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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第四章 東ノ国
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第2話 「悔いがあるとすれば、それは……」

 よく知った細い廊下。


 突き当たりの窓辺に小さな冬の花が飾られたその通路に、鈴が歌うように可愛らしい少女の声が響く。


「おにいさま、おにいさま」


 ──これは何度目かの夢である。


 私は普段より低い位置にある目線を動かし、声の方を向いた。


「おにいさま、大丈夫ですか? ジーノにはこのごろおにいさまの具合がよくないように見えます」


「大丈夫……だよ。ごめんね、心配をかけてしまって」


 それが嘘だと私は知っていたが、()がそう言ってしまった以上「大丈夫」であることが本当として少女に伝わってしまう。彼は最近いっそう下手になってきた笑みを浮かべ、精一杯に自分の言葉を肯定してみせる。


 私の胸の中に、彼の弱々しい声が木霊する。


 助けてほしい。


 とても苦しいんだ。


 気づいて……。


 だが、それではいけないともう一人の彼が言う。妹にこんな弱いところは見せられない。妹の理想を裏切るわけにはいかない。


 大切な彼女を失望させることだけはできない。


 だから彼は無理矢理に口角を上げて言うのだ。


「大丈夫なんだよ」


「ほんとうですか?」


「うん。本当」


「わかりました。ですが、もしもほんとうに具合がわるくなったときは、そう言ってくださいね。元気になるまで、ジーノがいっしょうけんめい、かんびょうしますから」


「ありがとう。その時はよろしくね」


「はい!」


 彼女はにっこりと笑ってそう言うと、自分の部屋に戻って行って勉強の準備をし始めた。そこに、居間の扉を開けて出てくる人物が一人──私はその女に向かって殴りかかりたくなったが、彼の足は竦んで動かなかった。


 彼は女が投げて寄越した視線に全身を震え上がらせ、たまらずにその場から逃げ出してしまう。私は彼と一緒に廊下から礼拝堂へと抜け、観音開きの扉を開けて外に出た。彼は重たい足取りで聖域の方に歩いて行き、平時であれば人がやって来ることはまずないその場所でしゃがみ込んで、小さな背中を丸めて涙を堪えた。


 どうしてこんなことで泣いてしまうのだろう。


 もっと強かったらよかったのに。


 全部、弱い自分が悪いんだ。


「そんなことないよ……」


 これは過去の出来事だ。


 どうしたって変えようのない、既に起こり過ぎ去ってしまった過去なのだ。


 けれど私は彼の傍らに身を寄せ、その肩を抱き寄せて頭を撫でる。伝わるはずがないと分かっていても、そう声をかける。


「キミが悪いなんて、そんなこと絶対になかったよ……」



 ──彼と同じ涙を流し、ソラは目覚める。



「……」


 船室のベッドで目を覚ましたソラは目尻からこぼれた涙を手で拭うと、軋む体をゆっくりと動かして起き上がり、床に足を下ろした。


 外の空気が吸いたい。


 彼女は靴を履き、左側に置いてある杖を取ろうとして──それを掴む腕がないことを思い出した。


「そうだった。あぁ……クッソ……」


 自分でやっておいて落ち込むのだから、腕を失ったことには早く慣れなければいけない。ソラは小さくため息をつくと、枕元に置いてあった着物の上衣を羽織り、左腕を覆い隠した。そして改めて右手で杖を掴み、「よっこらしょ」。年寄り臭い掛け声をかけて立ち上がる。右足の代わりに杖を突く腕に体重を掛け、赤子のように頼りなく酔っぱらいのようにおぼつかない足取りで部屋の出口へ向かう。


 商都クラーナで陰の魔力を使ってからというもの、膝の痛みは全身に広がっていた。それは三年ほど前に病気の治療で投与された薬の副作用によく似ていた(頭の鈍痛と節々の痛みはインフルエンザにかかったときの頭痛・関節痛をもっとひどくしたようなもので、場合によっては立っていられなくなるほどの激痛を発する)。


 今のソラにそこまでの症状は出ていないが、鈍く続く痛みは確実に彼女の体力を奪っていた。


「ウッ……ドアまでが遠い……」


 彼女の足は船体が波で揺れるのに合わせて右へ左へとふらつく。これで船酔いまでしようものなら悲惨と言うほかない。しかしそこは持ち前の「不幸中の幸い」が発揮されたのか、吐き気などの症状は一切出ていなかった。


「ハハッ……気持ち悪いよりだったら痛い方がマシなんだよなぁ。イッテテ……」


 急に肩のあたりに刺されたよな痛みを感じ、ソラはその場に座り込む。立てた右膝──七分丈のレギンスがずり上がり、その下から黒く変色した肌がのぞく。彼女はその裾を慌てて下げ、目に見えないようにする。


 壊死しているわけではなくただ色が黒いだけのそこには触覚がない。動かすことはできるため足としての機能は果たすが、痛み以外の感覚が失われている分、以前とは別の歩き辛さがあった。


 今では膝から太股の中程までの感覚をなくしてしまっている。


 ソラは床に座り込んだまま天井を仰いで瞼を閉じる。


 今のこの状態が健康的にいいものであるはずがない。体には確実にガタ(・・)が来ている。


「……」


 自分はもう駄目なのだろうか。


 ソラは元の世界でがんの宣告を受けた際のことを思い出していた。あの時も、同じような虚無を感じた。全てが無駄になって、前も後ろも見えなくなって……身動きができずその場にとどまり続ける以外に道がない……人生が行き止まった感覚。それなのに時間だけは進み、周囲の環境はめまぐるしく変わっていく。


 世界から置いてけぼりにされて、この世でたった一人になってしまったような孤独。


「……はぁ」


 現在、ソラは魔女の情報を求めて東ノ国へと向かっているが、彼女は何となく、その話を聞いたところで事態が好転することはないだろうと感じていた。あいている穴には漏れなく落ちてきたような人生──今が穴の底だとしたら、どれだけの幸運を掴めばここから這い上がることができるのだろう?


 ふと、誰かの言葉が脳裏によみがえる。


 ──軟派な態度が好きじゃないからやめた方がいいって言いたいだけ。


 それは随分と年下の少女に言われた諫言であった。


「貴方、向上心がないのよ」


 その指摘にはぐうの音も出ない。あの時(・・・)も今もまさにその通りで、ソラはこれから行く先が袋小路だと思いこんで勝手に落ち込んでいる。


 そんな彼女を叱りつけるかのように、少女の声が耳に響く。 


「カッコ悪いとこばっかり覚えてられても困るもの──」


 好きな人を前に、いいところを見せるのは当たり前だと胸を張ったその子。辛い現実に立ち向かい戦ってきた彼女の言葉はソラの心に深く突き刺さっていた。


「落ち込んでてもしょうがない、か……」


 現状を嘆いていても仕方がない。これから先どんなことが起きようとも、今できることをやって足掻かなければ……そうしなければ、悪い結果となったときに足掻いたことを言い訳にもできず、醜く何かを呪うことになる。


 そんな醜態だけはさらしたくない。


 それに──、


「あの子たちだけは、無事に帰してあげないとだもんね」


 ソラは閉じていた瞼を開き、天井からつり下がるランプを見つめる。不安定に揺れる明かりは彼女の心を現しているようであった。ソラはそこから目を逸らして、再び立ち上がろうと杖を握る。


 そのとき彼女はほんの少しだけ、体の痛みがどこかへ行ったように感じた。

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