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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第五章 地の軸
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第8話 「回る、回る」

 北の最果て、その早朝。もうすぐ島に着くという頃になり、マキアスたちが手はず通り東ノ国の船乗りたちを拘束して船室に軟禁し、甲板に出てきたその時。彼らと対面する出入り口から出て来たケイは防寒着をしっかりと着込んで下りる準備は万端といった様子であったが、どこか浮かない顔をしていた。


「どうしたよ、先生。元気ねぇな。具合でも悪いのか?」


「いや、そういうわけではない。ただ少し……自分の馬鹿さ加減に嫌気がさしていてな」


「……何か間違えちまったのかい?」


「そんなところだ……」


 ケイは手すりに寄りかかり、白い息を吐き出して空を見上げた。彼女の頭を悩ませるのはユエからの手紙であった。予想に反して返事があったことは喜ばしいことであったが、その内容は全くもって嬉しいものではなかった。


 聖霊族と大陸の人間との歴史、そして始まりの魔女について軽く触れた後、死期が近いソラを連れて南極島へと向かっていると続いたユエの筆。それはソラ自身が決めたことであり、望むことであると彼女は書き連ねた。エースとジーノはその犠牲を受け入れられず抵抗したが、無事であるとも書かれていた。


 そして驚いたのは──それでいて腑に落ちたのは、ツヅミの裏切りはあらかじめ打ち合わせたものであるということだった。ツヅミはやはりナナシの素性について知っているらしく、「保険」の聖人である彼を連れて地の軸を目指していると言う。ユエの逞しいところは、それをケイに打ち明けた上で、決してナナシを殺すような事態にならないよう取り計らえと要求してきたところである。


 よくもまぁ、いけしゃあしゃあと……手紙を前に思わずそう呟いてしまったケイであるが、最後に記された彼女の覚悟を読み、それ以上は何も言えなくなってしまった。


 ユエは自ら望んでソラの後を追うと決めているのだそうだ。


 その重い決意を筆跡の中に読みとり、ケイは息を呑んだ。


「──私は間違えてばかりだ」


 ケイは意識を記憶の中の手紙から現実に引き戻し、自分の愚かさを嘆く。自分はまた、エースの時と同じような間違いをしてしまった。


 ユエは魔女の力に興味を示していた。嘘偽りのない善良な人間とは言えない彼女が、である。それはケイも分かっていたはずなのに、そうした端々の兆候を見逃して最悪の事態に至ろうとしている──いや、考え方によっては最善なのかもしれないが、既にソラと出会ってしまっているケイにはそれが最も円満に収まる解決策とはとても思えなかった。


 加えて突きつけられた「間違ってもナナシを殺すな」という難題……もちろんマキアスたち騎士としても、彼は殺さずに捕らえるのが最優先事項であろうが、抵抗如何によってはその命を取らないとも限らない。


 となれば最悪、「世界の延命」という保険を守るためにケイまでもが裏切り者の不名誉を負いかねない。個人を捨て世界という大局を見据えるのであればそうするべきなのだろうが、あの殺人鬼を守るなど死んでも御免だとケイの本心は言っていた。


 そして一番の問題は、これらのことをマキアスに話すべきかということである。


 無論、話すべきなのだろう。


 しかしケイとしてはもう少し自分の気持ちに整理をつけてからにしたかった。自分がどの立場で、どんな責めを負うべきか……その覚悟を決めてからでないと何一つ言葉にはできない。そう感じていた。


「……」


 黙り込むケイに、マキアスが尋ねる。


「……先生、悪いがアンタを欠くことはできねぇ。だが一応聞いておく……。行けそうか?」


「ああ。行くとも……行かねばなるまいよ」


 ケイが頷くと、ぐらりと船体が一度大きく揺れた。


 いよいよ北極島の港に着いたのである。その揺れに合わせてエクルが手すりを乗り越えて船を下り、船着き場の監視小屋をめがけて走っていく。予定にない船の着岸を受けて外に出て来た監視員は一目散に自分の方へ向かってくるエクルを見て異変を察し、あわてて小屋に戻ろうとする──が、遅かった。


