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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第五章 地の軸
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第16話 「最後は笑って」

 揺らめく意識の中で少女の声が問いかける。


『貴方を殺したあの男を、殺さないの?』


 少年の声が問いかける。


『あの男は、死ぬべきではないのかい?』


 ソラは沈黙する。


『……、……』


 そして、再び目を開く。


 自分の遺体を置き去りに、精神を焼き付けた魔力だけの姿になった彼女は青星の前まで歩いていき、


『あの男は……罪を償うべきだ』


 確かにそう言った。


 それを聞いたナナシは遠のきかけた意識を取り戻し、自分の上にのしかかるソラの体をどけてうつ伏せに返った。床に肘を突いて上半身を持ち上げ、座り込んだかたちになって息苦しさに胸を押さえる。


「テメ、ェ……。今更、なに言ってやがる……」


『青星様。彼を地上に送り返して』


「ま……まだだ! 勝負は──!!」


 ナナシはなけなしの魔力で攻撃を仕掛ける。ソラはそれを避けるようなことはせず、霧で結んだ像の中を突き抜けるに任せた。まるでダメージを与えられない現実を見せつけ、彼女は静かに告げる。


『いいえ。もう終わった』


「……」


『もしも貴方が、貴方の望みのために死ねるというのなら。話は別だけど』


「……、……。クソが……ッ!!」


 ナナシは握った拳で床を殴りつける。それはつまり、敗北の意思表示だった。ソラは彼に背を向け、青星に問う。


『そうしたら、青星様。私が言ったこと、できる? 彼を地上に送り返したいの』


『ああ。できるとも』


 ソラは青星とともにナナシに向き直り、地に伏す彼をしみじみ見下ろす。


『貴方は地上で罪を償うべきだ』


「は、ハハハ……! なるほどなるほど、お前自身は最後まで綺麗なままでいようってか? 都合のいいこと言ってんじゃねえよ。お前が殺せよ。殺せばいいだろ、今ここで。お前を殺したこの僕を、お前が責任持って殺せよ!」


『それはできない』


「なん、で……!!」


『私は望んで、あの子たちのためにこの世界を救う。あの子たちに顔向けできなくなるようなことはしない──できない。絶対に。だから貴方は殺せない。私を殺した貴方のことを憎く思わないと言えば嘘になるけれど、私は貴方に罰を与えない』


「そういう綺麗ごと言う奴は大っ嫌いだ。何様だよテメェ……」


『綺麗ごと? 私は本当に世界なんてどうでもいいんだよ。大切なただ二人の幸せだけを願う、身勝手で自己中心的な救いようのない女。それが私だ』


「……」


『だから私は最後まで自分勝手に振る舞う。貴方に何を言われようと、私はこの手を汚さない。貴方を殺さない。貴方にはこの世界の法でその罪を償ってもらう』


 ナナシは余力を振り絞って起き上がろうとするが、真っ直ぐに自分を見つめてくる赤い目につい先ほどまでの恐怖を思い出して顔を青くする。すぐ隣に横たわっているソラの体から遠ざかり、彼は小さく震えた。


 まるで小さな子どもをいじめているかのような気分になり、ソラはナナシから目をそらして青星に向き直る。


『……青星様、お願い』


『分かった』


 ソラは青星に頼むと、ナナシに背を向けてきびすを返した。青星は手を胸の前に掲げ、ナナシの周囲に地上への道を開く。


 煙に巻かれるようにしてかすんでいくナナシの姿──彼はソラの目と、これから先の未来に恐怖を抱えながら、それでも意地汚く口を歪めて恨み言を叫ぶ。


「クソがクソがクソがッッ!!!!! ふざけんなよ裏切り者!! 覚えてやがれ!! ただで死んでやるもんか!! ここで殺さなかったこと絶対に後悔させてやる!!!!! 絶対に──ッ!!」


