表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第一章 ペンカーデル
27/153

第26話 「深淵 1/3」

 翌日の昼になると、知らされていた通り魔法院からの迎えが教会にやってきた。


 二頭の馬が引く質素な四輪馬車から中年の男が降りてきて、辺りを見回す。大祠祭のほか数人の修道僧らは彼の姿が見えると早足でそばに参じた。ソラとジーノはそれら教会関係者の後に続いて中年男の方に歩いて行く。


 そこにエースの姿はない。


 彼の魔法院嫌いは筋金入りだった。朝から吐き気がすると言って寝込んでいるのだ。実際に顔色は悪く、朝食も喉を通らない様子だった。本人もこんな具合になるのは初めてのことらしく、ひどく戸惑っていた。生まれてこの方ほとんど体調を崩したことがないという屈強な体を持っていても、心の不調にはそう上手く対応できるものではないのだろう。


 一方で、ここまでの拒否反応を示されると、ソラはエースと魔法院との間に何があったのか気になった。しかし、口を押さえて顔を青くする彼にその理由は聞けなかった。


 きっと好奇心で探ってはいけない類の話だ。


 ソラは見送りにすら行けないことを何度も謝るエースをなだめ、ベッドに寝かせてからジーノと一緒に表に出たのだった。


 ソラとジーノは昼でも寒さの厳しい氷都の空気を颯爽と割り進み、馬車の近くへとやって来た。迎えの中年男は大祠祭との挨拶を終えると、早速ソラに声をかけてその姿をしげしげと眺めた。


「貴方が書状にあった……?」


「あ、はい。ソラです」


「ふむ、ふむ。お送りした腕輪はお付けですかな?」


「この通り」


「これはこれは、なかなかよろしい。それでは参りましょう」


「はあ……」


 何がよろしいのかはさっぱりだった。


 ソラは言われるがまま、促されるがままジーノと一緒に馬車に乗り込んだ。窓の外では大祠祭のご老人が、ようやく心労の種が去ったとばかりに安堵の表情を浮かべていた。


 馬の蹄が鳴るのと一緒に車輪が回り出し、石畳の上をゆっくりと馬車が走り出す。車窓から見える街の様子は雪のせいで冷え冷えとしていたが、往来には人の姿も多く活気があった。荷車に積めるだけの食材を買い込んでいる若者や、片手にパンを抱えて子どもの手を引く主婦、カフェのような店の前には寒いだろうにわざわざ屋外の席に座って飲み物を片手に新聞を読んでいる紳士もいた。建物の外観はソルテ村のそれと同じく、壁面に露出する柱と梁の間を漆喰で埋めた様式だ。


 馬車の外はにぎやかだったが、その中の会話は一切なかった。蹄の音と車輪のきしむ音だけが終始響いて、その合間に外の喧噪が小さく聞こえる。魔法院からの使いの男はソラと目も合わせようとしない。ジーノも緊張しているのか視線を落として口を固く引き結んでいる。こうなると、むしろ辺りをキョロキョロと見回してあれやこれやと考えているソラの方がおかしいのかもしれなかった。


 だって他にやることないし。


 下なんて向いてたら酔いそうだし。


 けれどソラ以外の二人は微動だにせず大人しく座っている。ソラは何となくそれに合わせなければいけない気がして、窓に頬杖をついてじっとしていることにした。


 次第に商売の活気は遠のき、馬車は閑静な住宅地へと足を進めていった。最初はこぢんまりとした家が多かった通りは、やがて立派な門を構える邸宅が並ぶようになり、出歩いている人の姿もほとんど見なくなった。


 その辺りまで来ると、目的地はもう目の前だった。馬車は都の中央にある古城の正門手前まで来て直角に方向を変えた。しばらく城壁沿いに進んでいくと、また別の門があった。馬の足は吸い込まれるようにそちらへと向かっていった。


 そして尖塔の前で馬車は止まり、石畳の上に降り立ったソラは一度大きく体を伸ばして深呼吸をした。


「こちらへどうぞ」


 男が先を歩いて建物の中に入っていく。


 いよいよもって一大イベントは目前である。


 胃がチクチクとしてきたソラは痛む箇所を押さえてその後について行った。馬車を降りてから物珍しそうに辺りを眺めていたジーノは一歩遅れて後に続いた。建物の中に入って、それほど長く歩かないうちに通路は終わり、壁に階段が張りついて螺旋を描いている吹き抜けに出た。


 円柱状の空間の真ん中には天井から昇降機らしきものが吊り下げられている。人を乗せる籠は箱のように閉じられたものではなく、四方を格子で囲まれただけの簡単な作りになっていた。


「籠の奥の方まで入っていただけますかな」


 言われた通り籠の奥にソラとジーノが入り、最後に男が乗り込んだ。彼は蛇腹式のドアを手で閉め、角に設置されたパネルに手を置いた。すると籠が緩やかに上昇し始め、階層を一つ二つと通り過ぎていった。


