表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第五章 地の軸
147/153

第11話 「落下する」

 水原を小走りに進みながら、マキアスは先日ケイからもたらされた情報について考えていた。


 南の軸で進む「救済」の計画。


 聖人であるナナシを手に入れ北の軸を目指すツヅミの目的。


 万が一にも救済が失敗した場合の保険として存在するナナシを、マキアスはどう扱うべきか。もちろん南の状況がはっきりするまで彼を生かしておく必要があるのはその通りだが、その理由を……エクルたちに素直に伝えていいものか、マキアスは迷っていた。


 悪鬼「宿借り」の片割れは聖人である──その情報が隊員たちの精神にどのような動揺を与えるか計り知れない。マキアス自身も、聞いた当初の衝撃はひどかった。


 異界の地より遣わされた完全無欠の聖なる存在、この世界を救いたもう慈悲深き光の使者。


 大陸始まって以来の大量殺人鬼がそれだったなど、即座に受け入れられようはずもない。マキアスは年の功で何とか自分を説得できたが、年若い部下──特に難しいことを考えるのが苦手なエクルなどは今後の行動に支障をきたしかねない。ルマーシォやフェントリーにしても平静ではいられないだろう。


 であれば……とマキアスは考え、移動の最中にも関わらず全員に聞こえるようにして次のことを言った。


「いいか、宿借りは何としても生け捕りにする。特に男の方は絶対に殺してくれるなよ」


「国からの通達ですか?」


「……ああ、そうだ。主犯が死んで真実がうやむやになったら困るからな。何より宿借りの確保は国王直々のお達しだ。間違って殺しましたなんてことがあったら大目玉どころじゃねぇ」


「取り逃すな、しかし殺すな、ですか……。難しいですね」


「難易度高いっスー」


「そうかぁ? 俺様としては俄然、燃えてきたぜ!」


「一番ポカやりそうな人が何言ってるっスか」


「馬鹿野郎。俺様は案外器用なんだぞ」


 なるべく水しぶきを立てないよう浅い水面を走るエクルは確かに器用なのかもしれないが、これまでの任務においてあと一歩のところでヘマをすることもあったことを知る(そして毎度その尻拭いをしている)フェントリーとしては、彼の言には疑いの目を向けざるを得なかった。


 その目を煩わしそうに手で振り払い、エクルはマキアスに聞く。


「んで。どう仕掛けるんだよ、爺さん」


「俺とエクルが切り込み、フェントリーとルマーシォは援護だな」


「いつも通りか」


「それが一番だろ。先生とエィデルは……」


「私も切り込みに参加させてもらうぞ。返さなきゃならん借りがある」


 ケイはノーラやソラの怪我のこともあって、ナナシのあの顔を一発殴ってやらないとどうにも腹の虫が治まらないのだった。


「……んじゃエィデルが先生を助けてやってくれ」


「了解いたしました」


 エィデルはこくんと頷き、マキアスの視線を誘導するようにしてロカルシュの方を見る。


「あっ! 私、戦闘向きじゃないから~」


「悪いが遊ばせておくつもりはねぇぞ。お前さんは状況に応じて獣使いの能力で敵を足止めしてくれ。できるだろ?」


「うーん、できるけどぉ……人間相手は大変だから上手くいくか分からないよ?」


「構わん。お前ができることをしてくれればいい」


「ん~。分かったぁ」


 それからもうしばらく走り続け、軸の光が太陽を飲み込むところまで来ると、その麓に小さく人影が見えた。


「あれだな」


「三人しかいないようですね」


「フンッ。なら楽勝だな」


「油断すんなよエクル。東ノ国の兄ちゃんはなかなかの腕だぜ。軽くあしらうつもりでどうにかなる相手じゃねぇ」


「相手にとって不足なしってこったな。久しぶりに楽しめそうだ……!」


 マキアスの忠告を聞いて、エクルは獰猛な笑みを浮かべる。マキアスとしては別に発破をかけたつもりはないのだが、エクルは余計に闘志が湧いたようで両の拳をつきあわせて気合いを入れた。


「でもよォ、地面が(コレ)じゃあ事を構えにくいぜ」


「ふむ。ではこうしようか」


 エクルの不満に対するケイの答えは早かった。彼女は手をかざして横に薙ぐと、目に見える範囲の湖面を瞬時に凍らせた。氷が水面を走る際の軋むような音がナナシたちの元へも届く。


