ヴィルの思うところ
まだヴィルが女装をしていない時のことだ。隣の家に住む、幼馴染の両親がリネットの世話を頼んだのは。
「リネットちゃんもしっかりしてきたし、今では研究所で働いているじゃない」
「そうそう、だからここで、ちょっと旅に出ようと思って」
夕方、仕事に出掛ける前に立ち寄った隣の魔術雑貨店。もうすぐ店じまいなのだろう。一日が終わるのんびりした空気と、なんだか物悲しい夕日の色が店内を柔らかく照らしていた。どこかアンニュイな気分になる……とサヴィーナなら言ったかもしれない。
しかし、そんな情緒を吹き飛ばしてくれたのは、魔術雑貨店を営む夫婦だった。
「はぁああ!? なんで俺なの? 自分の娘に言えよ、娘に!」
「やだもう、ヴィルったら。もちろん言いますけどね、私達が旅に出たら、リネットがお世話になるのは誰?」
「君だろう」
「……サヴィーナも世話好きだけどぉ」
「君ほど熱心ではないけどね」
丸メガネを鼻の上に載せたリネットの父親が笑う。対する母親も同じく「小さい頃からお世話になっているものね」なんて微笑ましそうだ。そうじゃないと言いたい。曲がりなりにも一人娘。それをセルトアに置いていくという。いくら治安のいい街とはいえ、リネットは一人暮らしをするには若すぎる。
苦い顔でリネットにはまだ早いと説得にかかれば、二人は「大丈夫」と言って取り合わない。何を持って大丈夫といいきれるのか。その根拠を示していただきたい。
「一日中、お世話を頼むわけじゃないのよ。今まで通りでいいの。ちょっと顔を見せなくなったなーと思ったら、ちょっかいを掛けてやって頂戴」
「……唐突過ぎるんじゃないの、それ。それにね、俺もは男なの、男!」
「もちろん、知っているとも」
お風呂も入れてあげたことがあるしね。そう言うが、本当にわかっているとは思えない解答だった。ヴィルはため息をつく。この夫婦、仲睦まじく物事に動じない性格をしている。自由気ままで娘を愛しているが、ちょっと娘とその幼馴染を信用しすぎではないかと思う。
もちろん、ヴィルにも好みはあるので、リネットをどうこうしようとは虫ほどにも思ってはいない。ヴィルにとってリネットは気心の知れた幼馴染で、それ以上でもそれ以下でもない。ちょっと手のかかる妹みたいには思っているけれど。
「わかったわかったわよ。で、いつから旅に出るの?」
言い出したらきかない夫婦だ。もう日取りも決まってるのだろう。尋ねれば一月後だという。期間はとりあえず一年。魔術雑貨の仕入れをしながら各地を回るという。せっかくセルトアが魔術都市として発展したのだから、古今東西めずらしい魔術道具を集めたいと夫婦は語った。
まぁ、その気持ちはわからないでもない。
メインストリートを歩けば魔術道具の店が軒先を連ねている。旧市街の細い路地の奥にある店など、初見殺しもいいとこだ。ユミルラトに行けば珍しい道具が手に入る。そんな付加価値をつけたいのだろう、とヴィルは勝手に解釈した。
「花の街でゴンドラに乗りたいわ。芸術の都もいいわねぇ、流行りの騎士物語の歌劇を見たとならば、セルトアでも自慢できちゃうもの」
「山地に生息する珍しい動植物も観察したいものだな。ハーブの効能に詳しい集落もあるというし、あっちのハーブチキンは信じられないくらいうまい」
観光と食べ物で花を咲かせる二人に、ヴィルはさきほどの考えを撤回した。恐らく、何も考えてはいないのだろう。恐らく「これが結婚当初の夢だった」とか言って、二人で仲良く新婚旅行よろしく旅をしたいだけだ。産まれてからずっと付き合ってきた幼馴染一家。ヴィルは仕方ないと肩を落とす。
(しゃーないな……飯の面倒くらいは見てやるか)
小さな子どもではないが大人でもない。充分、親元で暮らしていい歳頃だ。寂しくなったりしないだろうか。ああ、もう、とヴィルはつるりとした顎を撫で上げた。
「行ってくるのはいいとして、きちんと連絡は入れてくれるんだろ。あと、基本的に放置するから。俺にも仕事があんだよ!」
そう言い残してヴィルは店を出た。リネットは夕食の席で旅の話を聞くのだろう。あの青い目がまんまるに見開かれるのは……面白い。警戒した小動物のようで、笑いを誘うのだ。
なんて心配していたのに、予想に反してリネットは順調に一人暮らしを続けている。またセルトアの魔女だなんて、大層な通り名もついた。おかげでユミルラトは両親が切り盛りしていたころより客足が増えた。
全てが順調に見えた……が、それはヴィルが気づかなかっただけかもしれない。
バルのカウンターで酒を作っていたヴィルは、酔っ払いの男の相手をしていた。オペラ劇場から流れ込んだ客ではない。着飾った紳士や婦人が詰めるなか、女は少々浮いている。彫りの深い顔立ちで、肉厚の唇がセクシー。歳は二十代後半で、髪型はやや崩れている。頬に落ちる前髪が色っぽい。
