第22話 「氷都ペンカーデル 1/3」
昨日の今日で急なことだったが、ソラは翌日に予定通り魔法院を目指して村を出発することになった。
彼の院というは教会のようにあちこちにあるものではなく、王都の他に西南北の三地方の名を冠する都に一つずつ置かれているものらしい。ここペンカーデル地方では別名「氷都」と呼ばれる都市にあり、ソルテ村から出向くとなると馬で十日ほどかかる。具体的には、南の峠を越えて山麓の村まで下り、そこで荷車を用立て二頭立ての馬車に変更し、大小の丘陵を南下していくことになる。
旅の準備はその日の夕食前までに、ソラが手伝うまでもなく終わっていた。スランは魔法院宛の書状を書いていつの間にかエースに持たせていたし、ジーノも着替えなどの諸々の支度を整えていた。ソラがすることと言えば、当日の体調に気をつけることくらいだった。
翌朝、食事を取った後は各々で旅装束に着替え、スランが荷物の最終的なチェックをすることになった。
ソラは一番遅く着替えを終えて居間に戻った。そこには乗馬スタイルのジーノが待っていた。スカート姿の彼女しか見たことのなかったソラの目に、その服装はひときわ新鮮に映った。ジーノがエースに頼んで長い髪を三つ編みにしてもらっている間、ソラは少しデレッとした顔になって仲睦まじい美形兄妹のやりとりを眺めていた。
そうして支度も終わり、いよいよ出発という時になって割と重大な問題が発覚した。
「そういや私、お馬さん乗れるかな?」
ソラは不安そうな表情でそう言う。一応、彼女にも多少の──初心者にほんの一ミリ程度の産毛が生えたくらいの乗馬経験はあったが、それは講師に馬を引いてもらって平坦な道を少し歩いたくらいだった。
直前になって足を引っ張る事態になってしまったことにソラは慌てる。そんな彼女にエースとジーノは「大丈夫」と声をかけた。
「ソラ様はどっちの馬に乗ってもらおうか?」
「馬の扱いはお兄様の方が上手いですから、そちらの方がいいと思います」
「そうなると、いざとなったら支えられるように前に乗ってもらうのがいいか」
「はい。それがよろしいかと」
その会話を聞きながら一人そわそわとするソラを引き連れ、兄妹は荷物を持って教会を出、坂を下ってすぐの所にある村の厩舎に向かう。
スランも三人の見送りについて来ていた。
「二人とも、忘れ物はないね?」
「お父様、ご心配なさらず。昨日三回も確認したのですから大丈夫ですよ」
「そうは言っても何か忘れて戻って来ることになったら大変だろう?」
「ですから、忘れ物はありませんから。大丈夫です」
荷物の中身を指さし確認で言い上げながら馬に乗せているというのに、まだ念を押すスランにジーノが腰に手を当て、少し参ったようにため息をつく。我が子のこととなると心配性になるスランは「あれも持って行くか」「これも持って行くか」と聞いてくる。ジーノはすっかり諦めきった顔で──しかしいらない物はいらないとはっきりと受け答えていた。
そんな二人を横目に見ながら、ソラは自分が世話になる馬を前に挨拶をしようとしていた。彼女が乗る予定なのは、耳の間から額に垂れ下がるたてがみが前髪のように見えて可愛らしい一頭である。
「この子、私が触っても大丈夫?」
ソラは隣のエースに尋ねる。
「大丈夫ですよ。大人しくて気だてのいい馬ですから」
それを聞いたソラは馬に軽く声をかけ、エースに導かれてそのうなじに手を置いた。そのまま優しく撫でたり軽く叩いたりして自分という人間を知ってもらうように触れ合う。そうしてしばらくコミュニケーションを続け、少しは慣れてきたかというところでいよいよ騎乗することになった。
ソラはエースに下から押し上げてもらって馬の背を跨ぐ。二人掛けの鞍の座り心地は悪くない。
「あ、何かちょっと感覚とか思い出してきたかも」
経験は浅くとも体はそれを覚えていた。安堵するソラに下からエースが話しかける。