 エクルは彼に飛びついて押し倒すと、力任せに腕をひねり上げて動きを封じた。おまけに、彼の後にひょこひょことついてきたフェントリーが拘束された監視員の口を塞ぐ。


 監視員はエクルに担がれ、船乗りが軟禁されている部屋に放り込まれた。


「一丁上がりってな。うぷ……俺様、先に下りるぜ」


「おう。ご苦労さん」


 やはり船の上では問答無用で使い物にならないエクルはさっさと船を下りていった。ほかの者も彼の後に続き、


「東ノ国の皆さんはくれぐれも丁重に扱ってくれよ。悪いこと何もしてねぇんだからな」


「了解です」


 マキアスが船に残る乗組員に指示を出し、最後に下りてくる。南方第一部隊の面々とエィデルはそれぞれの武器と必要最低限の物資が入った荷物を背負い、マキアスを先頭に岸壁をくり抜いた穴に向かって足を進める。その後ろにロカルシュとケイが続いた。


 短い洞穴を通り抜けて一面に広がった風景に、一同は物珍しさから短く足を止める。そしてほんのわずかに景色を楽しみ、島の底へとつながる階段に向かう。


「ヘッ! 話に聞いていた通りだな。ちょうどいい……おいフェントリー、氷で段差埋めろ」


「は? 先輩まさかそれを滑り下りるとか言い出すんじゃ──」


「そのまさかだ!!」


「わぁ! 馬鹿だぁ~!」


「るせーな。そっちの方が時短だろうがよ」


 呆れて額を打つフェントリーにエクルが噛みつく。その横で階段の様子を眺めながら、マキアスがエクルの案に頷いた。


「ま、それが一番手っ取り早いわな」


「隊長までそんなこと言っちゃうっス?」


「一段ずつ下りてくより早ぇだろ」


「そりゃそうっスけどぉ……」


 げんなりするフェントリーの肩を持つわけではないが、ルマーシォも険しい顔をしながらマキアスに言う。


「フェントリーも言いましたけど、けっこう危ないと思いますよ?」


「大丈夫だ! いざとなったら黒衣の先生とエィデルがいる」


「いやそれ大丈夫って言うか……そのお二人も一緒に滑走して下りるんですが?」


「いいから! 早く行こうぜ!」


「隊長、心なしかわくわくしてません?」


「してなんかねぇよ。ルマーシォが先頭でよろしくな!」


「ハァ……」


 マキアスは否定するが、どこからどう見てもウキウキわくわくと声を弾ませている。ここで時間を無駄に使うわけにも行かず、ルマーシォは仕方なさそうに肩を落として先頭に立った。そして待ちきれないと言わんばかりに目を輝かせる大きな子ども二人に背中を押され、一人先に道を作って下りて行く。


 マキアスとエクルはすぐさまその後に続き、「ヒャッホー!!」。などと歓声を上げてご機嫌で滑走していった。


「あの二人、心から楽しんでるっス」


「もうあんなところまで……少々危険ではありますが、足で下りるよりは格段に早いですね」


 額に手の平でひさしを作って遠くなっていく三人を見つめるエィデル。彼女もやや頬を紅潮させて興奮しているようだった。


「そうしたら自分も続きます!」


「怪我をしないよう気をつけてくださいっス」


「はい。ではお先に」


 氷の上を滑り、彼女の背中は見る見るうちに小さくなっていく。それらを眺め、ロカルシュが不安そうな顔をして言う。


「私、止まれる気がしないんだけどぉ……」


「なら抱えてやろうか?」


 ケイとしては冗談のつもりだったが、ロカルシュはパッと表情を明るくして彼女に抱きついた。


「先生ありがとー!」


「……いやまぁ、いいんだがな。そう言えばお前、フクロウは大丈夫なのか?」


「ふっくんはこの通り! 帽子の中でちゃんとホカホカしてるよ~」


「そうか。潰さないよう気をつけろよ」


「先生が転ばなきゃだいじょーぶ」


「ハハハ。たぶんその時は私たちもそろって生きるか死ぬかの重体だ」


 荷物を背負っていない者同士だから何とかなるが、それにしても成人男性を一人抱えて移動するのは難儀である。ケイはとりあえずロカルシュを背中にしがみつかせ、魔法を使ってその重みを軽減し、両手を使える状態で氷の滑り台の前に立つ。


「いざとなったらフェンがどうにかするんで、安心してくださいっス!」


「悪いな。任せたぞ」


 フェントリーを最後尾に、三人は前の四人を追って滑走を始める。滑れば滑るほど加速していく足下に、さすがのケイも最初は及び腰になっていたが、慣れてくると遠くでゆっくりと流れていく景色に目をやる余裕も出てきた。


 島の中心部で光を放つ軸。薄い雲の中へと消えていくそれは天を突いてどこまで続くのか。ユエが手紙の中で言っていた──光陰の魔力は星の生命のようなもので、その流れを司ると。であれば、自分たちはあの軸に触れることはかなわないのだろう。世界の均衡を保つ儀式では聖人を軸の中に送り出すと言うが、その円筒の光の中には何があるのか。


