「あれは、どう。するの?」


「あれ?」


「いすのオトーサン」


「ああ、オッサンのことか。あの話は……まぁ後でいいか。魔法は使えないし、動けないし。放っといても問題ねぇだろ。今はお前の手当の方が優先だから、ぶっちゃけどうでも良いかな」


「ななし、そういう。ならいい」


「ん。じゃあ風呂行こうぜ」


「あい~」


 ジョンは両手を上げ、使用人部屋を出るナナシの後について行く。


 使用人との追いかけっこの際に逃げ込んだ者がいたので、浴室の場所は分かっていた。途中にあったリネン室のようなところでタオルや着替えを調達し、さらに別の部屋でハサミも手に入れ浴室までやってきた。


 背骨が覗くほど深い切り傷を負い、浴槽にもたれ掛かり絶命していた死体をナナシが廊下に蹴り出す。彼は抱えていた道具を浴室内の洗面台に置き、腕まくりをした。


「ジョン。髪の毛なんだけど、洗う前にいいとこ切っちまっても構わないか?」


「ちょきちょき?」


 少年は人差し指と中指で作ったVの字を閉じたり開いたりして首を傾げる。


「うん。長いと洗うの大変だろ?」


「あら。たしかに、そうかも。いいよ~」


 ジョンが嫌がるのなら話は別だが、身長を越える髪の手入れは面倒以外の何ものでもない。幸いにも許可は得たことだし、ナナシは洗いやすい長さまで切るべく、痛みきった白髪をつまみ上げた。


 まずは絡まって結び目になっている箇所を探し出して、その都度ハサミで切り落としていく。所々に残るかつての茶色い髪色を見つけると、ナナシはあの小屋での耐え難い日々を思い出した。


 飢え、渇き、痛み。


 栗毛が白髪に変わってしまうほどの苦痛を(本人は自覚していないだろうが)、少年はその小さな体にたった一人で受け止めてきた。その記憶を共有してしまったナナシは、この屋敷の人間を皆殺しにしたところで許すことはできなかった。彼の中にある憎しみは自分の過去と相まって、無関係の第三者にも波及しようとしていた。


 見て見ぬ振りをした──否、この悪行を知らずにのうのうと暮らしていた、それこそ知る由もなかった人間にまで、ナナシは憎しみを向ける。


「ななー。おわ、た?」


「あ? ああ、悪い。もうちょっとな」


「りょー」


 ナナシは首をぶんぶんと振って、今はまずジョンの髪を整えることに集中する。


 それからしばらくかかってナナシは髪を腰の辺りまで短くし、そうなると今度はざんばらになってしまった髪型をどう整えようかと遠くから眺めていた。最初から短くしすぎて失敗しては目も当てられないので、少し長めに整えさせてもらうことにした。


 といっても、あまり長すぎるとまた絡まってしまうかもしれない。臨機応変に結えるくらいで、肩の辺りまでの長さであれば邪魔にならないだろう。


 仕上がった姿を思い描いたところで、ナナシは意を決して刃を入れる。


「あれ? 何か、上手くいかな──やべ。……えっと、そしたらこっちを切って……、アッ!?」 


 何やら不安になる独り言ばかりを言っていたが、ジョンは自分の髪がどうなろうと興味がないのか、早く風呂へ入りたそうにしていた。その足下に毛の束がいくつも転がって、ようやくナナシの手が髪から離れた。


「ううーん……まぁ、これはこれでイケる?」


 向かって左側の髪ばかりが長く仕上がり、どこからどうも見ても見紛うことなき左右非対称の髪型。前髪に至っては短く切りすぎてしまった気がしないでもない。


「独創的ってことで!」


「ななし、おわた? おふろ、はいる?」


「おう」


 ナナシが頷くと、ジョンは嬉々として麻袋の服を脱いだ。


 そこでナナシは我が目を疑う光景を目にする。


「エッ!? おま、お、お前……!」


「どうした?」


「……あのさ、僕もうジョンって名前で馴染んじゃったんだけど」


「? ぼくはじょん。だよ」


「うん、そうな。それな。それが問題なんだ」


 栄養なんてものとは無縁の環境で育ってきたジョンだ。きっと見るに耐えない痩せっぽちの体なのだろうと覚悟していた。長年の虐待で体に受けた傷も、想像するよりずっとひどいものだろうと。


