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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第五章 地の軸
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第2話 「望むように」

 ユエから無理やり外出の許可をもぎ取ってきたジーノは、その知らせを聞く前からエースが外に出る準備をしていたのを見て笑みを浮かべた。兄の表情は心なしかはっきりとしていた。自分がいない間にソラが何かを語ったのだろうとジーノは察し、あくまで知らないふりを装って彼女が乗る車椅子の後ろについた。


 甲板に出ると、帆の下には柔らかな風が吹いていた。


「海は穏やかだね」


 朱櫻からさらに南へと向かう今、季節は完全に冬となっていた。吐き出す息は白く、ソラは首をキュッとすぼめて体を縮める。ジーノはその肩に自分の上着を掛けてやり、そのまま手を肩に置いた。ソラは小さく礼を言ってその手に指先を重ねる。


「ジーノちゃんは寒くない?」


「大丈夫ですよ。ソルテ村ほどの気温ではありませんし」


 クラーナで購入した衣装から故郷の服に着替えていたジーノは、金の毛先を舞い上げる冷風に平気な顔をしている。それはエースも同じで、彼は自分の上着をソラの膝に掛けてくれていた。


 まさに至れり尽くせりである。


 ソラは静かに波を立てる海と、雲一つなく澄み渡る空を見つめながら口元を緩める。


「それにしても、天気いいねぇ」


「そうですね」


「軸の神様が私たちのこと見てて、せめて天気くらいは心配ないようにって、気を使ってくれてるのかも?」


「……はい。きっと」


「うんうん、それはいいことだ。悪天候で航行困難、なんてことになったら、たまったもんじゃないもんね」


「大丈夫……ですよ。これまでだって、それほど大きく天気が崩れたことは……、なかったのですから」


「ああ、言われてみればそうかも。いつもの『不幸中の幸い』効果なのかな。ふふふ」


 咳の間に笑い、ソラは遠くに見えてきた陸地を見やる。


 ユエの導きでこれから南の軸へと向かうソラたちは、その前に第四都市「燕樹」にて極地進行の準備をしなければならなかった。青の地平から顔を出し近づいてきたのはその都を置く島である。


 そこは朱櫻と違って大きな山は見えず、島の端から中央に向かってなだらかに標高が高くなる地形となっている。数字を冠する都市の中でも最も土地面積が小さいのが特徴で、公園などの緑地も多少あれど、人の生活域が島全体に広がっている。


 やがて船は引き込まれるようにして着岸地点へとたどり着く。


 うっすらと景色を白くするその港──メインの大通りは遙か遠くまで真っ直ぐと伸び、大小の路地が直角にぶつかる。よほど折り目正しい人間が整備したようで、区画は大通りを軸に対称となる作りになっていた。この整然とした光景は島のどこに行っても見られるそうで、そこから見えてくるのは島を統べる家元の几帳面さである。


 ちなみに、首都、副都、第三~第五都市にはその都が置かれる島と周辺の小島を統括する一門が存在する。実を言うとユエは朱櫻をはじめとする第二島群を預かる宗家であり、彼女の家を出た後で東ノ国の統治状況を説明されたソラたちは顔を青くし──特に美妙巧緻、荘厳華麗な庭園を破壊し尽くしたジーノは視線を余所に逸らしたまま話を聞いていないフリをしていた。


「へぇ……朱櫻とは少し眺めが違うんだね」


 建築様式は同じであるものの、彼の島に比べて建物の間口が狭く見える町並みを端から端まで見渡し、ソラは見知らぬ土地へとやってきた観光客のごとく目を輝かせていた。


 その背後に、ユエが錫杖を鳴らして現れる。


「あら、お三方ともずっと外に居はったんです? お元気なことで──いえ、失礼。風邪でも引いたら大変やし、まだ景色を眺めるおつもりなら続きは部屋の中からにしていただけまへんか」