 五階まで来たところで籠は止まった。格子の間から下を覗いてみると結構な高さだった。高所恐怖症だったら足がすくんで動けなくなっていたかもしれない。乗る人間の移動で小刻みに揺れる籠を降りて、ソラたちは真っ直ぐ続く通路を歩いていった。


 静寂の中に三人の足音が響きわたる。こだまのように帰ってくる足音はソラを後ろから追い立て、今更ながらに彼女を緊張させた。


 通路の最奥には観音開きの重厚な扉が鎮座していた。男はその一方の取っ手に手をかけ、


「どうぞ中へ。元老がお待ちです」


「……案内ありがとうございました」


 ソラが礼を言うと、彼は驚いた後に気まずそうな顔をして目を逸らした。そのまま何も言わずに扉を開けてソラたちを部屋の中へ入れてしまうと、彼は中に入って来ずに扉を閉めてしまった。


 どうにもひっかかる態度である。ソラは閉まったドアを訝しげに見やって──部屋の奥の方から咳払いが聞こえたのでそちらを振り返った。


 白髪の老人が髭を撫でながら刺すような視線でソラを見ていた。部屋の中には彼しかおらず、つまり彼が元老その人であることが分かった。禿げた頭頂部にキラリと光が反射している。


 彼はどれだけ書類を散らかしてもスペースが余るほど大きな机を前にどっしりと身を構え、椅子に腰掛けたまま人差し指の動きだけでソラに自分の前まで歩いて来るように言った。その高圧的な態度は威厳というよりも恐怖を与える。後ろのジーノなど、蛇に睨まれた蛙のように固まってしまっていた。


 ソラは既に逃げ出したがっている足を必死に動かして、しわだらけの骨張った指が示す場所まで歩いて行った。その足取りは赤子のようにおぼつかない。途中で自分の足に引っかかって転びそうになりながら、彼女は元老の前に立った。


「ぬしが書状にあった者か」


「はあ……えっと、ソラと申し──」


「よい。名前など取るに足らぬ」


「……」


 ソラは口をもごもごとさせ、とっさに出そうになった暴言を噛み砕いた。


 取るに足らない──名前を聞く価値もないとはまったく一体どういう了見だ。


 先程まで感じていた恐怖が反感に変わり、愛想笑いを浮かべる気も失せてしまった。ソラは至極無愛想な顔になり、礼を失する人間にそれは返ってこないんだぞ、と内心で呟く。


「儂は急がしい身ゆえな、時間がないのだ。早うそこにある証石を持ってぬしの魔力を見せてみよ」


「……」


 言い方というものがあるだろうに。しかも証石は机の手前に置いてあるのではなく、少し身を乗り出さなければならない位置にあった。そんな些細な動作すら面倒くさいと感じるほど、ソラは老人の態度に呆れていた。ソラは憮然として一歩進み出ると、言われたとおり証石を手に取って元老に自らの魔力を見せつけた。


 白い光と靄のような陰りが拮抗し合っている。


 最初にソルテ村で見たときよりも陰りが広がっているような気がした。


「疑いようもないのう」


 元老は長い髭を指の腹でもみ、撫でつけて立ち上がった。


 途端、ソラは何か重い物にのしかかられたように膝が立たなくなった。床に押しつけられてつくばい、両手をついて背中を丸める。


「な……なに……、これ?」


 顔を上げることもできない。


 ソラがもがいていると、片足を引きずる足音が机の向こう側から近づいてきた。苦し紛れに視線だけを向けると、老人の歩行を補っていた杖の先が振り上げられるのが見えた。ぶたれる──とソラは目をつぶって耐えた。が、実際には頭を小突かれただけだった。


 無抵抗に打ち据えられる以上の屈辱である。


 元老は部屋の入り口近くで棒立ちになっているジーノに向かって声を荒らげた。


「これ、そこの娘。何をぼさっと突っ立っておる。外の者を呼ばんか」


「……え?」


「早うせい」


「あ、の……」


「かぁーッ! まったく使えんのう。もうよいわ」


 ジーノが動けないと分かり、元老が一言「おい!」と声をかけると、勢いよく扉が開いて男が三人ほど駆け込んできた。さっきまでは案内の彼一人しかいなかったはずなのに、あまりに用意周到な様にソラは顔をしかめる。指一本動かせない彼女は瞬く間に捕らえられ、身動きを封じられてしまった。