 この世界の根幹たるその場所にたどり着けるのは、たったの二人……ケイは顔面に吹き付ける冷気のせいだけではなく顔をしかめる。どちらの犠牲もなしにこの一連の出来事に終わりは来ない。


 人命と世界。


 片方を手の平から落として残るのは、残酷で冷酷で救いようのない現実。それを分かって選択しなければならない。


 ケイは考える。自分がユエと同じ立場だったら、ソラに犠牲を強いただろうかと。


 答えはおそらく、イエスだ。


 大切なもののために彼女と自分を捨てる。そういう選択をするだろう。


 ケイは視界の後ろに過ぎ去っていく風景を振り返らず、次第に近づいてくる岸壁の麓を見つめる。その先にある景色の中で歩みを止めた時、彼女はようやくそれまでの道のりを見返すことができる。


 そこに道があったことを思い出す。


「……」


 その道は正しく振り返られなければならない。偽りも脚色もなく、ただ真実をそのままに。理不尽な現実からも目をそらすことなく……伝えていかねばならない。


 凍れる坂の終わりは近い。ケイは進行方向に対して体を横向きにして傾け、鋭い刃物のような氷を履かせた靴底で地面を削りながら減速する。白い氷の粒が頭の上まで跳ね上がり、雲の合間から差す日差しを反射してキラキラと輝く。


 停止したケイの背中から飛び降り、ロカルシュは両手を上げて喜んだ。


「わーい。到着した! 先生ありがとねー」


「最後尾のフェンも無事到着っス」


「よし。そしたらさっさと始めるぞ」


 マキアスはフェントリーが着いてすぐに行動を開始した。


 まずはロカルシュが拠点内で生活する犬の視界を借りて内部の構造や人員の正確な数、位置を把握。続いてマキアス、エクル、ルマーシォ、フェントリーが建物の入り口に接近して待機し、施錠の有無を確認する。鍵は内側から掛けられているようだった。そうなるとロカルシュが犬を使って職員を玄関に誘導し、犬に外へ出たがる仕草をさせて鍵を開けさせた。


 そこからはなだれ込むようにして襲撃を開始し、騎士たちはあっという間に拠点の職員を捕らえてしまった。その間に、ケイとロカルシュ、エィデルは外に置かれていたそりに犬をつなぎ、地の軸を目指して出発の準備を整える。


 マキアスたちが島の詳細な地図を手に入れ建物から出てきたのは、ロカルシュが最後の犬をそりにつなぎ、荷物を載せ終えるのと同時だった。


「どうだ、行けるか?」


「私が先導するから他の人は後ろついてきてー」


「よっしゃ、任せたぜロカルシュ。後は俺とフェントリー、ルマーシォとエクル、先生とエィデルで乗るぞ」


「待て爺さんこれどうやって乗るん──」


「ペンカーデルの任務で一度乗ったでしょう。エクルは覚えてないんですか?」


「んな昔のこと覚えてねぇ!」


 ぐだぐだと言うエクルに、一足先にそりに乗ったロカルシュが指をさして言う。


「姿勢保っててくれればわんちゃんの指示とか全部私がやるからぁ。熊さんは乗ってるだけでいいよー」


「こればっかりはロカルシュさんに感謝っスね、先輩!」


「ぐぬぬ……くそ……屈辱だ……」


「とにかく出発するぜ。振り落とされんなよ」


 そうして一行は賑やかなまま拠点を出発し、休み休みに昼の間を駆け抜けて白夜の夕方に無人小屋へとたどり着いた。


「明日も早朝から活動だ。強行軍になるが一気に中間の拠点まで行って水原に入るつもりだ。各々よく寝ておけ」


「はい」


「了解っス!」


「心得ました」


 マキアスの指示にルマーシォ、フェントリー、エィデルが返事をする。ロカルシュとエクルは既に床の上で倒れるようにして寝ていた。ロカルシュは獣使いの能力の酷使で、エクルはそりの上での妙な緊張で疲れ切ってしまったようだ。そんな二人を前述の三人が寝台に運んで、彼らもまたすぐに眠りにつく。


 マキアスもまた犬の様子を一通り見て回ると、一眠りしようと寝台に寝転がった。そこに、ランプを持ったケイがやってくる。


「マキアス殿、話がある」


「その顔……起きたらにしてくれ、とは言えねぇな」


「かいつまんで他方の状況を説明する」


「他方……?」


 厳しい表情で目の前に立つ彼女に、マキアスは怪訝な顔をして寝台から起き上がった。

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