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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
幕 間
33/153

「悪逆の正当性 3/7」

 屋敷の主は食器を食卓から落として以降の記憶がなかった。直前に背後で窓が割れる音を聞いたが、なぜガラスが割れたのかは分からない。そして気がつくと、彼は書斎の椅子に手足を縛りつけられていた。


 かなりきつく締め上げられているせいで手と足には血が巡りにくくなっており、指には既にしびれの症状が出ていた。


「これは、どういうことだ……?」


 こけた頬に落ち窪んだ目。不健康を絵に描いたような男は部屋を見回す。普段からよくこもる書斎に、自分一人だけが捕らわれている。


「ぐ……! くそ、どうして魔法が使えない!?」


 彼は錯乱気味に体を左右に動かす。力任せにガタゴトしていると、椅子ごと横に転がり頭を打ってしまった。痛みに顔をしかめ、ふと足首に目をやると、


「魔封じの──!?」


 魔力の体外放出を阻害するその腕輪が無理矢理、男の足首に装着されていた。はめた人間にしか取り外すことのできないそれを、いったい誰が自分につけたのか。だが今この時に重要なのはそんなことではない。男は魔法も使えずに拘束されている現状を理解し、サッと青ざめた。


 何か縄を切れる道具はないかと辺りを探し、机の上にハサミがあったことを思い出す。しかし、縛り付けられた椅子ごと転んでしまっている状況では手の出しようがない。それでも何とか結び目が緩まないかと思い、もがいていると、遠くからいくつかの悲鳴が聞こえた。


 それは屋敷で働いている使用人のものだった。一人一人が魔法の手練れであるはずの彼らが助けを求める声を上げていることに、男はただならぬ事態であることを理解した。


 しばらくすると悲鳴はぴたりと止まって、それからまた少し経った頃に書斎へ近づいてくる足音があった。


 ぺたりぺたりと、粘着質な音が耳にこびりつく。


 その足音の主は部屋の前まで来ると、ドアを勢いよく開けて入ってきた。


「あ。もう気がついてたのか」


「ヒッ!?」


 真っ赤な──元は白かったシャツを血で染めた男──ナナシは上機嫌な様子で男に近づいた。


「いやぁ、その腕輪つけといて良かったわー。教えてくれたメイドさんに感謝、感謝。あ、でも僕その人のこと思いっきりぶっちゃったぞ。悪いことしたな……。まぁどうでもいいけど」


 彼が手に持っている乗馬鞭には血と肉片がこびりついていた。


「き、きさ、貴様っ、何者だ!?」


「さてね。それは僕自身もどう言えばいいのか分かってないから、答えようがねぇな。オッサンはどうよ。僕は何者に見える?」


「ひ、ひ……人殺し……ッ!」


「だよな~」


 ナナシは倒れている男を起きあがらせ、椅子を元の位置に戻す。


「アンタにはちょーっと聞きたいことがあってさ。この地獄の世界観? とか。あとはもちろん、ジョンのことな」


「じょ、じょん……?」


「庭の小屋にいた子のこと。知らないとは言わせないぜ? 御館様……」


「し、しら、知らない! 私は知らない!!」


「オッサン、嘘つきだな。メイドがアンタの子どもだって言ってるのを、僕はこの耳で聞いてるんだけど」


「知らない! ほ、本当に、知らないんだ!」


「はいはい。そうですか」


 ナナシは怯える男に向けて鞭を素振りし、くっついていた血と肉片をその顔に引っかける。彼は振り上げた鞭で自分の肩を叩きながら、書斎の中をぐるりと回って荒らし始めた。


 壁一面の棚に上から下まで詰まっている本を片っ端から床に落とし、机の上の物を放り投げ、引き出しの中を物色する。その騒々しい音は、殺人鬼を前にして椅子に縛り付けられた男の肝を揺るがし、背筋を凍らせ、青い顔からさらに色を奪って白く塗り替えた。


 機嫌を損ねれば、血肉がこびりつくまでに人を打ち据えたその鞭がいつ自分に向くか分からない。そうなれば、きっと楽には死ねない……男は膝をガタガタと震わせ、唇を噛んだ。


 彼が恐怖に怯える間も、ナナシは部屋の破壊活動を続行していた。やがて鍵が掛かっている金庫らしき箱を見つけ、彼は使えるようになったばかりの魔法でそれを破壊する。


 彼がそこから取り出したのは古い肖像だった。


「これ、なーんだ?」


 後生大事に仕舞ってあったそれには、気が強く強情でプライドの高そうな栗毛の女が描かれていた。


 ここまで厳重に保管しておくそれがただの他人であるわけがない。しかし顔立ちが持ち主に似ていることはなく、ナナシはそれが男の妻だろうと予想していた。


 だというのに、男はそれを見て途端に表情を変えた。眉間に深いしわを刻み、目尻をつり上げ、鼻息を荒くして歯を食いしばる。


 およそ、愛する者に向ける表情ではない。


「あれ? これ奥さんかと思ったけど?」


「その通り。それは私の妻だ。……妻だった」


 男は強い憎しみの感情を浮かべる。ナナシはその表情に見覚えがあった。頭を突き刺す頭痛の向こう側にある記憶を探り、自分にとってゴミ以下の存在であった父親(ケダモノ)を思い出す。