 拘束されたためか、体を押さえつけていた重しが消え去る。ソラはようやく元老を見上げ、歯ぎしりした。


「クソジジイ……」


 ソラの悪態に元老は口角と一緒に片方の眉を上げた。


「無知とは恐ろしいものよのう。儂に爺とな」


「何度でも言うわ。何しやがるこのクソジジイ」


「何とな? それはぬしが一番よく知っておろう」


 卑しき魔女め。


 元老は低い声でソラに耳打ちした。


「勝手に決めつけんな!」


「おぉ、何とも口汚い……。やはり魔女よのぅ。こういった悪しきものはさっさと処分するに限る」


「なっ……!?」


「ククク……とは言え儂も鬼ではない。ぬしには生き延びる機会を与えよう」


「生き延びる……機会?」


 困惑するソラに対し、元老は自分の足下──そのもっと下にある何かを見つめて目を細め、新しい玩具を手に入れた子どものように無邪気な笑みを浮かべた。


 彼はソラの首筋を杖の先で軽く叩いて、


「ぬしが本当に魔女でないか、首を落として確かめるのじゃ」


「!?」


 反射的に見上げた先にあった老人の顔は化け物か何かのように醜く見えた。


 ソラは体の中心から体温が下がっていくのを感じた。冷や汗すら出ない。呼吸も忘れてしまう。焦りと動揺が頭の中を駆け回って考えがまとまらない。


「なん……、何で……!?」


 何も理解できない。なのに、頭には大きな不安がのしかかってきてソラを崖の縁へ追いつめようとしていた。


 それは落ちれば死んでしまうような底知れぬ谷だった。


「なぜと問うそれがたとえ魔女の言葉であったとしても、寛大で寛容なる儂は答えよう……真に聖人であれば瞬時に傷が癒え首は落ちぬでな。つまり死なぬようなら、ぬしはめでたく聖人ということだ。魔法院で手厚く保護しよう」


 首筋に触れていた杖の先が離れると同時に呼吸を思い出したソラは鼻息を荒くして叫んだ。


「ふ──っざけんな!! んなことしたら死ぬわ!」


「そうなれば魔女か……もしくはただの人であったということじゃな」


「っの、ハゲ! (はな)っから生かすつもりなんてないじゃんか──!?」


 言うや否や、ソラの視界が横に振れる。彼女は一瞬、自分が何をされたのか分からなかったが、頬にあった傷が開き血が滴ったことで、横っ面を杖で叩かれたことを理解した。口の中も切ったようで、舌の上に鉄の味が広がっていく。


 痛い。


 いたい。


 イタイ……。


 頬の痛みはソラの脳裏にエースの剣を過ぎらせた。あの時の焦燥、絶望、恐怖──怒りがぐるぐると渦巻いて胸の底からわき上がってくる。


「痛いっての……クッソ……」


「姦しい娘よのう」


「うるさいのはお前だこの禿げ頭……!」


 頭髪が薄いことをそれなりに気にしていたのか、老人は顔をひきつらせてもう一度ソラの頬を杖で叩きつけた。


 しかしソラは怯まず、理性の一部が切れてしまっていた彼女は場違いに凶悪な笑みを浮かべ、元老の服に血の混じった唾を吐き捨てた。


「地獄に落ちろクソッタレ」


 彼女は後ろ手に親指を下に向ける。


「貴様! 元老に何てことを!!」


「知るか! あんなやつパワハラ老害暴力クソ野郎以外の何者でもないってのバーカバーカ!!」


 意地悪く抵抗するソラの腕を捻り上げ、男が拘束を強める。ソラは骨が軋む痛みに顔をしかめ、それでも逃げ出そうと必死にもがいて自由が利く足を暴れさせた。


 みすみす殺されるつもりなんてない。


 ソラは腕が折れようとも殺されるよりはマシだと力一杯四肢を動かした。そうする中で視界の端にジーノを見つけて助けを呼ぼうとし……彼女の顔に恐怖が浮かんでいることに気づいた。


 これまで自分を慕ってくれた彼女を巻き込むわけにいはいかない。


 ソラはすんでのところで言葉を飲み込んだ。


「大人しくしろ! 魔女め!!」


「私は魔女なんかじゃない!! そんなの知らない!!」


 背後の男の頭に頭突きをかまし、腕を掴む手が緩んだ隙に束縛を抜け出して扉の方へ向かう。だが、すぐ別の男に腕を捕まれてその場に引き倒された。ソラは肩が抜けるのではないかと思うほどの馬鹿力で羽交い締めにされ、頭を押しつけられて床に這う。


 それでも彼女は諦めなかった。


 こんなところで死ねない。


 こんな風には死ねない。


 病を乗り越え生き延びた彼女は諦められるはずがなかった。


 誰にも何も残せず、家族さえ思い出せないまま、ただ無駄に生きただけの人生で終われるものか。


 終われるわけがない。


 そんなの冗談じゃない!


「私は十年後も生きてるって決めたんだ! こんなところで死んでたまるか──ッ!!」


 それは血が沸騰するほどの激情だった。しかし意思の強さは人一倍でも、のしかかってくる男たちに対してソラは無力だった。手足を縛り上げられ、いよいよ観念するしかないという瞬間──。


 突如として室内に爆音が響き、煙が立ちこめた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