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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第一章 ペンカーデル
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第14話 「暗む世界」

 ソラと一悶着があった後、エースはその場から動く気力もなく長椅子に座り込んでいた。スランは彼から取り上げた剣を鞘に収めて、その横に腰を下ろす。


 普段はぴんと伸びている背を丸め、エースは震える手で顔を覆った。


「俺は……何てことを……」


「私はエースの気持ちもよく分かるよ。もしも自分がお前の立場だったら、きっと同じように剣を向けた。お前とジーノを守るために」


 スランはエースの行動に理解を示す。自分を責めている彼をスランまで責めることはできなかった。


「だから私はお前の行動を咎めることはできない。けれど、あれは最善ではなかったかもしれないね」


「……俺は……怖かったんです……」


「分かるよ。私も話を聞いてとても恐ろしく思った。彼女のことは聖人だとばかり思っていたから、なおのことね」


「俺……魔力の陰りを──あの悪しきものを見てしまったら、そこからあふれた暗闇に飲み込まれてしまう気がして……。自分たちに……この村に災いが降りかかるんじゃないかと……」


 一度失い、再び手に入れた大切なものをもう一度失うのは、最初の喪失よりもずっと恐ろしく、胸に大きな空虚を生み出す。その元凶になるかもしれない存在を前にして、エースの頭には恐怖しかなかった。


「ジーノを守りたい気持ちが一番にありました。けれどそれとは別に、あの陰りを断たねばならないと思ったんです……」


「それは……どうして?」


「分かりません……ただ、あの黒く悪しきものがこちらに牙をむく前に……何とかしようと……」


 そうして焦るあまり、エースは我を見失った。


「エース。とっさの時には相手を傷つけるのではなく自分を守ること。ケイからは剣の扱いをそう教わったはずだね?」


 スランの決して責めることのない口調に、エースは無言で頷く。彼は自分で今回の失敗をよく理解していた。


「……ソラ様に言われて気づきました。あの場では、理性を捨てて本能で剣を抜いた俺こそが一番恐ろしい存在だった」


 エースは腰の剣を鞘ごと抜き、胸に抱えて体を小さくする。


「俺は、あの時(・・・)と少しも変わってない……」


「そんなことはない。そんなことは絶対にないよ。エース、お前は自らの行いを悔いているのだろう?」


「はい……」


「その気持ちをきちんとソラ様に伝えなさい。恐ろしく思ったことも含めて、全て包み隠さずに。自分の弱い部分をさらけ出すのは難しいことかも知れないが、どうしてお前が剣を抜いたのか、その経緯を知らなければソラ様はずっとお前が怖いままだろうからね」


「……」


「ただ、和解できたとしても心に留めておくべきことがある」


「何でしょうか……」


「ソラ様の魔力に陰りがあると知ってしまった私たちが、これから先も何かあれば彼女に対して疑念を覚えるように、ソラ様もまた、何かのきっかけでお前に対する恐怖を思い出すことがあるかもしれない。それだけは覚悟しておきなさい」


「はい……肝に銘じます……」


 エースは憔悴しきった顔で肩を落とす。スランはそんな彼の背中を叩いて、すっと立ち上がった。


「そうしたら、私も言うだけじゃいけないね。手本になるようにしないと」


「お父様は……ソラ様のことをどう思っているんです?」


 エースは父を見上げてそう問うた。


「そうだねぇ。昨日知り合ったばかりだけれど、食事を共にし一緒に笑い合って、お前やジーノへの接し方を見ていて……善い人なのだと感じたよ。それは今でも変わらずにそう思っている」


 そこまでは力強く言い切って、その先を困り顔で続けた。


「だからかもしれない。実を言うと私もどうしたらいいのか分からないんだ。魔女の資質もお持ちだなんて、考えたこともなかったからね」


 その可能性を考えなかったのはスランたちの怠慢だった。伝承では魔女もまた異界から来た者であったとされているのだ。その話をすっかり頭から追い出して、聖域の向こう側の世界から来たソラを彼女の意に反して聖人と信じ込み……そして勝手に失望した。


 スランは彼女の身に起きたことを──いわれのない敵意を、自分のことのように受け止めようとしていた。その上で、自分だったらどう捉えてほしいかを考える。


 彼女は言っていた。魔女だろうが聖人だろうが、自分でそうだと自覚して生きてきた覚えはない、と。勝手な誤解は極めて不快だと、それまでの彼女からは想像もつかないほど厳しい口調で。


