第20話 「自覚」
「ックシュン!!」
湯あたりから回復し、湯帷子に着替えたソラは暖炉の前で三回くしゃみをして天井を見上げた。
「失礼。──と、まあそういうわけで、ソラさんとコウスケくんは無事、円満に別れたのでした」
「めでたし~、って別れてんじゃねーか! またかよ!!」
「ソラって男を見る目がないのね……」
ロビーの左側奥にある談話室ではソラの割と散々な恋バナと、それを批評する子どもたちの声が響いていた。ジーノも感想を漏らさないまでも興味津々と言った様子で耳を傾けており、その中でただ一人エースだけがそういった話題に興味がないのか、右から左に聞き流していた。
年が極端に離れていたわけではなく、好意がないまま付き合ったわけでもなく、それなのに決まって数ヶ月──最長で二年ほどの期間で必ず別れてしまうソラの話に呆れたのは主にセトルとミュアーであった。だが、ベリックは彼らと違った視点からの意見を言った。
「俺が思うに、実はミュアーが言ってるのとは逆じゃないかな」
彼は暖炉の前でしっとりと湿った体を乾かすシルベをワシャワシャとなで回し、暖かな空気を毛の下の地肌にまで行き渡らせながらそう言う。
「私が言ったのと逆? どういうことなのかしら……ソラに見る目がないんじゃなく……? ああなるほど、男の方に見る目がないってことね」
「お嬢様。いくら何でもそれは私が傷つくんですけど」
「でもさ、ソラ姉ちゃん毎回相手の方から振られてんじゃん。他に好きな奴ができたとか、浮気されたとかでさ」
「まぁ……ソウデスネ……」
ベリックの的確な指摘に、ソラは返す言葉もない。彼女は改めて、なぜ浮気をされたり振られたりしたのかと考えてみる。思い当たるのは、歴代彼氏に対する淡泊な態度である。
ソラは表情を険しくしながらこめかみを押さえる。これで「萌え」と「好き」が一致したのなら、もう少しまともな恋愛ができたのかもしれない。しかし残念なことに彼女にとってその二つは一致せず、萌え=尊く触れてはならないものという認識であり、それは恋愛対象と違ってしんどさと辛さを噛みしめて拝む対象なのであった。
うなだれる彼女を不憫に思ってか、カムとユナは気遣うようにしてその醜態をフォローする。
「でも僕、浮気はした方が悪いと思うよ」
「ユナも浮気はする方が絶対悪いと思うな」
双子姉弟に限らず、その一点に関しては皆の意見が一致した。
「ま、他の奴と付き合いたいってぇなら、別れてからにしろって話だな。元気出せよっ、ねーちゃん!」
「じゃあそこだけはソラ姉ちゃんの方に見る目がなかったってことで~」
しょげたソラの背中をセトルがバシバシと叩く。その手をジーノが横から掴んで、
「貴方たち。もうその辺にしなさい。少し言い過ぎですよ」
言いたい放題の子どもたちに、さすがのジーノも口を出さずにいられなかった。
「そうだそうだ。あんまり厳しいと私ってば泣いちゃうぞ──」
「ソラ。貴方がそういう適当な態度だからナメられるのよ」
「ウッ! ミュアーちゃんの一言はキッツいなぁ……」
髪を乾かし終えてエースの隣に座るミュアーは、彼に髪を梳かしてもらいながらも相変わらずのツンとした態度である。ちなみに彼女の後にはユナが櫛の順番を待っていた。
エースはそんなミュアーの頭をポンと軽く叩き、やんわりとたしなめる。
「ミュアー、あまりソラ様に意地悪を言っちゃ駄目だよ?」
「私はソラの軟派な態度はウケが悪いからやめた方がいいって言いたいだけ。ちっとも意地悪なんかじゃないわ」
「うーん、そうくるか……。すみません、ソラ様。ミュアーはちょっと素直じゃないところがあって──」
「ああ、うん。分かってるよ。だからエースくんはお嬢様の髪を整えるのに集中してください」
ソラはミュアーとユナから注がれる鋭い視線に一歩引きながらエースにそう頼み込む。
「えっと、分かりました……?」
