第15話 「母親」
二度に渡る死の宣告。最初のそれはソラの胸の中でひっそりと行われ、二度目のそれは予定調和であった。
ただ一人、エースを除いては。
「ソラ様……」
「ごめん、エースくん。軸まで行った聖人がどうなるのかは……キミの記憶を見たときに知った」
「じゃあ、ジーノの……」
「うん。知ってた」
「……」
聖人が祈りを捧げて世界を救うというのはジーノの嘘だ。本当は軸の麓から身を投げ「軸の座」へと至り、そこで星の魔力と一体になり世界を延命する。座から戻ってきた者がいたという記録はない。それはつまり死を意味し、本来であればソラはエースの記憶を見た時点でジーノを問いつめ非難するのが筋であったが、そうしなかったのは……皮肉にもエースの記憶を見てしまったがゆえであった。
ジーノはエースの妹だ。父と母を(そうすることを本人らが望んだとは言え)見捨ててまで助けた最後の家族で、何を置いても守らなければならない大切な存在だった。血を分けた兄妹……幼い頃から苦楽を共にしてきた……彼女だけはどんなことがあっても見捨てることのできない……打算的に切り捨てることのできない深い絆……その縁はある意味で呪いのようでもある。
つながりが深ければ深いほど、相手がどんなに馬鹿なことをやってしまっても許してしまう。それが家族というものなのだろう。ソラは経験として覚えているその形にジーノとエースを当てはめた。不思議とぴったりはまってしまった二人はソラにとって既に──これまでも再三言ってきたように「弟妹」なのだ。
だからジーノの嘘を咎めることができなかった。そうしたところで彼女の頑なな心は解けないと分かっていたから。彼女の胸の奥底に燃えている炎、それを灯したのは両親への義理ではないのだ。
ソラはエースのうろたえる青い瞳を見つめる。
「キミ、大丈夫?」
「すみません……、俺……頭の中がぐちゃぐちゃで。少し一人で考えたい……」
「分かった。遠くへは行かないでね」
「……はい」
まだソラにはやらなければならないことがある。
確かめなければならないことがある。
今更エースがここから逃げるとは思っていなかったが、ソラは彼にそう釘を刺しておいた。エースはフラフラと椅子から立ち上がり、頼りない足取りで部屋を出て行く。
残ったのはユエとセナだ。
ソラはまず、一番の気がかりを聞いた。
「……ナギちゃん。あの子はこのことを知っているんですか?」
「いいえ。まだ詳しくは知りまへん」
「そうですか。……よかった」
ナギが救済の詳細を知っていてあんな笑顔を浮かべたのなら、すぐにでも全力でこの屋敷を逃げ出すところだった。今の状況であれば、ソラとしてはその方が好都合だったかもしれない。だがソラはあの少女が純粋に世界の救済を願っていたことに安心していた。
彼女は続けてユエに問う。
「逃げ道はないんですね……」
「ええ」
「一応聞いておきたいんですけど、他に方法は?」
「あらしまへん──いや、一個だけありますわ」
「……何です?」
「あのナナシいう聖人を犠牲に世界を延命させることです」
「でも、それじゃあ根本的な解決になりませんよね?」
「それでも一時はしのげます。とはいえ、災厄は繰り返すごとにその間隔が短ぅなってますし、せいぜい持ってもうちらが生きてる間くらいのもんやと思います」
「……ツヅミさん。あの人、本当は貴方を裏切ったわけじゃないんですね」
「はい。ナナシいうあの聖人は何としても確保しとかなあかんかったもんで、あないなことに」
あちらは言わば保険だとユエは言う。こちら側が失敗した時に世界が延命するための担保だと。
その言葉を聞いたソラは嫌悪を露わにユエを見た。
「えらいしかめっ面ですこと」
「そりゃそうでしょう……」
「まぁ、あの聖人はんがだいぶ頭おかしいのは助かりましたわ。使い捨てにするにも惜しゅうない。心も痛まへん」
「ひどいことを言いますね」
「あら? おかしなこと言わはりますなぁ。うちよりあちらさんの方がよっぽどひどい思いますけぇど。何人殺しましたん? あのお方」
「……」
「外道が死ぬんは道理ですやろ」
「……」
その言葉はなぜか、ユエ自身にも向けられているように感じられた。それは同時に、ソラの大切な弟にも向く。
「自分の、過去を……後悔している人だっている……」
「誰のこと言うてるのかは知りまへんけど、うちはあのナナシいう男のことを言うてますのや。そして、うちの話をしてますのや」
「分かって──分かってますよ、そんなこと……」
「……罪を犯した者は己にできる精一杯でそれを償わなあきまへん。ええ、何にしたかて落とし前はつけなあかんのや。やけどそれを死でもって代えるか、生きて苦しむことで代えるかは人それぞれや思います。せやから人殺しが死ぬべき言うんは、あくまでうちの論や。ソラはんや他の誰かに押しつけるもんやない」
「……貴方は……、……」
「ソラはんには酷なことやと思います。けど、うちもツヅミも覚悟決めてますのや」
ユエは有無を言わせぬ鋭い視線でソラを見た。だが、ソラとしても仕方ないという妥協で自分の命は諦めならない。
「どうか、お覚悟なさいませ」
そうまでしてソラに犠牲を強いる彼女は目的は何なのだろう。彼女がソラを殺す目的、それを正当化できるだけの理由……果たしてソラが命を賭ける価値があることなのだろうか。
これまでの彼女との会話を順繰り思い出してみる。そうしてたどり着くのは、やはり船に揺られていたあの時の話だ。ユエは言っていた、「崇子様を迎えるのは一族の悲願」であると。つまり家のためだ。彼女はソラのことを自分のお家に、延いては世界にとって大切な人間だと確かに言っていた。
要するに、世界の救済とはもののついでなのだ。ユエはそんな大局的なことではなく、非常に個人的な動機で動いている。結局のところ、彼女も魔法院も大して変わらない。外道ここに極まれり──それは当の本人もよくよく自覚していることなのだろう。
それが分かったのなら、ソラの腹も決まった。
彼女がそうあるのなら、自分もまたそうあって構わないはずだ。
「──少し時間をください」
逃げるにしろ、そうしないにしろ、考えなければならない。そして答えを出さなければならない。生きるも死ぬも、覚悟を決めなければ進めない。
ソラは思う。
あの時、元の世界で。ただ時間だけを進めて生きていた自分は、まるで幽霊のようだった。そうした生き方もまた、人によっては選択の一つであるのかもしれないが、ソラにとっては人生を浪費するだけの無駄な行為であるように思われた。
時間は止めることができないし、人が永遠に生きることはなできない。生きることに意味を見いだし意義を持たせたいというのなら、そうあるための理由を探し、行動し、その結果を掴み取らなければならない。
逃げるのなら、世界を敵に回しどんな犠牲も払う覚悟を。
逃げないのなら、死を悔いないための確固とした選択を。
それを見極めるために、ソラはおもむろに席を立った。




