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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第四章 東ノ国
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第18話 「弟妹 2/3」

 ジーノが持つ杖に勝手な対抗意識を燃やし、金に物を言わせて手に入れた金剛の魔鉱石。それをあしらった過装飾な短剣。


 エースはどうしても捨てられなかった。自分の罪を象徴するそれを捨ててはならないと思っていた。それを捨ててしまったら最後、自分は罪と向き合わずに逃げた卑怯者になってしまう。だから、あの女研究者から貰った教本に挟み、部屋にある本棚の中で一番目に付く場所に並べた。


 お前はこれから一生、懺悔も許されない後悔に苛まれて生きていくのだと、朝も昼も、寝ている間でさえも忘れないために。


 十年近くそれを日常とし、やがてエースは本を──短剣を見なくとも慚愧を頭に留め置くようになっていた。だから、それがいつの間にかなくなってしまっていたことに気づかなかった。ソラと共に旅立つその時も、混乱のあまりそれを荷物に入れることを忘れて……否、もしかしたら罪から逃れたいと思う弱い自分が意図してそれを忘れさせたのかもしれない。


 いずれにせよエースは己の軽率さを呪う。


 ジーノが今、目の前で錆びた短剣を取り出す様を見つめながら。


「お兄様、私は貴方が憎らしい……!!」


 彼女は短剣を腰の横に構え、エースに向かって突進してくる。エースは自分と妹との間に立っているソラを押しのけ、発作的に自らその凶刃に身を晒そうと前のめりになった。


 だが、彼の前に立ちはだかるソラはあの弱々しい足腰のどこにそんな力があったのか、まるで壁のように頑として立ち続けた。それでもジーノの凶行は止まらない。彼女の構えた刃は一直線にエースを目指し、何ならソラを刺して退けんばかりにその懐へ飛び込んできた。


 ソラの目には、その様子がスローモーションで見えていた。錆びた切っ先が狙う箇所めがけて右手を差し出し、剣と言うよりは釘のように突き刺さってくる刃に顔をしかめる。


「ッぐ……、ぅ……!!」


 ソラは節々の痛みを忘れるほどの激痛を耐え、ジーノの肩に自分の肩をぶつけて彼女の動きを止めた。


 鍔の奥まで貫かれた手の平から血が滴る。赤いそれは降り注ぐ雨に溶けて色を薄め地面へと落ちた。


「……なぜです、ソラ様。どうして貴方はこの人を庇うのです?」


「船に乗ってたときに言ったでしょ。大切な弟なんだって」


「それでもこの人は──!!」


「シッ……」


 ソラは口をすぼめ、ジーノに沈黙を要求する。


「──そう。キミが言いたいこと……それは事実だ。偽ることは決して許されない。だけど……キミのこれは収めなさい」


 先ほどまでの低い声色から一転して、優しく穏やかな口調になったソラは右手を押し返して体勢を変え、ジーノの視界からエースを隠した。


「犯した罪に向き合えるのは本人しかいない……もしも、キミが法の番人だというなら……定めに従って裁きを下すことも許されるだろう。けど、そうじゃないなら……罪の償い方は当事者以外が口を出すべきじゃない」


「では私はどうすればいいのですか!? この気持ちは……大切な人を奪われた気持ちは!? しかもそれを奪ったのが実の兄だなんて!! そんなこと、どうして耐えられましょうか!?」


「……」


「あんなに優しかった兄が……、大好きだったのに……まさか、人を殺めた罪人だったなんて……!」


 そこまで言わせて、ソラはようやく表情を緩めた。相変わらず顔色は最悪であったが、その表情のおかげで死人のような体からは脱した。


「そう、まさにそこだよ……。キミは、自分で勘違いをしているんだ」


「勘違いですって……?」


「キミは……先生を奪われたことを、嘆いているんじゃない。大切な兄が自分の理想と違ったこと──それが腹立たしくて、仕方ないんだ。それを憎しみと取り違えてきたんだ、これまで……ずっとね」