エースからは見えないだろうが、ソラを気遣う彼の発言のせいでミュアーたちの形相はすさまじいことになっていた。彼女らがいる前ではなるべくエースの感心を引かない方がいいだろう。
年頃の少女からいらぬ恨みを買いたくないソラは、そっと座りを直して隣のジーノの方に寄った。
「でもま、言い方キツいけどミュアーちゃんの言葉は正しいんだよね」
「自覚があるならその態度を直しなさいよ」
「実を言うと、キミらくらいの年の子と話したことってほとんどなくてさ。恥ずかしながら、どんな姿勢でいればいいのか分からないんだわ」
「あら、急に真面目なこと言い始めたわね?」
「自分で言うのも何だけど、こう見えても私ってば根はけっこう真面目なんだよ?」
「アハハ。姉ちゃんそれは嘘くさい~」
「いや本当だってベリックくん」
働いていたときは真面目すぎて息が詰まると言われたこともあるくらいだ。それがどうしてこんなちゃらんぽらんになってしまったのかといえば……。
「まぁ病気してから悪い方向に吹っ切れたっていうか、元から割とクズというかロクデナシというか、そういうのがあったのかもね。真面目を装ってそれを隠してた感じかな。ひょっとして彼氏連中にはそこ感づかれて愛想尽かされたのかも?」
「ユナはね、そういう風に開き直るのがよくないと思うよ」
「……、……ですね」
ミュアーほどに辛辣ではないが、ユナもなかなかに痛いところをついてくる。ソラが苦笑いを浮かべていると、唐突にミュアーが何かを思いつき、手を叩いた。
「私、どうしてソラのこと気にくわないのか分かったわ!」
「あっそう……。そしたら、ありがたくご批判をお受けしましょうか」
「貴方、向上心がないのよ」
ミュアーが嫉妬以外の感情でソラが気に入らない理由はそれ以外になかった。
ミュアーはひどい怪我をしたのだから足が不自由なのも仕方がない……などと諦めず、自分の足で立つと誓ってリハビリを続け、歩けるようになった。そんな彼女からすれば、自分の欠点を自覚していながら直そうとせず、あまつさえその現状を良しとして開き直るソラの態度は、それはもう気にくわないどころの話ではなかった。
「ミュアーちゃんは色んな言葉を知ってるよね。しっかし、向上心かぁ……」
ソラは病気をしてからというもの、「人間どうせいつか死ぬんだし」と諦めている部分があった。それならどうして残りの人生を辛い思いばかりで生きねばならないのかと、真面目に生きているのが馬鹿らしくなった。
早い話が、自暴自棄になっていた。
空元気だろうがヤケクソだろうが将来は明るいんだって思ってた方がいくらか建設的──そう言ったのは自分であるはずなのに、結局のところソラは不幸を嘆くことしかしていなかった。
それが自分で分かっているソラには、ミュアーの生き方が輝いて見えた。
「キミってすごいね。尊敬するわ」
「な、何よいきなり……」
「ミュアーちゃんは、とてもカッコいい女の子だ」
「何なのよ。貴方のそういうところ、調子狂うわね」
こんなに小さな子が何一つ諦めずに生きているのだから、自分も少しは前を向かないといけないのだろう。しかし、誰しも意識を変えようと思った瞬間から頭を切り替えられるわけではない。
それでも一つ、未来を見つめて言うのなら──。
「十年後もちゃんと生きてたい、とは思うよ」
これまでのふざけた雰囲気はなりを潜め、ソラは目を細める。水底に身を沈め、どんどん遠ざかっていく水面を名残惜しく見上げるように、天井を仰いで長く静かに息を吐く。
「だーかーらー、そういうのをやめなさいって言ってるの」
「いひゃい!」
ミュアーはエースの隣を離れてソラに詰め寄り、その頬をつねった。ジーノが泡を食って止めに入り二人を引き離す。ミュアーは怒っているわけではなく、大人が子どもの誤りを正すように冷静な口調で言った。
「そうやってぼんやりしてたって、得することなんて何もないのよ。貴方だって分かってるでしょう?」