 立場の勝手な押しつけ……スランはその時のソラの気持ちに心当たりがあった。


「聖人か魔女か、それだけがソラ様の全てじゃない。光陰どちらであっても、魔力はあくまで彼女という人物を構成する要素の一つにしかすぎないんだ」


「……はい。その通りだと思います」


 魔女に連なる魔力を持っているのは確かだが、それはソラの人格を決定づけるものではない。そう思った瞬間、エースの頭にふとある考えが浮かんだ。


 そもそも、魔力に善悪があるのもおかしな話だ。


 魔法には地水火風の四属性があるが、それらは人を助けることもできれば害することもできる。どれか一つの属性が善であり、また悪であるということはない。エースが扱う魔術──たとえば燐寸にしても、使い方を間違えれば家も村も、森でさえ焼き払ってしまう。何にせよ善悪は表裏一体である。だのに、どうして黒き力は悪しきものとされるのか?


 光の加護は善きものであるとされるのか?


「……」


 エースはこう考える。


 本来、光陰の二属性にも善悪は存在しない。そのはずだと。


 魔女と呼ばれる憎しみを心に募らせた人間が、たまたま使うことができたのが黒き力だっただけの話なのだろう。それが時を経るうちに誇張され、あるいは間違って伝わり、結果として黒き力は災禍の権化である魔女の象徴となり、魔力の陰りは忌避されるものとなった。


 その仮説はエースの口から独り言として漏れ出ていた。


「──いったい、いつ頃から真実を見失っていたんだろう」


「エース。悪いけど……それ以上は言わないでくれるかい」


 それを聞いていたスランは胸の十字架を握って、辛そうに眉を寄せる。長年信じてきた信仰をあっさり覆せるほど、彼の信心は薄っぺらではなかった。その点、エースは幼い頃から魔術的(ソラの世界で言うところの科学的)思考に親しみ、土地の信仰とはつかず離れずの距離を保ってきたため、そこに疑問を覚えても苦しむことはなかった。


「すみません、お父様……」


「いや、いいんだ。私のわがままだからね。それでもお前は疑問に思ってしまったのだろう?」


「はい」


「思い込んだら一直線なところは兄妹そっくりだ」


 スランは一転して笑い、場所を居間に移そうと言った。礼拝堂は他の部屋に比べて冷えるのだ。長居をしては風邪をひいてしまいそうだった。


「そうだ、エース。もしかしたら氷都の教会文庫でなら、詳しい文献が見つかるかも知れないよ」


「氷都──ペンカーデルの教会ですか?」


「うん。これからソラ様のことを魔法院に報告するのだけど、どんな返事があるにせよ氷都までソラ様をお連れする必要があると思うんだ。それで、その行路の世話役としてジーノを、護衛役としてお前をつけるつもりでいてね」


「魔法院……ですか……」


 エースはひどく苦しそうな顔をして胸を押さえた。


「ああでも、もしも無理そうなら村の方で腕に覚えのある者に頼むこともできるから、無理にとは言わないよ」


「いえ……大丈夫です。文庫の書物には前々から興味がありましたし、行ってみたい気持ちもありますから」


「そうかい? 都で珍しい本を見つけたからって買い込んだりしないようにね。これ以上お前の部屋の本が増えたら、床が抜けてしまうよ」


「き、気をつけます……たぶん……」


 エースの自室は床から天井まで本が山積みの状態である。もう増やすまいと思いながらも馴染みの行商人が仕入れた本を毎度買ってしまうエースは、都の書店で誘惑に勝てる自信がなかった。それが分かっているのか、スランは仕方なさそうに肩をすくめて礼拝堂の扉を開く。


 居間へと移動する途中、奥の部屋からジーノの声が漏れ聞こえてくる。どうやら彼女はソラに頼まれて魔女の話をしているようだった。ソラのため息が聞こえたところで、スランとエースはサッと居間に入って扉を閉めた。


「あとね……何だったら伝承記も一度読み直してみたらどうだい? 新しい視点で見つめ返せば何か発見があるかもしれないよ」


 スランはそう言い、棚の中で斜めになっていた書物を持ってきてエースに渡した。エースはその内容を全て暗記していたが、だからといって突き返すようなことはせず素直に受け取った。忌まわしき魔法院が編纂したものであろうと、本に罪はない。


