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2016年/短編まとめ

死を恐れるのは、酷く平凡なことである

作者: 文崎 美生

『――番線に電車が参ります。白線の内側まで下がってお待ち下さい』


硬そうな素材のブレザーを着た少女が、アナウンスを聞きながら体を揺らす。

ブレザーのポケットからスマートフォンを取り出した少女は、その画面に表示されている時刻を確認して黒い革のスクールバッグを肩に引っ掛け直した。


そうして隣に立つ男を見上げる。

お兄さん、少女が目を細めて声を掛ければ、男はゆっくりと首だけで少女の方を振り向いた。

視線が合うと、少女はニッコリと効果音の付きそうな笑顔を浮かべる。


「お兄さん」


「……どうかした?」


少女は反応を示さなかった男をもう一度呼び、小首を傾げた。

僅かなあざとさを見せるその仕草を見下ろしながら、男もまた、少女と同じ方向へと首を傾ける。

二人の視線がしっかりと交わったことを確認した少女は、笑みを乗せた唇を緩やかに動かす。


「迷いがあるなら、止めた方がいいですよ」


直接的ではない言葉に、男の眉が一瞬だけ上がる。

ニコニコと笑みを浮かべ続ける少女は、ホームに電車が入ってくる音に合わせて、体を左右に揺らす。

その度に、ポニーテイルに結い上げた黒髪が、ひょこひょこと動く。


何も言わない男を見上げながら、少女は笑い混じりの言葉を投げる。

駄目だよ、それじゃあ、甘いよ、舐めてるよ、足りないよ、酷く曖昧な言葉を投げながら笑顔を深くする少女。

そんな少女を正面から見つめる男は、唇の端をヒクリ、引き攣らせた。


「ねぇ、お兄さん。死ねないなら、死のうとか考えない方がいいですよ」


クスクスクス、鼓膜を震わせる少女の笑い声に、男は僅かに身を引いた。

それを見逃すこともなく、少女は男の腕を掴み軽く首を傾けながら、男の顔を覗き込む。

年頃の少女にしては珍しく、その顔には化粧品の一つも乗っていない。


仕立ての良さそうなスーツの表面を撫で、少女は線路へと視線を落とす。

男も自然とその視線を追った。

この駅は中心部からは僅かに外れたところにあり、時間によって利用者はまちまちだ。

今現在、昼を過ぎているこの時間は、特に利用者が少ない。


「お兄さん、よくこの時間にいますよね。私も学校サボること多くて、この時間にいることが多いですけどね。だから、お兄さんのこと、よく見るんですよ」


覚えてないでしょ、と少女が笑うと、男は静かに少女の方へと視線を戻す。

少女は相変わらず線路を眺めている。


どこの学校の制服かは分からないが、着崩されていない制服は、見るものに好印象を与えるだろう。

少し大きめのリボンは女の子らしく、スカートから伸びる足は白く細い。

男は少女を見つめるが、やはりと言うかなんと言うか、記憶の片隅にも残っていなかった。


視線を感じて男を見上げた少女は、眉を寄せている姿を見て、別にいいんですよ、と軽いフォローを入れる。

本当に気にしていないような笑顔を浮かべながら、続けて、いつも見てました、と言った。

告白まがいな言葉に男の肩が跳ねる。


「何で死にたいとかあんまり興味はないし、聞こうなんて思わないけど、ただ一つ確かなのは、お兄さんは死ねないんじゃないかなってことですよ」


眉をはの字にした少女は、スマートフォンを取り出して時間を確認した。

丁度その時、電車がやって来るアナウンスを聞いて、少女は体を揺らす。

ゆらゆら、ふらふら、そのまま男の手を握る少女はやって来る電車目掛けて、一歩――足を踏み出した。




***




線路に落ちて粉々になった自分のスマートフォンを見下ろす少女は、お腹辺りに回された腕を撫でた。

深い深い溜息を吐き出して、小さく謝罪の言葉を漏らす少女。

そんな少女に巻き付く腕は更に力を込める。


「お兄さん、死ねないなら諦めましょうよ」


ホームにやって来る電車に、男の腕を引いて飛び込もうとした少女は、酷く落ち着いていた。

背中に感じる熱に話し掛けてみたが、返答はなく腕の力は更に更に強くなる。

内臓が出そうです、少女の呟きに、おずおずと力が抜かれていく。


怖い、小さな声が聞こえた。

少女はその声に、首を傾けて振り向く。

ぼろぼろとこぼれ落ちる雫を見て、少女は目を見開いたが突き放すことはなかった。


自分よりも年上の男が、ぼろぼろと泣いているのを見ながら、母性のようなものが目覚めるのを感じ、そっとその頭に手を回す。

嗚咽を漏らす男は、一体何を見ているのか。

少女は目を細めた。


「……できない、あいたい……ごめん。ごめん」


少女の視線は自分のスマートフォンに投げられて、新しいのを買わなくちゃ、と口の中でだけ漏らす。

男の嗚咽を聞きながら、少女はその頭を撫で続ける。

微かに聞こえる誰かの名前に、男の死にたがる理由を見付けた。


少女は、男の猫っ毛な髪に指を絡め「死ぬのが怖いなんて、平々凡々。当たり前のことですよ」と静かに諭すのだった。

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