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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第四章 東ノ国
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第7話 「奉迎」

 ナナシたちが北斗を出港したその日の昼過ぎ、ソラは副都「朱櫻(すおう)」近郊の港に到着していた。彼女はエース、ジーノとともに甲板から繋留作業を眺めながら、視界の端にセナの姿を捉えていた。その足下には子ギツネが座っており、ロカルシュとは随分距離が離れてしまったものの、彼女は大人しい態度でセナに寄り添っていた。


 セナはちょうど、鳩を誰かに宛てて飛ばしているところだった。隣にロカルシュの姿がないせいか、その背中は少し心細そうに見える……なんてことを考えていると本人に知れたら、目をつり上げれ怒られそうだ。ソラはセナがこちらを振り返るのを察し、視線をサッと海面に落とした。


 やがて陸に降りるためのタラップが掛けられ、それは乗船するときにもそうだったが、手すりのない細長の板であった。降りる際は乗ったときと同じく、エースに背負ってもらわねばならない。そう思うと、ソラの口からは思わずため息が漏れた。


 随分と年老いたものである。身動き一つ取るにも体のあちこちが痛むのだから、なおさらそう感じる。


「まだ二十七歳なのに」


 手すりに寄りかってそんなことをぼやいたソラの声を聞き、エースが顔をのぞき込んでくる。


「どうかしましたか? ソラ様」


「いや……降りるときはキミのお世話にならないとだなーって」


「仕方ありませんよ。落ちたりしたら大変ですから」


「まぁね。そうなんだけどね。この年でまるでおばあちゃんみたいじゃん? ちょっと情けないというか、切ないというか……」


 二度目のため息をついたソラにエースはどう声をかけたものかと迷い、


「ソラ様なら、おばあさんになっても今と変わらないのでしょうね」


「……うん? ンン??」


 ソラは一瞬、彼の発言の意図が掴めずに首を捻る。それは取りようによっては今も既に年寄りくさいと言われているようにも聞こえた。しかし、エースがそんなことを言うわけがない。悪く受け取ってしまうのは、ソラが自分でそう思い込んでいるせいだろう。


 彼の言葉は、本当に言葉通りの意味しかないのだ。ソラはエースの発言を思い返し、とても簡単な真意を理解する。


「年を取っても若々しいだろう、と?」


「はい」


「是非ともそうありたいもんだねぇ。頑張るわ」


「はいっ」


 表情を明るくしたエースにソラは微笑みかけ、ふとジーノの方を見る。彼女はこの船に乗ったときから──というか、ソラが腕に怪我を負ってからというもの、めっきり口数が少なくなっていた。どうにも、腕を失った本人以上にショックを受けているらしいのだ。


 いつも明るくはつらつとしていて、思いのほか押しが強く、行動は大胆で割と大ざっぱ。とにかく前向きである印象が強い彼女が、ここのところずっと追い詰められているように見える。それだけでも心配なのだが、ソラの胸にはそれだけではない予感があって、ざわざわと気持ちが波立っていた。


「……」


 ソラはジーノに声をかけようとして、口を開いたところで他人の声がそこに割り込んだ。


「皆さんお揃いやね。降りる準備、できてますやろか?」


 間が悪いのは自分なのか、ユエなのか。


 ソラは伸ばした首を引っ込め、仕方なくユエの方を見た。


「いつでも大丈夫ですよ」


 彼女には弱みを見せないように。


 ソラは笑みを張り付け、体の不調など微塵もにおわせずそう言って頷く。するとあとはもう下船する運びとなり、ソラはエースに背負ってもらってタラップを降りた。


 地面の上に両足と杖で立つと、心なしか未だに足下が揺れている気がした。ソラは少しフラつきながら二歩、三歩と前に踏み出て歩く感触を確かめる。


「ソラ様、大丈夫ですか?」


「んー、ちょっとグラグラするかな。船酔いしなかったのはよかったけど、地面が揺れてる気がして……」


「ええ……分かります」


「私もです……」


 ソラの言葉にエースだけではなくジーノも同意し、何やら久し振りに彼女の声を聞いた気がしたソラは表情を明るくし、「だよねー」と何度も頭を上下に振る。ジーノもぎこちなくではあるが微笑み、「はい」と答えた。彼女はそのままソラに向き直り、聞く。


「歩けそうですか? 難しいようでしたら、お手伝いしますが……?」


「うーん……いや、いいかな。もう自力で無理ってなったら頼むわ」


「そうですか」


「アッ! でもいつ転けるか分かんないし、隣に歩いててもらっていい?」


「分かりました」


 慌てたような仕草でソラがそう頼むと、ジーノは幾分いつもの彼女らしい表情を取り戻して了解した。そのやりとりを一歩離れたところから見守っていたエースもどこか安心したように口元を緩め、二人の元へ歩み寄る。


 そんな三人の後方、今ようやくタラップを降りきったセナは、ソラたちの様子を目にしながら眉のしわを深くしていた。それを横目に見たユエが持っていた錫杖で彼の肩を小突く。


「セナはん。その今にも殺しそうな顔、やめなはれ」


「……余計なお世話ですよ」


「余計や言われてもなぁ。事を成す前にあんたはんがソラはんに手ぇ出すようなことがあっても困りますし……」


「チッ! 分かってるさ。あんたらの邪魔はしねぇ。俺は最後まで見届けられればそれでいい……」


「その言葉、ゆめゆめ忘れぬようお願いいたします」


 ユエは見るからに善人ぶった顔をして口に円弧を描くと、一人先にソラたちの元へと向かう。セナは足下の子ギツネを抱え、その後ろにゆっくりとついて行った。


「皆さん、お疲れさまでございました──と言いたいところなんやけど、ここはうちのお(いえ)がある朱櫻から丘を挟んでちょおっと西にある港でして。今度はお馬さんに揺られてもらいます」