「疑問なのですが、ソラ様の世界だと馬は一般的な移動手段ではないのですか?」
「一昔前はそうだったけどね。私が生まれた時代では──ないわけではなかったけど、もうほとんどそういう乗り方はしてなかったと思うな」
「ふむ。馬を使わない移動手段ですか……」
「自動車って言ってね、足下の操作一つで文字通り独りでに車が動く乗り物が一般に普及してたんだ」
「独りでに、ですか? 実に興味深いお話です。蒸気機関が発展すると……ああ。確かにそういった乗り物も実現可能かもしれませんね」
エースの青い瞳がきらきらと輝いてソラを見上げる。
「そ、そんな期待する目で見られてもですね、残念ながらワタクシ蒸気機関にしろ自動車にしろ仕組みとかさっぱりだから教えられないよ? その辺はエースくんで頑張って考えてもらうしかないです」
「そうですね。考えるのは得意ですから……頑張ります」
肩をすくめるソラにエースは小さく口角だけを上げ、自分も馬に跨がった。
「さて、ジーノ。もう行くとしよう」
「え!? もうかい?」
エースの言葉にスランがまだ引き留めるようなことを言う。そんな父親にジーノが投げやりながら声をかけ、慣れた体捌きで騎乗する。
「お父様、忘れ物はありませんし行路も十分把握しています。何度も言っていますが、大丈夫ですよ」
「そうは言ってもねぇ……もしもということが……」
「大丈夫です」
「む、うう……」
こうなると、延々と心配していたスランもついに言葉を引っ込めるしかなかった。彼は村を出るところまで見送ると言って、馬を先導するように歩き出す。
村の中央にある噴水広場まで来て、ベリックの宿に背を向ける方向に進むと、村の入り口にたどり着く。
そこでは例の五人の子どもたちが雪合戦をして遊んでいた。朝から元気なことである。馬に乗る三人を見つけた彼らは作っていた雪玉をその場に放り投げ、一目散に駆け寄ってきた。
「何だ何だー? 三人してどっか出かけんのか?」
「ペンカーデルまでちょっとしたお使いです」
セトルの問いにジーノが答えた。
「ふーん。都までなんて結構な遠出ね?」
「ねえ、エース兄ちゃん。どうせなら何かお土産買ってきてくれない?」
「ベリック……俺たちは遊びに行くわけじゃ──」
「エースお兄ちゃん! ユナは氷飴がいいな!」
「僕は白雪最中!」
エースの言葉を遮ってユナとカムが具体的な土産をリクエストする。
「仕方ないな……。それにしても、相変わらずカムの趣味は渋いね」
「そしたら俺はさこいつなー!」
「あっ、ずるいぞセトル。俺もさこいつでよろしく~」
「私はエースお兄ちゃんが選んでくれるなら何でもいいわ。できれば食べ物じゃなく何か形に残る物がいいけど……」
「え──!? そ、そしたらユナも……お菓子じゃなくてミュアーが言ってるみたいなのがいい!」
双子の要求が通ったのを皮切りに、残りの三人がそれぞれに土産を求めて声を上げる。エースとジーノは互いに顔を見合わせると、仕方なさそうに頷き合った。
その後は子どもたちの声を聞いた大人たちが家から出てきて、馬の上でも食べられるお菓子を寄越した。村の大人とソラの交流はほとんどなかったが、彼らは次々に温かな言葉をかけてくれた。ジーノたちが育った村なだけあって、人柄のいい人間ばかりである。
そうして、もうここから先は村の外というところまで来て、兄妹は馬を翻して村の方を振り向いた。当初の予定ではスラン一人が見送りに出るはすだったが、いざ出発となると思った以上に大人数が集まっていた。
「それでは、行ってきます」
「ソラ様をしっかりお守りするんだよ」
「はい」
兄妹は父の言葉に頷き、ソラもまたこれまで世話になったことに対して謝意を示して頭を下げた。
こうしてソラはこの世界に来て五日目の朝、氷都ペンカーデルへ向けて旅立ったのである。




