魔女と金の瞳3
いつ触られたのか覚えがない。リネットは必死に隠れた記憶を探す。
(お腹を触られたこと、あったかしら……あ! そういえば、さっき店先で抱きつかれたんだわ!)
店先で蹲っていたので、声をかけた途端、リネットの腰にしがみついて泣き出したのである。あの一瞬のことを言っているのだろう。それにしても乙女に抱きついておいて、お腹が柔らかいとは失礼ではないだろうか。むすっと頬を膨らませてみるが、フードの影に覆われた顔をソークが見ることはできない。
(きっと、ソークはあたしのことを女の子だって思っていないのね。ずっと魔女様って呼ぶもの)
セルトアの魔女。その通り名はリネットからひとり歩きしていた。
魔女の元に行けば悩みがたちどころに解決できる。
実際は全ての悩みをリネットが解決するわけじゃない。ただリネットは王宮魔術研究所で得たカガクを還元しているに過ぎない。
例えばソークの金髪を染める粉。毛髪は顕微鏡で見るとうろこ状になっており、ショウはそれをキューティクルと呼んだ。そのキューティクルを開いて細かい粒子を毛髪に浸透させるのである。そこに魔術は一切介入しない。ショウいわくカガクには魔術的要素は一切含まれないものらしい。
では、どうして魔術がいらないのに研究所で部門が立ち上がり、予算がついているのかというと、物を高温で熱したり、粒子を細かくしたり、本来なら混ざらないものを高速で撹拌するという作業が魔術で行われるからである。リネットは物を細かく砕き、細切りにしたり、混ぜあわせるの魔術が得意だった。
正確に言えば、それしかできない。
魔術師としてリネットは劣等生だ。それが研究所で働くことになったんだから、世の中は不思議だし、その偶然を妬まれもする。ただ所長のショウは研究物をホイホイくれるし……作る割にはそこらへんの扱いが適当だ。
「それで、魔女様。相談があるのですが……!」
意を決したように背筋を伸ばしたソークに、リネットは彼の用件を聞くのを忘れていたことを思い出した。モンブランに夢中になるあまり、彼の相談事を受ける前にお菓子を食べてしまったことは、リネットの失態だ。
もし、ソークの悩みがリネットでは解決できないものであれば、リネットはソークにお菓子の代金を払って謝ってから魔術師を紹介しようと心に決める。
「私の目を……どうにかして貰えないでしょうか?」
「目? 視力が悪いの?」
「いえ、違くて、その、魔女様は私の目を見て……何か感じませんか?」
ソークの言葉にリネットは身を乗り出して金色の瞳を覗きこむ。花輪のように細かく重なる模様。朝日を浴びて金色に光る、水際を思わせる虹彩だ。店先で泣いたからか、白目は少々充血が見られる。
じっと息を詰めてソークの瞳を探るリネットだったが、しばらくして寄せていた顔を離した。ローブ越しといえども、覗きこまれていたソークは視線が外れたことで肩の力を抜く。
「うん、やっぱり綺麗な瞳をしているね」
「え、やだぁ! あたしにも見せてぇー!」
「へ? え、いや、あのっ!」
正直に感想を告げるとヴィルが勢い良くソークの両頬を手の平で挟む。穏やかな美青年の頬が潰れて唇がとがった。
「あら、金色。初めて見たけど、想像以上の色なのねぇ」
「ヴィル、ちょっとお客さんの顔を潰さないで。あと顔を近づけすぎだから」
「だってソークくんイケメンじゃない」
ふふふと笑いながら唇を舐めたヴィルの腕を掴んで、無抵抗のソークから引き剥がす。ソークを見ればふるふると唇の端を歪め、眉間にシワを寄せている。涙の決壊が秒読み前の表情に、リネットはようやく今回の相談内容の検討がついたのだった。
「気持ち悪いです、全然、綺麗なんかじゃない……っ! わたしの目が気持ち悪いって、見ないでと言われました、やっぱり金色だから……! ただ、わたしは、仲良く、なりたいだけなんです……!」
太めの眉を下げてううっと唇を噛み締めるソークは、ぽろぽろと内心を吐露する。優遇されたいわけじゃない。ただ普通に受け入れて欲しい。
そう言ってとうとう涙が金色の瞳に滲んだ。
「魔女様、瞳の色を変えることはできないでしょうか……! 普通の、変哲のない色に、わたしはなりたいんです……っ!」