 振り返った彼らの前で、マキアスは声を上げた。


「ようやく追いついたぞ!」


「あ。あん時ツヅミんにやられたジジイ……」


 軸の光の前で何かを確認していたナナシを庇うようにしてツヅミが彼の前に立ちはだかる。


「懲りずにやってきましたか。また串刺しにされたいようですね」


「東ノ国の兄ちゃん……悪いこたぁ言わねぇ。そこのクソッタレ二人をこっちに引き渡しちゃくれねぇか?」


「無理な相談です」


「こっちもお前さんらの計画は把握してる。だから──」


「だから、何だと?」


「あン?」


 眉をひそめるマキアスに対し、ツヅミは袖口から符術布を垂らしながら頭を下げる。


「非常に申し上げにくいのですが、自分は大陸の人間がそこそこ嫌いでして」


 彼は顔を上げると、決して作り物ではない渋面を浮かべて言った。


「相手が嘘しか吐かないと分かっていて信用する馬鹿はいないでしょう?」


「ツヅミ……お前は……」


 彼はおそらく、始まりの魔女と聖霊族の汚名をでっち上げた過去のことを言っているのだろう。しかしこの場でそこまでの事情を知るのはケイだけで、ナナシが聖人であることのみしか知らないマキアスは残念そうに肩をすくめて言った。


「何を言ってるんだか半分も分からんがな、アンタがそう言うならこっちも力ずくだ」


「ってことは何だ、爺さん。とりあえずブッ飛ばしていいんだな?」


「ああ。交渉決裂だよ」


「よしキタ!」


 言われたエクルは嬉々として腰の剣を抜き、両手で体の前に構えた。続けてマキアスも片手剣を構え、その後ろでルマーシォとフェントリーも魔法での援護体制を整えた。


 こうなってしまってはもう話し合いを続けることはできない。ケイは仕方なく剣を抜き、この場限りの相棒であるエィデルと視線を合わせて頷き合う。ロカルシュはエィデルの後方でやや逃げ腰になりながら、それでも逃げ出すことはせずに眉をつり上げ勇ましい顔を作った。


 それらの面々を見渡し、ナナシは上着の下から乗馬鞭を取り出して何度か振り回す。


「へぇ、皆さんやる気~。ちょうどいい……世界崩壊も目前だし、最後のブッ殺しタイムだな!」


「まっしろなゆきに、まっかなち。きれいかも~」


 ジョンも袖の下の拳を突き出して素振りをする。そのいかにも好戦的な態度に、マキアスは逆境の笑みを浮かべた。


「あちらさんは俺たちを殺す気満々だ。お前ら、油断するんじゃねぇぞ」


「ヘッ! 返り討ちにしてやるぜ!!」


 いの一番に飛び出したのはエクルだった。彼は割合大きな体に似合わず、素早い動きで真っ先にナナシを標的にした。マキアスもその後を追う。


「とりあえず死んでなきゃいいなら手足の二本三本なくなっても問題ねぇよな!?」


「あんま深手を負わせるのはナシだぜエクル! ガキは違うがあの男は治癒魔法が効かねぇ体質らしい!」


「──ンだよ面倒くせぇな!」


 言い合いながら突進してくる二人の前にツヅミが割り込み、符術布を蛇のようにうねらせて攻撃を開始する。異国の文字が書き込まれたその帯は地中に突き刺さって姿が見えなくなると、突然マキアスたち足下に氷の皮を被って突き出た。意表を突く攻撃ではあったが、マキアスはそれを蹴り飛ばし進行を続け、エクルはその先端を踏みつけて帯が天高く延びるのと一緒に空中に踊り、落下速度を利用して地面を割るような斬撃をツヅミの頭の上に振り下ろした。


 無論、ツヅミとてそれをぼんやりと眺めていたわけではない。彼は瞬時に符術布を手元に戻し、帯を纏わせた片腕でエクルの斬撃を防ぐ。そしてもう片方の腕の帯を伸ばして、横をすり抜けようとしたマキアスの進路を塞ぐ。その帯がただの布ではなく鋭い刃であることを身を持って知っているマキアスは、迷いのない軽快な足取りで三歩ほど下がってエクルと剣を合わせた。


