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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第四章 東ノ国
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第8話 「朱櫻」

 北半球が夏に向かう今、南半球に位置する朱櫻は秋を深めていた。まだ冬の装いには早いものの、秋初めの薄着では少々肌寒く感じる頃合いである。


 しかしながら、エースとジーノは育った環境のおかげか寒さに甚だ強い体質で、クラーナでケイに買ってもらった服でも平気そうな顔をしていた。


 一方でソラはと言えば、南国の衣装では寒いのか、ユエから借りっぱなしになっている羽織をしっかりと着込んで座っていた。両隣をエースとジーノに挟まれて人肌の暖かさを実感しながら、彼女は組子細工の向こうに見える風景を眺める。


 穏やかな湖面のように波打つガラス窓を通して見えるそれは、ソラが港で予想したとおり、日本の田舎によく似ていた。平地には田畑が広がり、畦に囲まれた窪みに黄金色の穂が頭を垂れている。既に刈入れられていてもおかしくない時期ではあるが、この地域では今ようやく落水を行っているところらしかった。


 遠くに見えるやや黄みがかった山々が、ゆっくりと窓の端に過ぎ去っていく。


「稲刈りって機械とか使うんですか?」


 ソラはふとした疑問を口にする。


「機械? 絡繰りみたいなもんやろか」


「……ええ。そうです」


「ソラはんのお国のことは分かりまへんけど、うちらは……ほら、符術やら魔法やらがありますし」


「あ。そうでしたね……そうなると別に鎌を持って屈む必要もないわけですか」


 魔法とは何とも便利なものである。ソラがうらやましそうにそう言うと、隣のジーノが少し居心地が悪そうに座りを直した。


「ソラ様……魔法での作物収穫は確かに楽ですが、それなりに難しい作業なのですよ」


「そうなの?」


「私は苦手です……」


「お前の魔法制御は大ざっぱすぎるんだよ」


 ジーノの斜め向かいでセナがボソリと呟く。いくら小声とは言えこれだけ狭い空間でその声が聞こえないわけはない。ジーノは眉間にしわを刻み……しばらく無言のまま間をおくことで瞬間的にわき上がった怒りを堪えた。


 それを見ていたユエが呆れたような口調で言う。


「セナはん、あんた一々よそ様のこと挑発するのやめなはれ。この中でケンカなんてされたら、さすがのうちも堪忍袋の尾が切れますぇ……」


「へーへー。横からぶっ叩かれても困るし黙っときますよ」


「いややわぁ。うち、そないな乱暴しまへんよ?」


 ユエはコロコロと笑ったが、目はちっとも笑っていなかった。


 それから一時間ほど馬車は揺れ、所々に小さな林が見えるなだらかな丘を越えた。朱櫻があるこの島は大まかに西側の海岸地域と東側の山麓地域とに分けられる。


 島中央部の南北に伸びる丘陵(先程ソラたちが越えてきたところだ)の東西両側に低い平野が分布し、その平地には田畑などの耕作地帯が広がっている。島の東側には標高の高い山々が防波堤のように連なっており、朱櫻はその山の裾野にあるのだとユエは言った。


 丘を下りて再び周辺に見渡せるようになった田園風景は、西側のものと違って稲穂は見あたらず、既に刈り入れが終わっているようだった。丘陵と東の山脈とに囲まれ盆地になっていることもあり、季節感が少し異なるのだろう。夏は暑く冬は寒い……ソラは自分の故郷の気候を思い出し、少し懐かしい気持ちになった。


 馬車道は次第に緩やかな上り坂にさしかかり、そこまで来ると朱櫻も目前だった。日の光が透けて降り注ぐ雑木林を抜け、関所のような門をくぐると、途端に人の声が近くなる。


「すご……時代劇でも見てるみたいだなぁ」


 瓦屋根を乗せる木造建築。鎧板と漆喰の外壁。高い位置に小さな窓を置く土蔵。どれもこれも、ソラにとってはテレビの中でお馴染みの街並みだった。一方でエースやジーノ、セナにとっては全く未知の光景であり、三人はそれぞれに窓にかじり付いて、異国の都を物珍しそうに眺めていた。


 街行く人々は馬の蹄の音を聞いて馬車を振り返ると、必ず一歩下がって頭を深々と下げた。それらの行動には恐れではなく畏敬の念が表れているように見えた。


 漆塗りの馬車というだけでもただならぬと言うのに、加えて市民のこの態度……ここ東ノ国において異国の人間であるソラたちにも、自然とユエのお家柄の高さを予想することができた。


 馬車は人の波を分け、街の奥へ奥へと向かっていく。


 傾斜を切り盛りして山に張りつくようにして広がる朱櫻において、ユエの家は最も高い場所に陣取っていた。そして言うまでもいなく、その敷地も街の一角が入ってしまうほど広かった。


 美しく整えられた竹林を前に、大門が現れる。ソラたちはそこで馬車を降り、竹の囁きを聞きながら端に白い丸石を敷く石畳を歩いて行くことになった。


 人の活気があった街中と打って変わっての静寂。心なしか気温も低く、空気は厳かだ。


「……」


 ソラたちはゴクリと息を飲み、御影石の上を一歩、また一歩と進んでいく。


 深い緑に彩られた竹林が開け、見えてきた屋敷──ソラの居た世界であれば重要文化財にでも指定されそうな佇まいのそれ。手入れの行き届いた庭園は秋の草花が映えるように整えられており、苔蒸す岩の間を静々と流れる小川が注ぐ池には白、赤、黒の鯉が悠然と泳いでいる。ソラは戦々恐々としながらその前庭を通り過ぎ、視界の端から端まで広がる母屋の前までやってくる。