「あの、ここには下りられるんですか?」


 顔だけで後ろを振り返ったソラが、期待を込めてそんなことを聞く。


「下船のお話です? そら……うちとしてはソラ様のお体の負担になることには承知しかねます」


「そうですか。ちょっと残念、ですね」


「ほんに申し訳ありまへんな」


「そしたら、どのくらい寄るんです?」


「荷の手配は朱櫻を出る前に済んどりますので。一晩越して明日の朝には発つ予定です」


「随分と急いでますね……って、当たり前か。すみません」


「いえ、お気遣いなく」


 ユエは自然と視線をソラから外し……一つ申し送り事項を思い出して人差し指を立てた。


「ああ、そやった。ここ燕樹からは旅程の見届け人として島の宗家当主が同行します。あのお人は腕のいい医者でもありましてな、道中ソラ様のお体の具合を診させていただくことになります」


「分かりました」


「ほな……体が冷え切らんうちに、どうかお部屋にお戻りを」


「はーい」


 ヒラヒラと手を振り、ソラは隣のジーノに頼んで車椅子を割り当てられた部屋の方に向けてもらった。


「もういいのですか?」


「十分だよ。ユエさんにもこれ以上心配かけるわけにいかないしね」


「……」


 ソラのその言葉は決して嫌みというわけではなかったが、聞いたユエとしては顔をしかめずにいられなかった。


 ソラは本心からユエを気遣ってそう言っている。その態度がユエを堪らなく居心地悪くさせる。いっそのこと無愛想になってくれた方が救われるというものだ。ユエはソラたちに背を向け、船尾の方に歩き去っていった。


 ソラはそれを視界の端で見送り、目を閉じてほんのわずかに申し訳なさそうな表情をした後、そんな気持ちを微塵も感じ取らせない笑顔で傍らの兄妹を見上げた。


 その後、ソラは言われたとおり大人しく自室へと戻り、部屋にある障子戸を開けてそこに小さく切り取られた景色を眺めていた。燕樹の宗家当主──ホムラという名の男がやってきたのは、それからしばらく経った頃だった。


 初老の紳士といった印象の彼は、医者らしく白の衣を纏ってソラの前に現れた。ユエからの紹介を受け、改めて自らも名乗った彼は人好きのする笑みを浮かべ、ソラの具合を診たいと言った。


 服を着たままのソラを小上がりの上に横にさせ、ホムラはいつぞやケイがやったように手をかざし、中和した魔力を薄い板のように広げて彼女の全身をくまなく調べていった。それは体の内部を見通す複合的な機能を持つ。ホムラは走査を終えると、特殊な術式を書き込んだ巻物を広げ、誰の目にも見える形でその上に結果を浮かび上がらせた。


 横になったままそれを眺めるソラは、まるで立体映像を見ているようだと思った。像は水に垂らした墨が水面に細い筋を描くようにして広がり、空中にソラの骨格や内臓、血管の細部までを描き出した。ホムラはその立体画に手をかざして気になる器官をピックアップして診断していく。


「ふむ、ふむ……今は小康状態のようで。痛みの方はどないな具合ですか?」


「えっと、こう……波がある感じで。すごく痛かったり、まぁまぁ痛かったり」


「鎮痛薬の方はきちんと処方されてはるんです?」


「それはうちの方で十分に効果があるものを用意させてもろてます」


「朱櫻はんのお薬ですか。それなら──」


「確かに服用後は効いているようですが、感覚時間の間に切れてしまうらしく……どうにかなりませんか?」


 脇から首を突っ込んだエースが眉をひそめながらそう訴える。


「どうにか言われましてもなぁ。朱櫻はん、どないなんです?」


「今でも割と強いお薬を使(つこ)てる状況です。もっと強いもんをとなると、今度はソラ様の体力が心配で……」


「薬のせいで患者はんの元気奪ってしもたら、元も子もあらへんしなぁ……」


「あの──」


 あれこれと思案する医者の横で、ソラが手を挙げる。


「私、大丈夫ですよ? 何かもう痛いのも慣れてきたって言うか。お薬もちゃんと効いてはいますし。別に気持ち悪いとかもなく、ひどかった頭痛に関しては本当に楽になったので……」