 間髪入れず彼らに追撃を仕掛けてくるツヅミに、マキアスたちを避けて後方から放たれた魔法が襲いかかる。もともと遠距離からの攻撃が得意なルマーシォとフェントリーである、その狙いは狂うことなくツヅミへと集中した。


 浴びせられる爆撃に、ツヅミは強制的に後退させられる。クラーナの地下洞窟前で相手をしたときよりも手強い。彼らはどうにも、一人よりも複数人で連携する戦闘の方が得意らしい。


 だが、ツヅミも一人でそれらを相手にするつもりはない。


 後援を背に再びツヅミに迫るマキアスとエクルに、頭上から細い光の針が降り注ぐ。エクルはとっさに魔法で防御壁を展開して凌ぎ、突進を続けようとする。マキアスはその腕を掴んで飛び退く。


「おいジジイ!? 何しやがる!」


「あの魔法は駄目だ。こっちの盾が効かねぇんだよ」


「はぁ!? んなわけ──」


「防ぐなら剣で弾き飛ばせ」


「……そうかよ。でたらめ言う状況でもねぇしな。いいぜ、信じてやる」


「おう、理解が早くて助かる──、ぜっ!!」


 追い打ちのようにマキアスたちを再び光の針が襲った。だが、それはどこか標的を間違えたようにして彼らの一歩手前の氷を抉った。


「おいおい、届いてねぇぞ下手くそ!」


「うるせぇ筋肉ダルマ! このババアが邪魔なんだよ!」


 エクルに煽られたナナシは側面から攻め込んできたケイの相手で援護どころではなくなったらしい。それを見たマキアスは「いいぞ先生! 借りもあるって話だしそっちは任せた!」。威勢よく叫んでツヅミに剣戟で突っ込んでいった。


 その声援を受けてケイはナナシを前に笑みを浮かべる。


「久方ぶりだな青年。カシュニーではノーラが、クラーナではソラが世話になったな」


「アーン? 知らねぇな。誰だそいつら」


「なな、あれだよ。オカーサンと、ぼくがうでちょんぱしたおねーさん」


「ああ! あの二人のこと。そういやアンタのお仲間だったか」


「一応記憶していたようで何より」


 ケイは細身の切っ先をナナシに向け、その先端を回して円を描く。照準を定める作業はその一回で終わり、彼女は剣を腰の横に勢いよく振り下げると、刀身を体で隠すようにして半身に構えた。その目の前でナナシは自身の背後に光の粒を浮かべ、先陣切ってケイに向かって行くジョンの援護を開始した。


 特定の武器を持たずに突撃してくるジョンの攻撃は予測が立たない。ケイは左腕に盾を展開して彼女を迎え撃つつもりだった。だが、ジョンの背中を追うようにして光の矢も迫る。攻撃を受け流すのは下策かともケイは思ったが、彼女が姿勢の反転を決断する寸前──その後方で氷の地面が大きく振動した。


 それを察知したケイは受け身の姿勢を保つことを決め、ニヤリと笑った。


「エィデル! 奴を押さえ込んでくれ! 私はまず先鋒を叩く!!」


「了解! お任せを!!」


 エィデルは空中に持ち上げた氷の板を細かく砕くと、その一つ一つを魔法で強化してナナシの攻撃にぶつけた。と言っても相殺は難しく、標的を反らす程度の働きしかできないのだが、それでも何も援護がないよりはよほど安心して戦える。


 ケイは剣の魔法強化を解き、靴底に氷の刃を履いて勢い任せに足蹴りを繰り出してきたジョンを盾で受け止めた。盾と刃とが擦れ合い、バチバチと火花のように光が飛び散る。目が眩むような発光の中でケイは体の陰に隠していた剣を軽く握り直し、盾を貫く刃でジョンの細い足を刺そうと下から突き上げた。


 存外厚い盾に阻まれ攻撃を貫通し損ねたジョンは視界の下方から音もなく迫る剣を視認し、それがケイ自身の展開する盾をすり抜けたのを見て、反射的に身を反らしてバク転を繰り返し後方へ引いた。彼女の脳裏をよぎったのは、クラーナで髑髏のポシェットを失った際の出来事である。あの時エースが放り投げた円筒状の爆発物はジョンの盾を意に介さず宙を舞い、その内側で爆発した。