 平屋建ての家の外観は、街中で見たのと同じく漆喰の壁に鎧板の外壁だった。前庭を望む縁側は十間ほどと長く伸び、一面のガラス張りとなっている。縁側と部屋とを仕切る障子戸はどれもしわ一つなく真白い紙が貼り付けられており、わずかに透けて見える細かな組子は馬車のものとは比較にならないほど複雑かつ繊細な作りに見えた。また、所々で開け放たれた和室のから見える襖には水墨の画が描かれ、欄間は透かし彫りで装飾されていた。


 それらを見たソラの歩みは、体の痛みのせいだけではなく遅くなっていく……。やがてたどり着いた玄関では、幅広の四枚戸の前に侍女と思わしき者が二人控えており、彼女たちはユエが軽く会釈すると柳がしなるように礼をした。二人は腰を低くしたまま両手を添えて戸を左右に引き開け、ユエたちを広々とした玄関へと招き入れる。


「お帰りなさいませ、御当主様」


「ええ。ただ今戻りました」


 ユエは侍女の言葉にそう返し、悠然と屋根の下に入って行く。雰囲気に圧倒されるソラたちは縮こまってその後に続いた。


 屋敷の中に入ればさぞ多くの出迎えが……と一同は思っていたが、玄関先に控えていたのは意外にも一人だった。その初老の男性はそば仕えの中でも古株のようで、静か表情で主を迎える立ち姿はどことなくツヅミに似ていた。


「お帰りなさいませ」


「ええ、ただいまです。うちが留守の間、変わりは?」


「特別ございません」


 そう言って頭を下げた老侍従の後ろには、どこか恥ずかしそうに身を隠す一人の女の子がいた。


「お……、お帰りなさい……ませ……です」


「あら、ナギも出迎えに来てくれたん? 嬉しいわぁ」


「あの、あの……」


「ん? ゆっくりでええから言うてみ?」


「ナギは、留守の間も変わりありませんでした。お母様は、長い旅でお変わりな──」


「お母様ァ!?」


 ナギという少女の言葉を遮って驚きの声を上げたのはセナだった。その声が怖かったのか少女は顔を真っ青にして飛び上がり、長く続く廊下の奥に逃げて行ってしまった。


「セナはん、あんたもう少し静かにでけまへん? うちの子びっくりして逃げてもうたやないの」


「……すみません」


「久方ぶりの再会やのに、もう……」


 ユエはブツクサ言いながら上着を老侍従に渡し、履き物を脱いで屋敷に上がる。


「そしたら皆さんもお上がりになってください。ちょっとしたお話もありますんで」


 とユエは言うが、彼女が一児の母親であったことに仰天していたのは何もセナだけではない。ソラたちもそれぞれに目をまん丸に見開き、驚きの表情を露わにしていた。


「何ですの。うちくらいの年なら子どもの一人や二人おっても不思議ありまへんぇ」


「いや、その……道中でそんな話を全然聞かなかったので。全く想像してなくて……」


 ソラは眉をハの字にして申し訳ないと謝る。彼女はユエに言い訳をしながらも慣れた動作で靴を脱ぎ──、


「あ……そう言えば何か拭く物を貸してもらえますか? 杖の足、汚れたままじゃ上がれませんし」


「それやったらうちの方で用意させたもんがありますんで、室内用として使ってください」


「そうなんですか? 何だか色々とありがとうございます」


「気にせんでええですよ」


 ユエがちょいちょいと指を回して老侍従に合図すると、彼は下駄箱の横に立てかけてあった杖をソラに手渡してくれた。それは握りがよく手に馴染み、多少であれば高さの調節も利く機能的な一本であった。足のクッション代わりに使われているのは軟らかい木材らしく、腕への負荷はこれまでより軽く済みそうだ。さすがは医術大国の東ノ国……体の不自由を補う技術も十分に培われているようだ。


 ソラが感心しながら屋敷に上がろうとしていると、廊下の遙か向こうで小さな人影が動いた。それはおそらくナギで、彼女は体を斜めにして、真っ直ぐな黒髪を床に垂直に垂らし壁から頭を覗かせていた。


「ナギちゃん、でしたっけ? 可愛い子ですね。驚かせちゃったのもあるけど、恥ずかしがり屋さんなのかな……」


「ちょうど人見知りの時期なんや思いますわ。家ん中で見かけたら……あの調子やとピャッと逃げてまうかもしれまへけど、悪いように思わんといてください」


「分かりました」


 どちらかといえば子どもの相手が得意ではないソラこそピャッと逃げてしまいそうな気もしたが、そこは大人として踏みとどまり愛想良くすべきだろう。せめて笑顔がひきつらないようにと頬を揉みほぐしながら、ソラはユエの後に着いて行く。


 ──が、その後に三人が続かない。


「あの、ソラ様……少しお待ちを……」


「今すぐに靴を脱ぎますので」


 エースとジーノは一足先に家に上がったソラとユエに背を向け、廊下から一段低くなっている式台に座り込んで焦るようにして靴を脱いでいた。


 ソラにとって屋内で靴を脱ぐのは当たり前の文化であり、何ら戸惑うことのないごく普通の所作であったが、基本的に家の中でも靴を履いて過ごす大陸の人間だとそうはいかないようだ。二人は顔を右へ左へと何度も振り向けながら、脱いだ靴はどうすればいいのかと困っていた。


「普通に脱いで、かかと揃えておけばいいんじゃないかな?」


「別に脱ぎっぱなしでもかましまへんよ。片づけるんは家のもんがやりますし」


 そうは言われたものの、馴染みのない習慣に二人は戸惑いを拭えなかった。ちなみに、編み上げのブーツを履いていたセナは紐を解くのに時間がかかり、一番最後になった。


 皆が家へ上がったのを見て、ユエは改めて「おいでやす」と言って頭を下げたのだった。

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