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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第五章 地の軸
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第3話 「もう決めたことならば」

 整然とした町並みが地平の彼方へと過ぎ去っていく。船尾にはその様子を眺める二人の姿があった。


 ユエとホムラである。


 ホムラはしわを伸ばすようにして顔を何度も撫で、しきりに感嘆しながら言う。


「いやはや。よもや自分が生きとるうちに救済が叶う日が来ようとは……思ってもみませんでしたわ」


「燕樹はん、それを言うのはまだ早いんとちゃいますか。地の軸にも着かんうちから……」


「そうは言うても、朱櫻はんかて思てますのやろ? これで大社内での権力闘争で頭一つ抜きん出た。お上のお膝元に返り咲く日も近い……と」


 大社──それは東ノ国全体の政治を担う機関であり、首都から第五までの島を預かる宗家のほか、大小の家が利権を求めて静かな争いを繰り広げる修羅の場でもある。


 その設置場所は無論、首都「宮上」であるが、都で流行病が蔓延する中でもそれら闘争に休みはなく、表面上は手を取り合って病を克服する姿を見せながら、水面下で相手をどう蹴落とそうかと企んでいる。そういった謀略に明け暮れるのは朱櫻の家とて同じであった。


「アンタはんの口からそない話題が出るとは思わなんだわ。どないしたん?」


「いや、なに……中央での争いごとに興味がない人間からするとや。崇子様まで利用するアンタはんの態度はどうにも気に食わんもんでしてな。詰まるところ、ただの嫌味ですわ」


「あら、燕樹はんも存外はっきり言わはる……せやけど、(いくさ)を知らん(もん)に手段どうこう言われましてもなぁ」


「ハッハッハ。おっしゃるとおり。土俵の外から野次飛ばすんは不作法ですわな」


 そんな腹黒い思惑が渦巻く家々の中で異色なのは燕樹だった。彼の家は権力というものに興味がなく、常に一人だけ争いごとの外にいるのであった。島全体を見ても基本的に「利」に執着がない気風で、島民は中立公正で義理堅い者が多いとされている。