 ジョンは瞬間的なひらめきで、その仕組みを理解する。


「にゃる~! あれ、まほうでばくはつしたんじゃ、ないんだ! かんぜんにまりょくはんのうがないぶったいなら、たてもむこうになるってわけかぁ。すっご──!?」


 ナナシのもとまで戻ったジョンに対し、ケイは盾を解いて剣を強化し直して彼女とナナシとの間に刃を振り下ろした。地面を深く削り細かな氷が舞い上がる中、ケイは迅速に刃を返して横に払い、ナナシからジョンを引き離す。そして彼女は軽快なステップでも踏むようにして逃げ去る少女を追わず、視界の外にいたナナシに対し、さも彼の姿が見えていたかのように剣を振った。


「どわぁ!?」


 倒れるようにして攻撃を避けたナナシは、その息つく間もない攻めにうっすらと焦りを露わにした。


 ケイは引き返してきたジョンの攻撃を再構築した盾で防ぎつつ、逃げるナナシを剣の切っ先で突くことを繰り返す。それに加えてエィデルが放つ氷の礫も絶え間ないとなると、状況はなかなかに厄介であり、ナナシとジョンは完全に連携を絶たれた状況になっていた。


「あークソ邪魔くせぇ! ツヅミんはあっちに掛かり切りだしよぉ」


「たすけて、いえそうにないねー?」


 ナナシが言うとおり、ツヅミはマキアスたちの相手に集中している。しかし無駄のない身のこなしで攻撃をいなす彼に疲労は見て取れない。その気になればナナシの援護もできそうだった。だのにそうしないというのは、「保険」が生きてさえいればいいという本心の表れである。それならそれで、邪魔も入らず好都合だとケイは思っていた。


 とは言え、後もう少しで押し切れるところで決定打が足りない。何か隙があればとケイがきっかけを探していると、唐突にナナシとジョンの動きが止まった。


「にゅ、わゎ!?」


「な、何だ!? 体が動かねぇ!」


 ジョンは足がもつれて転び、ナナシは攻撃を避けようとした姿勢のまま氷の上に倒れた。


「私だってお役立ちなんだからね~!」


「な、ん……そんな。にんげんもあやつるなんて……ずっこ、い!」


 絶え絶えに言葉を発するジョンがナナシの分も含めロカルシュの能力を弾くほんの一瞬前、


「よくやったロカルシュ!」


 ケイは転がっていたジョンの小さな体を容赦なく蹴り飛ばした。魔法での強化も入っていたその一撃は少女の内臓を抉り、彼女は地面に落ちた直後に胃の中身を吐き出していた。ついでに何本か(あばら)も折れてしまったようで、少女は痛みをこらえてのたうち回った。それを捕らえるべくエィデルとフェントリーが動いたのを視界の端で見ながら、ケイは続けざまにナナシに剣を向ける。


「ババア! ジョンに何てこと──!!」


「うるさい。少し黙れ」


 ケイは容赦なくナナシの目をめがけて刃を突き出す。が、ロカルシュの拘束はそれを待たずに解けてしまい、ナナシはその攻撃をすんでに避け、地面を転がりながら光の礫をケイに浴びせた。攻撃を避けようとケイが姿勢を横に反らした瞬間、足下からその胸を突き刺してやろうと彼は考えていた。


 だが、ケイはそれを避けなかった。彼女は能力の限界まで強化した刃でナナシの攻撃を弾き返し、ほぼ捨て身の体で突撃してくる。


 この猛攻こそが最後だと言わんばかりに。


 血が流れるのもそのままに。


 武器を振りかぶって、叩き下ろす。


 ナナシは礫を盾に転換し、一撃ずつ重くなる彼女の剣戟を受け流すのに必死だった。鋭い眼光をたたえるケイの瞳はまさに狩人のそれであった。ナナシは自身が狩り殺される側に回ったのはこれが初めてのことで、彼はケイの気迫に呑まれ、防戦一方となった。


