第25話 「白昼の悪夢-警告」
「っぶね~。似顔絵まで出回ってんのか」
「わるいオトーサンとオカーサンからかいほうしたぼくらが、たぶんぼくたちのこときかれたんだとおもう」
「そしたら見たこと話しちゃうか……うん、話しちゃうな」
「ぼくたち、さいていげん、かおをかくしたほうがいいでしょう」
「じゃあどっかでぼろ布でも調達しますか」
「あい。しんちょうに、いこ」
手元のランタンと壁のまばらな明かりを頼りに、後方を歩くナナシは荷物を抱えて抜き足差し足、先頭を歩くジョンは頭の中に上水道区域のマップを作成しながら進む。そして、どん詰まりに当たってその都度もと来た道を折り返し、直近の角を曲がること三度目のことだった。
明かりに照らされて伸びる大小の影がせわしなく動き、そちらの方向から子どもの甲高い怒声が聞こえてきた。
ジョンを後ろにかばったナナシが角からちらりと顔をのぞかせ、怒声の合間に言葉を挟む。
「何やってんだ?」
それに反応を示したのは大人の声だった。
「あーん? 躾だ、しつけ。親のモン盗ろうとしたからこうして制裁をだなぁ……」
裾がすり切れたフードつきの上着を被る髭面の男が、同じくみすぼらしい服装の少年の首を掴んで締め落とそうとしている。ナナシの顔を見ても何かに気づいた様子がないことを考えると、どうやら彼らはまだ騎士の手配書を見ていないらしい。または、今はそれどころではない状況ということだ。
「こ、のっ! クソが! 盗っ……のは、そっち、だろ! そ……は、俺っ、のだ!」
少年は自分の首を掴む男の手に爪を立て、力が弱まったところで一気に不満を吐き出した。
「俺がゴミくず集めてやっと貯めた金だ! 返しやがれ!!」
「──だって。ガキンチョはこう言ってるけど?」
「バァーカ。ガキの持ちモンは親のもんだ。分かんだろ?」
「いや全く」
「わから~ん」
ナナシの後ろからジョンが顔を出して、ベッと舌を出す。
「……オメェら、ここいらじゃ見ねぇ顔だな?」
「そうだろうな」
「だろうなー」
「汚れちゃいるが良いもん着てっし、哀れな俺らにちょっくらお恵みを分けてくれねーか?」
「お恵み?」
「金だよ、カネ」
角から出てきたナナシは首を傾げたまま、ズボンのポケットに手を突っ込み、布を裏返しにして外に出す。中から落ちたのは平たくまとまった洗濯くずだけだった。
「ハズレかよクソが。じゃあもう着てるもん置いてけや」
「え、やだし。パンイチとかさすがに僕の羞恥心が許さないから」
「ぼくはいいよー」
「いやいやジョンさん? ダメだからね? 半裸の幼女連れて歩くとかマジ勘弁して。逮捕されちゃう」
服を窮屈に感じるジョンは何かとすぐに脱ぎたがる。ナナシは彼女に向き直ってそれを懸命に制止する。そんな二人のやりとりに、からかわれていると思ったのか、男は鷲掴みにしていた少年を放り出してナナシに大股で近づいてきた。
「なら力ずくで剥ぎ取るまでだ」
「ほーん。言うじゃんかオッサン」
「そっちがそのきならー。ななし、むちかーして」
ランタンを足下に置き、ジョンは袖に隠れたままの手をナナシに差し出した。ジョンは鞭を受け取ってナナシの前に立つ。
「よろしくお願いしますよ、ジョンさん」
「まっかせてー」
余裕ぶる二人に、男が「ナメるな」と顔を赤くして襲いかかってくる。ジョンは大振りの拳をその場にしゃがみ込んで避け、覆い被さってくる巨体めがけて一気に飛び上がる。足下から見えない手にでも押し上げられるようにして、少女の矮躯に不釣り合いな跳躍を遂げたジョンは、男の肩に手を置いて逆立ちになると、低い天井すれすれに体を反転させた。