 だが、今ナナシの目の前にあるのはそれが吹き飛ぶほどの事実だった。


「全然気がつかなかった。女の子だったのかよ」


「おんなのこ? そうよ」


「そうよってお前……」


 その現実を口にして、これまで自分が彼女にどんなことを言ってきたかを振り返る。


 クソだの何だのとかなり下品なことを言ってしまった記憶がある。


 ナナシは頭を抱えながら、廊下に出て行こうとする。


「何か悪かったな。風呂、一人で入れるよな?」


「ななし、おふろはいらない?」


「ジョンの後でな。お前が一人じゃ無理ってんなら手伝うけど……」


「ひとり、だいじょぶ」


「なら、僕は外で待っとくことにするわ。ドアの前にいるから、何か分からないこととか、できないことがあったら呼んでくれな」


「うん。わかた」


 ナナシはジョンの性別を理由に浴室から退散した。浴室のドアを背中に、彼は口元を手で覆って天井を仰ぐ。ジョンが少女であったことを受け入れた彼であるが、そうなると次に衝撃を受けたのは彼女の体に刻まれた鞭の傷跡だった。


「女子の体に傷作るとか、マジねぇわ。いや、たとえ男でも子ども相手にあんなんあり得ないけど」


 ナナシはドアに寄りかかり、ずるずるとしゃがみ込む。


「あのメイド、ぶちのめしといて正解だったな」


 だが、どうせならもっと時間をかけて、なぶり殺しにしてやれば良かった。


 失敗を嘆きつつ、ナナシはドア越しに入浴中のジョンに話しかけた。


「なあ。お前の名前、今からでも女の子らしくジェーンに変えるか?」


「ぼく、なまえ。じょん。そのままでいい」


「でも……」


「ななし、つけてくれた。はじめての、だいじ。それがいい、の」


「そっか。お前がそう言うなら、そのままにしておくか」


 それから一時間近くが経過した。


 爪の間まで入念に汚れを落としたジョンは、頭の先からつま先までびしょびしょに濡れた状態で浴室から出てきた。ナナシはそんな彼女を柔らかいタオルで丁寧に拭いてやり、終わると別の乾いたタオルを体に巻き付けてやった。


 臭いはまだ残っているが、以前よりは格段にマシになっていた。


「よっしゃ。おしまい。そしたら次は傷の手当だな」


「てあて。じぶんでできるとこまで、やる」


「できるの?」


「やる。ます」


「さっすが女の子。自立心旺盛じゃん」


「ぼく、できるおんな。よ」


「違いねぇや。そしたら僕もその隙にサッと風呂入ってくるか」


「なな。おゆ、だしかた。わかる?」


「あ? そういや分かんねぇな」


「じゃぐちをあかいほう、まわすだけ。ぼく、さきにはいった。まほうでおゆ、つくっておいたから。すぐあったかい、よ」


「そうなのか! ありがとな、ジョン!」


「いいって、ことよ。ほかに、なにかあったら。よんで、ね」


「あいよ」


 ナナシもジョンと同じくらい血を被ったが、彼女ほど汚れは蓄積していない。そのため、半分くらいの時間で入浴を終えた。


 ジョンと同じくびしょ濡れのまま廊下に出てきて、手早く体を拭いて真新しいシャツに着替える。そして見つからないズボンを探してシャツ一枚で歩き回っていると、それを見ていたジョンがぼんやりと口から出るに任せて言葉を発した。


「かれ、しゃつ……!」


「ちっげーし。馬鹿」


 だいたい誰の彼氏だ、とナナシが突っ込む。


「もえそで!!」


「……」


 ナナシは無言で袖口を折り上げる。


 小さくないならそれで良いと思って持ってきたのだが、やはりきちんとサイズが合う物を選ぶべきだった。


「んな言葉どこで覚えてくるんだよ──って、僕か」


 これからは自分もそうだが、ジョン自身の言葉づかいにも気をつけないといけない。ナナシの知識を頼りに少女らしからぬ汚い言葉を使われては困る。多少乱暴な口調になるのは目を瞑るにしても、あまり下品な言葉は口にしてほしくないのがナナシの親心(親ではないが)だった。


