第28話 「白昼の悪夢-前夜」
「でもでもー、お昼に広場に来いって言ってるあの人たち、いったい誰のこと呼んでるんだろ?」
「わざわざコイツにしか分からない言葉で声明を残したんだぞ。その意味は明らかだろ」
セナはソラを指さしてそう言う。
「普通に考えれば、呼んでるのは私ってことになるのかな……」
「もしくは俺です」
エースは左腕を押さえて視線を足下に落とす。宿借りの手に掛かって死んだ被害者は必ずと言っていいほど左腕を傷つけられていた。エースが切ったナナシの腕──その恨みをにじませる行為だ。それを踏まえた上で、セナが言ったようにソラにしか分からない文字を残したことを考えると……。
「つまり、私たち二人ってわけだ」
「すみません、ソラ様。巻き込んでしまって」
「いや、あの時はああするしかなかったんだから仕方ないよ。それに、たとえお呼びでなかろうとも、私は行かなきゃならないんだし」
止めなければいけない。同じ世界で生まれ育った者として、この世界の人間を脅かす根元を。
見て見ぬ振りをしてはいけない。自分が善なるものだと証明するためだけではない、人道的にも許してはいけないのだ。そうなのだと分かっている。
それでもソラは未だに頭の片隅でこの騒動の中心にいるのが「宿借り」でなければいいと思っていた。そうであれば危ない目に遭わなくて済むかもしれない……行動に伴う危険を恐れての思いもあったが、それ以上に彼女の頭を占めるのは、ナナシへの恐怖であった。
あの男と再び正面から対峙しなければならない事実は、怪我をして痛い思いをするよりもずっと恐ろしかった。その感覚は、ソルテ村の聖域で祠の中を覗き込んだときのような気味の悪さに似ていた。理論や理屈に支配された感情ではなく、もっと根本的なところに刻まれた嫌悪。彼のあの目は、何かを感じるより先に吐き気を催すようなものだった。
ナナシという男は、瞳に映した景色を自分の目で見ていない。そんな虚ろを前に、果たして自分は立っていられるだろうか。ソラは小刻みに震える手を握る。
その隣でジーノがセナに聞いた。
「具体的な作戦などはないのですか?」
「奴らがやって来たところを何が何でも取り押さえる」
「……出たとこ勝負ということですか」
「悪いがお前の嫌みに付き合ってる暇はないぜ」
「私もこの状況で嫌みなど言うつもりはありません。ただの確認です」
「そうかよ。ならその通り、出たとこ勝負ってことだ」
吐き捨てるように言いながら、セナは部屋の中央にあるテーブルの上に都の全体を描いた地図を広げ、中心部を指さす。
「魔女、お前らはこの広場で二人を待ち受けろ。俺はこの詰め所の上階で狙撃を担当する。危なくなったら援護ぐらいはしてやるよ。ただし、時計塔から離れたり妙な動きをしたら直接お前を撃つからな」
「了解です……」
今から心労でげっそりとするソラは文句を言う気力もなく、短くそう答えた。ロカルシュは彼女と対照的に、今の危機的状況でも元気が有り余っているのか、テーブルに身を乗り出してセナに指示を尋ねた。
「私はどーしよーかぁ?」
「アンタはこの後すぐに就寝。いざって時に居眠りこかれたら困るどころの話じゃないからな。んで、朝になったらこっちで用意した犬を使って、クラーナ全域で避難し遅れた住民がいないか確認してくれ」
「わんちゃん、用意してくれるの?」
「野良に絡まれたと誤解されたくない。王国騎士の所属だったら目立つところに徽章つけてるし、安心だろ」
「そっかー」
「あとそれから──」
セナはロカルシュからソラの方に振り向き、少しだけ不本意そうな顔をして人差し指を立てた。
