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エルマーとの出会い

 そのお客は赤毛で背が高く、魔術師達が好むローブを纏っていた。ドアベルの音に反応して、男が顔をリネットに向ける。見降ろすその顔は冷たい。目元ひとつ、口元ひとつとっても、氷のように研ぎ澄まされていた。整った顔立ちだが、その鋭利な印象が人を寄せ付けない。

 はて、こいつは誰だ?

 セルトアの街の中でも隅っこの隅にあると言っても過言ではない、魔術雑貨のお店ユミルラト。こんな辺鄙な店を尋ねてくる輩は数少ない。

 その店で、見覚えのない客がカウンター前でくつろいでいる。ちょっとそこまでだからと、店の鍵を掛けずに外出してしまった自分を戒める。春夏秋冬問わず、変質者はどこでも出るものだ。

 リネットは買い物カゴに入った缶詰の存在を意識しながら、にこりと営業用のスマイルを浮かべた。するとこちらを品定めするように眺めていた男は、ふいに表情を崩す。


「おお! 君がお店の娘さんか! 留守だったが勝手に上がらせて貰ったぞ。なに、お茶の準備など気にしなくてもいい。たっぷり飲んできたのでな」

「……確かにあたしは店主の娘だけど。あなた、どこの誰なの?」


 眉根を寄せて相手を見上げれば、男は「そうだった」と何度も頷く。


「うむ! 僕はエルマー。王宮魔術研究所の第一研究室で所長をしている、天才魔術師のエルマー・ベンフィールド」

「……エルマー……あの天才魔術師? 若くして第一の所長になった!?」


 第一研究室に入った天才。そのおかげで我が国の軍事力は跳ね上がったと言われている。他国もその才能を欲しており、かの人物の詳細は秘匿されている……という噂だったのだが。その噂の本人が目の前にいる。にわかには信じがたい。よって冗談にしておく。


「なるほど、オーケイ。わかったわ。自称エルマーさんは何をしに? 店主はしばらくしたら帰ってくるけど」

「僕は正真正銘のエルマーなのだ。いや、用があるのは君にだな。まぁ、僕の真贋は置いておこう。僕が天才だってことは僕にしか証明できないからな! ところで、行きつけの店で君の話を耳にしてな。こうしてお伺いしているわけだが」

「なんか腹が立つほど天才を自認しているのね。この際だからその天才の真贋も置いておくわ」

「そこは置いてはいけない。どうだ、ひとつ魔術陣でもこさえてやろう!」

「あ、お構い無く。用件をどうぞ」


 とっとと用件を聞いて帰って貰おう。この男。変質者ではないが、変人の一種には違いない。

 そう決めたリネットがあっさりと男をいなすと、自称エルマーは不満気にしたが、リネットは取り合わない意思を込めて首を横に振る。

(それにしてもこの変人、何を言い出すのかしら)

 無理難題であればリネットは役立たない。胡乱な視線を向けるが、相手は「ん?」と小首を傾げている。首を振って話を促すと、男は肩を竦めて話し出した。


「天才の件はおいおい。用件とは、君が物を刻んで潰すのが、精密単位で得意だと聞いてな。そこでだ!」

「ちょっと待って! それ、誰から聞いたの?」


 公言していないことを男がさらりと言うものだから、リネットは慌てて話を遮る。物を刻むだけの魔術なんて、笑われるだけ。そんなこと幼いリネットでも知っていたから、多くの人に教えてはいない。誰から聞いたのかはわからないが、それを初対面の男が知っている。

 こんな小娘の魔術を笑いにやってきたのだろうか。

 ぐっと目に力を入れてエルマーを睨み上げると、彼はきょとんとした後、鷹揚な笑みを浮かべた。リネットの睨みなど、警戒した仔犬ほどにも思っていないのが丸わかりだった。


「オペラハウスの前にあるバルでな。若者から聞いたのだ。あの、美男か美女か区別のつかない男だ」

「……ヴィルのことね! もしかして、お兄さん、ヴィルに貢物を!? それともあたしに牽制しにきたの? 残念だけど、あたしはあいつの幼馴染でそれ以上になる要素なんてこれっぽっちもないわよっ!」