ミュアーにも将来が見えない時期はあった。だからこそソラの心情が理解できてしまい、立ち止まって後ろばかりを見ている彼女が気がかりで──ミュアー自身は「気に入らない」という認識だが、それなりに心配しているのだった。
「十年後も生きてたいって目標に文句つけるつもりはないけど、本当にそう思うなら、もうちょっとしゃんとして言うべきだわ」
「……はい」
ソラは赤くなった頬をさすりつつ、この時ばかりは口どころか頭の中ですら反論できずに頷いた。子どもらしく自分勝手で押しつけがましい言葉ではあるが、ミュアーの言ったことは間違っていない。ソラも心の底では、彼女のように活力を持って生きねばならないと思っているのだ。だが……。
やはり眩しいなと、腰に手を当てて仁王立ちになる意志の強い少女を見て目をくらませる。
「ミュアーちゃん」
「何かしら?」
「キミはさ、そのまま私の前を歩いて行ってよ」
この世界へ来たときに見た洞窟の先の光。
夢の中で見たトンネルの向こうにある晴れた場所。
先へ先へと進む彼女の向上心を羨ましいと思い、自分も一歩を踏み出そうとして。
「私、頑張って追いかけるから……」
ソラはうつむいて両手で表情を隠し、自分を奮い立たせるようにして言う。言葉にすれば気持ちがついてくるのではと……黙って何も考えずにいるよりは、まともな思考になるのではないかと祈って。
「待っててなんてあげないんだからね。走ってきなさい」
「うん。なるべくそうする」
ミュアーは柔らかな手つきでソラの頭を撫で、ソラもへにゃっと笑って顔を上げた。
そして、ピリピリとした雰囲気に口を挟めず外野から二人を見守っていたその他六人が、喉に詰まっていた息を一斉に吐き出す。
「えーっと。何だか知んねーけど、どーにか収集ついた感じか?」
「僕、ミュアーのせいでお姉ちゃんが本当に泣いちゃうかと思った……」
「っていうか、あと少しでユナが泣いちゃうところだったよぅ……」
「まったく、大人が子どもをハラハラさせるなんてどうかと思うぞ~」
子どもたちは不安そうな顔でそう言った。ジーノとエースも内心ほっと胸をなで下ろし、安堵の表情を見せる。
ソラは皆に申し訳なく思い、眉をハの字にして小さく頭を下げ、「心配かけてごめんね」。気持ちを切り替えてすっくと立ち上がる。
「──さて! したらば教会周りの復旧作業に戻りますか」
「ウゲッ。せっかく忘れてたのに……」
「駄目だよセトルくん。その辺キチッとしないとロクでもない大人になっちゃうんだからね」
「ハハーン。ソラねーちゃんみたいな?」
「そうそう……って、キミも大概ひどいな」
「ヘヘッ。事実だし~」
先ほどまでの湿っぽい雰囲気はどこへやら、すっかり元通りになったように見えるソラはセトルの言葉に大げさな仕草で肩を落とした。そうやってソラをからかうセトルに、ジーノがやや厳しい目つきで言い渡す。
「セトルは礼拝堂の掃除も追加ですね」
「うっそだろ!? 何だよ、ジーノねーちゃんってばお客さんだからってソラねーちゃんのこと贔屓しすぎじゃね? おーぼーだ!」
「いいえ。貴方たちが気安すぎるのです」
「ええ~? そんなぁ……」
柳眉をひそめるジーノにセトルを始めとする子どもたちはぐっと言葉を飲み込み、仕方なさそうに重たい腰を上げた。チリチリと燃える暖かな炎に後ろ髪を引かれつつ、皆は服を着替えてベリックの宿を出る。
その後の作業は問題なく終わり、セトルは一人居残りで礼拝堂の掃除を手伝っていった。エースはその短い時間で簡単な焼き菓子を作り、セトルに持たせて他の皆にも配るように言い、彼を家に帰した。
時は昼を挟んで午後をまわる。
ソラはスランの帰りを待っていた。彼女は午前の雪除けの際にジーノにも言ったとおり、聖域の祠に入れるか確かめてみることは可能か彼に聞きたかった。しかしながらその質問は、スランが教会に戻ってきたと同時に村人が血相を変えて駆け込んできたことにより、先延ばしになった。
