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風邪と天才魔術師2

 夢はすっと波のように引き、名残惜しいまま目が覚めた。余韻に浸りながらぼんやりと枕に頬をすり寄せる。とても幸せな夢だと思う。

 もしかすると熱を出したので、昔を思い出したのかもしれない。

 額に手をやると固く絞ったタオルが乗っている。リネットはもぞもぞと寝返りをうちながら、身体に篭った熱を放つように息を吐く。眼裏には優しく微笑む両親と黄金に光る毛並みが愛しいゾーイの姿が焼き付いていた。

 しばらく微睡んでいたリネットは、キッチンから音がすることにようやく気がつく。


「ヴィルが来ているのかしら……?」


 眠ったからか身体は随分と楽になっており、リネットはハンガーにかけてあったローブを肩にかけ、ベッドから抜け出すとそっとキッチンへ続くドアを開けた。ダイニングも兼ねているキッチンには、長方形のテーブルと椅子が四脚、窓際に置かれている。テーブルにはお気に入りのクロスがかけられており、椅子にも手作りのクッションが添えられていた。

 その奥にあるキッチンを見ると、人影が料理をしている。すらりとバランスの取れた体躯で、リネットには大きめのエプロンをぴったりと着こなしている。シャツの袖をまくり上げ、そこから伸びる腕は意外にもしっかりした筋肉がついていた。


「ソーク?」

「あ! 魔女様! 起こしてしまいましたか? ええっと、何か食べ物をつくろうと思って。さっき、買い物に行って来たんですけど……キッチンを勝手に使ってしまいました……! すみません!」

 途中、顔色を変えて「きちんと手は洗ったから汚くない」とソークが弁解する。

「いや、別にソークが汚いなんて思ったことはないわ。それよりも……ごめんなさい。看病してくれたのよね?」

「いえ……! す、すみません、嫌ではなかったですか? 勝手にベッドまで運びましたし、ロ、ローブも脱がせてしまいましたし……!」

「ううん、むしろ助かったもの。ありがとう」


 素直にお礼を言えばソークは目を見開いて、照れたように笑った。そして、表情を緩めたまま、火にかけたミルクパンの具合を見る。良い頃合いだったらしいく、そのままマグカップに湯気の立つミルクを注ぐ。それからマグカップを片手にやってくると、まだ立ったままのリネットを椅子に座らせた。それからマグカップをテーブルに置く。


「ホットミルクです。飲めますか?」


 こくんと頷いて、そっとマグカップの取っ手に指先をかける。じんわりと伝わる熱。リネットはマグカップに顔を寄せて息を吹きかけて少し冷ますと、慎重にホットミルクに口をつけた。するとミルクではない甘さがふんわりと広がった。フルーツの香りがする。夢で味わったホットミルクとはちょっと違う優しい甘さ。


「洋なしのジャム?」

「すみません! 私はホットミルクにジャムをいれて飲むのが好きなんですが……魔女様のお口には合いませんか? そ、それならすぐに作り直します!」

「ううん、優しい味で好きよ」


 マグカップを両手にほのかな洋なしの香りを楽しむ。

 キッチンのコンロの上からはことことと白い片手鍋が小さな音を立てている。ちらりと視線を投げれば、ソークが「野菜スープですよ」と教えてくれた。壁にかかる時計を見れば昼の十二時を回っている。


「もしかして、ずっと居てくれたの?」

「はい。厚かましいとは思ったんですが、魔女様は眠っていましたので……ヴィルさんに頼んだほうが良かったですか?」

「ヴィル? あー、どうかしら? 朝は仕事から帰ってきて眠りにつくから、不機嫌になったと思うわ。でも、ありがとう。野菜のスープまで作って貰って……」

「いえ、私にできることは料理くらいしかありませんから」


 そう言ってソークは野菜スープの具合を見る。夏に短く切った髪は伸びており、肩にかかるほどになっていた。


「それで、お仕事はどうしたの?」

「私のですか? えっと、大丈夫ですよ。明日の朝には畑の面倒を見なくちゃいけないので帰らなければいけないのですが……」

「ごめんなさい。あたしはもう大丈夫だからお仕事に行ってちょうだい。ああ、でも染め粉とコンタクトレンズが必要なのよね?」


 ふと、リネットは研究所に連絡を入れることを忘れていたことを思い出した。しかし、ソークが買い物ついでに王宮魔術研究所の門兵にリネットが休むことを言伝してくれたらしい。何から何まで気が利くソークに、リネットは申し訳なくて、頭を下げることしかできなかった。

 そして、普段は容姿のことで泣きついてくるソークが、リネットの体調を慮り、こうしてテキパキと身の回りをこなすことについて意外に思う。頼りない青年だと思っていたが、どうやら面倒見はいいらしい。


