魔女と青年と少女3
「え、えっと! 他には優しい……風邪の時は嫌がらずに看病してくれたし、気遣いもできるし、一緒に歩くときは歩調を合わせてくれるし、遅くなったら必ず迎えに来てくれるし……!」
「そんなの私も知ってるわよ!」
そう言われては「そうでしょうね」としか言い様がない。実際、ソークとの付き合いはレナのほうが長いからだ。そして彼女はリネットの話で、一番触れられたくない部分を突く。
「ソークはアンタのことを魔女様だって呼ぶけど……つまり、アンタは女の子として認識されていないんでしょ? もしかして人間とさえ思われていないんじゃないのかしら!」
「……それは……」
違うとは言い切れない。言葉に詰まってしまったリネットに、レナは勝ち誇ったように笑みを浮かべる。女の子と思われていない。それはソークが好きだと気づいてからずっと悩んできたことだった。ソークの中ではリネットはあくまで魔女様で、その理想を壊すのを無意識のうちに恐れている。
相手に失望されたらどうしよう? 誰もが持つだろう恐怖に、リネットは足が竦んで動けなかったのだ。
「……いいわ、それでも。魔女のままでも出来ることはあるもの」
バーティストが良き友達になってくれと言ったことを思いだす。そしてソークが「友達が欲しいんです」と泣いたことも。きっと、その願いをリネットは叶えてやれる。
決意を決めたとき、恋心が痛んで身体が軋みそうだった。
それでもあの青年が笑うなら、リネットは幸せになれると心の底から思う。
けれど耳に馴染んだ声が切ない音となって飛び込んできた。振り返ると、今まさに話題の中心となっているソークが立っていた。随分と慌てていたようで、コンタクトを入れていない、金色の瞳が栗色の髪の間から煌めく。
「魔女様、そんな悲しいことを言わないでください」
「ソーク?」
「レナ。昨日言ったとおり、魔女様のおかげで変わろうと思えたんです」
腕を引っ張られてソークの方へ引き寄せられる。たたらを踏んだリネットはソークの胸元へ倒れこむが、彼はしっかりと受け止めた。レナの顔が傍目から見ても強張って、見上げたソークも厳しい顔をしていた。
「……なんで、その女なのよ。だって魔女なのに」
「そのままの私を……当然のように受け入れてくれたからです」
「それだけ……?」
「それが一番嬉しかったんです。レナ、君とは……いい友人になりたかったんです」
好きな男に友人と言われ、レナは顔をくしゃりと歪めて俯いてしまった。過激なことばかり口走っていたのに、今はすっかりしおらしい。そしてとうとう、彼女は小さく頷く。
「知っていたわ。楽しそうにセルトアに出かけるようになって……きっと大切な人ができたんだって。ただ認めたくなくて、ますます意地悪してしまったの」
今までごめんなさい。
そう言ってレナは涙を零さぬうちにゆっくりと、毅然として去っていった。けれど途中で走って通りを越えていく。嵐のようにやってきて、嵐のように去っていった。あっけない幕引きにぽかんと口を開ける。
それからソークの言葉がじんわりとリネットに染みこんで、胸が痛む。ソークが友達になりたかったのはレナだったのか。
「……これからどうするの?」
「レナのことですか? そうですね……今まで、私はレナに対してちゃんと喋っていなかったんです……だから、これからはきちんと話し合いますよ」
レナが友人なら、リネットは悩みを解決してくれる魔女だろうか。この冬で随分と親しくなったはずなのに、急にソークが遠くに感じられた。
それでも、レナと向き合うと言ったソークの応援をしなければならない。
「友達になれるといいね。あなたならうまくいくわ」
「はい!」
先程の厳しい表情は消え去って、ソークは満面の笑みで頷く。金髪じゃなくてもきらきらと光っているのは、見た目じゃなくてソークが前向きな気持ちでいるからだろう。そんな彼が眩しくて、けれど寂しい気がした。
「それにしても来てくれて助かったわ。クレアも。困っていたところだったから」
「い、いいのよ! 別に! 嘘をついたわけじゃないし……本当にリ、リ……っ!」
クレアはそっぽを向くと顔を抑えて肩を落とす。また言えなかったわと嘆いているが、よくわからなかった。しかし、いつものことなのでリネットは気にしない。それよりもこのギャラリーの多さには参る。
ニヤニヤと品のない顔で見物を決め込んでいる魔術師達。彼らを一瞥してからリネットは息を吸って吐く。それからすぐ隣に立っているソークに、彼が欲しかっただろう言葉をかける。
「レナだけじゃなくて……あたし達も、友達になれると思うわ」
うまく笑えているといいんだが。脳内でヴィルが「お馬鹿!」と罵るのがなぜだか眼裏に浮かぶ。
あらゆる手段を用いて、憂いを霧のように払うのが魔女だというのなら、リネットはソークの望みを恋心を封じて叶えてやりたい。それがレナの次だとしても、リネットにできるのはもうここまでだ。
しかし、胸が痛むのを堪えて、やっとの思いで告げたというのに……周囲の反応は散々だった。
「……そこは私に言うべきことじゃなくて?」
まずクレアが怪訝かつ理不尽なものを見たという顔で、リネットから視線を移して天を仰いだ。そりゃないよ! と門番のおじさんが突っ込む。エルマーは微笑ましそうにしているが、どことなく馬鹿にしている雰囲気だ。
殺伐とした空気が生ぬるいものへと変わる。その理由がわからず、リネットは辺りを見回すが誰も答えてくれない。告げたソークは彫像のように動かない。
「んー……もう少しで就業時間ね」
とりあえず、時間が差し迫っていることを言ってみる。だが、誰も研究所に戻らない。ただ事の次第を知らない魔術師達だけが研究所にせかせかと消えていった。
(なんで、誰も反応しないの。おかしなことを言ったつもりはないのに……そりゃ、セルトアの魔女だってお友達くらい作るわよ!)
