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異世界神の黒き花嫁  作者: 未鳴 漣
第三章 クラーナ
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第36話 「裏切り 3/5」

 クラーナの都はその半分近くが破壊されてしまった。都外の避難所には負傷した騎士や憲兵が続々と運び込まれ、怪我の重度別に天幕を分けるようになっていた。ジーノはそれらのうち赤の旗が立てられた天幕の中で、寝台に横になって昏々と眠り続けていた。消費した魔力を回復するためとはいえ、まるで死んだようにも見えるその寝顔は見る者の肝を冷やすと同時に、背筋を凍らせるほどの美しさを持っていた。


 そんな彼女と似た顔をした男が、天幕の入り口をはぐって中に入ってくる。疲れた様子のエースは寝具と一緒に数枚の布を持っていた。彼は空いているベッドを確保すると、その周りに目隠しの布を張ってささやかな個室を作り上げた。その後、腕の止血と傷口の縫合を終えたソラを運び、ケイとユエがやってきた。二人は担架をベッドの横につけ、ソラの体を静かにベッドへ移動させる。


 ソラはまだ麻酔から覚めて意識が朦朧としている状態だった。


「うう……痛い……いた……、ぅぐ……」


「ソラ様……」


 譫言を繰り返す彼女に話しかけても、はっきりとした答えは返ってこない。エースは眉をハの字に下げて心配を露わにする。


「何もできないというのは、歯がゆいものですね……」


「仕方なかろう。私たちの治癒魔法はソラには効かないんだ」


「はい……」


「しかし目が覚めるまで見守ることはできる。そばにいてやってくれ」


「もちろんです」


 そこに、同じ天幕にいたセナが顔を出す。彼の腕にはロカルシュのキツネが抱えられていた。


「よぉ……そっちはどうだ?」


 彼は蚊が鳴くような声で尋ねた。目の方はもう十分に回復していたが、鼓膜については治療したばかりで、耳の聞こえはまだあまり良くないらしい。ロカルシュの単独行動は知っており、彼は今、相棒に関する知らせを待っているところだった。


 そんなセナの耳もとに近づいて、ユエがソラの容態を伝える。


「麻酔が完全に抜ければ……夜半くらいには今よりはっきりお話できるようになりますやろな。そしたら今度は麻酔の副作用が出始めるんやろうけど、そちらの症状は別のお薬で軽減させることもできますし、まぁ問題ありまへん。順調にいって痛み止めも効くようなら、明後日頃にはゆっくり体を起こすことぐらいもできるようになると思います」


「山場はだいたい越えてるってことか?」


「手放しで楽観はできまへんけど、そう深刻になることもないです。うちとケイはんとで早々に適切な処置ができたのが幸いしましたわ」


「……負傷者の中じゃ、魔法治療ができないこいつが一番重傷みたいだな」


「魔法や符術で治療できたなら傷自体はすぐに問題なくなりますけど、この御方の場合は処置も手ずから、治癒も本人の体に任せるしかあらしまへんからなぁ」


 ユエが頬に手を当ててため息をついていると、同じような顔をしてケイも長く息を吐いた。


「とにかく、起きられるようになったらまずは食事だな。胃の負担にならない軽い物から食べさせるといいだろう。体力が戻らないことには傷の治りも悪いからな。元気がなくても、寝たきりにだけはならないよう気をつけないといかん」


 そうして話す間も、ソラは苦しそうに息をしたり、痛みにうなされて顔をしかめたりしていた。暑いのか、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。


「少し周りの空気を冷やすか。病人にこの環境はあまり好ましくない」


「そしたら、うちはその辺でお水もろてきますわ。汗っぽいと気持ち悪いやろし」


「よろしく頼む」


「俺は薬の在庫を確認してきます。鎮痛剤が足りてませんし、解熱剤もあった方がいいですよね?」


「そうだな。抗生剤は私の方で手持ちがあるし、今用意できるのはそのくらいか。しかし……さすがに疲れたな……」


「師匠も少し休んでください。大量でなかったとは言え、輸血で血をなくしてるんですから」


「ああ、そうだな。エース、ついでに何か食べ物を見繕ってきてくれ。こんな時だが、腹が減ってしょうがない」


「分かりました。すぐに持ってきますね」


 ユエとエースが天幕を出て行き、ケイは次第に涼しくなり始めた個室の中でようやく肩の力を抜いて一息ついた。それから少し間を置いてエースが軽食を持って戻って来て、今度は薬の在庫確認に走っていった。洗面器いっぱいの水と清潔な布巾を調達したユエは、ソラの負担にならない範囲で体を拭っていた。


 ソラは気温が下がってきたおかげか、暑苦しさに唸ることはなくなっていた。彼女の容態はどうにか安定していた。ケイは再び戻ってきたエースに看病を任せ、少し仮眠を取ることにした。


