第6話 「北の地の果て」
ギシギシと氷の軋む海をかき分けてたどり着いた北の極地。
その島を取り囲む岸壁を抜けると、目の前に広がったのは一面の銀世界だった。夕方の時間帯でも太陽は空高くにある。今は白夜の時期にあるというこの地域では、日が陰る時間帯はほぼないらしい。
寝るときは遮光の備えが肝心になるなと考えながら、ナナシはすり鉢の底へと下りていく階段を前に凍える空気を胸一杯に吸い込んだ。
「さっむ! 冷たっ!!」
「なーんにもない! とりゃ!!」
彼の横でジョンが丸めた雪玉を底に向かって投げる。
「だけど綺麗だな」
「ひと、ぜんぜんいないもんね~」
「いやぁ、いいね。真っ白でさ」
ケタケタと笑い、ナナシはジョンの手を引いて先を歩くツヅミに続いて階段の方へと向かう。ツヅミは階段が底に着くあたりにある建物を指さして言った。
「あれが我々の拠点です。今日はあそこに泊まります」
「ふーん。軸まではどのくらいかかるの?」
「およそ四日ですね」
「結構かかるのな。もっとサッと行けるのかと思ってた」
「ゆきのけしき、たのしめばいい。ぼくはちょっと、たのしみ」
「ま、見納めになる景色だしな。満喫しておきますか」
「ますかー」
三人は足を響かせながら階段を一段ずつ下りていく。場所によっては凍って滑りやすくなっているところもあり、時折ジョンが転げ落ちそうになってはナナシに捕まえられていた。最終的にはジョンがナナシの背中にしがみつくことになり、がっしりと両手両足で上半身をホールドされたナナシは若干動きにくそうにしながら階段を下っていった。
その途中にある踊り場で少し休憩をしていると、床に下りたジョンが手すりから身を乗り出しながらぼんやりと呟いた。
「にんげん、ぼくらいがいみんな、いなくなくなったら。こんなふうけい?」
隣にやってきたナナシを見上げ、彼女は首を傾げる。
「え、最高じゃんそれ。誰も嫌な奴がいない僕らだけの真っ白で綺麗な世界……」
「こわしたあと、つくれるかな?」
それもまた何の気なしに漏れた言葉であったが、ナナシはジョンの隣にしゃがみ込んで視線を合わせ、目を輝かせる。
「なになに? そういうこと考えちゃう?」
「だって、おいのりしてこわせるなら、そのときにつくりなおすのも、おねがいできそう、じゃん?」
「まぁ魔法とか使えるおとぎ話の中みたいな世界だし、できないことはないかもな」
「やってみよーう」
両手を広げ、ジョンはその場でくるくると回る。ナナシはその手を取ってダンスを踊るようにリードしてやり、最後に彼女を片腕で抱き上げて空を見上げた。
「世界の再構築とかって考えると、何かゲームみたいだな」
「なな。そういうの、すき?」
「嫌いじゃないぜ? ただ、すぐ飽きてワールド削除したりするの繰り返してたけどな」
もしも世界の再構築が可能であるのなら、その時はきちんと後先のことを考えて手をつけなければならない。
何だか途端に面倒くさくなってきたナナシは顔をしかめて黙り込んだ。ジョンは手袋で厚くなった指先でそんな彼の眉間のしわを伸ばしながら、
「できればのおはなしだし、あんまりふかくかんがえなくて、いいのでは? と、ぼくはおもいます」
そう言って八重歯を見せて笑った。
「──だな。その時になったら何か考えるこっとにすっか」
「すっかー」
それからまた階段を下りることになり、ジョンはナナシの腕から背中に移動して彼の上半身をしっかりと抱き込んだ。彼女はナナシの肩に顎を乗せ、耳元に顔を持ってきて話しかける。
「ななし~」
「何だ?」
「ぼくね、ななのすきにしていいからね。っておもってるの」
「……? どういうこった?」
「ぼくのやりたいことは、ななしのやりたいことなの」
「えっと、要するに……僕の作りたいように世界を作り直していいってこと?」
「そんなかんじ~」
「そっか。んじゃお言葉に甘えてそうさせてもらおうかな」
「うむ。するといいでしょう」
その後はしばらく無言で階段を下り、岸壁の上から見た地面に足を下ろす頃には、ナナシはゼーゼーと息切れしていた。最後まで彼の背中にひっつき虫のようにくっついていたジョンは軽快な動作で雪の上に降り立つ。彼女が下りたことを確認したナナシはその場に座り込んで、少し休むつもりになっていた。
ジョンはそんな彼に背後から近づき、
「ななしは、いいこいいこ。なんだぞ」
「へへ。サンキュ──あたっ!?」
ジョンが帽子めがけて投げた雪玉は見事ナナシの頭部に命中する。
「にゃはー」
「お前なァ……」
「ななー。ゆきだよ、ゆき! あそぼうよ~」
「僕は疲れて──って、ああもう! そっちがその気なら僕だってやってやるからなー!」
ナナシは帽子に張り付いた雪を乱雑に取り払い、手元の雪を適当に丸めてジョンに向かって放り投げた。ジョンはそれをヒラリとかわし、小さく舌を見せてナナシを挑発する。
「ぼくに、あてられたら。ひゃくおくまんてん」
「おっしゃ! 見てろよ当ててやらー!!」
あまりにも平和で、和やかで、愛情あふれる親子のような関係。
遠くから見つめるツヅミはそんな二人が心の底から気持ち悪いと思った。




