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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第一章 ペンカーデル
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第28話 「深淵 3/3」

 気持ちは逸るが、三人はペンカーデルを離れてしばらく行ったところで逃走の足を緩めた。このままの速度で走らせていては馬が駄目になってしまうからだ。


「いったい何があったんだい?」


 エースがジーノから受け取った鳩には「急。都を出」としかなかった。その短さと中途半端に切れた文章からは何か重大な問題が生じたことが伝わった。具合の悪さも一気に吹き飛んだエースは、最小限の荷造りをして荷車を置き去りに馬だけを出したのだった。


「ソラ様も怪我をしているし……」


 ソラの頬は赤く腫れ上がり、傷口からは血が流れた跡があった。詳しいことを何も知らされていないエースとしては非常に気がかりな状況である。


「ソラ様が……魔女と誹りを受けたのです」


「それであんな鳩を?」


 エースはジーノの言葉にそう返した。ソラには悪いが、魔力に陰りがあった時点でそれは予想できたことのはずだ。もちろん、頭で分かっていても実際にその事態に直面してみると、冷静な判断ができないことは間々ある。加えてジーノは感情的になりやすいところがある。だが……それだけであれほど切羽詰まった鳩を送ってくるとは思えなかった。ましてや、魔法院から逃げ出してくるなどよっぽどのことだ。


 エースが手綱を引いてジーノに馬を寄せようとすると、前に乗っているソラの腕に触った。


 彼女は傍目には分からないほど微かにではあったが、震えていた。


「あいつ、あのクソジジイ……初めから私のこと殺す気だった……」


 ソラは低く沈んだ声で、そう言った。


「聖人じゃなくても首なんか落とされたら死ぬっての……!」


 それを聞いてエースにはだいたいの事の顛末が分かってしまった。もともと魔法院に良い印象を持っていない彼は、その仕打ちに苛立ちを募らせる。


 そして、自分もソラの魔力に陰りを見た際に同じような反応をしたことを思い出す。ジーノは言葉を濁して「苦手」っと言ったが、エースは反吐が出るほど魔法院が嫌いだった……そして自分はその魔法院と同じことをしてしまったのだと知った。


 それが分かってしまうと、自分がこの世の何より──己の嫌う魔法院よりも愚かな存在に思えた。


 恥ずかしい……彼は胸に渦巻く怒濤の感情を手綱と一緒に握りしめた。ギリ、と革の手袋が鳴る。


 それの音をまるで胃が軋む音のようだと思ったソラは空っぽな声で笑い出す。


「ハハ、アハハ……、あーあ。どうしよ……これから、どうしよう」


 まさか魔法院がこのまま放っておいてくれるわけがない。追っ手がかかって……捕まったら今度こそ殺されてしまうのだろうか?


 ソラは胸元をぎゅっと握りしめて心の中で叫んでいた。


 生きてやる。


 十年後もずっと生きていると、自分はもう決めたのだ。こんなところで終わるわけにはいかない。


「首を落とされてなんて、死にたくない……」


 ソラはまだ自分のために生きていたかった。どう行動すればいいのかは分からない。けれど、せめて自分だけは自分を諦めてはいけないと決めて、ソラは涙を拭って前を見据えた。


 兄妹はそんな彼女を見て胸が痛んだ。


「私が決して、貴方を……殺させはしません」


 ジーノがそう呟く。


 エースは言うべき言葉が浮かばなかった。それでも自分は魔法院とは違うのだと……自分はソラの味方なのだと伝えたくて、彼女の手に自分のそれを重ねた。


 それからまたしばらく歩き続けて、ジーノがふと疑問を口にする。


「お兄様、夜はどう凌ぎますか? 野営であれば二、三日は私の魔力で何とかなると思いますが……」


「そうだな、どうしようか……」


 エースは空を見上げて雲の流れを読み、今後の天候を予想した。獣使いのように正確にはいかないが、だいたいのところは分かる。おそらくこれから先は悪天候の中を進んで行くことになるだろう。


