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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第一章 ペンカーデル
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第12話 「ハッピーエンドの定義 4/5」

「ちょっと待ってよ。何なの?」


 輝きを失った証石は床を転がり、ちょうどソラとエースたちとの間で止まった。


「その危ない物しまってよ。こ、怖いって!」


 一歩、また一歩と後ろに下がっていき、ソラは祭壇に足をぶつけてバランスを崩した。立てかけられていた権杖を倒し、冷たい床にしりもちをつく。


 ガシャン──と権杖が床に転がる音が礼拝堂の壁に反響し何倍にもなって返ってくる。ソラは体を震わせ、エースはそんな彼女になおも剣を左手で突きつけ、困惑と敵意を共存させる瞳で睨みつけた。


「これは……どういうことなんだ……」


「お兄様! やめてください! 相手はソラ様なんですよ!?」


「でもあれは、あの魔力の陰りは魔女の証しじゃないか」


「それは──」


 後ろに庇われていたジーノは腕を掴んで下がらせようとする兄の手を振りほどき、ソラを庇うようにして彼の前に立ちはだかった。


「ですが、証石が示したのは魔女の素質だけではありませんでした! お兄様も見たはずです。あの白き輝きは光の加護を受けた証し……聖人であることの証明に他なりません!」


「だからって陰りの問題が消えてなくなるわけじゃない。現に半分近くが黒く染まっていた。ジーノだって見ただろう? あれは魔女が持つ黒き力の証しだ」


 魔女だの聖人だのと論議を繰り広げる兄妹を前にして、ソラは冷静になっていった。頬を伝う血が冷えきってやがて固まるように、彼女の頭にあった恐怖は別の感情へと変質し凝り固まっていく。


 この二人は、また当事者を蚊帳の外にして勝手に役目を決めようとしている。


 ソラはうんざりだと顔をしかめ、手元に転がっていた権杖を手に取りエースに向かって身構えた。振り回せばどこかに当たるだろうという程度の護身だが、ないよりは心強い。


「ねぇちょっと。勝手に話を進めないでくれないかな。私からしたら魔女も聖人も知ったこっちゃないんだけど」


「ソ、ソラ様まで……! それを下ろしてください」


「彼が剣をしまったら考える」


 ソラの意思は堅い。ジーノは取り付く島もない様子の彼女から兄に視線を変え、説得を試みる。


「お兄様……お願いです、剣を収めてください」


「それはできないよ。ジーノ、そこをどいて」


「どきません」


「ジーノ!」


「嫌です! どいたらお兄様はソラ様をどうされるおつもりなんですか!?」


「ああ、それね。私も聞きたいわ。なに? 殺すの? そういうこと? キミってそういうことができる人?」


 窮地に立たされたソラは口を斜めに引き上げ、挑発的に言った。それに対しエースは自分が刺されたような顔をしてひるんだ。被害者みたいな顔をする彼に、ソラは腹を立てる。


 その態度を非難しようと口を開きかけた時──、


「いやぁ。雪は弱まってきたけど、まだまだやみそうにないねぇ」


 スランが戻ってきた。和やかな表情で入ってきた彼は、礼拝堂に漂う殺気立った雰囲気にすぐさま気づき、その顔に緊張を走らせた。


「どう……したんだい……?」


 第三者の介入は気持ちが高ぶって我を忘れそうになっていたソラにとって冷水のような役割を果たした。彼女の激昂しかかった思考は再び冷めていき、どうすればこの状況を収拾できるかを見つめ始める。


 彼女は言う。


「……助けてもらったことには感謝してるよ。でも恩義があるからって私は言いなりになったりなんてしないから。違うことには違うって言う。嫌なことは嫌だし、無理なものは無理なの」