「私のことは後で大丈夫です。ロミアからセルトアは近いですし、すぐに行けますから。それよりも野菜スープが出来ました。食べられそうですか?」

「うん、いただくわ」


 出された野菜スープは澄んだ色をしており、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、セロリが彩りよく器に盛られている。ほこほこと湯気が立つスープをスプーンでゆっくりと掬い、唇を尖らせて息を吹きかける。その様子をどこか微笑ましいものを見守るようにソークが見つめていた。


(あ、優しい味がする)


 素朴でいてよく煮込まれた野菜スープは、体調の悪いリネットの身体にじんわりと染み込んだ。お腹から温まり、身体の芯に感じていた寒気が和らいでいく。どうやら自分で思う以上にお腹が空いていたらしい。すっかりスープを平らげてしまった。


「ごちそうさまでした」

「いいえ……その、私なんかが作ったものですみません……ところで、熱はどうですか?」


 ソークが手を伸ばし、リネットの柔らかな髪をかき分けて額にふれた。大きな手の平はひんやりとしていて、思わず擦り寄ってしまいたくなる。もしかすると夢をみたせいで、人が恋しくなっているのかもしれない。


「うん、少し下がったみたいですね」


 あっさりと離れた手が少しだけ名残惜しい。風邪を引くと心細くなるのは幼いころから変わらない。こういうときにゾーイが側にいてくれたら心強かったのにと顔を俯かせた。


「魔女様? どうかしましたか?」

「ううん、なんでもないわ。あたしはもう少し休もうかしら。看病してくれてありがとう」


 笑みを浮かべたリネットだったが、その表情にはどこか寂しそうな色があり、ソークは少し目を細めて腰をかがめた。コンタクトレンズで淡い色に変わった瞳と目が合う。

 隠れてしまった虹彩の文が美しい金の瞳が見たいと思った。

 思いのままそっと、熱をはらむ指先でソークの頬をなぞる。リネットを心配そうに見つめる目がほんの少し大きくなり、しかし、嫌がる素振りは見せない。理知的な光が宿る瞳と人の良さそうな穏やかな顔。


「……あなたって、何かに似ているんだけど」


 小首を傾げたリネットは胸がざわつくのを感じる。もう少しで思い当たりそうになったとき、りんりんと店の呼び鈴がなった。


「あら、誰かしら……」

 お客さんだろうかと腰をあげようとしたとき、階下でリネットを呼ぶ声がした。

「魔女! 居るのだろう? お見舞いに来てやったぞ!」

 聞き覚えのある声にリネットは額を押さえて項垂れた。

「あの? 魔女様? お知り合いですか?」

「……うん。仕事仲間よ」


 大きな声で魔女を呼ぶ男は、店に入ってきたと思うと、断りなく階段を上がってくる。何故わかるのかと言うと、男が「おい魔女!」と名前を呼びながら移動するからだ。やがて男は二階へと姿を現した。

 背はソークより高く、切れ長の瞳は冬の夜空を思わせる紺色。薄い唇にキリリとつり上がった眉をしている。冷たさを覚える顔立ちの男は、リネットの姿を見ると一瞬で表情を崩した。


「おお、魔女! 僕は聞いたぞ。お前さんが風邪で倒れて寝込んでいると。それにしてもいい匂いがするではないか。これは野菜スープか? セロリ入りならば僕も頂きたいのだがよろしいだろうか!」


 ソークが困ったようにリネットを見たので頷く。

 男は大きな荷物を背負っており、ずかずかとリネットの側にやってくるとそれらをフローリングに降ろした。そして椅子を勧める前にリネットの正面に座った。

 身長がある分、足を持て余すように組んでいる。医者が着るような丈の長い白衣、プレスされたウールのパンツに、ポニーテールにした紅の髪。一見すると医者の格好を真似した酔狂な若者に見える。

 しかし、リネットは幾分か年上に見える青年が実は壮年を迎えており、そして天才と名高い魔術師であることを知っていた。

 出来ることなら、体調不良時には会いたくなかった相手である。


「おお、見かけない若者だな。なんだ、魔女。使い魔でも飼い始めたのか? お前さんは自分のことになると不摂生だから良いことではあるが、なんなら僕の部下を一人くらいやってもよかったのに」

「彼はソークって言って、お店のお客さん」

「なるほど。この珍妙な店に来たのだからさぞかし事情があるのだろうな! 安心なされよ! 魔女は少々面倒くさがりだが、依頼をそうそう放棄はせん! そうだ、自己紹介をせねば。僕はエルマー・ベンフィールド。魔術で飯を食っている」