気まずい空気が支配する中、先に動いたのは意外にもソークだった。さっきから微動だにしなかったというのに、リネットを軽々と抱き上げる。
「わっ! ちょっと!?」
「失礼します……! 嫌だったらすみません。でも、降ろせないんです!」
「ど、どうして!?」
「どうしても!」
慌ててバランスを取るために、ソークの肩に手を置く。理由を話して欲しいと尋ねるまえに、ソークは誰ともなしにギャラリーに聞いた。
「ええと、それで魔女様をお借りしたいのですが……いいですか?」
それで、ってどういう意味なんだろう。眉を寄せるが、突然好きな男に抱き抱えられて、いつものように話せるはずがない。リネットは「あ」やら「う」やら声にならない声を上げて戸惑うしかできなかった。
そんなリネットを抱えたままのソークは、困ったように周りを見渡す。すると完全に野次馬になっていたショウが親指を立てた。
「特別に持って行くことを許可しよう。明日には返してくれ」
「うむ。妹のように可愛がってきたからな、丁重な扱いを頼むのだ」
「泣かしたら私の魔術を総動員するわ」
「ありがとうございます! では、行きましょうか」
どうしてだかリネット本人の了承は取られなかった。ソークは肩にしがみつくリネットを抱え直すと、軽やかに走りだす。人を持っているとは思えない足取りに、ソークが特殊だったことを思いだした。
今まで滅多にお目にかかれなかった彼の身体能力。風邪を引いた時も軽く持ち上げてくれていたが、走りまで軽快だとは思わなかった。
辿り着いたのはリネットのお店である。慌てて鍵を差し出せばレモンイエローの扉はすんなりと開く。そしてカウンターの上にゆっくり降ろされた。
「揺れましたが気持ち悪くはないですか?」
「大丈夫だけど……重くなかったの?」
「もちろんです。力だけはあるので……むしろ……魔女様は柔らかくて、ちょっと大変でした」
確かにソークがお菓子や料理を差し入れするようになってから、肉付きがよくなったと自分でも思う。ほんの少しだけ身体が丸みを帯びたのだ。
できればバレたくなかった。
ヴィルいわく「敏いけど鈍いのよ」と言われているリネットは、自身の思考がどこかずれていることには気づけない。手を伸ばしたらすぐに届く距離に立つソークを無防備に見上げ、走ったことで乱れている髪を直してやった。
何気ない行動にソークは金色の目を彷徨わせ、そしてしっかりとリネットを視線を合わせる。
「久しぶりに見たわ。やっぱり綺麗な色なのね」
前髪をさらって目元に降りた指で、ソークの金色を愛でるように肌をなぞる。さらにリネットの指が頬のラインを辿れば、ソークの手が指先を掴んでしまった。彼の頬はおもしろくらいに肌の色が赤く染まっている。それを見て、リネットは身体を強張らせ、気まずくなって目を逸らす。
軽々しく触れるなんて、なんてことをしてしまったのだろう。
好きな人だからだろうか。指が無意識に肌をなぞっていた。
「……魔女様、さっきのことですが……私が言うのはおかしいってわかります。でも、魔女のままでいいなんて言わないでください」
「……聞いていたの?」
「聞こえたんです」
辛そうに目を閉じるとソークの長いまつげが細かく震えている。形のいい唇を噛んでいて、泣くのを我慢しているようだった。そこでリネットはもうひとつソークのことを知った。泣くのを我慢するために唇を噛むものだから、ちょっと荒れるのだ。
「私は自分が嫌いでした……っ、この容姿が嫌いで鏡なんか見たくなかった……街中のショーウィンドウだって目にしたくありませんでした」
その告白はソークにとっては意を決しなければ語れない内容のようだった。自分が嫌いだと認めるのは辛い。
「でも、魔女様が金髪を綺麗だって褒めてくれて、金の瞳が月のようだと言ってくれて、私は……心の底から嬉しくて、救われた気がしました。この姿で生きていいんだと、自分を嫌わなくてもいいんだと……!」
開かれたソークの瞳は涙で濡れていた。
「だから、私はありのままの姿で生きていきます」
「……ソーク」