 アレも同じように醜い顔を晒し、ナナシに拳を振り上げた。


 だから分かってしまった。なぜこの男がジョンを殺さずに飼っていたのか。


「なるほどね。ジョンはアンタの奥さんによく似てたみたいだな」


 長い髪に隠れていたあの無垢な瞳。それを納める瞼の形は肖像の女と似て見えた。


「ああ、本当によく似ていたよ。笑った顔なんてそっくりで、私を馬鹿にするところまでよく似ていた!! 汚れた血統のくせに、本当に憎らしい。だというのに、私は……!!」


 愛と憎しみは紙一重。彼は妻を憎みながらも、彼女の生きた面影を消すこともできず、手元に置くしかなかったというわけだ。


「つーかアンタ、馬鹿にされたとか言ってっけど、あんな子ども相手に被害妄想も甚だしいぜ」


「うるさい!! あれはいずれ母親と同じになる! 私を見下すようになるんだ!!」


「んで? また捨てられるのが怖いってか? なっさけねぇ~」


「黙れ!! 私は捨てられてなどいない!」


 怒鳴る男に対し、ナナシは鞭で机を叩いて黙らせた。


「どう言い繕ったって現実は変わんねぇよ。どうせ愛想尽かされて出て行かれたんだろ? アンタ面倒くさそうだもんなァ」


「……」


「沈黙は肯定ってことで~」


「違う! 違う!!」


「へーへー。言ってろよオッサン」


 ナナシは耳に小指を突っ込んで聞こえないふりをした。


「母親はガキこさえといて知らぬ存ぜぬで出て行って? 父親はそれを小屋に押し込めて飼い殺しってか? 本棚には難しそうな本が山ほどあるけど、アンタには知性の欠片もないぜ。畜生にも劣る悪辣な生き物──親ってのは何でこうなのかね?」


 ため息をついたナナシは引き出しを漁って見つけた煙草をくわえ、指先で火をつけて煙を吐き出した。


「じゃあどうすれば良かったんだ! 私は……」


「どうすればって、そんなの」


 彼は机に乗り上げて足を組み、口をすぼめて煙を吐き出し言った。


「殺せば良かったんだよ」


「──そ、そんな、こと。できるわけ……」


「お前の子どもだろ。お前らが作った子どもだろ。責任持てよ。それができないならきちんと始末しろ。自分のケツくらい自分で拭け。そういうのな、僕たち子どもが一番迷惑するんだって分かってる?」


「なに、何を、言って……?」


「ったく、最近は子どもが親の責任持つ時代かよ。メンドくせー」


 机から飛び降りたナナシは苛つくままに男の後頭部を叩いた。つい噛み千切ってしまった煙草が床に落ちて上等な絨毯を焦がす。


 虫を入念に擦り潰すようにして鞭の先を押しつけ火を消していると、髪の毛を真っ赤に染めた毛玉──もといジョンが、本来人の腹に収まっているべき物をくわえて顔を覗かせた。


「ななひー。こえ、おいひいのの?」


「コラッ! 何でも手当たり次第に口に入れるんじゃありません。つーかお前、それ中に何が詰まってるか分かってんの?」


「んー? ひゃはんなひ……」


「クソが詰まってんの! ケツから出てくる臭いやつ。汚いからペッてしなさい」


「うぇっ!! うう……ななし、ぼく、ちょっとたべた」


「まったくもー。うがいして、何なら吐いて来いよ。吐き方分かるか?」


「わかる」


「じゃあほら、腹こわす前に急いだ急いだ! 吐いたら口すすげよ」


「あい」


 くわえていた物をベチャリと捨てて、ジョンは水場へ駆けていった。ナナシは床に残された腸を足でつついて廊下に押し出し、自分の視界から排除する。椅子に縛られた男はその様子を驚愕の目で見ていた。


「あ、あれは……あの子は?」


「オッサンが飼い殺しにしてたガキ」


「言葉を、しゃべっている?」


「アンタは知らないかもだけど、あの子は天才だよ。僕の記憶を見ただけであそこまでしゃべれるようになったんだぜ」


「何だって?」


 ナナシは愕然とする男を無視して新たに煙草を取り出し、くわえる。火をつけ、壁に寄りかかって部屋の中を見回した。


 彼の視線は縁に彫刻の施された天井をぐるりと回り、空になった本棚を斜めに滑って床へと落ちていく。棚の下段奥に、こっそりと置かれている箱を見つけた。


 何となく興味が向いたナナシはしゃがみ込み、それを取り出して眺める。


 様々な形と色の木片を合わせて継ぎ目なく整然と図形を組み上げた寄せ木の箱。素人技ではないそれが何故あんな目立たない場所に置かれていたのか? この箱自体、先ほどこじ開けた金庫の中に保管されていて然るべき一級品だろうに。