 そして半刻ほどが経った頃、天幕の外からは慌ただしく走る複数の足音が聞こえていた。


「外が騒がしいようだけど、何かあったのかな?」


 ソラの容態を気にしながら、エースが天幕の外に目配せする。


「仕方ねぇな。俺が見てきてやるよ」


「うちも一緒に行きましょ」


「ガキじゃない。一人で行ける」


「そない言うてもアンタはん、まだ耳遠いんやろ。人の厚意は黙って受けとくもんやで」


「余計なお世話だってんだよ……」


 セナは不本意ながらユエに付き添われ天幕を出て行った。しかし彼はその後すぐに戻ってきて、椅子に座って眠っていたケイの肩を揺すった。


「おい、先生。ちょっといいか」


「……ああ……うん。どうした?」


 セナはぼんやりと瞬きをする彼女を外に連れ出す。そこではユエが錫杖の先に鷹をとまらせて待っていた。


「ケイはん。この鷹さんアンタんとこの相棒とはちゃいますよな?」


「その通り違うが……何か伝えたいことがあるようだな」


「なぁ先生。そいつってもしかしてロッカからの使いか?」


「おそらく」


 ケイは革の手袋をはめ、自分の相棒を呼ぶ。バサバサと翼を翻して興奮する見知らぬ鷹を落ち着かせ、ケイは陪審を介してその話を聞き出す──が、彼女は二つ三つ頷くと渋面になってユエを振り返った。


「ユエ殿、ちょっとお話が」


「何でしょ?」


 ケイはユエの肩を抱いて耳元に口を寄せ、「ツヅミが裏切り、宿借り側についた」とだけ告げた。


「そないなこと……」


「おい、先生さんよぉ。そいつロッカの使いじゃねぇのかよ? 何て言ってんだ」


「ユエ殿、これはいずれ皆に知れることだ。私は自分から話した方がいいと思うが」


「そ、そやね。隠しておいてもいいこと、あれへんよね……」


「んだよ。何があったんだよ?」


「……ツヅミに……してやられましたわ。あの子、何や知らんけど宿借りの方に寝返りよったようで……」


「はぁ? 何だって!?」


「うちの(もん)がご迷惑を……、えらいすまへん……。堪忍です……」


 ユエはこれまでのふてぶてしい態度からは想像もできないほど小さく縮こまり、そう言った。聞かされたセナは目を皿にし、金魚のように口をぱくぱくとさせるばかりで何も言えなかった。


 そこに、一人の騎士が外野から声をかける。


「失礼します。先生、少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか」


 彼女はケイに用があるらしかった。


「騎士殿から呼び止められるとは、何の用向きだろうか?」


「申し訳ありませんが、自分はその内容を知らされておりません。とにかく先生をお連れするようにとのことで……どうか本部までご足労ください」


「ふむ……」


 ソラの容態は、ひとまず危険な状況を脱している。無闇に断る理由もないため、ケイはひとまずユエにソラのことを頼み、セナと一緒にもといた天幕に帰した。


 彼女はロカルシュが使わした鷹を連れ、女騎士の後について行く。治療室として使われている天幕を三つほど通り過ぎ、ケイが案内されたのは騎士および憲兵の上級職が集まる場所だった。


 入り口をくぐると、厳つい壮年の男と、痩せ気味で神経質そうな中年の男、そしてケイと同年代のやや恰幅のいい女が待っていた。三人のそばにはそれぞれの部下が一から二名ついており、そこはつまり、クラーナの一斉避難に関する対策本部であった。


 ケイは三人の士官に順に挨拶をし、咳払いをして先に話し始めた。


「コホン……そちらの話の前に、私の方からもお伝えしたいことがある」


「手短にお願いできるかしら」


「心得た。まずは……異国の男が宿借りの逃走を手助けしたようだ。彼らに接触したロカルシュたちはその場で交戦し負傷。追跡は困難とのことらしい」


「マキアスからの鳩で確認した内容と一致するわね。馬二頭が避難所の仮設厩舎から突然走り去ったという話も上がってきているし、それも異国の男の行動と関係あるのかしら?」


「どうかな。馬の件が彼と関係あるとは断言できないが、宿借りの少女は獣使いの才がある。可能性で言えば、彼女の仕業と考える方が妥当だろうな。ちなみにロカルシュも馬を三頭借りていったそうだぞ」


「ロカルシュの行動は把握しているわ。でも貴方、この話をいったい誰から聞いたの?」


「この子から」


 ケイは小さく手を掲げ、待機させていた鷹を示した。


「ロカルシュの使いだ。この子の話によれば、何やら向こうでは怪我人も出ているらしいな? そのことについて、貴方がたは何か詳しい情報を掴んでいるかね?」


 士官相手にも物怖じしないケイの態度に、神経質そうな騎士がびくびくとしながら口を開く。


「だ、第一騎兵隊のマキアス隊長が右大腿部を損傷、頭部も強打したが意識は明瞭……だそうで。ルマーシォ隊員は右肩部を損傷し意識不明。鳩を出した時点でマキアス隊長が止血を試みている、らしい」