「それで? 手当はできた?」


「しょうどくやった。できた。がーぜ、はった」


「包帯は?」


「でき、にゃい……かった……」


「んじゃ、僕の出番だな!」


 ナナシは不揃いのテープで留められたガーゼの上に包帯を巻いていく。傍目に見ると、昔の傷跡とあわせて何とも痛々しい姿である。一刻も早く服を着せてやって、どうにか見かけだけでも愛らしい少女にしてやりたい。


 ナナシは包帯を巻き終えると、未だバスタオルにくるまれたままの彼女を抱き上げて服の収まっていそうなクローゼットを探しはじめた。


 彼自身も、ズボンを見つけなければならなかった。


「ジョンに合うサイズの服なんてなさそうだよなぁ」


「ぼく、えらぶ!」


「まあ本人が着たい物を着るのがベストだわな」


「そう、なの。さがす、がすがす~」


 それから二人は一階をくまなく見て回り、結局のところリネン室まで戻ってきて衣類を物色することになった。そこはタオルやシーツ類の他に、使用人の着替えも置かれている場所だった。


 ナナシはいち早くズボンを見つけ、さっさと履いてしまう。


 一方で、ジョンの背丈に合う服はやはりなかった。それでも彼女は自分の感性に響く一着を求めてあちこちをひっくり返した。


 数分後、部屋中にシャツやらエプロンやらをまき散らして、ジョンは頬を膨らませていた。気に入る服がなかったのだ。今は仕方なしにメイドのシャツを着ており、彼女はせめて少しでも可愛く見えるようにと腰にリボンを巻いてワンピースらしく着こなしていた。


「むくれるなよ。どっかでちゃんとしたやつ見つけてやっから。な?」


「……」


 しかしながら少女の機嫌は降下の一途を辿っている。彼女は口をとがらせて、廊下に顔を出すと、あるものを指さしてナナシに言った。


「あれほしい」


「あれ?」


 ジョンの指が向く先を見る。


 そこには執事服を着た青年が倒れていた。屋敷には全体に彫りの深い顔が多い中、平たい顔つきの彼はナナシにどことなく親近感を抱かせた。


「ああ。お気に入りだった執事さんね」


 青年はジョンに食事を持って来た際、何度か自分の賄いを分けてくれた人間だった。


 優しい人物……ではあったのだろう。だが、そうだとしても彼はジョンを連れて逃げてはくれなかった。それが許せなかったナナシは青年の喉を裂いた。鞭を打って苦しめなかったのは、せめてもの慈悲である。


 ナナシは半眼になってその死体を見つめ、言う。


「何か妬けるなぁ。ジョンはああいう顔が好みなのか?」


「あたま、まるいの。すき」


「頭が丸いのは当たり前だろ。四角い頭なんて見たことないぜ」


「しかくいあたま。ある」


「左様でございますか」


 ナナシは青年の髪をつかんで頭を持ち上げると、指先に魔力を集めて刃を作り、その首を刈り取った。


「ほしいのは良いけど、これどうすんだ?」


「む。どうしよう。かんがえ、なかった」


「ずっとガワつきで持っとくのも、臭うだろうしなぁ」


 半目を開けて絶命した顔を見つめ……途端にナナシの頭にひらめきが舞い降りた。


「はっはーん。ジョンは丸い頭が好きなんだよな?」


「うん」


「じゃあさ、中身を出して外身も剥いで、洗って紐でも通して肩から下げるとかどうよ? ドクロのポシェット」


 それはどこぞの武将がドクロの杯を作ったという話を思い出してのアイディアだった。発想の元が悪趣味なだけあって、普通の感性であれば顰蹙を買う着想である。


 しかしながら、ジョンは喜色を浮かべてその案を採用した。ナナシに向かって強気に微笑み、両手の親指を立てる。


「ぽしぇと~。する!」


「はいよ、了解っと。でもこのままだと、目玉のところから物が落ちそうだな。内側に袋でもつけるか」


「おさいほう。してして」


「僕がやんの?」


「まかせた!」


「お姫様に言われたんじゃ、仕方ねぇな!」


 ナナシの裁縫経験は家庭科の授業でボタン付けやエプロン作りをしたくらいだが、真ん中で折ったタオルの両端を縫うだけと考えれば何とかなりそうだった。何でもそつなくこなしてきた自分であれば難なく仕上げるだろう、という自信もあった。どうせならジョンの着ている服も少し手を入れて、サイズを合わせてやりたい。


 ナナシはジョンを抱き上げ、今度は裁縫道具を探すべく屋敷を歩き回ることになった。

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