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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第四章 東ノ国
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第3話 「錯覚」

 船室のドアを開け、狭く暗い廊下を通って外に出ると、クラーナでのそれと比べてやや柔らかく感じられる日差しが辺りに降り注いでいた。


 空は全体に薄く雲がかかっているように淡い色合いで、出港前に見上げた真っ青な顔とはまるで違って見える。時折流れてくる白く低い雲が甲板に日陰を作り、その下には見慣れた金色の髪がそよいでいた。


「ジーノちゃん。ここにいたんだ? 風が気持ちいいね」


 ソラはコツン、コツンと板を鳴らしながらその背中に声を掛ける。


「ソラ様。出歩いても大丈夫なのですか?」


「そんなに心配しなくても平気だって。ただちょっと疲れやすいっていうか、そのくらいだから」


 ソラは全身の痛みのことについて、ジーノをはじめ誰にも打ち明けていなかった。言えばジーノとエースは過剰に心配するだろうから。


 今の状況で、ソラはこれ以上あの二人に心労をかけたくなかった。特にエースには失ってしまった左腕のことで負い目がある。彼が苦しむ姿を極力見たくないソラは、これまで通り痛みは膝の周辺のみにあると装って洋上での生活を送っていた。


 加えて言えば、ソラは自分の姿を見た他人が浮かべる悲痛な表情を目にするのが嫌だった。ソラ自身は平気でありたいと思っている目の前でそういった顔をされると、その意志が打ち砕かれそうになる。


 同情はあってもいい。心に寄り添ってくれるのはありがたいことだ。だが、そこに悲しみはいらない。ソラは自分の境遇をかわいそうだと思われたい人間ではなかった。ただ、選んだことを肯定して隣にいてくれるだけでいい……。


 その本心を打ち明ければそのように接してくれる者もいるだろう。それは彼女自身も分かっている。年の功と言うべきか、ケイなどであればそういったことに上手く対処してくれたはずだ。


 しかし彼女は今この場に居ないし、ジーノとエースはソラが望むようにはできないだろう。だからソラは自分の深いところの気持ちを話さないし、体調のことを話すつもりもなかった。


「……いやぁ、この距離を歩くだけでもやっとだね」


 ソラはジーノの隣まで来て、甲板の手すりに背中を預けて笑った。


「あまり無理はされないでくださいね」


「ま、疲れたらその辺に座って休むし。大丈夫ダイジョーブ」


「ですが……腕のこともありますし……」


 そう言われて、ソラは改めて左腕を見る。羽織の下に隠した袖──ケイに買ってもらった上等な衣服はクラーナでの戦闘で無惨にも切り裂かれたわけだが、ソラが寝込んでいる間にジーノが繕い、再度着れるように直してくれていた。今は袖から除く腕に白い包帯を巻いて、傷口を見えないようにしている。


「服、直してくれてありがとね。血抜きも大変だったでしょ?」


「いえ。お安いご用です」


「ううん、とても大変なことだよ。何てったって──」


 そう言って一呼吸置き、ソラは手すりに頬杖をついて遠くを眺める。


「お高い……服だからね……」


 どうしてわざわざ繕い直したかと言えば、あっさり捨てるには気が咎めるそのお値段が原因だった。


「さすがにケイ先生には一回ちゃんと謝らないと、私の気が済まないよ。いやまぁ、私のせいではないんだけどね?」


 にへら、と表情を緩めるソラにジーノはどう反応したらいいのか分からないようで、彼女は先ほどから下の方で視線を迷わせていた。ソラはそのまともな反応に仕方なさそうに笑って、


「……腕なくなったのに案外元気そうでびっくりしてる?」


「そ、それは……」


「私も自分で驚いてるんだ。腕に関してはそれほど気落ちしてないことにね」


「……」


「確かに衝撃的なことではあったんだよ? めっちゃ痛かったし。死ぬかと思ったし。あと、寝起きに腕がないこと忘れてると地味にへこむけど」


「ええ……」


「でも死んでない。そう考えたら……まだ生きてるしいっかぁ、みたいな?」


「ソラ様……」


「死んで何もなくなってしまうよりは……何もできなくなってしまうよりは、全然いいじゃん? まだマシって程度だけど、私にとってはそれで十分なんだよね」


 ソラは左腕を見やり、そう言う。


「──ああでも……深刻になってないのは、こうなっちゃったことをどう受け止めたらいいのか分かってないからなのかも?」


「どう受け止めるか……ですか?」


「うん。今はまだ、生きててよかった~ってところで思考が止まってるからさ。あのジョンって子を恨んでいるか?仕返してやりたいか? ってとこまで行ってない……そこまで頭がついて行ってないんだ」