「ウーン……そやけど、そこのお兄はんが言わはったように、楽な方がいいのはそのとおりです。余計な我慢は体に毒や……もう少し何とかならんもんか検討してみましょ」


「そうですか? じゃあ、お願いします」


 ジーノに手伝ってもらって起き上がりながら、ソラはホムラにそっと頭を下げ──ようとして、ふと頭の片隅にケイの顔が思い浮かんだ。


 薬と言えば、彼女からも魔力の滞りを改善する作用があるものをもらっていた。それを処方すると言ったとき、彼女は診断の詳しい内容を話しにくそうにしていたし、もしかしたらあれは気休めの薬だったのかもしれない。


 自らに備わっていない未知の魔力を持つ患者を診るなどケイも初めてで、戸惑ったことだろう。ソラは彼女が事実をはっきりと告げなかったことを無責任とは思わなかった。きっと、こちらを不安にさせないために確かなことが分かるまで明言を避けたのだろう。


 それらはソラの憶測でしかないが、人の行為を勘ぐって悪い方向に誤解するよりも好意的に……素直に受け止めておきたいというのがソラ自身の考えだった。もう先が短いのだから、なおさら他人を疑うようなことはしたくない。


 ソラは意識を目の前のホムラに戻すと、彼に改めて頭を下げた。


「そしたらエースくんも、お話聞いてきて。詳細知ってる人が近くに居てくれた方が安心するし。あと、勉強にもなると思うから」


「……分かりました」


 部屋を出ていくユエとホムラの後にエースをついて行かせ、ソラは手を振って三人を見送る。カタンと音を立てて閉まった戸を見つめ、彼女は緊張が解けたように息を吐いた。それにつられるようにして咳が何度が出て、慌てたジーノがその背中をさする。


「イッ──!?」


「す、すみません!」


「ああ、いや。キミのせいじゃないよ。痛んだのは別の場所だから……イテテテ……」


「……」


 胸をさするソラに、ジーノは顔をうつむけたまま無言になる。


「ジーノちゃん、やっぱり元気ないなぁ」


「すみ……ません……」


「ううん……こっちこそごめん。元気でいられるはずないよね……」


 ソラはジーノの肩に頭を寄せ、手袋をはめたままの自由の利かない右手で彼女の前髪をゆるりと撫でる。


「もう、限りある時間しかないんだ」


「はい……」


「笑えないなら無理して笑わなくてもいい。どうしても涙がこぼれそうなら泣いたっていい。何だっていいんだ。キミたちがそばに居てくれればね。でも──」


 ソラは手を下ろし、居住まいを正してジーノに向き合う。彼女が膝の上に置く手に自分のそれを重ね、


「私のこと、かわいそうだなんて思わないでね」


 今まで決して誰にも言えなかった思いを口にする。


「私は、そんな風に思われたくない」


「ええ、ええ……。分かっています。貴方は……自ら決意し、この道を選んだ。とても強く勇敢な方です」


 ジーノは確かな口調でそう言った。その言葉に嘘偽りはなく、哀れみも悲しみもない。いいや、実際には悲しみもあっただろうが、彼女はその感情を振り払うようにして首を左右に振る。


「私も、貴方のようにありたい」


 ジーノはようやく顔を上げ、ソラの暗い瞳から目を逸らさずに気持ちを──自分の決意を紡ぐ。


「ソラ様も、辛いのなら辛いとおっしゃってください。私、誰にも話したりしません。お兄様にだって秘密にします。だから……」


「……」


 エースが心に寄り添う者だとすれば、ジーノは心を寄り掛からせてくれる者だった。彼女はソラに手を伸ばし、強がるその背中を抱き寄せる。頭を抱え、髪を優しく梳き、自分の前でだけは無理をして笑わなくていいと、ソラ自身が言ったことを態度で返す。


「私は最後まで貴方様を支えましょう」


「──うん。お願い、ね……っ」


 エースにはきっと、こんな姿は見せられない。ソラは堰を切ってこぼれた涙をジーノの膝に落とし、何度もそう言って救いの手を頼んだ。

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