「ふぅ。そうしたら、大祠祭宛てに文庫の閲覧申請も書いておかないとね」


「魔女について調べたいだなんて、許可が出るでしょうか?」


「そこはまぁ……上手く書いておくよ。あちらもまさか魔女の調べ物だなんて思わないだろうさ。フラン博士じゃあるまいしね」


 エースは父がその名前を知っていたことに驚いた。


「あの方をご存じだったんですか」


「ああとも。今は魔法院を追われて、カシュニーの屋敷に戻っているんだったかな?」


 魔女を絶対的な悪とする魔法院において、学問的にとは言えそれに傾倒するフランという人物は異端児として有名だった。その変人ぶりたるや、魔法院と距離を置いて久しいスランの耳にも届くほどである。その執着が原因で院から追放されてからは、ずっと故郷の屋敷に閉じこもっていると聞く。


「お前にその気があるのなら、折を見て訪ねてみるのもいいかも知れないね」


 そう提案しつつ、スランは窓際まで歩いて行って今も深々と積もり続ける雪を見た。


 もう何週間と断続的に降り続いているそれ……仄暗い雲が覆う空には切れ間など見えず、ひらひらと落ちてくる白銀の粒が景色を単調に塗りつぶしている。


「これが、始まりの魔女がこの世界に刻んだ呪いの形……」


 各地で起こる異常気象、土砂災害、地震。東の小国では疫病も発生し、災厄は既に世界を覆いつつある。


 それこそが魔女の怨念。


 この世に渦巻く混沌。


 そのうねりによって大切な人を奪われた者は数知れない。喪失に悲しみ嘆く彼らは魔女を嫌い、憎悪し、災禍を祓う聖人の再臨を心から望む。たとえ一時でもこの世に安寧が訪れることを願って。それが死んでいった者への手向けになると信じて。


 スランは窓を離れて暖炉の前まで戻り、ぼんやりとその炎を見つめた。


「我々にも光の加護があれば……」


 彼は自らの無能さを嘆く。自分たちは火を生み出せても、光は生み出せない。エースもまた同じ様な顔つきになって、赤々と燃える薪を見やる。


「俺も何度もそう思いましたが、聖霊族が滅んでしまった今となっては……」


 聖霊族とは、かつてこの世界に在って悪しきものに決して冒されることのなかった聖なる種族だ。どこまでも純粋無垢で清廉潔白。それゆえに悪を知らず……魔女に騙されて世界を敵に回し、滅んでいった種族。教会が広める解釈とは少し異なるが、この地方ではそのように伝えられている。


 スランは居間の外──ちょうどソラが使っている部屋の方を見ながら、エースに言った。


「こんなことを言うべきではないのかもしれないけれど、私はソラ様に元の世界へお帰りいただきたいと……そればかりを考えてしまうんだ」


「そんな……どうして?」


「異界よりお出でになったソラ様と、それに付き添うお前たちを見ていると、どうしても伝承の一節を思い出してしまってね。気が気でないんだ」


「……魔女に唆された聖霊族の話ですね」


 聖霊族は種族の特徴の一つとして、金色の髪が挙げられる。つまりスランは我が子の金髪を聖霊族のそれと重ねて、ソラが意図せずとも彼女と関わることでエースたちが良くない未来へ導かれるのではないかと不安に思っているのだった。


「ジーノの懐きようを見ていると、余計に心配なんだよ。あの子も聖人と魔女がどんな存在なのかは知っているはずなのに……」


「それは……」


 エースは昨夜の出来事を思い出して、ジーノが自ら苦難の道を進もうとしていることをスランに言ってしまいたい衝動に駆られた。だが、それはできない。それを言ったとしてもスランはきっとジーノを止められない。それに、エースはこれまで自分たちを育ててくれた大切な父に辛い思いをさせたくなかった。


 黙り込んでしまったエースに対し、スランはそれ以上問いつめようとはしなかった。


「──さて、そうなると目下の問題はエースとソラ様がどう仲直りするかだね。このお通夜みたいな雰囲気が続くのはさすがに堪えてしまうよ」


 スランは天井を見上げてしばらく考え込み、


「とりあえず、ソラ様がどんな具合か見てこようか。話ができそうなら出てきてもらうし、無理そうならさっき言っていたエースの気持ちだけでも伝えてくるよ」


「お願いします……」


 至って元気のない声でエースは父に小さく頭を下げる。そんな彼の脳裏にはソラが権杖を構えたときの様子が過ぎり、それと同じ視線で「顔も見たくない」と言う彼女の姿が浮かんで見えていた。

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