「あなたが綺麗だと言ってくれた。それだけで、嫌っていた金色に……価値があるように思えるんです」
髪を染めてコンタクトレンズを入れたときは、新しい自分になれた気がして楽しかった。けれど警備隊の仕事やヴィル、そしてリネットと接していくうちに、外見に拘っていたのは他でもない自分自身だと気づいたという。けれど金色をさらけだす勇気がわかなかった。
ソークの胸の内を知ってリネットは微笑む。そして口を開こうとしたが、ソークが首を横に振って言葉を塞いだ。
「けれど、あなたとは友達になりたくない」
息を呑んだ。心臓が凍るかと思うほどの衝撃だ。一気に青ざめたリネットを見て、ソークは慌てて言葉を紡ぐ。
「嫌いなわけじゃないんです……! むしろ、感謝していますし、その、私なんかがおこがましくて、すぐ泣くし、頼りっぱなしだし……!」
「じゃ、なんで……」
掠れて震える声に合わせて、涙が滲む。
「ああっ! 泣かないでくださいっ……! す、すみません、私は……あなたが大切なんです」
「……うん……」
「……ああ、わかっておられない。魔女としてじゃないです、客としてでもなくて……!」
落ち込むように頷いたリネットに、ソークは片手で顔を覆う。それから小さく呻いたかと思うと、金色の瞳を滲ませてリネットを真摯に見つめた。
「あなたが好きなんです」
ひたりと視線を合わせて告げられた一言に、冗談は一欠片も含まれていない。青い瞳を丸くさせて、目の前の青年が言ったことを反芻する。確かにソークは好きですと言った。友達でもない、魔女としてでも、店と客でもない。それ以外の好き。
呆然とするリネットがリネットに、白い肌を赤く染めた、穏やかな顔つきの青年が微笑む。
「私は魔女様を魔女としてしか見ていないことに気が付きました……あなたはずっと、私の手作りのお菓子を喜んでくれる女の子だったのに……魔女様……あなたの口から聞かせてください。名前を教えてください……呼びたいんです。私の大切な人の名前を」
目元を赤くしたソークが囁くようにリネットの名前を乞う。熱っぽい吐息に触れて、リネットは自然と頬を赤らめた。
自分を認めてくれた。名前を尋ねられる、たったそれだけで、リネットは胸が一杯だ。これ以上、ソークに何かを求めたらバチが当たるかもしれない。それほどの喜びがリネットを満たす。
「私は……リネットっていうの。さんづけは要らないわ」
「……リネット」
ソークから呼ばれる名前の響きは、まるで甘露のように甘く、じんわりと頭の奥を溶かしていく。それから名前を確かめるように、記憶に刻み込むようにソークは教えたばかりの名を繰り返し呼んだ。その度にリネットは返事をするものだから、最後には何だかおかしくなってしまった。
額をくっつけあって静かに笑い合う。金色の瞳が水面のように揺れて、そして唇にソークの熱が触れた。荒れた唇の感触は触れた時と同様に、優しく離れる。
頬にキスをするのは親愛の証。でも、唇を重ねるのは恋人達のキス。瞳が大きく見開かれる。そこには眉を八の字に下げて、けれど真摯な眼差しで熱っぽくリネットを見つめるソークが映った。
「リネット……私が好きになった女の子の名前です」
「……なぁにそれ。気づかなかったわ」
「私も最近、気づきました。でもきっと……初対面で私の腕を引いてくれたときから、リネットに惹かれていたんだと思います」
去年の夏の出来事だ。それが随分と遠いものに思えるのに、ソークとの出会いは鮮明に思い出せるのだから不思議である。
「魔女じゃなくて、リネットと……その、これからも付き合っていきたいです。いかがですか?」
キスをしたというのにやっぱり自信がなさそうなソークにリネットは思わず笑ってしまった。こういうところが、好きなのだ。
「私もソークのことが好きよ。大好き」
想いが通じて、リネットの目も潤み始めた。濃い瞳は輝きを増して、まるで大海を思わせる色に染まる。その瞳に自らの金色を見ながら、ソークは微笑んだ。
それだけでリネットの胸は甘さと切なさにきゅっと絞られるようだ。そして再び、そっと唇を重ねた。