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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第一章 ペンカーデル
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第13話 「ハッピーエンドの定義 5/5」

 ソラは部屋まで戻ってきてベッドに腰を下ろすと、両手で顔を覆って深々と息をついた。膝は震え、心臓は耳についてるんじゃないかと思うほど大きな音をたて、目からは訳も分からないまま涙がこぼれていた。


 病気のせいで今まで死について考えたことは何度かあったが、これほどまでの恐怖は伴わなかった。漠然とした思いで「いずれ自分は死ぬのだ」と……そんな風にしか考えていなかった。実際に目の前に死が迫るというのはこんなにも恐ろしいものなのかと、ソラはこぼれ落ちる涙を止めることができずに泣き続けた。


 一度近づいた最期の感覚はぴたりと背後に張り付いて離れない。


「あんな死に方は……嫌だな……」


 自分でも驚くほど低い声で言葉を紡ぐ。


 誰かに殺されて死ぬなど、一度だって考えてもみなかった。ソラは意識だけを元の世界に戻し、かつての住居で何気なく聞き流していた日々の報道を思い出す。遠い都市で誰かが刺された、遠い国で銃の乱射事件が起こった……それは確かに現実であったが、ソラの耳には他人事として届いていた。


 それが、今まさに背後に迫っていた。


 ソラは思う。


 誰かに殺されるなんて、悔いしか残らないような死に方だけは勘弁だ。


 憎まれ蔑まれて死ぬのも御免被りたい。


 惜しい人間を亡くしたと思われるのならまだしも、エースとスランの目にあった感情──忌避の思いで死後を振り返られるなど、耐えられない仕打ちだ。それが事実と異なる誤解であったのなら、なおさら。


「これからどうしよう……」


 ソラはひとしきり涙を流し、氷のように冷たくなった心で今後を憂慮する。


 この世界の人間との間に築いた信用は地に落ちた。いいや、そもそも信用なんてないに等しかった。たった二回食事をともにして、「ソラ様」なんて呼ばれて、聖人だ何だと特別扱いされ勘違いしていたのだ。


「そうか、私もだ……。私も勘違いしてたんだ……」


 仮に今朝までは信用されていたとして、それもソラが嫌がった「聖人」という立場があってこそのものだった。ソラはその立場が失われた場合のことを考えていなかった。


 首筋から背中にひんやりとした神経のざわめきが下りていって、胃のあたりまで来たところで刺すような痛みに変わった。


 エースが、スランが……ジーノが背を向け、ソラはこの世界で一人になる。


 それは困る。それだけは困る。


「……」


 周章狼狽する思考は逆にソラの感情を平坦なものにしていった。低いところで立ち止まった心は凍り付き、ただひたすら自分のために相手をどう欺くかとばかり考えるようになっていく。


 惨めな死に様を晒さないために。


 理想とする死を迎えるために──。


 そんなソラの暴走を止めるように、部屋のドアがノックされた。


「ソラ様、よろしいですか? お怪我の方を見させていただきたいのですが」


「……どうぞ」


「失礼します」


 ソラはドアの方を見ず開閉の音だけを聞きながら、すっかり忘れていた頬の傷を撫でる。固まった血がベッドの上に落ち、それをじっと見つめていると、視界の端でジーノがソラの前にしゃがみ込んだのが見えた。


「ソラ様、本当に申し訳ありませんでした。ですが、どうか私のお願いを聞いてくださるなら……」


「うん……聞くよ」


「兄を恨まないでやってくださいまし。許してやってください。すぐには無理かも知れませんが……それでも……」


 彼女はそれはもう申し訳なさそうに眉をハの字に下げ、伏せた睫毛が青空を覆う雲のように瞳を隠し、そこからは今にも雨がこぼれ落ちそうになっていた。


 どうしてキミが泣くんだよ……なんてひねくれたことを、ソラは不思議とジーノに対しては思わなかった。兄のために、そしてソラのために、ジーノは心を痛めているのだと分かっていたからだ。


「私は……悪くない……」


「はい。もちろんです、ソラ様」


「でも、それは彼も同じなんだ……だから大丈夫。エースくんを恨んだりはしてないよ。ただちょっと怖かったのと、腹が立ってるってだけで」


 恐怖も怒りも、時間を置けば小さくなっていく感情だった。ソラは自分の膝を見下ろして、服に染み込んだ涙の跡を見つめた。


 これは何の感情を織り交ぜてこぼした雫だったか?