 やがて攻撃を防ぐ体力も削れていき、ナナシは膝を突いて肩で息をし始める。ケイはそんな彼の盾を一段と重い斬撃で打ち砕くと、その胸ぐらを掴み上げた。


 彼女は背中を反らせ、力任せに頭突きをかます。双方ともに切れた額から血が滴る。しかしケイはそれを痛がることもなく、目の前に星を散らせるナナシの鳩尾におまけの膝蹴りを入れた。


「ぐげッ!?」


 ナナシは奇妙な悲鳴を上げて地面に沈んだ。吐きはしないが呼吸が難しいらしく、腹部を押さえて苦しそうに呻いていた。ようやく相手の動きを封じたことに軽く息をつき、ケイはナナシの両腕を背後にひねり上げて押さえ込もうとする。


「先生! 危ねぇ!!」


「──ッ!?」


 それを邪魔したのは他でもない、ツヅミだった。ケイに向かって伸びる符術布はマキアスが剣を振って一度その軌道を逸らしていたが、柔軟で強かに動くその帯は妨害をものともせず真っ直ぐ彼女へと這い寄り、的確にその頭を突き飛ばした。


 ケイの意識が一瞬で途切れる。


「何てこった……!」


「くそ! あと少しだったってのに!」


 雪面に倒れぐったりとして動かないケイに呆然とするマキアスに対し、エクルはツヅミの次の行動を妨害するべく彼の前に立ちはだかった。ツヅミが庇おうとするナナシの姿を自分の背中に隠し、


「爺さん、呆けてる暇ないぜ!」


「……ッ! 応よ!!」


 マキアスはツヅミをエクルに任せ、自分はその背後に回りナナシに剣を構える。


 解放されたナナシは唾を吐き捨て、何とかその場に立ち上がるところだった。


「ったく、畜生どもめ……ふざけんなよ……」


 頭突きと殴られた衝撃で意識がもうろうとするのか、ナナシの体は大きく揺れていた。彼はマキアスに狙いを定めて手を掲げ……。


「あ……?」


 次第に目の前が暗くなり、ナナシは右へ左へと足をふらつかせる。支えを探して伸ばした彼の手の先にあるのは──。


 光の壁。


「まずい!」


 マキアスはその場を駆け出し、よもや殺人鬼を助けるために走る羽目になろうとは……と舌打ちをしつつ、精一杯に手を伸ばして彼の腕を掴んだ。だが、そのとき既にナナシの体は半分以上が光に飲まれ麓から落ちかけており、彼を引き戻しきれず引っ張られたマキアスの手が壁に接触した。


 マキアスは突如として全身に走った痛み──雷に打たれたような衝撃と炸裂音に、掴んでいた腕を思わず離してしまう。


「……お……、おいおい、おい待てよ……嘘だろ……?」


「爺さん!? どうした!」


 ツヅミの符術布を防ぎつつ、エクルが振り返る。そして彼はいつの間にか自分の剣を重くする攻めが消えたことを不審に思い、ツヅミの方に向き直る。


 東ノ国の青年は魂が抜けたかのように虚ろな顔つきになり、急いで腰の巻物を広げ──そこに何も文面がないことを確認すると、顔を青くしてその場にへたり込んだ。


「ああ……、何てことだ……。これでは、救済が……叶わない……!」


「救済? 何だそりゃ」


 譫言を繰り返すツヅミにエクルが詰め寄るが、その言葉は彼の絶望を語るのみで、エクルにとっては要領を得ないものだった。そこに、離れたところから一部始終を見ていたルマーシォが駆け寄る。ジョンに魔封じの腕輪をはめ拘束したフェントリーとエィデル、頭痛を耐えて米神を押さえるロカルシュも集まり、彼らは一様に軸の光を見上げた。


「エクル、宿借りの男はあの光の壁の向こうに消えました……」


「それ、フェンも見てたっス」


「だったら……つまりどういうことなんだ?」


「僕にも分かりません」


 そのルマーシォの答えを聞き、ツヅミが怒りを露わに顔を上げる。


「分かりませんか。分からないのに貴方がたはここまで来たというのですか……」


「では、貴方は何を知っているんですか」


「……」


 彼は黙り込み、再び下を向いた。憔悴しきった彼の様子にルマーシォとエクルは顔を見合わせる。そうして二人がツヅミを問いただそうとした時、「それについては私から話そう……」。マキアスに連れられてやってきたケイが、自分の知りうる全てを静かに語りだした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