何でも、連日の悪天候で麓村に足止めされていた冬の湯治客が晴れ間を見て山を登ったが、途中の峠で立ち往生してしまったらしい。どういった状況で進めなくなったのかは不明である。そのため、客が負傷している場合に備えてエースが、そして天候が急変した場合に雪を凌ぐため、魔力量の豊富なジーノが呼び出された。スランも村で救護体制を整えるため出て行ってしまい、そうなるとソラも何かしなくてはと思い立って手伝いに入ったので、祠の話は騒動が収まった後の夕食の最中に切り出すことになった。
立て込んでいたため簡素になってしまった夕食を食べながら、ソラはスランに顔を向ける。
「あの、スランさん。実は私、祠の結界を抜けられるかどうか試してみたいなと思ってるのですが……」
「それはまた……唐突ですね。結界を、ですか……」
「はい。別に自分が聖人だって証明したいとかじゃなく──その辺は私自身まだ認めてませんし……ただ単純に、結界の内側から出てきたのなら入ることもできるんじゃないかと思いつきまして」
「ソラ様。念のため言っておきますと、祠というのは私たちにとって冒しがたい神聖な場所なのですが」
「あ。っと、そうですね。興味本位で入っていい場所じゃないですよね。すみません」
眉をひそめるスランにソラはすっかり恐縮して身を縮こまらせる。
「やはり軽率でしたね……」
「ええ。しかし、祠の先は軸とつながっていると言われていますし、もしかしたら……」
「もしかしたら?」
「……いえ。何でもありません」
スランは言いかけた言葉をなかったことにして曖昧に微笑む。ソラを聖人として受け入れているジーノもいる手前、彼はソラに「祠の先に行けば元の世界に帰れる可能性」を提示することはできなかった。それでもし本当にソラが帰ってしまったら、ジーノはさぞや残念がることだろう。
とはいえ、スランとしてはこの世界の勝手な言い分でソラに聖人(あるいは魔女)の役目を押しつけるのも気が咎めた。その後ろめたい気持ちを紛らわすため、スランはソラの相談に理解を示す。
「もともと祠の向こう側からいらしたのですし、入る入らないというのは今更なのかもしれませんね」
「それは祠に足を踏み入れる試みを了承してくださる、ということでいいですか?」
「一応、向かう前に禊ぎを済ませてもらいたいとは考えていますが」
「分かりました、禊ぎですね。──で、さっきから視線がチクチク痛いんですけど……」
頷くソラの横で、食事の手を止めたエースが目を爛々と輝かせてソラを見ていた。
「どうしたのかな、エースくん?」
「あのっ、そのですね! 俺としてもソラ様の提案を興味深く思ってまして。もしもソラ様が結界を越えることができたら面白いなと!」
「お兄様、好奇心が先に出すぎです」
鼻息荒く興奮気味に食いつくエースを、ジーノが落ち着いた声で諫める。
「だってジーノ、魔法院も諦めた聖域の調査がソラ様なら可能かもしれないんだよ?」
「お兄様……」
「あらら。どうやらエースくんの学者魂に火をつけちゃったみたいだね」
半眼になって兄を見やるジーノに、ソラは少しまずいことをしてしまったかなと頬を掻く。
スランもまた食事の手を止め、息子の知識欲にため息をついた。
「はぁ。まったく、この子ときたらもう……」
父親に呆れられても、エースの目は瞬きするまつげの先から光がこぼれそうなほど輝いていた。いつもどこか元気がなく、儚げな雰囲気を醸し出す彼からは考えられない気力あふれる表情である。ソラが祠の結界を通り抜けた場合のことを頭に思い描いてわくわくしているようだ。
それを見たソラは何としても祠の結界を通り抜けなければならないような気になってきた。祠を大切の思うスランには悪いが、エースの期待に応えないわけにはいかない。
気合いでどうにかなるものではないが、絶対に結界抜けを成功させてみせようとソラは意気込むのであった。