 ナナシの声はその途中でとぎれ、もの悲しい響きだけが礼拝堂の中に残った。


 音のない白い箱の中にはソラと青星、そして始まりの魔女の三人が残された。


 やがて魔女が二人に背を向け、言った。


『私は行くわ……残っている理由もないしね』


『いいの?』


『貴方が言ったんじゃない。復讐は終わったって』


『そうだったね……』


『ええ。終わったのよ。私は思いを遂げた。だから……』


 彼女は振り向かず、ステンドグラスの前の祭壇から遠ざかり、礼拝堂の出口へと歩いていく。


『さようなら』


 始まりの魔女は自らを包む炎をひときわ強く燃やし、灰が舞うように四散して消えた。ソラと青星はその最期を静かに見送り……やがてどちらともなく向かい合って手をつないだ。


『青星様、ごめんなさい』


『なぜ謝るの?』


『貴方も、この軸の維持をやめたかったんでしょう。だから私に力を貸さなかった』


『……うん』


『結局……私はそんな貴方に、この先もずっと無理を強いてしまう』


『それはキミも同じじゃないか』


『でも……』


『確かにね、この役目にうんざりしていたところはあるんだ。千年かかっても救済は叶わないし、人間も変わらない。自分の未来を憂いはするけれど、他人(せかい)に目を向けようという気はない……』


『……』


『正直、彼女──始まりの魔女のように全てを恨めたらと思ったこともあった。でも……憎しみというのは……僕はその感情があまり好きではなかったんだ。その気持ちだけで沢山になって、他の楽しかったことや幸せだったこと全てを忘れてしまうのは……もったいないから』


 青星はソラの手をポンポンと優しく叩き、慈愛に満ちた笑みを浮かべる。そんな彼に、ソラは一つだけ聞きたいことがあった。


『……青星様』


『何だい?』


『貴方の人生に幸せはあった?』


『……ああ、あったとも。キミはどう?』


 聞き返され、ソラはこれまでに人生を振り返る。


 何度も災難にあった不運続きの二十七年間だったが、同じだけの幸運もあったことを知っている。記憶がなくなってしまっても、愛された思いは覚えていた。だから失ってしまったものは返ってこなくていい。思い出したら、それが後悔になってしまうから。


『悔しいことも辛いこともあったし、心残りもないわけじゃないけど、ちゃんと……心から笑って言える』


 ソラは青星の手をぎゅっと握り返し、晴れやかに笑う。


『私はとても幸せだった!』


 涙はなく、そこにあるのは……ただただ、胸の内からあふれる温かな思い。その笑顔を見た青星は同じように温かな表情を浮かべ、歯を見せて笑った。


『キミと二人なら、まだ少し頑張れそうだよ』


『ありがとう、青星様』


『それは僕の台詞だ』


『そうなの?』


『ああとも。そうさ! ありがとう、ソラ。光と陰がようやく同じ道を歩むことができるのは、キミのおかげだ』


 青星はひざまずき、ソラの左手の薬指に口付ける。


『アハハ……。何だか照れるな……』


『ねぇ、ソラ。何か願いごとはあるかい?』


『え? 願いごと?』


『そう。キミの場合、魂を元の世界に返すことはできないけど……他のことで、もしかしたら叶えられるかもしれない』


『でもそれ、今更じゃない?』


『……そうだね。でも聞いておきたかったんだ。僕のように命を──魂を捧げてこの星を見守る……いや、キミはそうじゃないのか。大切な人のために命をかけた……その行為に対する報いはあってしかるべきだろう?』


『青星様も、それを聞けた方が気が楽になる?』


『はっきり言うね。そうだよ。僕なりの罪滅ぼしだ』


『そっか。願いごと、ね……。そうは言ってもパッとは出てこない──』


 とは言ったものの、ソラはすぐさま思い浮かんだその「願い」に困ったような顔をした。


『何か思いついたみたいだね? でも、もっと悩んでも大丈夫だよ。時間はあるから』


『ううん。たぶん私にはこれしかないんだけど……叶えるのは無理かも。言ったら青星様を困らせちゃう気もするし……』


『構わないさ。僕がどうしても聞きたいんだ。だから……ね? お願い』


『そこまで言うなら……、うん。分かりました』


 ソラは深く頷き、青星の前に膝をついて彼と視線を合わせた。天井近くのステンドグラスから純白より白く清らかで、煌々と明るい光が差す。 


 彼女は告げる。


 氷の都ペンカーデルで叫んだ、あの時の勇清(いさぎよ)い思いを。


『私の願いは────』



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