魔女と青年3
穏やかで人柄の良さがにじみ出る顔。
太陽にきらめく金色。
リネットにしてみれば羨ましいし、自分を卑下することでもない。ただそれらを隠したいとソーク本人が言うのなら、リネットは何も言えない。
「あの、魔女様?」
「んー、なんでもないわ。さっさと染めちゃいましょうか? 何色がいい? 栗色? 黒? 赤にもできるわよ」
「ええと、栗色でお願いします」
「わかった。準備をするから待っていて」
まず一階の店の奥には、薬や道具を作成するための作業室がある。そこでお湯を沸かすことから始めた。その間に染め粉の色合いを慎重に調整する。
作業をしながらリネットは「そういえば」とソーク達がケダモノと呼ばれるもう一つの所以を思い出した。
シャルクの祝福を受けた者は、どうしてだか身体機能が異様に高い。常人より早く走ることが出来、跳躍力、聴力、視力、傷病の回復と、すべてに置いて高い数値をはじき出す。故に人間の姿をした魔物だと嫌われる。
恐らく、見た目だけではなく、その高い身体機能も畏怖の対象となったのだろう。
「全くもって理性的じゃないわ」
昔はケダモノと言われて差別された色だが、セルトアで気にする人間など居ないだろう。ここは王宮魔術研究所がある街なのだ。魔術で人間だと証明されたのなら、理性と魔術が重んじられるこの街で、金色を疎んじることはできない。
セルトア産まれでセルトア育ちのリネットは、昔から現在までも続くこの差別に憤慨する。あやうく栗色から赤茶けた土色を調合するところだった。
「ソーク、準備が出来たからこっちに来て」
「あ、は、はい……!」
恐る恐る作業室に入ったソークを粗末な椅子に座らせ、切りそろたばかりの髪を湿らせていく。ソークを見れば本当に染まるのかと不安と期待を綯い交ぜにしたような顔だ。
リネットは指に色が移らないように手袋をしたあと、染め粉を馴染ませていく。丁寧に傷がつかないように、髪を引っ張って痛い思いをしないように。その後は、色が定着するまで待ち、タライの中で染め粉を洗い流してやった。
すると、栗色に染まった髪に仕上がった。痛むからとオイルで保護し、タオルでソークの髪を乾かす。
「できたわよ」
手鏡をソークに向けると彼は目を見開いた。そして、確かめるように髪を一筋掴んだかと思うと、興奮したように立ち上がり、リネットの手を掴んだ。
「ありがとうございます! 魔女様はとても素晴らしい魔女様です!」
あやうく手鏡を落とすところだったが、ソークは気づかずに白い頬を赤く染めてリネットの頬にくちづけをした。ローブ越しに触れた柔らかな感触。染め粉の匂いが鼻先をかする。
「な、なにをするの!」
「私は嬉しくてしょうがありません! 魔女様、見てください、綺麗な栗色です!」
頬への口づけは感謝と親愛をあらわす。ソークがあまりにも無邪気に笑うので、リネットはローブ越しに頬を擦りながら他意はないのだと知る。けれども、リネットはお年ごろの娘だ。
しかも、男性とお付き合いしたこともなく、頬にキスを受けることなんてほとんどなかった。どきどきと高鳴る胸を無意識に抑えつつ、リネットは喜ぶソークから少しだけ距離を取る。
こんなに嬉しそうな顔をしてくれるのだから、仕事のやりがいはあるってものだが。
(でも、あたしにとっては大したことじゃないんだけど……それを言ったらソークの喜びに水を差してしまうかしら。あっと、そうだった。説明しなきゃいけないことがあるんだった)
リネットはそっと握られた手を引き抜き、代わりに手鏡をソークに持たせる。素直な青年は栗色の髪にご満悦のようで、初めの泣きっ面が嘘のようだ。
「で、問題があるのよ、それ。一ヶ月くらいしたら根本が金色になっちゃうの。髪は伸びるからね。それで、栗色の染め粉を作ってあげるから、自宅で染めたらいいわ」
「はい! ありがとうございます魔女様! 私の心は今、晴れ渡っています! 今日はいい天気ですね!」
「……そうね、幸せそうでなによりだわ」
とりあえず、自宅で染めるための染め粉を用意するからと、タライやタオルを片付ける。カウンターを布でさっと拭けば、ソークが複雑そうに眉を寄せた。
「それって……私の涙を拭いてくださったものですよね? これ、台拭きだったんですか?」
「……あら! うっかり!」
とぼけてみせたが、カウンターを拭く手は止めない。そもそも、リネットは大の男の涙を拭くためのハンカチなど持ちあわせてはいないのだ。