「この先に教会の置かれていない小さな村があったはずだから、そこで休ませてもらおう」


「教会に助けを求めないのですか?」


「魔法院から鳩が回っている可能性があるからね。できれば避けたいと思ってる」


「そう、ですか……。そうですね。分かりました」


「ジーノは休めるときに休んで、魔力を温存しておいてほしい。場合によっては吹雪の中を走ることになるかもしれない。そうしたら頼れるのはジーノしかいないからね」


「はい」


 雪が降ろうが槍が降ろうが立ち止まるわけにはいかない。一刻でも早くソルテ村へ戻らなければならない。エースは懐から鳩を取り出し、手の中に包んで魔力を込めると、


「お父様の元へ……」


 頭の奥にめまいを覚えつつ、灰色の空を目がけて放った。スランにはこのことを魔法院の鳩より先に伝えておきたかった。今後の自分の身の振り方についても含めて……。


 その日は日暮れ前に小さな村にたどり着いた。


 村には宿を営む家がなかった。エースたちは何軒か回って頼み込み、日が沈んだ後になってようやく馬小屋を貸してくれる人間を見つけた。


 近所から夏物の掛け布団を何枚か借りて、干し草の上で寝ることになった。こんな場所で……と申し訳なさそうにする兄妹に対し、


「お馬さんも休ませないとだしね。馬小屋で寝るとか貴重な体験だし、私は全然気にしないよ」


 ソラは気楽にそう言った。気にしている場合でもない、というのが正直なところである。小屋の持ち主からは好意で夕食をいただいた他、ソラの頬の傷を見かねて傷薬までもらってしまった。ソラは頬以外にも体中についた痣の手当をしてもらい、それが終わると干し草の上にころりと転がった。


 その横にジーノもやって来る。


「ソラ様が風邪をひくといけませんから」


 どうやらくっついて寝てくれるというのだ。美少女の添い寝なんてシーツかクッション相手にしか成立しないものだと思っていたソラは「役得だな~」などと、場違いに脳天気なことを思いながら掛け布団を被った。そこから少し離れたところで、エースも布団を被る。


「明日も早くから出ることになると思います。よくお休みになってください」


「うん。エースくんもちゃんと寝てね?」


「もちろんです。ジーノもしっかり体を休めてね」


「はい。お兄様」


 ジーノはそう言い、ソラの手を握って目を閉じた。


 ソラはその温かい手をじっと見つめ、他人の体温に触れることで今ここにいるのが自分一人ではないことに……二人を巻き込んでしまったことに気づいた。


 ソラは少しだけ顔を上げてエースの方を見た。彼は小屋の奥に寝るソラたちを守るようにして、干し草の端に座って眠ろうというところだった。布団を肩に掛けて背中を少し丸めてはいるものの、寝るときさえも毅然とした後ろ姿は彼の生真面目な性格をよく表していた。


 伸ばしていた首を縮めたソラは小高く丸めた干し草の枕に頭を落とし、ジーノの顔を見る。その寝顔は起きているときよりも幼く見え、髪と同じ金色で瞼の縁を彩る睫毛が小刻みに動いて、それに呼応するように静かな寝息が聞こえた。


 魔法院がこのまま放っておいてくれればいいのに……。


 決してありえない期待に背中を突き飛ばされ、ソラは奈落の底へ落ちていく感覚に息が詰まるのを感じた。


「ん……」


 その不安を察知したわけではないだろうが、ジーノが身じろぎしてソラの手を握り込む。まるで「一人じゃない」「心配ない」と慰められているかのようだった。


 この手を握ったまま、落ちるわけにはいかない。


「……」


 ソラは自覚しなければならなかった。ジーノに助け出されて、エースと一緒に逃げてきて、今ここにいることを。


 ソラは覚悟を決めねばならなかった。スランとの約束を守る──彼から二人を奪うことがあってはならないと。


 そうなると、ソルテ村に戻った後で自分が取るべき行動はもう決まっていた。


 けれど……、


「今はもう少しだけ……こうさせて……」


 与えられた温もりを忘れないよう、ソラはいずれ離すことを誓ってジーノの手を握り返した。

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