「う、うむ! その辺りは心得ているのだ。いや、違う、そういう話ではなく」


 ヴィルの名前を出してきた自称エルマーにリネットは目を見開て、何か言われる前に抗議をする。この間、ヴィルに熱を上げている輩に、チンチクリンちゃんと、タバコの煙を顔に吹きかけられたところだ。その勘違い野郎はヴィルの姉であるサヴィーナのことも、恋人か何かと勘違いしていたので、呆れたヴィルがヒールで尻を蹴っていた。

 お前もその類か。ならば容赦はしない。

 リネットは再びバッグの中にある缶の存在を思い出す。準備はいつでもバッチリだ。フルスイングでヒットをお見舞いしてやろう。

 その気迫を感じ取ったのか、自称エルマーは両手を軽く振って否定する。


「仕事の依頼で来たのだ! 君の魔術の才能を買って、王宮魔術研究所でその腕を振るって欲しい!」

「……はい?」


 王宮魔術研究所という単語が聞こえたが、気のせいだろうか。リネットは目が点になる。聞き違えたのでなければ、リネットがそこで働いて欲しいと言っているようにも聞こえた。


「いやぁ、三年前に新設された第二十研究室の成果が芳しくないのだ。ショウくんいわく、我々の魔術精度が低いらしくてな。かといって大型機械やら精密機械も存在しない」

「さっぱりなにがなにやら」

「とにかく我々が得意とする魔術の分野が役立たないのだ。まずはカカオの実を粉状にしたいと。セルトアのチョコレートは口当たりが悪くてマズイらしい。滑らかで白粉のようにきめ細かいパウダーが欲しいと」


 とりあえず、王宮魔術研究所は何をしているのだろうか。お菓子工場にでもなるつもりなのか。それにセルトアのチョコレートは充分すぎるほど美味しい。

(信じきることはできないけど……あたしの魔術が役に立つなら、願ってもないことだわ)

 例えそれが製菓目的であったとしても、王宮魔術研究所に協力できるのは光栄だ。国で一番の魔術師達が切磋琢磨する至高の場所。目と鼻の先にあるのに、ちんけな魔術しか使えないリネットは、ぼんやりとその建物を巡る壁を眺めるだけだった。

 

「怪しむのはわかるが、一度だけ第二十研究室の所長に会って貰えないだろうか。悪いやつではない」

「……でも、そっちの魔術師達でも対応できなかったんでしょ? あたしでどうにかなるかしら?」

「正直わからん。君がどれくらい出来るのか僕は把握していない。ただ、完璧な真円を描くよりは簡単だぞ」


 にやりと片眉を器用にあげて、自称エルマーがいたずらっぽく笑う。対照的にリネットは苦笑を浮かべる。何事も完璧な真円を描くより簡単と言われては、そうかもしれない。魔術師らしいハッパの掛け方に、この自称エルマーがあの天才だとは認めなくても、魔術師であることは認めよう。


「じゃあ、あたしから研究所の方へ行くわ。もちろん、中に入れて貰えるのよね?」

「当然だろう。僕が居ればすんなり門は開く。では、明日の正午に魔術研究所の前で。ああ、ちなみにご両親からの許可はすでに頂いているのだ! 安心して来るといい!」

「……あなた、抜け目ないタイプなの?」

「君より年上なのでな! それにしても喉が渇いたな。やっぱりお茶をいれてくれ」


 悪びれなくお茶をせびる自称エルマーに、リネットは呆れながらもお湯の準備をすることにした。自分のことを天才だと思っている残念なお兄さんだが、嫌いにはなれないタイプだ。


 後に、自称エルマーが本物の天才魔術と知り、天才・奇人・変人は区別がつかないものだとリネットはしみじみ実感した。

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