第30話 「白昼の悪夢-反撃」
セナが覚悟した痛みはいつになってもやってこなかった。けれど爆風にも似た風圧は感じた。もしかしたら自分は気づかない間に死んでしまったのかも知れない。しかしそうなると不思議なのは鼓膜が破れた痛みが未だ続いていることである。自分の生死が定かではないセナは恐る恐る瞼を上げ、眼前の光景に目を見開く。
先ほどまで振り上げていたはずの巨人の腕が石の鎖に拘束されている。鎖は地上からいくつも伸びて雁字搦めに巨人を巻き上げた。続いて、その巨体を地面につなぎ止めるようにして楔が打たれる。
「何だ!? 何が起こった?」
耳の聞こえないセナは声を張り上げて周囲を見回した。だが、屋上に配置された騎士たちはセナのように混乱しているか、依然として押し潰される恐怖に震えているかだった。少年の問いに答えられる者はいない。セナは縁石から身を乗り出して広場の方を見る。
こんなことが出来るのは膨大な魔力を有するあの女しかいない。
視線の先にはひときわ明るく輝く魔鉱石の光が見えた。その視界の端に、建物の屋根を走ってこちらへ向かってくる人影があった。
何者かはやがて巨人に近づくと、腕から二本ある符術の帯を伸ばし、その先端を氷の腕に巻き付けて自身を宙に引き上げた。
それはツヅミだった。
彼はあっという間にジョンの頭上に躍った。巨人から帯を離したツヅミは器用に空中で一回転し、片腕の帯を再び伸ばして巨人の頭に絡みつけた。彼はそのまま、長さを縮めて一気に落下していく。自由になっている方の腕を引いて、帯を巻いた拳を頬の脇に構え、墜落する勢いに乗せて人外の打撃をジョンの顔面に打ち込む。
──が、それでも彼女は無事だった。
ほぼ無尽蔵の魔力で鋼鉄の盾を掲げるジョンを傷つけられる者はいない。
それと同様に、彼女が操る巨人を引き留めておくこともまた難しかった。巨人はため息をつくようにして冷気を吐き出し、石の鎖を引き千切って進行方向を広場に改めた。先に面倒な魔力を持つ敵を潰しに行くつもりなのだろう。体の大きさに見合わない素早い動きで、その氷塊は詰め所を離れた。
そうして移動する間にも街は壊れていく。我慢ならないセナは急いで使用済みの鉱石莢を排して、仲間が抱えていた重加鉱石弾を奪い取り、装填し直して狙いを巨人の膝裏に定めた。巨体の上を自在に飛び回るツヅミの姿も見えていたが、当てないように気を使ってなどいられない。せめて彼が巻き込まれないことを祈りながらセナは引き金を絞り、二度目の爆音を耳当て越しに受ける。
連射による魔力の大量消費で視界が暗転していく。だがセナはその中ではっきりと見ていた。
弾は狙い通り巨人の膝に当たっていた。壊すことが出来ないのなら、何とかその歩みを妨害できればいい。セナの銃弾は後ろから巨人の膝を折って転ばせ、見事その目的を達成した。
「ヒューゥ! ザッマァ見ろボケナス!!」
濃い霧がかかったように物の輪郭すら判別が怪しい状態で、セナは歓喜の雄叫びを上げる。弾は幸いツヅミにも当たらなかったようで、彼は地面に崩れ落ちる巨人にちょこまかとしがみつき──そうかと思えば咄嗟に帯が刺さる先を変えてその場を離れていった。
それから一呼吸遅れて、巨人は広げた手の平から細長い槍を生成し、その手に握った。ソレは一閃とも言うべき動作で槍を一文字に振り、後方に位置していた詰め所を薙ぎ払った。
建物はそのど真ん中を両断される。屋上の射手たちは崩れていく建物に巻き込まれないよう、各々で蜘蛛の子を散らすように待避を始めた。皆そろって近くの建物に飛び移るなどし、悲鳴や怒声が上がる。その中で、セナは縁石にかじりついたまま逃げ出すこともなく、自分の体が不自然に傾いていくのをひどい立ちくらみか何かだと勘違いしていた。
一時的にとは言え、セナは完全に目が見えなくなっていた。そのことに気づいたのは一人の青年騎士だった。未だのんきに突っ立っているセナの後ろ姿を見た彼は、無我夢中で少年を小脇に抱え、隣の建物の屋根に転げ落ちるようにして避難した。
セナを助けた青年騎士は地上に降り立つと、彼の頭に拳骨を落とし、唾を飛ばして叱りつけた。
「死にたいのかお前は!!」
「イッテェ! 誰が殴りやがった!?」
「俺だよ! 目の前にいるだろうが! ってコイツ見えてないし聞こえてないんだった!」
「何なんだいったい。何が起こってんだか分かんねぇぞ……」
「ああクソ……ちょっと待て! いま教えてやっから!」
青年は悪態をつきながら、言葉を発さずに通じる暗号として使われている指符号を用いて会話を試みる。彼はセナの手を取ってその指を立てたりある特定の形を作ったりし、手早く、しかし確実に言葉を伝えた。
『敵の攻撃で詰め所が全壊。お前を連れて待避した。』
「そうだったのか! 迷惑かけたな。それで今はどうなってる?」
『敵、広場方面に向けて前進。』
「チッ! あの女の魔法でも引き留められないのかよ……」
青年はセナの言う「あの女」が誰を指し示すのか分からなかったが、状況から察するに石の鎖を操った人物のことだろうと理解した。だとすればセナの言うとおり、足止めは出来ていない様子である。そのことを伝えようとすると、ひとまず会話を切り上げて対応しなければならない事態が生じた。
『──小型の敵、出現。』
「何だって!?」
セナの視界はわずかに物体を捉える程度まで回復したが、依然としてそのほとんどが暗闇に覆われた状態である。そんな彼に応戦は不可能だった。
青年は焦るセナの肩をたたいて落ち着かせ、すっくと立ち上がって彼を自分の背後に庇う。
未知の状況を前に手練れの騎士も面食らう中、唯一威勢を失わずに立ち向かった勇敢な少年。彼をここで見放すわけにはいかない。
至る所から湧いて出る無数の氷塊生物。今も地面を揺るがして進行を続ける巨人が人間大になったようなそれに向き合い、青年は腰に装備していた銃を抜く。
「チクショウめ! あんだけでかくなけりゃもう怖くも何ともないんだよ……!!」
土煙が晴れていく周囲でも、志気を鼓舞する雄叫びが上がっていた。青年は彼らと同じように叫ぶと、いつもより軽く感じる引き金を思い切りよく引き絞った。