続けて流れるような動作で鞭のグリップとテールをそれぞれ左右の手に握り、細長くしなるボディ部分を男の首に引っかける。彼女は勢いのままに、相手の背後に自らを落下させる。このままではのけぞる男の背中に押しつぶされるところだが、彼女は男の股下をくぐって彼の前方に飛び出し、共倒れになるのを回避した。
テールを握る手を離し、ナナシがいる場所まで一人コロコロと転がっていったジョンは、若干目を回していた。彼女がナナシに支えられて起き上がると、先ほどまで息巻いていた男は背中を反らし、顔を地面に押しつけてブリッジの体勢になっていた。後ろ向きに顔面から思い切り倒れた男は鼻どころか首の骨を折り、それでもまだ死んではないのか、長く続く苦しみの中で必死に呼吸をしようともがいていた。
ジョンはそこに再び近づき、首もとで鞭を横凪にして引導を渡してやる。吹き出る赤い体液──同時にジョンは魔法で周辺の温度を低下させ、辺りに飛び散った血を赤い氷粒に変えていく。やがて、氷点下の魔力は男の体をもむしばみ、体を芯まで凍り付かせた。
ジョンは男が冷え切ったのを確かめると、鞭の先でツンとつついて粉々に砕いた。そして、地面に転がった人間の残骸を一瞬の猛火で灰燼に帰し、今の今までそこに一人の男がいた痕跡を完全に消し去った。
「わぁーい。しょーこいんめつ、かんりょ!」
ジョンは服の裾を払い、持っていた乗馬鞭をナナシに返す。ナナシは男が消え去った場所をしげしげと眺めながら半眼になる。
「でもよォ、ジョン。奴の服も一緒に燃やしちまったじゃんか。首尾よくぶん盗れるところだったのに、どうすんだよ」
「だいじょーぶ。そこにあるの、たぶんおじさんのおうち。なんかしらおきがえも、あることでしょう」
「ふーん。そんならちょっくら漁らせてもらうとすっか」
目の前で人が消え去ったことに愕然とする少年の横を通り抜け、ナナシは壁の明かりの下に作られた「家」の中に頭を突っ込み、中の物を手当たり次第に外へ放り出す。多くはゴミやガラクタだったが、一番最後に引き出したのが目当ての物だった。
「ぼろ布げっと~。若干臭うけど、まぁジョンとのファーストコンタクトに比べれば全然だな。許容範囲内」
「ほらね。ぼくの、いうとおり」
「さっすが僕のジョンだぜ」
「へへー。てれちゃうもっとほめて」
「うん。えらいぞ」
ナナシは布団代わりに使われていた衣服を何着か取り出し、やや大きめのものを頭から被って顔を隠す。ジョンにも同じように被せてやり、二人は無事目的を達成した。
人を灰にした後にしては異様に朗らかな光景から、一人取り残された少年は目をそらせずにいた。
「アンタら、何考えてんだよ……」
「え? 何って、僕らここで一悶着起こして──」
「なな。しっ! だよ」
「っと、そうだった。僕たちのことはちょっと人には言えない秘密なんだわ。悪いな少年」
「な……、いったい何を……?」
顔を見合わせ、ニッと笑った二人に、少年は奇妙な違和感を覚える。
見かけだけはどこをとっても似ていない二人。親子ではない。兄妹でもない。友人と言うにはあまりに親密で、しかし恋人のように情だけで繋がった仲にも見えない。二人はまるで互いを自分のように慈しみ、愛情深く接し……。
彼はそこまで考えて首を振り、思考を中断した。
「……助けてもらった礼だけは言っておく」
「へぇ。親を殺されたってのにその言いぐさ。ひっでぇ奴だな」
「うるせぇ。あんな奴と同じ血が流れてると思うだけで吐き気がすんだ。アンタらが殺らなきゃいずれ俺が殺ってた。それだけだ」
「あっそ」
「でも、ななし。おれいをいえるの、いいことです」
「つまりコイツは……いい子?」
