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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第一章 ペンカーデル
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第25話 「彼の理由」

 それから程なくして、エースは教会の文庫で調べ物があると言ってソラたちの部屋を後にした。残された二人はもう翌日までやることがなかった。なので、明日のための英気を養おうとその日は寝てしまうことにした。


「それではソラ様、風邪などひかれないよう暖かくしてお休みくださいね」


「はーい。ジーノちゃんもね。お休み」


 とは言ったものの、ソラはなかなか寝付けずに月明かりの差し込む部屋の中で一人ベッドを抜け出し、テーブルに頬杖をついて眠気がやってくるのを待っていた。


 ちなみにジーノはスヤっと寝てしまっている。


「明日は面倒なことにならないといいな……」


 ソルテ村で自分に魔女の資質があると発覚したときのようなもめ事になるのは勘弁してほしい。


 エースから聞いたところによると、魔法院でソラが面会するのはそれなりに地位の高い学者らしい。何でも元老と呼ばれているそうで、その響きからしていかにも気難しい人物を思い浮かべ、ソラは対応を考えるのが面倒くさくなって苦い物を食べたときのような顔をした。素直に「世界を滅ぼす気なんてないので放って置いて下さい」と言ったところで、ハイそうなんですねと了承してはもらえないだろう。


「一生監視付きの生活なんてことになったらどうしよう?」


 しかし、曲がりなりにも聖人たる資質も持つソラである。世界が危機に瀕している今この時に、その事実を見逃すとは思えない。そうなると、いずれソラは北極か南極に行って祈りを捧げることになるだろう。


「祈るぐらいならやってやれないこともないけど、場所がねぇ……」


 いくらこの世界に魔法という便利な技術があるとは言え、肺も凍るような極寒の地を歩くのは命がけだ。魔法も無限に使い続けられるものではないだろうし、下手をすれば死ぬかもしれない。


 大げさに聞こえるかもしれないが、実際に、冗談ではなくその可能性は高いのだ。


 ジーノから聞いた話では極地の環境は解明されておらず、どんな生き物が生息しているのかも分からないという。


 そんな場所で、死は近くにある。


「……」


 ソラは心穏やかに眠るジーノの顔を見つめて思う。


 正直な話、自分が命をかけてやる理由は一切、どこにも、これっぽっちもない。かけがえのない家族や、誰よりも愛する人、大切な友人も誰もいない。


 命をかけて助けたい、守りたいと思う原動力は何もない。


 ジーノとエースはそれに当たらないのかと考えてみる。世話にはなったし、情が移っていないと言えば嘘になる。長生きして、ずっと笑っていてほしいとも思う。けれどそのために自らの死を覚悟できるかと言えば……世界が終わるときには一緒に死んであげようと思いはするものの、それ以上は親身になってあげられそうになかった。ソラは薄情な自分に辟易する──したところで、どうしてみようもないのだが。


「……まあ、明日行ってみてから考えるか」


 ともすると行き当たりばったりになるのはソラの悪い癖だった。


「つーかいい加減、寝なきゃ……」


 それこそ、無理矢理にでも寝なければならない。すっかり冷えてしまったベッドにもぐり込んで目を閉じ、ソラは雲の切れ間にのぞく月を瞼の裏からぼんやりと見上げていた。


 右に左にと寝返りを打ち、そのうち押し寄せてきた睡魔に流されて意識を沈め……そうかと思えば、ある時ふと不安になって起き上がる……。




 ソラがそうして不安な夜を過ごす一方、エースは教会に併設されている文庫で書架の間を歩き回っていた。スランに書いてもらった紹介状のおかげで、文庫に収蔵されている図書はそのほとんどが閲覧可能だった。


「やっぱり魔女に関連する本はこっちに置かれてない、か……」


 魔女についての記述がある本は、魔法院編纂の伝承記を除いて例外なく禁書に指定されている。この文庫では司書室の奥で厳重に保管されているため、迷い込んだつもりで間違って手に取ってみることもできなかった。


 であればと、彼はこの地方の伝承に沿って大陸の歴史を復習(さら)うことにした。魔女に関して新しい視点を持つ今なら、何か発見があるかもしれないと思ってのことだった。


「しかし本当に天井から床まで本、本、本……。はぁ……ここに住みたい」


 この氷都のように大きな都市に置かれた教会には、大陸統一に併せて行われた文化統一によって各地から接収された書物が今も良好な状態で数多く残っている。接収当初はどの書物も禁書扱いで、それはもう容赦のない文化浄化が行われたらしい。だが、大陸統一が成ってから九百年あまりが経ち、例の伝承記に記された出来事が広く浸透した今では、大半が一般に開放して差し支えないとして閲覧制限を解かれていた。


 しかし、だからといって接収された本はその後も世間に流通するようなことはなく、このような図書施設にとどまり続けた。個人で所有しているのは学者か、そうでなければ金と時間を持て余した本の虫くらいである。