 ナナシは箱を手の中で回して四方八方から見て取る。


 それはどこから見てもただの「箱」で、鍵穴や蝶番は見あたらなかった。特定の部分をずらして開封する秘密箱と同じような仕組みなのかもしれない。ナナシは表面を擦って横にスライドできる部分を探してみる。しかし、そんな箇所はなさそうだった。


「んだよこれ、開かねぇじゃん。くっそ腹立つわぁ」


 煙草の火を上向かせながらムームーと唸り声を上げるナナシに、椅子の男が言う。


「無駄だ。それは私の魔法で封をしてある。そう簡単には開かん」


「ふーん……ならいいや。壊す」


「馬鹿かねキミは。魔法で強化した斧を叩きつけたとて、壊せないよう封印を施したんだ。破るなんてそんなこと、できるものか」


 男はナナシの発言を鼻で笑った。その態度に、ナナシは口をヘの字に曲げて不快を表す。


 言われっぱなしは悔しい。


 どこか子どもじみた思考回路で、ナナシは箱に目をやる。そして、初めてその手に火を灯した時の感覚を思い出しながら、血と共に体を巡る魔力を拳にまとわせて箱を殴りつけた。


 ミシ、と音を立て、箱はあっけなく二つに割れた。


「な──ッ!?」


「ハハッ! オッサンの封印魔法とやらも大したことないじゃん。大口叩いて、恥っずかし~!」


 目の前で起こったことが受け入れられずにいる男をせせら笑って、ナナシは箱の中身を机の上にぶちまけた。


「何だ? 石ばっか出てきやがる」


 宝石のようなものもあれば、ただの石ころに見えるものもあり、様々な色、大きさの鉱物が机一面に転がり出る。ナナシはその中から無色透明の鉱物を取り上げた。石の中には針のように細い突起を放射状に伸ばす物質が含まれている。


「これ、水晶か?」


 鉱物の中の針は、首を傾げるナナシの手の中で淀みなき純白の光を放った。眩しさに驚いたナナシはすぐにそれを放り出してしまったが、椅子の男はその光を見逃さなかった。


「そん、な? まさか。貴様のような輩が、聖人だと!?」


 男は間の抜けた顔になって口をぱくぱくとさせる。


「聖人? 何のこっちゃ知らねぇな。何だよそれ」


「う、嘘だ。ありえない。だが、それなら封を破った説明はつく……」


「何言ってんのかさっぱり分かんねぇぞ」


「なあキミ! もう一度、魔法を使ってくれないか!」


「は? 何でだよ?」


「キミが扱うその白き力を間近で見たいんだ。それは地水火風──四属の上位に当たる光陰二属の魔力なのだよ!」


「なのだよ、って……」


「私が欲していたのは魔女の黒き力だったが、この際ぜいたくは言うまい。白きそれもまた、とても特別なものだからな……」


 男は純粋な探究心のみを目に浮かべてナナシを見ていた。その眼差しは異様な熱気をはらんでおり、気圧されたナナシは一歩引いて半眼になる。


「ふーん。特別、ね。別に良いけど。それなら僕からも要求がある」


「何でも聞こう!」


「僕もジョンも、ここのこと何も知らないんだ。だから魔法を見せる代わりに僕らの知りたいことを教えろ」


「そのくらい、御安いご用だとも。そうとなれば、この縄を解いて──」


「それはダーメ」


「ま、まあいいさ。キミの魔法が見れるのなら多少のことは我慢しよう」


 四肢は紫色に変色しつつある。とっくに感覚もなくなっているし、おそらく縄を解いてもらったとしても、もう使い物にはならないだろう。それが分かっていながら、男は笑う。


 聖人の扱う白き力を実際にこの目で間近に見られるのなら、手足を失うことなど安い代償だった。


「小屋に来たメイドがアンタも相当キてるって言ってたけど、ホントだな。目が怖ぇよ」


 ナナシは男の態度に一歩も二歩も引きながら、自分の手を見つめる。


 特別な才能──それはナナシにとって何ら喜ぶべきものではなかった。思い出してみれば、かねてから毒親を抱えること以外は、ほぼ完璧に近い人生を送ってきた彼である。持て余すことなく才能を発揮してきたナナシにとって、特別というのはそれほどありがたがるものでもなかった。


 だが、


「上位魔法か。何かカッケーじゃん」


 さすがのナナシも、自分の魔力には特別(それ)を感じていた。ニタリと笑った彼の目には明らかな優越の感情が浮かび上がっていた。

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