第16話 「北へ」
マキアスは前日の晩に宿場街で酒を酌み交わしながら聞き出した話に未だ首を傾げ、船の繋留杭に座り込んで荷の積み込みが行われる様子を見守っていた。
その話というのは、どうやら自分たちが急遽依頼した耐寒装備の調達は最初から想定されていたものであったらしい、ということであった。それは港の仕入れ人が独自の情報網を使ってグレニス連合王国から船が来ることを知り、調達の依頼を予想していた……ということではなく、どうやら「朱櫻」のお客様とやらから内々に準備しておくよう言われていたそうなのだ。
この朱櫻の客とはおそらくツヅミのことである。宿借りを連れ北を目指して出向したという彼が何を考え──いわば敵とも言えるマキアスたちに塩を送るような真似をしたのかは定かではない。遅れを最小限にとどめることができるのはありがたいことこの上ないが、どうにも気持ちが悪い状況である。確実に追ってこいとお膳立てされたようなものだ。
「だぁぁ! クソッ! 奴らの目的が分からん……」
マキアスは髪の毛をかき回して鼻息を荒くした。そんな彼を、近くを通りかかったエクルが驚いて振り返る。
「いきなり大声出すなよ爺さん。あの阿呆の真似か?」
彼が言う阿呆とはロカルシュのことである。
「なぁ、エクルよォ」
「アんだよ」
「お前さん、この整然としてる様をどう思う?」
「は? 荷物のことか? 俺様にゃ乱雑に詰め込まれているようにしか見えねぇけど」
「うん。ノリでお前に聞いた俺が馬鹿だった」
「ジジイてめぇ、ケンカ売ってんのかコノヤロウ」
「売ってねぇよ。コラコラ剣を抜くんじゃないこんなところで」
「さすがの俺様も、ものすんごく失礼なこと言われた気がしてな?」
「分かった分かった、俺が悪かったよ。そしたらちょっと黒衣の先生を呼んできてくれねぇか」
「何が『そしたら』なのか分からねぇが……爺さんが俺様にお願いするってんなら──」
「お願い」
「ふぅーん? フフ~ン……そこまで言われたら仕方ねーなー。すぐに呼んできてやるからここで待っとけよ!」
エクルはサッと剣を鞘に収め、マキアスの前からかき消える。
彼のいいところは素直な馬鹿であるところだ。初対面や気に入らない相手にはとことん態度が悪く、ツンツン尖るという悪い癖はあるものの、一度懐に入れてしまった者にはデレデレに甘くなる。口が悪いのは変わりないが、圧倒的に扱いやすくなるのだ。
また、根性がある(あるいはそれしかない)ところも、マキアスが彼を気に入っている要因の一つだった。その根性で身につけた剣の腕もなかなかで、それだけを武器に第一部隊にまで伸し上がってきたところも好ましく思っている。
マキアスはそういった、肉体言語しか通じないような人物を好く思うところがある。もちろん知性も任務をこなす上では重要であると思っているが、結局のところ最後に頼れるのは己の体しかない。どんなに頭が切れても胸をひと刺しされれば人間はそこで終わる。殴られれば痛みに正気を失い、足を潰されれば逃げることも叶わない。それを防ぐには──自分を守るには、その暴力に対抗できるだけの精神と肉体が必要なのだ。
マキアスも大概、脳筋だった。そして、そんな彼が率いる南方第一部隊も概ね脳筋の集まりだった。中にはルマーシォやフェントリーのような知恵者もいるが、彼らにしたってケンカを売られれば喜んで買い相手を完膚なきまでに打ち負かすような一面を持つ。
多少の差はあれど、根本的には殴って解決するのが南方第一部隊の流儀である。エクルはそれら隊員の中で、最も知性と遠いところにいる。とはいえ、決して悪い人間ではない。「好い人間だ」と言い切れないところが実に残念であるが。
「はぁ……」
マキアスが背中を丸めて一つため息をつくと、突然目の前の景色が陰った。
「私を呼んだそうだが。何の用だろうか、マキアス殿」
「思ってたより早かったな……。あいつ、人探しの才能でもあんのかね?」
「ん? エクルのことか?」
「そうそう」
「ふむ。確かに彼は私を探し歩いたという風ではなかったな。けっこう人が多いところに居たんだが……気配をたどったとか何とか言っていたぞ」
においじゃないだけまだマシだが、それにしたって犬みたいだなとマキアスは思う。
「それで、話とは?」
「ああ、先生には無理言ってついてきてもらうんだし、支障のない範囲で情報を共有しておこうかと思ってな」
「情報……?」
マキアスは座っていた繋留杭から腰を上げると、ケイを連れて人の少ないところまで移動して行った。波の音に紛れるようにして海の男たちの声が遠くに聞こえる。ここまで離れれば大声でも出さない限り第三者に話が聞こえることはないだろう。
「さてと。まずはお国の動向だが、やはりこの国相手に事を構えるつもりはないようだ。あくまでよその国の介入はない体で動けと言われている」
「だろうな……」