 金も時間もないが本の虫であるエースは、その中からペンカーデル地方に伝わってきた文献を新しいものから古いものへと遡る形で調べていた。書架の前に立ち、指先で文章を上から下になぞって頁をめくる。その速さときたら、本当に読んでいるのか怪しいほどであった。それでもエースは実際に本の内容を隅から隅まで読んでいたし、一言一句違えず記憶していた。


 一冊を読み終わってはまた別の一冊を開き、エースは(そんなことはできないと分かっていても)今晩のうちに文庫の所蔵を全て読み尽くす勢いで読み進める。


 その傍ら、頭の中に記憶している伝承記との比較も忘れない。


「異界の魔女──彼の醜悪なる者、怨念に囚われこの世にたどり着きたる。精神の歪み故に魔力は曇り、振るうは黒き業にて世界を災厄で覆う……」


 一般に出回る書物で唯一、魔女に関する記述がある伝承記にはそのように書かれていた。その文言と、この地に受け継がれてきた文献の内容を逐一つきあわせて異なる点を確認していく。そうしていくうちに、エースは気になる相違を見つけた。


「彼の者、その魔力に陰りあり。やがて怨念を纏いて悪しき化身となり、黒き業を以て世界を呪わん……」


 過去に禁書扱いだった文献に記された一文である。


 重箱の隅を楊枝で突くような疑問点ではあるが、エースはどうしてもその記述が見過ごせなかった。


 その文献には、魔力の陰りについて確認した後で「やがて」と続く。となると、それは魔女がこの世界に来てから恨みの感情を持ったということになり、この世界に現れる前から怨念に囚われていたという伝承記の記述と食い違うのである。加えて、伝承記では「精神の歪み故に魔力は曇り」とあり、これは一般に「怨念によって陰の魔力が生じた」と解釈されている。だというのに、過去の文献ではただ「魔力に陰りあり」と書かれているだけで、怨念との因果関係については言及されていない。


「……意図的に記述を変えたのか?」


 これはおそらく、長年の間違いが正されたのとは違う。そう思うのは何も、エースが魔法院を嫌っているからではない。


「伝承記の記述が正しいとしたら、どうしてソラ様の魔力には陰りがあるんだ?」


 ソラにはこの世界の人間を苦しめる動機となるような恨みの感情はないはずだ。なのに、彼女の魔力には陰りがある。エースとしては、怨念と魔力の陰りに因果関係があるとする伝承記に首を傾げざるを得なかった。


 この場合、客観的に事実を記録しているのは接収された文献の方なのではないか?


 伝承記の記述には何かの意図が隠されているのではないか?


 であれば、他地方の文献も参考に多角的な視点を得る必要がある。


「プラディナムに行けば何か残っているかもしれない」


 そこは大陸統一の際に最も激しい戦闘が繰り広げられ、文化統一にも一段と強く抵抗した土地である。ありとあらゆる手段を講じて自領の文化を守ったとされ、接収を逃れた他領地の書物が流れ込んだとも言われている。「神都」を称する宗教色の強い地域ではあるが、もしかすると「碩学の都」と呼ばれるカシュニーよりも歴史文献が多く残っている可能性がある。


「フラン博士の他に当てができたな……」


「もし。そこの方」


「──ッ!?」


 文献を開いたままぼんやりと考えていると、急に肩に手を置かれてエースは飛び上がった。


「失礼。勉強熱心なのは感心しますが、もう文庫を閉める時間です」


「そ、そ……ですか。もうし……申し訳、ありません」


 後ろに立っていたのは文庫を預かる司書だった。司書と言えば、魔法院から出向してきた人間である。彼はエースの肩に手を置いたまま、にこりと人好きのする笑みを浮かべる。


「貸し出しの手続きをしましょうか?」


「いえ、その……、今後の予定がっ、はっきりしないので……遠慮させていただきます」


「そうですか? 分かりました」


 振り返る形で肩に触る手を払ったエースは持っていた文献を元の位置に戻し、そそくさと足早に文庫を後にした。


「……、ッ」


 エースは早足になって部屋へ引き返した。破裂しそうになる心臓を押さえて、どうにか部屋まで戻ってきて扉を力任せに閉める。扉に寄りかかり、ずるずると座り込んで膝を抱える。エースは腰に差していた剣を鞘ごと抜き取って胸の前に抱いた。


 じっと息を殺して廊下の気配に神経をとがらせる。


「……」


 この扉を開け、自分の領域を踏み荒らしに来る者はいない。もう全ては過去のことだ。それが分かっていながら、エースはその場を動くことができなかった。


 心臓の拍動が耳にうるさい。首筋がじっとりと濡れ、口の中に妙な味が広がる。


 彼は一睡もできずに朝までその姿勢でいた。

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