リネットは冷めてしまったお茶をヴィルのカップに注ぎ、それを自分へ引き寄せて口に含んだ。瞳の色を変える。それは一部の魔術師であれば可能だろう。
しかし、物を砕いたり刻んだりする能力がないリネットの魔術の腕では、どうにもならないレベルだ。
「……で、できませんよね……そんなの、わかっているんです。髪が栗色になっただけでも、わたしには充分だって、理解はしているんです……魔術じゃ瞳の色を変えることなんて出来ないって……!」
「うん、そうだね」
「で、ですよね……すみません、朝早くから押しかけてしまって……わたしはもう帰ります」
ぐいっと袖で顔を拭ったソークが立ち上がる。それを見上げながら、リネットはカップをちょいっと上げてみせる。
「でも、できるわよ」
にっこりと笑って見せたが、ローブ越しだったので誰にもその表情はわからない。ただソークは落胆した側からあっさりとリネットが了承した事実に、目を大きく見開き驚きを露にする。ヴィルは「とんだ食わせ物よねぇ」とモンブランに手を伸ばし、ぱくりとかぶりつく。
「ああああ!! ちょっとおお! それ、あたしの! あたしの最後のモンブランっ!」
「ケチケチすんじゃないわよ。聞けば月一でお茶会していたんだって? こっちも呼びなさいよ」
「いつも寝ているのを起こすなってうるさいじゃない!」
「そこを何とかしなさいよねぇー!」
それから、最後のモンブランを取ったヴィルとリネットの言い争いがしばらく続いた。
店のショーウィンドウ越しに日光が差し込んでいる。夏であればとっくに日は高くあがっているが、今はもう秋で日差しも随分和らいだ。
言い争いをしながらふと窓際の明かりを見て、リネットはようやく口論をやめる。
(お客さんを放っておくなんて……!!)
慌ててとりなすように気の弱い青年に向かい合う。モンブランが食べたかったとはいえ、ソークを放置するのは頂けない。申し訳無さでリネットの眉が八の字に下がったけれど、その表情は影になっているので、ソークは伺い知れなかった。
ただリネットがローブ越しに見たソークの涙は引っ込んでいて、代わりに穏やかに笑っている。まるでリネットとヴィルの口喧嘩を見守っていたようで、その優しい眼差しにどきりとしてしまう。
「ご、ごめんなさい。せっかく来てくれたのに待たせてしまって……! えっと、瞳の色をなんとかしたいのよね?」
「はい。本当にそんなことが出来るんでしょうか……?」
「もちろん。ソークは運がいいわ! 新商品を持ってきた所よ!」
どきどきを隠して声を弾ませるリネットに、ソークは首をかしげる。染めているにも関わらず、傷みのない栗色の髪が揺れる。
リネットは作業場に入ると、研究所から持ってきたケースを取り出し、磨かれたカウンターの上に置く。手の平に収まるほどの小さなケースは中身が透けており、透明な溶液で満たされていた。
「本日、使用許可が降りたばかりのコンタクトレンズよ!」
どーだと言わんばかりに腰に拳をあてふんぞり返る。
三カ月以上前、第二十研究室所長のショウが作るといった摩訶不思議な一枚の道具。ちょうど一年前に開発に成功したプラスチックを細長い円筒にし、リネットが何百回も魔術を微調整して磨き、輪切りにしたものだ。薄型にスライスし、瞳にピッタリ寄り添うようにカーブをつけることが一番難しかった。
試作品が完成したときは、歓喜の声をあげた一分後に爆睡。それほどまでに根を詰めた作業だった。
そのコンタクトレンズがさっそく日の目を見る。研究開発の努力が報われるというものだ。自然と鼻が高くなるのはしょうがない。
しかし、ソークとヴィルの反応は思った以上に薄かった。二人ともケースを怪訝そうに見るばかりだ。
「魔女様、これは一体……?」
「なんか薄っぺらいやつが入っているのはわかるんだけど」
「まぁ、そうよね。わからないか。まずは手を洗いましょうか。繊細な物だから扱いに気をつけて欲しいの」
説明はそれからよ。
そう言ってリネットはソークを作業場へ招き、丁寧に指を洗う。そして店へ戻るとケースを手にとった。先ほどソークの目を見た限りだと、コンタクトレンズの使用は可能だ。しかし念のため、リネットはもう一度注意深くソークの瞳を検める。特に傷もない。