「そのかわり、国内での動きはあるみたいでな。国王派閥は本格的に国政からの魔法院排除に乗り出す気らしい。朝方、俺のところにまた鳩が届いたんだが……何と王陛下直々の激励ときた。こいつは本気で一悶着あるようだぜ」
「……それはいいが、国民生活に支障はないのだろうな?」
「陛下もそこまで派手にやりなさるつもりはねぇよ。表向きには王国騎士による凶悪殺人鬼の捕縛だけを成果に上げ、その裏で魔法院の痛いところを突いてやろうってつもりらしい」
「魔法院には国政の場から静かにご退場いただく、ということか」
「その辺は穏便にな。禍根は残るだろうが最小限にとどめたいんだろう」
「下手に糾弾してカシュニーに独立なんてされたら面倒だしな……。うむ、それは私も困るぞ」
「まぁ、庭を荒らしまくる猛犬に首輪をつける算段がついたってわけさ」
「……そうか」
魔法院との対立を表沙汰にするつもりはないらしいことに、ケイは一安心といった様子であった。さすがの彼女も、自分の生まれ故郷でもあるカシュニーが王国と戦争状態になるのは望まない。
「それと、フィナンとのやりとりでロカルシュは引き続き俺たちに同行してもらうことになった」
「ああ。それは弟子を諦めて追跡に加われと言われた時点で察しはついていた」
ケイは朱櫻がある方角を見て、小さくため息をつく。
「……なぁ、先生よォ。お弟子さんが心配なのは分かるが、アンタがいなきゃ何もできないガキじゃねぇんだろ?」
「それは貴方がたにも言えることだが?」
「いやいや……ロカルシュはどう見てもアンタがいないと手に余るガキだぜ」
「そう……、だな……」
「悪いな、先生」
「いや。さすがの私も国家権力には逆らえんよ」
「お弟子さんのことにしろ、これからの旅路にしろ、何かあったら俺たちを恨んでくれてかまわねぇ」
「……是非ともそうさせてもらおう」
険しい表情でケイはマキアスを見やる。対してマキアスは申し訳ない気持ちを滲ませながらも、彼女の同意を確かなものとするために手を差し出す。ケイは片方の眉をつり上げてそれを見つめ……しばらくした後で観念したように彼の手を握り返した。
そこに、どこからともなく小さなフクロウが飛び降りてくる。ロカルシュの目でもある彼は船の方を向いて「ホゥゥ」と鳴く。ケイとマキアスがはフクロウの視線をたどり……ロカルシュ本人が駆けてくるのを見つけた。
「お医者先生ー! 隊長さーん! そろそろお船が出るってぇ~!!」
「……だそうだ、先生。船に乗ってくれ」
「分かった」
ケイは掴んでいたマキアスの手を離すと、彼に促され先に歩き出した。向かってきたロカルシュは速度を下げ、ケイとすれ違う寸前のところで飛んできたフクロウを受け止め、体を反転させてケイの横についた。
「あれ? 先生、お兄ちゃんたちと合流するんじゃなかったのー?」
「そのつもりだったんだがな。ちょっと事情があってこちらに同行することになった」
「そーなの? 私としては知らない人がいっぱいよりは嬉しいけどぉ……」
「キミこそ、小騎士殿との合流はできないままでよかったのか?」
「あ。先生も知ってたー?」
「まあな。さっきマキアス殿から聞いたんだ」
「そかー。私はね、セナと会えないのはよくないんだけど……フィナン隊長、最初はセナと合流しろって言ってたのに、それ無しにしてマキアス隊長たちを手伝えって言うしぃ……セナにも昨日届いた鳩で隊長の指示に従えって言われたしぃ……」
「小騎士殿の方はどうなりそうなんだ?」
「フィナン隊長が何とかするから、心配ないってー」
「……そうか」
「私はねー、セナがそうしろって言うなら、そうしなきゃなの」
ロカルシュは騎士として上司であるフィナンに従うのではなく、相棒のセナの言葉で騎士の任務に就くと言う。これで万が一にもセナがロカルシュに「朱櫻に来い」と言っていたら、フィナンはどう手を打ったのだろうか……。
ケイ自身はそれをはっきりと確認したわけではないが、セナは規律違反を犯してソラを東ノ国に連れ出している。後で罰を受けることについては当然ながら理解した上での行動ということになるわけだが、そこにロカルシュを巻き込むほど、あの少年は人でなしになれない。大切な相棒であれば、なおさら遠ざけようとするだろう。
他人の特性を理解することに長けたフィナンであれば、その程度のことは考えてみずとも分かったはずだ。ましてや自分の部下ともなればなおさらである。つまり、彼はロカルシュを意向通りに動かせると最初から想定済みだった、ということだ。
「……」
ケイはわずかに振り返り、後ろからついて来るマキアスを横目に見る。彼は国王の命が下っているというのに、のんきにあくびを漏らしていた。
フィナンが狐ならマキアスは狸といったところか。
諦めたように肩を落とすケイに、狸の大将が首を傾げる。
「何だ先生。どうしたよ?」
「いや、別に。何でもないさ……」
類は友を呼ぶというわけではないが、ロクでもない人間は同じくロクでもない人間に捕まる。ケイはもう少し自分が身綺麗だったらと、このとき初めて後悔したのだった。