 そして、これからソラが口にする言葉はジーノやエース──この世界に生きる人間たちにとってどんなにか不都合な事実であり、期待はずれな現実だった。


「私は魔女でも、ましてや聖人でもない。ただの普通の人間だ」


 実際、ソラは平々凡々な一般人だった。誰にでも起こる出来事を──怪我を、事故を、病気を──不運と幸福を経験し、非行にも犯罪にも走らず慎ましく生きてきた。だから、死ぬなら怪我か事故か、きっと病気で死ぬのだと思っていたし、理想は七十過ぎまで生きて畳の上で死ぬことだった。


 こんなところで誰かに殺されるケースは考えていなかったし、願い下げだった。それと同時に、自分が誰かを傷つけるという罪を犯して終わることも望んでいなかった。


「エースくん、私はキミが怖いよ。そうやって剣を向けるキミがとても怖い。そして、その剣が襲いかかってくるならキミを滅多打ちにしても構わないと思ってる自分も怖い……だから私は今から権杖(これ)を床に置く。それでもまだキミがその剣を収めないなら、私はキミをそういう人間だと見なす。無抵抗の人間に武器を向けて脅すような、卑怯極まりない人間だってね」


 面と向かって見限られるのは誰であれ堪えるものだ。ソラはエースの方をじっと見つめながら、ゆっくりと権杖を床に置く。


「次はキミの番だ。どっちか選んで」


「……っ」


 剣を持つエースの手が震えていた。ソラは彼が何を選ぶにせよ、結論を出すまで辛抱強く待つつもりだった。しかしながら、その答えを出したのはエース本人ではなくスランだった。


「エース、剣を収めなさい。それはお前を守るものだが、人を傷つける凶器でもある。我を見失った状態で扱うものではないとケイも言っていたはずだよ」


 彼はエースの肩に手を置くと、気持ちを落ち着かせるようにしてゆっくりと語った。その言葉で我に返ったエースは、それまでソラに向けていた敵意の瞳をいつもの憂いを含んだ色に塗り替え、切っ先を下に落とした。


 スランは彼の手から剣を取り上げ、後ろに下がって離れたところから三人を見つめる。


「何があったのか話してくれないかな」


 エースはうつむいて黙ったままだった。ジーノも臨戦態勢は解いたものの、まだ神経が高ぶっているのかこれまでの経緯を上手く説明できないようだった。そうなると、仕方なくソラが説明することになる。


「私が証石とやらを持ったところ、聖人と魔女の両方の魔力が見えたとかで。混乱したエースくんに私も驚いてしまって、こんなことに」


「それは本当なのですか? 魔女の……」


「何なら証石を持って見せましょうか?」


「いえ……いいえ。こんな状況ですし、嘘とは思えません。見せていただく必要は……ありません」


 スランの顔には畏怖の念が表れていた。そこにエースの反応をあわせて考えてみれば、魔女について知らないソラにもそれが恐れられ忌み嫌われる存在であると分かった。


 スランは未だ信じられないといった様子でソラに問う。


「貴方は……本当に魔女なのですか?」


「申し訳ありませんが私だって知りませんよ、んなこと」


 まさか昨日の今日で一転して嫌われ役に落ちるとは……ソラは「結局こういう展開か」といつも通りの諦めの表情を浮かべてため息をついた。そんなソラに与えられた一つの幸運は、今もなお彼女を庇うようにして立ってくれているジーノの存在だった。


 ジーノはスランとエースを見つめ、確かな口調で言う。


「お父様。こういうことはどちらかが勝手に決めるものではない。そうではありませんか?」


「そうだね……」


「見知らぬ土地でわけも分からないまま何かの役目を押しつけられたら、お兄様だって困ってしまいますでしょう?」


「……」


「ソラ様の魔力には確かに陰りがありました。ですがソラ様は光の加護もお受けなのです。それを無視してよいはずがありません」


 私は何か間違ったことを言っていますか?