 少なくとも今、自分が口にしたそれではない……未来に在る、終わりへの渇望。


 それはまだ確かな形としてソラの頭に描かれないが、ここで一時の感情に身を任せて誰かを憎悪したのでは得られない望みであることは分かっていた。


 そう。だから、恨みなんてものはない。


 ソラはジーノに目を向け、確かに触れることのできる現実として目の前に存在する彼女()を受け入れる。


「何て言うか、私も……もっと言い方ってもんがあったよね」


 突然いわれのない敵意を向けられ、逆上して意固地になっていたとはいえ、もっと上手く切り抜ける方法があったはずだ。ソラ自身は「相手の話も聞く」と決めたのだから、一度向こうからその約束を破られたからといって、自分も同じように殻に閉じこもる必要はなかった。


 もっと冷静に、きちんと話をして誤解を解くべきだったのだ。


 自分はいつもこうだ。失敗した後になって、その瞬間よりもずっとまともな考えが思い浮かんでくる。


 ソラは膝の上で両手を握り、自らに言い聞かせるようにして言葉を吐き出す。


「エースくんの反応も分からないではないんだ」


 例えば、どこかの殺人犯と同じ顔をした別人が突然自分の目の前に現れたら?


 ましてや自分が誰かを守らねばならない立場だったとしたら?


 聞く耳を持っただろうか?


「年上ぶって、案外ガキだよね。私……」


 突然の出来事に我を忘れて、子どもみたいに当たり散らした。


 もとより、ソラは自分が異世界人だということをもっと深刻に受け止めておくべきだった。この世界において、別の世界からやってきた彼女はその立場も在り方も、何から何まで異質なのだ。どういう形であるにせよ「特別」なのだ。長年ささやかでもいいからと望んできた「特別になりたい」という願い……それがこんな形で叶ってしまった皮肉と、その孤独さに打ちのめされながらソラは涙の跡を拭う。


「ソラ様、泣かないでください」


「もう泣いてなんてないよ。ってかこれ涙じゃないし。鼻水だから。汗みたいなもんだから」


「ソラ様は目から鼻水や汗が出るのですか?」


「……キミが真面目な顔で言うと本気か冗談か分からないんだけど」


「あ、でもちょっと鼻水出てます」


「うっそ!?」


「嘘です」


「キ、キミって奴は……」


 見上げてくるジーノの目は笑ってくれと言っているようだった。その心遣いが、芯のところで凍っていたソラの気持ちを温めてくれる。


「まったくもう……。でもま、何かちょっと元気戻ってきたわ。ありがと」


「よかった……」


 彼女は胸をなで下ろして立ち上がった。


「それでは傷の手当てをしましょう」


「うん。お願いします」


 ジーノはソラの横に座って消毒液をガーゼに染み込ませて傷に当てた。


「傷……すぐに治ったりはしないのですね。ソラ様は光の加護をお受けなので、もしやと思ったのですが」


「いや、さすがにそれはないっしょ。というかこれ、痕が残ったりしないよね?」


「それほど深くありませんから、大丈夫だと思います」


「そっか、よかった。残るとなるとさすがにエースくんと顔合わせ辛くなるからさ……」


「そうですね……。私が治癒魔法を使うことができれば、そういった心労もおかけすることはなかったのですが」


「うん、まぁそれはいいんだ。ジーノちゃんが気に病むことじゃないよ。しっかしアレだね、やっぱそういう魔法もあるんだね。手をかざして傷をふさぐ、みたいな?」


「はい。私も一度勉強したことがあったのですが、とても難しくて……挫折してしまいました。魔力量だけを見れば魔法施術士として申し分なくても、私はお兄様ほど頭がよくありませんから……」