それから藤色に着色された一枚のうろこのように薄っぺらい物を、ケースから取り出す。
「これを装着することで瞳の色を変えることができるわ。しばらく装着感があって慣れないかも……もし、使用中に痛みやごろごろするといった異常を感じたらコンタクトを外して、医者かあたしのところを尋ねてちょうだい。じゃ、いくわよ。目を開けて」
このレンズを目の上に乗っけたらおしまい。なんてお手軽なんだろう。
しかし、リネットの説明にソークは首を激しく横に振った。椅子に座ったたソークの頬に指をかけ、瞳にコンタクトを被せようと、顔を覗こむと、思いの外強い力で腕を握られた。
「いえいえいえ、ちょっとお待ちください! 魔女様! もう少し説明をお願いします……っ!」
長く節が目立つ指がリネットの手首をくるりと一周して押さえ込んでいる。短く切りそろえられた爪は茶碗の形をしており、手首に込められた力の強さにリネットは少し驚いた。ソークは穏やかな顔の造りで、性格も強く出ると相手に押し負けてしまいそうなくらい気が弱い部分がある。
(男の人だから力が強いんだわ……なんだか意外)
失礼だが、リネットは常に低姿勢な金を纏う青年を、男性ではなく子どものようでいて、繊細で、お菓子作りが上手な人としか見なかった。
「ええとね、だから瞳にコンタクトレンズをひょいっと載せるの。大丈夫、ちゃんと安全検査はクリアしているし、瞳を傷つけないように保護膜だって導入しているのよ」
「で、でも、レンズってその指先にある薄っぺらい鱗ですよね……? まさか、それを目に入れるんですか……?」
「まさかよ」
「む、無理です……! わたしは、目薬さえ点すことがままならないんです……っ!」
リネットの指先にちょこんと乗っている物を見て、ソークは顔を青くして首を横に振った。どうやら得体のしれない物質を繊細な目に入れることに、とてつもない恐怖を感じているらしい。ヴィルも「あたしもそれを入れるのは遠慮したいわ」なんて引きつった顔だ。
「でも、コンタクトレンズ以外に瞳の色を変える方法を知らないの……」
「あう、うう」
「お、落ち込まないで! そうね、では魔術師を紹介しましょうか? あなたの瞳の色を変えることができるかはわからないけれど。腕はいいわよ!」
リネットはコンタクトレンズをそっとケースに戻し、きっちりと蓋をする。できるなら魔術師を紹介したくはなかったが、リネットが出来るのはコンタクトレンズの提案のみだ。脳裏に過るのはリネットが腕を認めている魔術師の男である。王宮魔術研究所の花形、第一研究所に勤める天才と名高い男だ。いいやつだが、会話にはコツがいる。
(でも、ソークのモンブランを食べてしまったもの。あのモンブランのためなら少々やっかいな会話をするくらい、どうってことないわよね……!)
そう決意したリネットの心境を知らないソークは、弱々しい声でリネットにとって痛いところを突いた。
「魔女様の魔法でどうにかなりませんか……?」
「どうにかできるならしてあげたいけど、そのう、あたしには難しいというか」
珍しく歯切れ悪く言いよどむリネットを助けるように、ヴィルが頬杖を付きながらソークに言った。
「あらぁ、ソークくん、魔法はお伽話よ」
「え? そうなんですか? 魔法が使えるから魔女様と呼ばれているのかと思っていました」
ヴィルの言葉を聞いて、悪気のないソークの純粋な眼差しがリネットに注がれる。それがちょっとだけ困ってしまう。ふうっと息を吐いてリネットは顔を隠しているローブをぐいっと引っ張って下げた。
どんなに高名な魔術師でも解決できない悩みなら、セルトアの魔女の元へ行くがいい。彼女はあらゆる手段を用いて、憂いを霧のように払ってくれるだろう。
実しやかに流れているこの噂はリネットの悩みの種でもあった。この噂を信じて店を尋ねるお客さんは多い。そのおかげでメインストリートから離れた場所にある、一見すれば民家にも見えるリネットのお店は売上を得ている。
けれど、リネットはこの噂が痛烈な皮肉だと理解していた。