女を適当にいなしつつ、ヴィルは注文のお酒をカウンターに置いた。今日は店に来る前から飲んでいるようで、とっととお帰り願いたい。とりあえず、スタッフの一人がさりげなくバケツを用意している。いつでも吐いていいように。
「ああ、アンタみたいな男の子と浮気でもしてやろうかしら。なーにが、芸術の都の歌姫よ……アンラスに行って役者の勉強をするって、聞いてないわ。いや、聞いたけど。ね、アンタ、ちょっと遊ばない?」
「残念ながら今夜も予定が詰まっているんで」
「だろうなぁ、かっこいいもん」
熱っぽい視線を受け止めながら、ヴィルは努めて笑みを浮かべる。
(浮気なんて願い下げだっつーの。うだうだしてないで、恋人の所に駆け込みやがれ)
どっかりと座って動かない女の尻を叩き上げたいが、ここは我慢する。営業用のスマイルを貼り付けながら、他の常連客の相手をしていると、スタッフが小声で告げた。
「お姉さんから伝言ですけど、リネットさんが風邪だから迎えに来てと」
「……ありがと」
酔っぱらい相手は嫌いじゃないが、リネットが風邪を引いたとなれば別だ。あと二時間もすれば客足が落ち着く。今夜は早めに仕事を抜けよう。
ヴィルはグラスを拭きながら、リネットの両親に言われたことを思い出した。
サヴィーナより世話好き。
そうかもしれない、と思いながらも釈然としない。好きで世話を焼いているわけじゃない。占いが得意でおしゃべりも好きなサヴィーナだが、あなたはあなた、自分は自分と割り切っているところがある。反対にヴィルは懐に入れた者の面倒はとことん見るタイプだ。
今だってそう。風邪を引いているというリネットに、りんごを擦りむいてあげようか、生姜湯を作ってやろうかと考えているのだから。
二時間後、店長の厚意で仕事を切り上げたヴィルは、サヴィーナの家にいた。メインストリートから脇にそれた場所に位置するカフェの二階だ。ダイニングのソファでは毛布にくるまれたリネットが眠っていた。イモムシのようだ。サヴィーナは病人を毛布で包めばなんとかなると思っている節がある。
「微熱ってところね。疲れているみたいなの」
「そう。何か食べた?」
「スープとパンを少し」
店と研究所の仕事を掛け持ちしているのだ。そりゃ疲れるだろう。そういえば、最近は徹夜することも多いと聞く。口は生意気だが、与えられた仕事は一所懸命なところがリネットのいいところだ。それがちょっと裏目に出た。
「じゃ、リネットを家に連れて帰るから、サヴィーナは明日、様子を見に来て」
「うん、わかった」
眠るリネットの身体の下に腕を差し入れて、起こさないように持ち上げる。隣で寝顔を覗き込んでいたサヴィーナが「いつ見ても違和感あるわよねぇ」とおかしそうに笑った。
「だって、ヴィルって背は高いけど線は細いじゃない。軽々と女の子を抱き上げているんだもの。まぁ、女にしてはデカイけど」
「男なんだから当然だろ……まぁ、悪くない顔をしているのは知っているけど」
おかげでオペラハウスの前で営業している、セルトア一流行っている店で働くことがきたのだ。この顔で客が寄って、お金を落としていくのなら構わない。そうしていつか、サヴィーナのように店を持つのがヴィルの目標だ。
そのままリネットを抱えて、幼馴染の魔術雑貨店へ向かう。腕の中でイモムシのようになっている幼馴染は、鼻がちょっと低い。風邪が治ったらからかってやろう。
なんて数年前のことを思い出した。ヴィルはソークが焼いたパンケーキをホイップクリームと濃厚なメープルシロップで味わう。ふんわりと厚みのあるパンケーキは、バニラのほのかな香りがする。熱々にじんわりとろけたクリームを絡めるのがうまい。大きく切り分けて一口で食べてしまった。
隣の席ではリネットが冬の間に漬けたといっていたベリーのジャム瓶を、嬉しそうに開けていた。ソークはキッチンでフライパンを器用に操って、パンケーキを裏返している。綺麗に焼けた狐色にホイップの白とベリーの鮮やかな色が映えている。
「ちょっと、リネット。あたしにもちょーだい」
「はいはい。あ、そういえば所長からミントティーを貰ったの。淹れるわ」
リネットがいそいそと立ち上がり、ケトルに水をいれて湯をわかす。その隣でソークがポットの用意をしていた。二人の様子を見ながらヴィルは一抹の寂しさを覚える。去年の秋の終わり、風邪を引いたリネットの看病をしたのはソークだった。今まではヴィルがさりげなく面倒を見ていたので、なんだか不思議な気持ちだ。
そんなことをリネットに言えば鼻で笑いながら「今度はヴィル自身の面倒を見てくれる人を探さなきゃね」なんて言うだろう。そのあと「いつも助かってるわ」なんてそっぽを向きながらお礼を述べるのだ。
素直じゃない幼馴染に対して、ヴィルも素直じゃない。売り言葉に買い言葉で、いつものように近所迷惑な言い合いに発展するのだろう。ヴィルはその関係が嫌いではない。