やっぱり嫌だったろうな……そう思ってソークを見れば、穏やかな眉尻をさらに下げている。
「いえ、お気になさらず! むしろ台拭きで申し訳ございません!! 私のような者は雑巾でももったいないですから!」
「……ここまで来たらすごくて、何を言えばいいのかわかんないわー……」
さすがに雑巾で顔を拭いたりはしない。
それからソークのために染め粉を用意し、リネットは代金をきっちり頂いた。キャスケットを胸に押さえながら、すっかり昼の青空を見上げるソークはステップを踏みそうである。そんな彼は、これから乗合馬車でロミアへ帰るという。
「では、魔女様。朝早くからありがとうございました」
「気をつけて帰ってね」
店の外に出てリネットは細い路地を行くソークを見送った。そして、曲がり角で見えなくなってから、ふぅとため息をついてレモンイエローの扉に背中を預ける。小さな庭にはプラタナスの影が落ちており、蝶や羽虫がハーブの間を飛んでいた。
「リネット、彼はもう帰っちゃったの?」
頭上からの声に顔をあげれば、二階からヴィルが頬杖をついて見下ろしていた。すっぴんの彼は端正な男性の顔立ちをしている。
「残念ながらね。好みだったの?」
「ふふふ、どうかしらぁ。ねぇ、彼の名前は何ていうの?」
「ソーク。あとは知らないわ」
素っ気なく言えばヴィルは長い髪をかきあげて、艶やかな唇をなめた。獲物を見つけた肉食獣の獰猛さを感じる。ヴィルは恋多き男……女? なのだ。
変なことに巻き込まなければ、好きに恋愛すればいいとリネットは思っている。
「今日は吉日だって言われたけど、いちごカスタードパイくらいかしら。いいことってのは」
小さくぼやいてリネットは店へと戻る。あの金髪の青年にはたっぷりの染め粉を渡してやったので、再び訪れるのは半年以上も先だろう。どこか胸を騒がせる青年だったと思う。
泣き虫で自分に自信のないソーク。だけど、手作りのパイは絶品だ。
「ソーク……どこか懐かしい気がするわ」
でも、何故懐かしいのかリネットは追求しようとは思わなかった。店の作業室へ一度入れば、頭の中は制作中の魔術道具でいっぱいになったからだ。
やがてソークのいちごカスタードパイを綺麗に平らげ、金髪の青年のことを忘れかけた一月後。ベッドでまどろんでいたところへ、りんりんと来客を告げるベルがなった。
「こんな朝早くから……一体誰よ……」
寝起きでゆるゆると跳ねる髪を押さえながら、リネットは枕の下に頭を突っ込む。起きたくない。せめてあと一時間後に出なおして欲しい。そう願うが虚しくも、階下から声が聞こえた。
「魔女様! 申し訳ありません魔女様! お願いごとがあるのです!」
聞き覚えのある青年の声だったが、リネットは記憶を探ることなく安眠のため蒲団をさらに被った。
「魔女様! お、お願いします……っ! 魔女様!」
だんだんと嗚咽混じりになっているのは気のせいではない。他所の家の前で泣くとは、なんて外聞の悪いことをしでかしてくれるのだろう!
仕方ない。ベッドから出よう。そう思って枕から頭を引っこ抜いたそのとき、隣家の窓が勢い良く開く音がした。
「リネット! とっとと起きなさいよ! あたしの睡眠時間を削ってただじゃ済まないわよ! このぺちゃんこ娘!」
反射的に蒲団を蹴飛ばしてリネットは窓を勢いよく開けて、罵声を隣人に被せた。
「私だって眠っていたわよ! それにアンタは酒場でだらだら飲むのが悪いのよ! 肌荒れしても薬を出してやんないんだからね!」
寝ぐせのまま叫び返すと、隣家の住人――ヴィルはにっこりと笑った。そして、店の前で佇む青年にしなを作る。
「ね、言ったでしょう? あの子、お鼻とお胸がぺちゃんこだから!」
「へ? え、あの……!」
「ぺちゃんこじゃない! 言っとくけどヴィルの胸のほうがまな板だから!」
「ざけんな! あたしは男よっ!!」
かみつくように返したヴィルの声は、確かに男性のものでリネットは口をつぐんだ。なんだ、性別は捨てていなかったのか。
それにしても、鼻は少し低いかもしれないが、胸は平均的な大きさだと自負している。ただヴィルの周りにいる女性が豊満なだけだ。女は恋愛対象の論外と明言して久しいからだろうか。最近の彼の周りは、粒ぞろいの美女がはべっている。
(いやいや、そんなことよりも、あれはソーク?)