 カカカと笑うエルマーにソークは驚きを露わにし、目の前の魔術師を見つめた。


「あなたが、天才魔術師のエルマー様ですか!?」

「うむ」


 天才を否定しないエルマーにリネットは呆れた目を向ける。この男、基本的に良い奴なのだが、自信過剰で人の話を聞かない。

 そのエルマーは出されたスープを一口飲む度に絶賛し、二杯もお代わりをした。小さな鍋はたちまち空になってシンクに置かれた。


「うまかった。僕はセロリ入りのスープが好物で、見かけたら食べることにしている」

「それは良かったわね……ところで、何をしにきたのか、聞いてもいいかしら……?」

「もちろん! 研究所のみんなを代表してお見舞いに来たのだ! 僕だけが君の家を知っているから適任だったのだよ、セルトアの魔女!」


 お見舞いと言う割には、リネットを気遣う様子がまったくない。エルマーは床に降ろした荷物を紐解き、手の込んだ毛織物のブランケットをリネットに押し付けた。思わず受け取ったブランケットに眉を寄せると、次は薄荷のキャンディー、また薬らしき包みも数種類渡された。


「見舞いの品だ。ブランケットはクレア・クレイドルから。わざわざ屋敷に品物を取らせに行ってな。おかげで遅れてしまったのだ」

「クレアから……? なにか仕込んであるのかしら……?」


 研究所で顔を合わせる度に突っかかってくるキツい顔立ちの美人を思いだす。もしかしたら魔術陣が織り込まれている、呪いのブランケットかもしれない。リネットは丹念に調べたが、いくら織り目に注意して検分しても、魔術陣は見当たらない。どうやら、ブランケットの細かい幾何学模様はただの模様らしい。


(それともこんな高級品……あとでお金を請求されたり……?)


 しかし、エルマーは見舞いの品だと言っていたので、きっとリネットにあげるつもりで寄越したのだろう。そう解釈してリネットはブランケットを膝にかけた。ほんわりと温もりが宿る。


「薄荷のキャンディーはショウ・ミナセからだ。どうせなら林檎をやれと言ったのだが、いかんせん研究の人手が足りないらしくてな。買いに行く暇がないそうだ。まぁ、仕方ないだろう。なんせ優秀なお前さんが休んだのだ。いや、責めているわけではないぞ! そして、その薬は研究室を歩いているうちに集まったものだ」

「……えっと、薬効は?」

「うむ! 魔女がどのような風邪で寝込んだのかわからなかったものだからな! 下痢、嘔吐、腹痛、頭痛、また熱さましから関節痛まで様々な症状に効く薬を、それぞれの研究員から手渡されたぞ! 良かったじゃないか! すべて飲めば万全だろう?」


 輝かんばかりの笑顔を向けられてリネットは頬を引き攣らせた。本気で全てを飲めと言っているのだろうか。残念ながらリネットにはエルマーが本気なのか冗談を言っているのか区別がつかなかった。それはソークも同じだったようで、はらはらとした様子でリネットとエルマーを見守っている。


「一応、言っておくけど、薬にも相性があるからちゃんぽんして飲めるわけがないでしょう」

「もちろん冗談に決まっているではないか! それにしても気分はどうだ?」


 ようやく容態を尋ねたエルマーは涼やかな双眸を微かに細め、どこかやつれた様子のリネットの顔を観察した。そして、納得したように深く頷くと、懐から一枚の厚紙を取り出す。


「僕からはこれをやろう。魔術陣が転写されたシートで、これを好きな所に貼ると光る!」


 どうやらエルマーなりの見舞いの品らしい。厚紙は濃淡のある紺色で、星の形にカットされている。表には複雑な魔術陣の転写。魔術陣の構成を見ると、エルマーの言うとおり光を放つものらしい。しかし、光の強さや色といったものが綿密に設定されているらしく、魔術陣は非情に高度かつ複雑なものに仕上がっていた。


「最近、レーザーの精度を上げるための魔術陣の開発に取り組んでいたのだがな、その技術で作ってみたのだ。我ながら上手い具合に仕上がったと自負している!」

「……嬉しいけど、研究所の花形部門がこんなのを開発しちゃって……才能の無駄遣いって言われないかしら」

「それは問題ない」


 はっきりと言い切ったエルマーはどこか計り知れない謎めいた微笑みを浮かべる。それを見てリネットは口を噤む。


(そうだったわ……この人、食えない天才魔術師だもの)


 もともと気さくなエルマーは誰彼と声をかける。冷たい印象を受けるが、話してみると気安く、どこかコミカルで天才魔術師と謳われている人物とは思えない。けれど、リネットは研ぎ澄まされた鏃のように鋭い横顔を見たことがある。

 それに見た目につられてうっかりエルマーを若く見てしまうが、年齢はリネットより十七も年上の三十四歳だ。それなりに研究所でやっていく術も天才魔術師は身につけているのだ。


「ところで、ソークくん。君はどうして髪を染めておるのだ?」


 悪寒とは違う寒気が、リネットを一瞬だけ襲う。あまりにもあっさりと言い放ったので気づかなかったが、エルマーはソークの存在にこう言った。

 使い魔でも飼い始めたのか? と。

 飄々として食えない魔術師が、シャルクの祝福を受けたソークのことを見逃すはずがなかった。

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