「いいこ~。というわけで、いいこのしょうねん。おれいのかわりに、ちじょうへのでいりぐち、しってたらおしえてくれたまへ」
「地上への……?」
「なるべく人目に付かない方がいいんだけど。そんな場所ある?」
少年は少し煩わしそうな顔をしたが、ナナシたちが望むとおりの情報を教えてくれた。彼は自分の後方に続いている横穴を見やって言う。
「この穴をまっすぐ行った突き当たりの扉を抜けると、ゴミに埋もれた縦坑がある。そこの梯子を上れば外に出られるぜ」
「どこにでるの?」
「都の外れにある貧民街の下水管理小屋だ。使われなくなって随分経つし、あそこならやたらうろついてる騎士の目も──」
そこで少年は息を呑み、通路の奥を見つめる目を恐る恐るナナシの方に向けた。
「アンタら、まさか騎士の連中が探してる殺人鬼か?」
「ありゃ、分かっちゃった?」
「まさか……本当なのかよ……」
「どうする~? おれいにめがくらんで、きしさんにおしえちゃう?」
「ハハッ、んなことしたら謝礼をもらう前に俺の命が取られちまいそうだ……。俺はもうアンタらと関わり合いたくない。ここから出てってくれたらそれで十分だ」
「賢い選択だぜ、少年」
「やっぱりいいこ~」
そう言った二人は頭から布を被り、ここにやってきたときと同じようにジョンがランタンを手に持った。彼らは光が揺れるのと一緒に伸びたり縮んだりする影を引き連れて、少年から教えてもらった道の先に向かって歩き出す。再び引きずり始めたそりつきの荷物箱がガタガタと音を立て、二人の湿った足音に覆い被さった。
しかしそれは唐突に止まった。
ナナシは最後に少年を振り返り、闇の中でニンマリと笑った。
「いい子には特別に教えといてあげよう。近々この都で結構でかい騒ぎが起こる。巻き込まれたくなきゃどこかに逃げな」
「騒ぎ……? まさかさっき言ってた秘密ってのは、そのことか?」
「ンッン~。さて、どうかな?」
「しんじるも、しんじないも、ぼくらのじゆう。ぼくらにあたえられた、じゆう」
「お前さんがどうするかは知らんが……まぁ、生き延びたいなら都を出ることだね」
その表情は暗闇に溶けて見えないはずなのに、なぜかはっきりと見えた気がして……赤黒い瞳が三日月のように欠け、口元には半円を描いた穴がぽっかりと空き、その人相はこの世界に呪詛をかけた魔女のようにおぞましかった。少年は得体の知れない化け物を前に一歩、また一歩と後退り、遠くの穴で何かが落ちた音を合図にその場から逃げ出した。
一目散に、脱兎のごとく。
あの二人のそばどころか、もうこの場所にさえ二度と近づかないと誓い、彼は地下洞窟の奥に消えていった。
「ななし、おどかすのやりすぎ」
「悪い悪い。どうしたら逃げてくれるかなって考えてたら、つい凄んじまった」
ジョンに「めっ」と咎められたナナシは舌を出して、ぼろ布を目深に被り直して彼女の後について行った。二人はやや長い距離を歩いて、再び下水道エリアへとつながる扉の前まで来た。ジョンは既に慣れてしまった手つきでスライド錠を開け、扉の向こうに入って外側から鍵を閉め直した。
最初に歩いた下水道よりも臭いがキツい。二人は鼻を摘んで道をまっすぐに進み、途中で現れた曲がり角に迷いながらも何とか少年から聞き出した縦坑らしき場所にたどり着いた。
異様にため込まれたゴミを蹴散らし、二人は真っ暗な穴の天井を見上げる。横幅は人が一人やっと通れる程度の狭いもので、少年は梯子があると言っていたが、手足の取っかかりになりそうなのは一定間隔で頭を突き出している壁の煉瓦だけだった。しかも長いこと放置されていたせいで風化が進んでおり、ナナシの体重を支えられるかどうか分からない。とは言え、それを伝うほか地上に出る手段はなさそうだった。