「お前らの周辺にこっちで人員を割くことも決まってる。王都行きのお客様をむざむざ殺されるわけにはいかねぇからな」
そこに、彼の言葉を笑う声があった。
「……何かご意見でも? 東ノ国の巫女さん」
「騎士はん、えらいおもろいこと言わはりますなぁ」
緊迫する雰囲気の中で、ユエは妙に軽々しい口調でそう言う。彼女はセナが広げた地図の中心、当日ソラが立つであろう場所を指さして首をひねった。
「そない言うくせして、ソラはんに前線立てぇて?」
「さっきも言ったでしょう。あのナナシって男に対抗できるのはこの女しかいないんです」
「ああ、そうでした。ナナシいうお人も異界の使者なんでしたなぁ」
「……へぇ。貴方がたはそれで納得するんですね?」
「そらな、そうですわ。何か?」
「いや、別に」
ユエはどうやら、ソラとナナシが持つ魔力──光陰(二属)の魔力と、地水火風(四属)の魔力の関係性について、よくよく理解しているらしい。
「そしたらうちはソラはんの援護に回りましょか。こっちかて、みすみす崇子様を失うわけにはいきまへんし。ツヅミもええやろ?」
「それだとユエ様を危険にさらすことになりますが」
「何言うてんの。そりゃアンタはうちの護衛かもしれんけど、この場合に優先すべきはソラはんやろ」
「ユエ様がそのようにおっしゃるのでしたら……」
「まぁアンタはうちのこと気にせんと、臨機応変に動きや。うちのことは自分でどうにかします」
「心得ました」
自分たちの役回りを確認し合うユエとツヅミに、セナは探るような視線を送る。
彼女らは自然と今回の作戦に参加する気でいるが、大陸内での捕り物に異邦人が積極的に関わってくるのも妙な話だ。勿論、先ほどユエが言ったように「崇子様」であるソラを守るためという理由はある。しかし……セナは大陸では見ることのない衣服を身につけた彼女らを訝しむ。
任務によっては外国の動向も探る特務騎兵隊員たる彼は、時に友好国の裏の顔を見てきた。表では笑顔で握手を交わしながら、足下で蹴り合う醜悪を見たこともある。
国外の人間だからと差別をするつもりはない。ないのだが……セナは職業柄、出会って一ヶ月も経っていない相手を手放しで信用することはできなかった。
その思いはケイも同じなようで、彼女は眉をひそめてユエとツヅミを見ていた。
「……」
「セナもお医者先生もどーしたの? 難しい顔してるー」
ロカルシュの言葉を受けて、ソラが顔を上げてセナたちの方を見る。エースとジーノの視線までも集めた二人は、表情を変えないまま直前までユエに向けていた視線をスッと横に移し、肩をすくめた。
「何でもねぇよ」
「ああ。何でもないさ」
妙な雰囲気にソラとエースは眉根を寄せる。セナは問いつめるように頬をつつくフクロウを追い払い、咳払いをして話のまとめにかかった。
「それじゃあ最後にもう一度言っておくが、奴らが明日広場に現れる保証はない。もしかしたら気が変わって夜中に動く可能性も十分にある」
「秩序とかそーいうのとは無縁っぽそうだもんね~」
「アンタが言うなって話だが、その通りだ。であればこそ、今お前らにできるのはいざという時に備えて寝ておくことだ。眠れなくても横になれよ。いいな」
セナはそう言い、特にソラとロカルシュに向かって念を押した。
そうして迎撃前夜の会議は終了した。各々は割り当てられた仮眠室へと入っていく。セナはソラが部屋の扉を閉めたのを見届けてから、雑務に戻っていった。