 ジーノはその問いに二人が何と答えようとも既に自分の中にある答えを変えるつもりはなかったが、あえてそれを聞いた。それに対しスランは苦渋の表情を浮かべながらも、首を左右に振ってその通りだと同意した。エースはまだどこか迷っているような様子で、考えを整理しようと苦悩していた。


 彼は一つ一つ、事実を確かめるようにして言う。


「この世に混沌の繰り返しを刻んだ始まりの魔女……ソラ様、貴方はそれに連なる魔力を持っている」


「私はそんなもん望んじゃいない」


「けれどジーノの言うとおり、聖人の証明である光の加護もお受けだ……」


「らしいね。でも、この際だからはっきり言っておく。エースくんだけじゃなく、ジーノちゃんと……スランさんにもです」


 ソラは証石を指さして言う。


「そちらには都合の悪いことかもしれませんけど、こっちは魔女も聖人も知ったこっちゃないんですよ。私は自分がそんなものだと思って生きてきた覚えはない。そういう勝手な誤解はやめてください。極めて不快です」


 その石に見えた光がソラのどんな性質を示すにせよ、それは彼女の本意で宿った力ではないのだ。


 しんと静まり返った礼拝堂に、重苦しい空気が漂う。


 苛立ちと拒絶。


 失望と切望。


 疑念と後悔。


 困惑と懸念。


 様々な思いがぐちゃぐちゃにかき混ぜられて、空気に色があるとすれば堂の中はきっとどす黒く染まっていたことだろう。


 そのうち、おもむろにスランが口を開いた。


「ソラ様は、魔法は使えるのですか?」


「使えないと思いますよ。使い方とか知りませんし。というか、使えた上で私が魔女ってやつなら、こんな面倒なことになる前に何かしら手を打ってます。惑わすでも、逃げるでも」


 魔法のない世界から来たソラは自分に魔法が使えるとは考えなかった。


「何なら今ここで魔法が使えるかどうかを試す──のはやめておいた方がよさそうですね」


 ソラが忌むべき魔力の持ち主だと判明してしまった以上、スランとエースがそれをさせてくれるわけがない。


「あとはそちらが私を信じてくれるかどうかになります」


 ソラは落ち込む気分と一緒に視線を足下に落として、床に転がったままの証石を見る。それに触らなければ、それを見つけなければ……ソラは自分の軽率さに嘆息した。


 一方でその気持ちはスランも同じだった。聖域から現れた異界の人間というだけで、伝承との細かな相違点を無視して盲目的にソラを聖人だと思い込んでしまった。だからと言って、ソラを最初から疑っておけばよかったという話ではない。


 スランは米神を頭を抱えて唸るようにして言う。


「私たちでは判断のしようがありません。ソラ様には申し訳ありませんが、このことは魔法院に報告させていただきます」


「はぁ。どうぞご随意に」


 ソラは素っ気なく頷く。


 どちらが悪かったということはない。そういうことではなかったが……後味は最悪だった。再びしんと静まった堂の中で、ソラが思いついたように声を上げる。


「そうだ。私ってやっぱり出て行った方がいいですか──?」


「そのようなことはありません!」


 ソラの側に立ってくれているジーノは当然のごとく首を左右に振り、ソラの言葉を否定した。彼女はスランの方を振り向いて、目線だけで凄む。ここでソラに出て行けと言ったら、自分も一緒に出て行く。娘はそんな顔をして父親を見つめていた。


「……ジーノの言うとおりです。ソラ様は変わらずこちらに滞在してもらってかまいません」


「どうも。そしたら……さすがにこの空気の中じゃ居づらいんで、部屋に引っ込んでますね」


 どこにいたってその空気は変わりそうになかったが、彼らと一緒にいるよりは一人で部屋に引きこもっていた方がマシだ。ソラは床に置いたままの権杖をまたぎ、そそくさとその場を退散する。ジーノの横を通りすぎる際に、「ありがとう」。彼女は心からの感謝を伝えた。


 誇張でも何でもなく、ジーノのその態度にソラは救われていた。


 だからこそ、すまないとも思っていた。


 ソラは彼女の期待に──誠の聖人であるというそれに応えられないのだから。

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