 その人柄を極めたのが燕樹の宗家であり、ホムラという男だった。ユエが彼にこの旅の見届け人を頼んだのは、そういった理由もあってのことだった。


「まぁ、燕樹はんの厳しい目があったとなれば他の御家も文句はつけられへん。それを考えればアンタはんの嫌味も心地いい歌のようやわ」


「それはええ。せいぜい雅に歌ってさしあげるとしましょ」


「……ほんに、評判どおりええ性格しとりますな」


「朱櫻はんもなぁ?」


 ニィっこりと作り物の笑顔を張り付け合い、そうかと思えばユエは急に真顔になり、頭を下げる。


「……見届け人の役目、よろしゅうお願いいたします」


「ええ、ええ。お引き受けいたしますとも」


 ホムラもまた頭を下げ、その任を受ける。


 それからしばらく、二人はその場にとどまりこれからの旅程やソラの体調のことについてを話していた。そんな彼女らの前にふと、異国の服を着た少年──セナが姿を現す。


 彼はおぼつかない足取りで手すりまで近づいていって、身を寄りかからせると思い詰めた顔で海面を覗き込んだ。足下には一匹のキツネが寄り添っている。


 その横顔を見つめ、ホムラは眉間に浅くしわを寄せて言う。


「あの大陸の騎士はん。大丈夫なんです?」


「……自分で色々と考えてはるのよ」


「何でも大陸では典型的な……魔女を憎む一人やて聞きましたけど」


「そうです」


「朱櫻はん。アンタどうして……、そないな子ども連れてきはったんです?」


「本人たっての希望でしてな。ソラ様の最後を見届けるんやと」


「復讐のつもりですか。何とも勝手な──」


「そればかりやない。あの顔見れば分かりますやろ」


「……」


「ほんに憎しみしかなかったら、あないな苦い顔せぇへん」


「……そうですか」


 ホムラはセナについてそれ以上言及せず、話を元に戻してソラの体調を心配した。


「崇子様ですけど、思てた以上に黒化が進んでます。このまま進行すると、軸に着くまで持つかどうか」


「確かに余裕があるとは言い難い状況です。けど、このまま海が穏やかに──何の問題もなく行程が進めば……」


「朱櫻はんらしくもない。それは余りに楽観的すぎなんとちゃいます?」


「……すまへんなぁ。ここのとこお天道様も機嫌のいい日が続いてたもんやから、つい……。何にせよ急いだ方がええのはその通りやね。気を引き締めな……」


 ユエが襟を正していると、船首の方にソラたちがやってきた。遠くに彼女の声を聞いたセナはキツネを抱え上げると、慌てたようにして船室へと戻っていった。


 その足音で誰かを判別できたわけではないだろうに……ソラの車椅子を押すジーノが不意に振り返って眉をひそめる。やがてユエたちの方を向いた彼女の視線から逃げるようにして、東ノ国の二人は体の向きを反転させ、後方に置き去りにされる波しぶきを見送ることにした。


「あのお方──ソラ様いいましたか。お気持ちの方は随分と元気なようで……」


「しょげてはるよりはマシですやろ」


「病は気からとも言いますしな。せやけど無理はさせたらあかん。張ってる気を誰かが緩めてやらんと──」


「それなら、あのご兄妹……特に妹はんがその役目を引き受けてはるようです。下手にうちらが手出しするよか、よっぽど適任やわ」


 ユエは厄介事から逃げ出せたことに安堵するかのように……それでいてどこか後ろめたそうな顔をしてそう呟く。ホムラはそれを後目に、懐から煙管を取り出し慣れた手つきで刻み煙草を先端の火皿に詰め、火をつけて白い煙を吐き出す。彼はしばらく煙草を味わい、波の音に消えるか消えないかの声でユエに問うた。


「朱櫻はん、どない言うてソラ様を説得しはったんです?」


「何やの、藪から棒に」


「うちは医者や。人に死期を宣告してそれを納得させる苦労はよぉく知っとる。人様に死ぬ覚悟さすのはさぞ難儀やったろ思いましてな」


「……」


「お答えいただけまへんか」


「いや……素直に、死ね言いましたわ」


「──チッ! これやから余所のお家は好かんのや」


「……、……燕樹はん。アンタうちに、ソラ様を利用するだの何だの言いましたな」


「ええ」


「まぁそれはその通りなんやけど……うちは何も、代償一つも払わんとそないなことするつもりはあらへんのよ」


「……」


「娘は家の者に任せてきたし、うちはもう、どこでも果てても構わんのです」


 ユエは懐刀を取り出し、その刃の鋭さを見せつけるようにして鯉口を切った。


「左様か……ほんなら、もう何も言わん」


「おおきに」


 音もなく刀身を鞘に戻し、ユエは先ほどのセナと同じような顔をして後方の地平を見やる。対して、ホムラは手すりに頬杖をつき、わずかに後ろを振り返ってソラの様子を窺った。


 彼女は指先の動かない右手で何かを指さし、屈託のない笑みを浮かべながら傍らのジーノとエースを交互に見ていた。ホムラはソラの指が示した方向に目をやり、そこにあったのが水面すれすれを駆ける海鳥の姿であったことを知ると、何とも言えず胸を締め付けられる思いを感じて彼女らからサッと目をそらした。


「まるで千年前の……救済の旅を再現したような光景や。あの時の崇子様はあんな顔でけへんかったと思うと、今の……ソラ様は少しはマシなんやろか……」


 ホムラは煙管を自身から遠ざけ、反対の手で目頭を押さえた。ユエは相変わらず、水の泡を見つめたまま言った。


「あの御方はうちに、哀れむのはやめてくれて言わはりました」


「……」


「うちらは大陸さんと同じような間違いはせぇへん。ソラ様のためにも、間違えたらあかん」


「……ええ。病とともにある御方……かつて聖霊族の方々がそうしはったように、ソラ様にはうちらの持てる全てを施しましょう」


 二人は過ぎ去っていく景色から視線を移し、これからの未来に目を向けた。

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