翌朝、騎士と憲兵が夜を徹して避難を呼びかけた甲斐あってか、普段であれば早朝から騒がしいクラーナの都は死んだように静かだった。最後まで残っていた教会の関係者も皆、周辺の住民があらかた避難を終えた夜半には都の外へ向かっていた。
正午までの数時間。
広場近くにはバリケードが築かれ、ソラたちは付近の物陰で指定された時刻まで待機することになった。セナと一緒に詰め所に残ると思われたロカルシュもソラについて来て、彼はそこから動物たちに呼びかけて都全域の避難状況を確認していた。
ウンウンと唸るロカルシュは顔を真っ赤に染め、時に奇声を発しながら辺りをグルグルと歩き回った。彼は未だかつてない能力のフル活用により、犬どころか騎士や憲兵の位置まで把握していた。そして、まだ居残っていた住民を犬たちに追い立てさせ、近辺を見て回る人間の元へ誘導しているのだった。
そうして、ひとまず避難が完了したと皆に伝わった頃。
異変はおよそ予告された通りの時刻に起こった。
突如として広場の地面が振動し、そうかと思えば時計塔が傾いてそのまま地下に数メートル沈み込んだ。慌てて塔の正面に出たソラたちの前に、土埃がもうもうと立ちこめる。
その向こうから、声が聞こえてきた。
「うぇっへ、ゲホゲホ……、ちゃんと塔の下に出れたのかコレ?」
崩落したがれきをよじ登り地下から顔を出したのは、やはり「宿借り」──その片割れであるナナシだった。
ソラは浅く息をしながら、表情を歪めてその姿を見る。
「やっぱり……貴方なの……?」
「お? ばっちり大丈夫だったみたいだな。さっすがジョンだぜ。狙い通りの場所に出やがった」
彼は場違いに明るい口調でヘラヘラと薄っぺらい笑みを浮かべ、地面から這い出てきた。まるでムカデが這っているかのようだ。ソラはすくんで今にも逃げ出しそうになる足を必死にその場に縫いつけ、留まる。
やがてナナシは斜めに傾いた時計塔の天辺まで登りつき、
「どうもどうも、皆さんご機嫌うるわしゅう。特に僕の腕をカッ飛ばしてくれた兄ちゃんと姉ちゃんは元気にしてたかな~?」
高いところでバランスのいい場所を確保し、服の裾についた土を手で払い落とし終わると、太陽を背にした彼は淀んだ黒い瞳でソラとエースを捉えた。
刹那、遙か後方の建物から俊足の弾丸がソラのすぐ真上を飛んだ。弾は真っ直ぐにナナシのこめかみを捉え──打ち抜く目前で見えない壁にぶち当たって砕け散った。ナナシはその音に驚いて危うく時計塔から落ちかけたが、何とか踏みとどまると、すぐさま挑発的な表情を浮かべて腰の乗馬鞭を抜いた。
「せっかちだな! でもまぁそんなにお急ぎなら僕もモタモタしてちゃ悪いか。そしたらさっさとお相手呼んでやろうじゃねぇの!」
彼が鞭を振り上げ、攻撃を予期したソラは手を突き出して広範囲に盾を展開する。しかし鞭の先端から発せられたのは小さな火花で、それは光の尾を引いて上空高く打ち上がり、大きな音を立てて破裂した。
都の外にまで響きわたるほどの轟音が鳴り響く。
それから一呼吸遅れて、ちょうど貧民街が広がる辺りから地鳴りが聞こえ始めた。羽を休めていた鳥たちが一斉に逃げ出し、その後に続いて建物の一部が上空にせり上がる──否、建物は地下から現れた何かに吹き飛ばされ、宙を舞ったのだった。
天に巻き上がる土煙。
その中に揺らめくは、人が創造し得ない丈を有する巨影。
煙幕を引き裂いて、その一端が姿を現す。
このクラーナの気温の中でも溶けることなく冷気を立ち上らせる……凍てつく巨人。その腕が地面を叩き、今まさに地下から起き上がろうとしていた。
「クハハッ! そんじゃ早速、腕の借りを返すとしようかァ!!」
ナナシは既に勝ったような笑みを浮かべ、そう叫んだ。