「お医者さんはねぇ、そりゃあ難しいよね。となると、医学の知識があるエースくんはその……魔法施術士とやらなの?」


「いえ。治療には高度な知識はもちろんですが、膨大な魔力も必要になります。なのでお兄様はいつも魔法の代わりに魔術の知識を駆使して医療にあたっています」


 ここグレニス連合王国では、魔法と魔術は分野で明確な棲み分けがされているそうで、外傷系には魔法による治療を、風邪などの炎症(ウィルス)性の病気については投薬による治療を行うのだそうだ。この薬を調合するために必要なのが魔術の知識であり、この国では魔術師=薬剤師という認識らしい。魔法は外科のような切り貼り専門ということだ。


「お兄様は本当にすごいのですよ。自分の手で患部を切除・縫合する技術をケイ先生から伝授されていて、魔法に頼らず治療ができるのです」


「へぇ、すごいね。でも何かもったいないなぁ。魔法と魔術、どっちでも治療できればいいのに」


 それができればエースは万能の医者である。


「そうだ、ジーノちゃんみたいに魔力の多い人がそれを分けたりできないの? もしくはどっかに溜めておくとか」


「可能ではあるのですが……」


「じゃあ、それをすればいいのでは?」


「魔力を分けるにせよ相手から徴発するにせよ、それを行う側には相応の知識が必要になるので……」


「アー、なるほどね。そう簡単にはいかないか。できたらとっくの昔にみんなやってるはずだもんね」


 保存に関しては絡繰り技術の話をしたときにエースが「難あり」と言っていたし、魔法にせよ魔術にせよ、この世界はまだまだ発展の途中なのだろう。ソラが密かに世界観の情報を収集している横で、ジーノがまた辛そうな表情になって言う。


「ですのでソラ様には申し訳ありませんが、その傷は自然に治るのを待っていただくしかありません」


「いやいや、そんなの全然謝らなくていいから。平気平気」


 ソラは消毒の終わった傷に軟膏を塗ってもらい、上からガーゼを被せてもらう。もう血も止まっているのだし、ここまで大げさにしてもらうこともないと思ったが、ガーゼを押さえるテープの長さをきっちり合わせて切るジーノを見ていたら、ソラはそれを言い出せなかった。


 その代わりというわけではないが、ソラには聞かなければならないことがあった。


「ねえ、キミに一つ聞きたいことがあるんだけど」


「何でしょうか?」


「……魔女って何? この世界でどういう存在なの?」


「それは……」


 あまり触れたくない話題なのか、ジーノは話を逸らそうと視線を泳がせた。だが、彼女を見つめるソラの眼差しは真剣だった。ジーノはその様子に観念し、やがて魔女についておもむろに話し始めた。


「魔女──始まりの魔女とは、この世に混沌の繰り返しを刻んだ悪しき者。怨念に囚われた黒き力で、世界を支える聖なる軸を汚した……」


 そこまで言っておいて、ジーノは続きを言いにくそうに飲み込んだ。ソラは消えた言葉を引き出そうとせっつく


「お願い、全部教えてよ。私は当事者なんだし、知っとかなきゃいけないことだから」


「そう、ですよね……」


 彼女は渋々といった様子で先を続けた。


「魔女は……異界からの侵寇者であったと伝えられています」


「異界ってことはつまり、異世界からの……?」


 それはソラにとって意外な事実だった。魔女もまた異世界人であったなどとは、想像もしていなかった。


「はい、その通りです。そして彼女は聖なる軸を汚して世界に滅びの呪いをかけました」


「世界に……滅びの……」


 それは自然災害として人々を襲う。じわじわと荒廃で蝕んでいくそれは真綿で首を絞めるかのような所業だ。ソラは俯き、目をつぶって密かに考えを巡らせる。


 問題の魔女がソラと「同じ世界」の住人だったのか? それは定かではない。だがこの場合、出身を問うことに大した意味はないだろう。どこの生まれであれソラと魔女が異世界──この世界の外からやってきた人間であることは紛れもない事実なのだ。そんなソラがさらに陰の魔力を有していると分かれば、始まりの魔女の再来だと恐れるのも仕方のないことだった。


「ああ、もう……悪役に転落とか勘弁してよ……」


 ソラは廊下にいても聞こえそうなほどの大きなため息をついて、だんだんと重たくなっていく頭を抱えたのだった。

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