「また、揺れるんですか……」


 正直もうウンザリといった口調でソラが肩を落とす。


「あいすまへん」


「ああ、いえ……まぁ徒歩で行くとかよりは全然いいですし。手配ありがとうございます」


「お安いご用です。そやけど皆さん、もしかしてお船に乗ったの初めてだったんやろか?」


「私は乗ったことありますけど、ぶっちゃけあれだけ小さ──揺れる船は経験ないですね……」


「私とお兄様は初めての体験でした」


「村から出ること自体、あまりなかったからね」


「あらまぁ、左様で。そしたらセナはんはどないなん? お船の経験あります?」


「任務で何度か。だけど、こんなに長旅になったことはありませんでしたね」


「それはそれは……えらい無理させたようですまへんなぁ」


 ユエは口元を袖で隠して悪びれもなく笑う。そうして彼女はソラたちの先を歩き、港を抜けた通りに待たせてあるという馬車の元へと向かう。一行は杖をつくソラにあわせてゆっくりと船から離れていった。


 ユエたちの格好からソラは想像できていたことだが、東ノ国というのはその身なりから風景まで、まるでソラが生まれ育った日本にうり二つだった。と言っても、目の前に広がる光景はソラが生きていた時代よりはだいぶ昔のもので、まだ見ぬ朱櫻といえど鉄筋コンクリートのビルが空を覆い隠すような街並みではないだろうと予想できた。


 波の音が遠くなると、その代わりに喧噪が近づいてくる。


 東ノ国のうち、首都「宮上(くがみ)」はおおよそクラーナと同緯度に位置するが、副都「朱櫻」はそのさらに南方の島にある。この港町は第二島群と呼ばれる副都周辺の島々の中で最も大きな港で、先程ユエが言ったように朱櫻から丘を一つ越えて西に位置していた。


 人の往来があるところまで来ると、通りの端に二頭立ての四輪馬車が待たせてあった。ユエはそれを指さし、「これでうちのお家までお連れいたします」。馬の様子を見ていた二人の御者はその声を聞くと、流れるような動作でソラたちを振り返り、深々と頭を下げた。


 その馬車は前後で大きさの違う車輪が特徴で、どうやらサスペンションまでついているようだった。箱型の客車は一見すると質素な作りに見えたが、よくよく観察すると黒の外観は漆塗りのようで、彫り込まれた細かな模様が見事なほか、端々には蒔絵や螺鈿といった装飾も施されている。


 御者の一人が真ん中のドアを開けると、中は一層豪奢で──しかし派手すぎるとはなく、腰を落ち着けるシートには深い色合いの織物が使われ、その膨らみは程良く座り心地もよさそうだった。窓には細い木が緻密に組み合わされ繊細な幾何学模様を作り出す組子細工がはめ込まれている。


「はぁ~。何かすげぇ豪華な馬車だな」


 セナは口笛を吹いてそう言う。エースとジーノもすごいすごいと感心しきりで、目の前のきらびやかな作りをしげしげと眺めていた。


「……」


 その中で一人、ソラだけが馬車を前に表情を凍らせていた。彼女はそれらの技巧を評価できるほどの知識を持ち合わせないが、その一つ一つの技法は作り手が何年何十年かけて身につけた熟練のものであることは知っていた。そういった伝統的な工芸技術が惜しげもなく散りばめられた馬車──それにこれから乗ることに、ソラはすっかり恐縮していた。


 同時に、一つの疑問が生じる。


 これほどの待遇で迎える理由は何なのか。ソラたちにお家柄を自慢するために持ってきたとか、そんな単純な話ではあるまい。ただ義手を作りにきただけ……魔女の話を聞かせてもらいに来ただけ……その目的に不釣り合いな迎賓にソラは恐れおののく一方で、その裏に何かとんでもなく厄介な理由が隠されているような気がしてならなかった。


「……、……はん」


「……」


「ソラはん」


「──ハッ! はい? 何でしょうか?」


「そらこっちの台詞ですわ。どうしなったん? さっきからぼんやりしとりますけぇど」


「あ、ああ……いえ。ちょっと驚いていただけで……」


 顔をひきつらせるようにして笑うソラに、ユエは口元に綺麗な弧を描いてニコリとする。


「多少汚したくらいじゃ怒ったりしまへん。安心してください」


「いやいやいや汚したりとかそんなんできませんから絶対に。というかそういうことじゃなくて……えっと……」


「何でしょ?」


「この好待遇、ちょっと怖いんですけど。何なんですかいったい……」


「あら。そないなこと気にしてはりましたの? 前にも言いましたやろ。ソラはんは崇子様──この国では手厚く歓迎されてしかるべきお方なんやから、これくらい当たり前です」


「あ、当たり前……ですか……」


「ええ。当たり前です」


 ユエのその作り物めいた笑みはかえって不気味で、ソラは彼女から半歩下がったところで納得したふりをする。


 馬車のドア手前でエースとジーノがソラを手招いている。彼らはどうやら早く内装を身近に見たいらしかった。自分との温度差にソラは思わずため息をつきたくなるが、美しいものを前にテンションを上げるなというのも無理な話ではあった。


 ここで立ち止まっていても仕方がないのも事実だ。ソラは意を決し、馬車に乗る一歩を踏み出した。

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