「私は次に会うことがあったらぶん殴ってやりたいと思ってますが」


「あはは。そうね。でもまぁ、それをやるとすれば、キミではなく私かなぁ……」


 ソラはそのままの体勢で視線だけをジーノに向け、何の気なしに口から言葉をこぼす。


「あんまり人を恨みたくないんだけどね。人生それしかなくなると他の嬉しかったこととか全部なくなっちゃって、もったいないからさ」


 それを聞いたジーノが表情を固くする。ソラは彼女を横目に見つめ、しばらくすると二度、三度と瞬きをして静かに顔を逸らした。その視線の先に、甲板に出てきたばかりのエースを見つける。


「あっ。 エースくん」


 ソラは手すりから体を離しわずかに反り返りながら彼の方を見る。エースはソラの声を聞くや否や、駆け足になって彼女の元にやってきた。


「ソラ様!」


「うん。どしたの?」


「お部屋に行ったらソラ様がいなかったので……心配で」


「ごめんごめん。ちょっと体を動かしておきたくて」


 ソラは申し訳なさそうに後頭部に手をやり──と、そのとき船が高めの波に乗り上げ、船体が大きく揺れた。ジーノとエースは踏ん張ってその場に耐えるが、ソラはバランスを崩して背中から転んでしまう。


 それを受け止めたのはエースだった。


「おっと。失礼」


「ソラ様、やはりお部屋に……」


「そうだね。戻ろっか」


 我ながら何とも情けない。ソラは少し表情を歪め、エースに手伝ってもらって立ち上がる。彼女はそうしながら、柳眉を顰めて微妙な表情のまま固まっているジーノに向き直り、パッと明るい笑みを浮かべた。


「とにかく! 面倒な話は抜きにして、今は……生きててよかったねってことで」


「……」


 ソラのあっけらかんとした態度とは逆に、兄妹は沈痛な面持ちで無言だった。妙に沈んでしまった雰囲気を浮上させようとしてみたものの、失敗したようである。ソラはしまったと言わんばかりに眉間にしわを寄せ、それでも一緒に暗くなることだけはせずに、すぐ隣にいるエースに肩を当ててた。


「はいはい、そんな顔しないの」


「そう言われましても──」


「私はエースくんを庇ったこと後悔してないんだから。気に病むなって言うのは無理かもしれないけど、そんなに自分を責めるもんじゃないよ」


「……、はい」


「分かったのならヨシ」


「……よしと言えば」


「何かな?」


「ソラ様のタックルが案外力強くて、元気そうでよかったです」


「オゥ……痛かったら申し訳ない」


 大丈夫です、と言ったエースを見てソラは笑みを作り、そのままジーノを向く。


「ね! ジーノちゃん。私は大丈夫だから、キミもあんまり考え込みすぎないようにね?」


 だが、ジーノはうんともすんとも言わなかった。ソラは杖を握ったまま、指先だけでそんな彼女を呼ぶ。ソラは戸惑いながらも歩み寄ったジーノに一歩踏み出し、その肩に顎を乗せ自身を預けるようにしてわずかに寄りかかった。


「ここまでくるとエースくんもジーノちゃんも大切な弟妹みたいなものなんだしさ──」


 ジーノはその体を抱き留めようとして……しかしどうしても手がそれを拒み、彼女は結局ソラの思いを受け止めることはできなかった。


 それでもソラは表情を崩さず、自らジーノの背に手を回しギュッと抱きしめ、


「私にとってはキミたちが無事であることが一番なんだよ」


 深い愛情を込めた声色で呟く。


 それに呼応するようにジーノは重い腕を上げ……抱きしめ返す前にソラは離れていってしまった。ジーノは行き場をなくした手を背後に隠し、惑い揺れる瞳で彼女を見る。


 その視線を受けたソラは目を細め、杖を左脇に挟んでどうにか足だけでバランスを取り、空いた右手をジーノの頭に乗せる。日差しにとける金髪を撫でて、最後に軽く指先で叩いて離れる。


「──じゃあ、部屋に戻ろうか」


 何事もなく笑うその姿は、あまりにもいつも通りの彼女だった。

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