 それはジーノの好悪がはっきりしている性格と思いこみが激しい性質を踏まえた上で、先ほどの発言を考えれば予想のつくことだった。あるいは違ったとしても、ジーノのその特性を利用すればソラの言い方如何によっては、そうだったという事実に置き換えることも可能であると考えていた。卑怯な手かもしれないが、これ以上話がこじれて兄妹の仲が取り返しのつかないことになるのは避けたかった。


 ジーノはほんのわずか怯んだように一歩下がり、それでも自分の憎しみを見失わずに笑った。小首を傾げ、口元に綺麗な半月を描いて。


「……アハハッ! ええ、そうかも知れませんね? だから何だと言うのです? どうあれ私のこの気持ちは変わらない。私はずっとずっと、この人のことが──!!」


「ジーノ!!」


「……っ」


「キミは分かってたはずだ。エースくんが苦しんでること」


「そんなの……!」


「知らないわけがない。キミは優しく、敏い子だった。だからあのとき(・・・・)、聞いたんじゃないか。おにいさま、大丈夫ですか? って……!」


 ソラは手の痛みを耐えて短剣の鍔を握り、ジーノから柄を奪い取る。力任せに振り上げた手は血に濡れ、真っ赤に染まっていた。辺りに散った血は降ってくる雫に打たれて血の雨となる。


「人の感情はさ、複雑なんだよ。キミの気持ちも、色々なものがごちゃ混ぜになってる。それを、整理できないんだろうね。分かる……とは言わないけど、そういう……自分でも、どうしようもない感情。私にも、覚えがあるよ」


 病を抱えたソラは思っていた。


 何も意味がない。


 どうせいつか死ぬ。


 それならこの手に持っていることに何の意味があろうか。


 全ては無価値だ。


 もう、何もかもどうでもいい。


 心底そう思いながらも、このままではいけないと自らを奮い立たせ。けれど思い描く理想と現実の自分との落差に呆れ、誰にも何も言えないまま絶望し、突発的にあの横断歩道を渡って──。


 そこでソラはハッとした。あの信号の色は、今自分の手を染めるそれと同じではなかったかと。


 ソラは自分が今の今まで忘れていた一つの事実に気づいて、じわじわとまなじりに涙を浮かべる。何て馬鹿なことをしたのだろうと……相変わらず横断歩道を渡った前後の記憶は曖昧で、確かなことは思い出せないが、それでも自分が何をしたのかは分かってしまった。


「ああ、そっか……私……」


 あの時のソラは確かに、自分の人生に意味を見いだせず、「ただ生きてきただけ」で終わらせてしまったのだ。


「……」


 今更だが、後悔がある。


 自分の行動を悔いている。


 あんなにも生に執着していたくせに、意義のある死を望んでいたくせに。そのくせ一番望まなかった終わり方を衝動的に選んでしまった。だというのに、どうしたわけか終わったはずの生が今もこうして続いている。それを運がいいと言えるのかは正直なところ分からない。


 しかし、「今度こそ絶対に悔いは残したくない」……心からそう思えることは、少なくともソラにとっては幸運であった。


「……ねぇ」


 ソラはもの柔らかな口調でジーノに、そしてエースに語りかける。


「ずっと抱え込んできたこと、ジーノちゃんもエースくんも、ちゃんと話そう? 気持ちも、事実も、真実も、何だって言わなきゃ……伝わらないよ。言葉にしないと、自分でも……分からなくなるから」


 振り返ったソラの、凪いだ海のように静かな視線がエースに微笑む。


 それは自分の苦しみをひた隠しにし、他者を慈しむ献身的な眼差しだった。


 そんな彼女が背中を押してくれるのなら……彼女がそれを許すというのなら、罪の真相を告白することもできよう。エースは泥の地面に膝をつき、(こうべ)を垂れ、自らの全てを捧げるかのように両手を差し出して悔恨を述べた。

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