ナナシは先に身軽なジョンを上げることにした。彼女はランタンの取っ手を口にくわえ、窪みを掴んで猿か何かのようにひょいひょいと壁を登っていった。勢い余って天井に頭をぶつけた後は、そこを塞いでいた板を押し上げて地上に這い出た。続いて荷物を引き上げ、それが終わると彼女は梯子代わりの煉瓦を魔法で強化し、また腕の不自由なナナシが登ってこれるよう手すりを作ってやった。
ナナシはどうにかして地上に顔を出し、埃がたまった床の上に尻餅をつく。その横で、ジョンは作った手すりを始末し、出てきた穴に板をはめて元の通りにした。
「登るので割と疲れたな。ちょっと休憩……」
「ぼくはそのあいだに、おてつだいさんさがすね」
「怪我しないように気をつけろよ」
「はーい」
ジョンは辺りを見回し、ガラスが割れて尖った破片が枠にくっついたままになっている窓を見つけた。外はもう夕暮れで、ちょうど窓の向こうに赤い太陽が見えていた。彼女はそこから外の様子を覗き、周辺を見渡したり空を見上げたりして何かを探す。
しばらくすると、空を切る羽音が近づいてきて、黒い影が彼女の細い腕に掴みかかった。ナナシはとっさに鞭を抜いて振り上げたが、それを制止したのは他でもないジョン自身だった。よくよく見てみると、彼女が痛がっている素振りはない。黒い生き物は大人しくその腕に止まっている。
ジョンが何かを囁くと、それは一声「カァ」と鳴いて窓から飛び立っていった。
「カラスか。逆光で分かんなかった」
「あのオニーサンとオネーサンのかお、おしえといた。みかけたらおしらせしてくれるよ」
「あー、カラスってめっちゃ頭いいらしいもんな。人の顔も覚えられるんだっけ」
ナナシは窓から顔を出し、カラスが飛んでいった方に視線を向けて言う。
「よーし。出入りの監視はおカラス様に任せて僕たちは……」
そこで、二人の腹がグゥーと声を上げた。
「おなかすいたねぇ?」
「だよな。金はあるし、誰かに買ってきてもらうか」
ぼろ布を被って浮浪者を装っているとは言え、人前に出るのはできる限り避けておいた方がいいだろう。ナナシはジョンに頼んで荷物箱を開けてもらい、行きずりに盗んできた貨幣を床に並べて首を捻る。
「ジョンのおかげで金額の大小は分かるけど、物価がいまいち分かんないんだよなぁ」
「そのへんで、おこさまつかまえておつかいたのむ。ぼくなら、こどもだからおかねのことしらなくてもへんじゃないし」
「そうだな。じゃあお願いするわ」
「おつり、たのんだこにあげていい?」
「おう」
ジョンはナナシが広げた硬貨をいくつかつまみ、外から閂が差されているらしい小屋の入り口を避けて器用に窓から出て行った。しばらくすると彼女は使いを頼んだ子どもから二人分のパンを受け取り、自分のことを誰にも言わないように念押しして釣りを子どもにくれてやった。
小屋まで戻ってきたジョンは出た時と違って入り口の閂を外して中に入り、手に入れた食料をナナシに渡す。それらをがつがつと口に放り込んだ後は特にすることもなかったので、ナナシが小屋の内側に薄い壁を張って安全を確保し、彼らは早々に寝てしまった。
二人にとっての獲物が姿を現したのは、翌日の午前半ばのことだった。
「からすさんからにゅーでん! きたきた! あんにゃろう、きたよ! でもなんか、いっしょのひとがふえてるような?」
「何人で来ようが僕たちのやることに変わりはねぇよ。まずはどっか適当に押し入って、招待状を置いてこないとな」
「うぃ!」
ナナシが乗馬鞭を腰に差し直し、ジョンもポシェットに金剛石があることを確認して、彼らは小屋の戸を開けて外に繰り出した。