「ロカルシュは?」


「左手を地面に串刺しにされて動けないとのこと。い、痛みに耐えてずっと泣いているとか」


「そこで貴方にお願いしたいことがあるのだ」


 壮年の騎士がケイを指さし、話し始める。


「こちらの医療班は街で負傷した騎士や憲兵の治療にかかりきりだ。都の異常を目撃した民にも混乱が広がっており、中には動揺して倒れる者も出ている。正直な話、マキアスの方まで救護の手が回らない状況だ。だから──」


「よし。いいだろう」


 騎士の話を途中にして、ケイは一人頷く。


「いや……まだ何も頼んではないのだが……」


「私にあちらの救援に行ってほしい、という話ではないのか?」


「祷り様の治療はどうするのだ? セナ隊員の話では何やら特殊な体質で、魔法での治療が困難とのことらしいが」


「彼女については……まだ大丈夫とは断言できない容態だが、山は越えている。弟子に任せても問題はない」


「貴方がついていなくとも?」


「私としてもできれば患者のそばについていたいが、そうもいかんのだろう? 弟子の頭には私の技術が全て入っているし。うん、大丈夫だ」


「そうか」


 微塵の迷いもなく自信たっぷりに頷いたケイに、士官三人は顔を見合わせて頷き合う。


「ではさっそくご協力いただこう。道案内は貴方の腕にいるその使いに頼むということでいいだろうか」


「うむ、その方が確実だろうな。随伴の人員は誰かいるか?」


「貴方を案内してきた騎士をつける」


「一人か」


「も、申し訳ないが、人手はどこも足りない。ので……」


「近くを捜索していた第一騎兵隊の二名が、マキアスからの知らせを受けて現場に向かっているそうよ」


「そうなのか。では現地で落ち合うとしよう」


「頼んだわ」


 話が終わるとケイは天幕の布をはぐり、ここまで案内してくれた女騎士と共に外へ出た。ケイは少し歩いていったところで立ち止まり、後ろからついてきていた騎士を振り返って手を差し出す。


「ケイだ。よろしく頼む」


「自分は南方第六騎兵隊所属のエィデルと申します」


 エィデルの手は小さく華奢だったが、存外力強くケイの手を握った。背丈も決して高いとは言えず、その見た目のせいでこれまで周囲から侮られてきたことは想像に難くない。だが、彼女の瞳は力強い光を放っており、普通ならコンプレックスになるその特徴を逆手に取って生き抜いてきたであろうことが窺い知れた。


 二人はソラが休んでいる天幕まで戻り、他の皆にツヅミが離反した件と、これからロカルシュの救護に向かうことを話した。


「先生。アンタの人間性はともかく、腕は疑っちゃいない。ロッカのことを頼むぜ」


「ああ」


「ソラ様とジーノのことは俺に任せてください」


「そう気負うなよ、エース。何かあればすぐに鳩を寄越しなさい」


「はい」


 ケイはエースの頭を撫で微笑む。そしてユエにも声をかける。


「ユエ殿、弟子たちのことを頼む」


「お引き受けいたします」


「それと……」


 頭を下げて了承するユエに、ケイは声を潜めてあることを伝える。


「ここだけの話にしてほしいんだが、エースは魔法がほとんど使えなくてな。魔術的な治療は──さっきのソラの処置を見て分かるように一通りできるんだが、魔法的なこととなると、どうしても力が及ばない。どうか補助してやってくれ」


「そうやったんか……。ええ、相分かりました」


「よろしく頼む」


「そしたらうちが一番大人になるんやし、しっかりせなあきまへんな。そやけどケイはん……」


「ん?」


「……いえ、なんも。それはそうと、アンタはん輸血で血ぃなくしてるんやし、倒れたりせえへんよう気ぃつけなはりや」


「おっと、そうだった。ついつい忘れてしまっていけないな」


「いややわぁ。今から物忘れなん?」


 ユエは景気付けのようにケイの背中を叩いて笑った。その後、ケイはソラに必要となる薬剤をエースに分け、手早く荷物をまとめ始めた。


 彼女は作り終わった荷物を馬に持たせると流れるような動作で騎乗し、ロカルシュの使いと自分の陪臣を空に飛び立たせた。彼女は騎士エィデルと共に、砂原の向こうで待っている要救護者の元へと急ぐ。


 その後ろ姿を見つめ、ユエは独り言のように呟く。


「すまへんな、ケイはん……」


 その言葉は誰に聞こえることもなく、白い砂塵の海に消えていった。

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