店先で立っている青年は見たことのあるキャスケットを必死に抑えこみながら、リネットを潤んだ瞳で見上げている。心なしかふるふると仔犬のように震えており、今にも涙が決壊しそうだった。
しかし見つめ合う間もなく、リネットは素早く頭を引っ込める。素顔を見せるのは抵抗があったからだ。
それにしてもあの泣きそうな表情。
やはりざわりと何かがリネットの心を騒がせた。
「ま、ま、魔女様ぁ……!」
情けない声を出した青年――ソークに呼ばれ、リネットは肩を落として階下に降りた。いつも通りローブを頭からすっぽり被って顔や体型を隠す。そして、店の扉をあけてソークを招き入れた。
「もう、どうしたの? 色落ちでもしちゃった?」
「ちが、違うんです……! わ、私、うまく、できなくて……! これを見てください……っ」
ソークの骨ばった指がキャスケットを取った。するとそこには、根本が斑に染まった髪が鎮座している。毛先は栗色なのに、根本だけところどころ金色に輝いている。まるで、犬のぶち模様のようで、リネットは押さえる間もなく吹き出した。
「ぶはっ」
断じて笑っちゃいけない。それはわかっているが、目の前の悲壮な顔をした青年と頭のてんてんとした模様の取り合わせが可愛らしかったのだ。笑われたことがショックだったのか、ソークはキャスケットをかぶり直してしまう。
そういえば、容姿にコンプレックスを持つ人だった。失念だ。
「ごめんなさい。あなたって意外と不器用なのね。大丈夫よ、ちゃんと染めてあげるわ」
「村の人にもまだら模様がお似合いだと言われました……」
「まぁね、そうね」
「……魔女様までやっぱり! やはり私なんかが人間に近づくなんておこがましいですよね! ごめんなさい、う、ううっ」
「あなた、極端よねぇ。もう、そこに座ってよ。ソークは背が高いから、手が届かないの」
顔を手で覆うソークの背中を押す。年上の青年なのにリネットの方がお姉さんのようだった。それからソークの縺れがない髪を丁寧に梳き、根本を染めてやる。その間、ソークはちらちらとリネットの顔を見るが、何も言わず唇を噛み締めるだけだった。
「さぁ、できたわよ。うん、綺麗に仕上がった」
「ありがとうございます、魔女様! あのう、そのうですね。よろしければ、毎月染めて頂いてもいいですか……? ダメならいいんですけど! ほら、私なんかが出入りすると困りますよね。おこがましくてすみませんっ!」
「いいわよ」
「ですよね、わかっています、ええ、えっ……本当にですか? だって、そんな、ここは床屋でもないんですよ?」
ソークの疑いの眼差しをローブ越しに受け止めながら、リネットは条件を突き出した。ただでやるわけにはいかないが、リネットは月に一度程度の付き合いなら悪くないと思ったのである。
「髪を染めにくるときは、ソークが作ったお菓子を持ってきて。それと引き換えに髪を染めてあげる」
一月前に食べたいちごのパイの味がリネットは忘れられずにいた。それからセルトアで美味しいと有名なパイを片っ端から食べてみたが、体重が増えるばかりで舌はちっとも満足しない。自分で作ってみても、記憶の味を再現することはできなかった。
想像もしなかった提案だったのだろう。ソークは金の瞳をぱちりとさせると、次の瞬間には大きく頷く。
「ありがとうございます魔女様! 私のお菓子でよければ喜んで持参します!」
それからリネットの店にソークが定期的に尋ねてくるようになった。
どんなに高名な魔術師でも解決できない悩みなら、セルトアの魔女の元へ行くがいい。彼女はあらゆる手段を用いて、憂いを霧のように払ってくれるだろう。ただし、魔女の力を借りるには、魔女が気にいる対価を支払わねばならない。それがあなたの命だろうと。
この物騒な噂のあとに、魔女はどうやらお菓子に目がないらしいという小さな小さな事実が付け加えられたことを、リネットとソークは知らない。