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魔女と青年と少女2

「……アンタッ! やっぱり魔女に惑わされていたのね!! 目を覚ましなさいよ!」

「はい? 何を言って……というか、何でここに……?」


 カウンターの中にやって来たソークはリネットの側に立って、困惑した顔をレナに向ける。当然のようにリネットの隣に立つのが気に食わなかったらしい。レナは、首元を探ったかと思うと、ネックレスを引っ張りだして外す。ネックレスは小さなクロスがついていた。


「これでも食らうがいいわ!」

「いたっ!?」


 勢い良く振りかぶって投げつけられたネックレスが、ソークの腕に当たって落ちる。突飛な行動にソークもリネットも目を白黒させるばかりだ。とりあえず、リネットは落ちたネックレスを拾って、カウンターに置く。激高している少女に手渡すのは、さすがに怖かったためである。


「クロスが効かない……っ!?」

「……レナ、何をしに来たんですか?」

「別に! ア、アンタがロミアを出たというから、わざわざ来てやったんじゃない!」

「はぁ、それはわかりましたが……ええと、何か用事が?」

 ソークの言葉にレナはふるふると震えながら、要領の得ないことを喋る。

「と、とにかく! 仕事がないからってあっさりとロミアを出るなんて! しかも、魔女の元に来るなんて……アンタは知らないかもしれないけど、その魔女はね、命を引き換えにしないと望みを叶えてくれない、性悪なのよ!」


 初耳である。いい加減、出回っている噂をどうにかしたいが、勝手にひとり歩きするもんだからどうしようもない。思わず遠い目をして天井を仰いだリネット。

(私……そのうち人を食べる魔女って言われるんじゃないかしら)

 そんな不名誉な名前は遠慮したい。


「レナ。魔女様はとてもお優しい方で、決して性悪じゃありません。魔女様を侮辱することはやめて貰えますか?」


 噂が広がっていくのを憂えていると、ソークが厳しい口調でレナを窘めた。あら? とリネットは意外に思って、隣の長身を見上げる。春の陽だまりが似合う優しい顔の青年が、今は眉根を寄せていた。珍しい。

 対するレナはソークから暴言を咎められるとは思わなかったらしい。一瞬だけ息を飲み……そしてまたしても騒ぎ立てる。


「騙されている! これでも浴びて正気を取り戻すのよ!」


 ポケットから素早く取り出した小瓶の栓を開けたレナは、叫びながら中身をソークにふりかけた。この位置では濡れる。顔を背けたが、とっさにソークがリネットを庇ってくれたおかげで、濡れずに済んだ。ソークの背中に庇われて、リネットは慌てて彼の裾を引っ張る。ソークの顔から雫が垂れている。顔に命中したらしい。


「ちょっと、大丈夫!? へ、変なものじゃないでしょうね……水?」

「違うわ! 悪魔に効くという聖水よ!」


 どうやらレナは魔女を悪魔の類だと思っているらしい。大きな勘違いにリネットは驚きを通り越して、頭は冷静になってしまった。人間、突き抜けると落ち着くものらしい。

 ぽたぽたと雫を前髪が垂らすソークにそっと、今度は持っていたハンカチを渡す。


「さぁ、これで現実が見えてきたでしょ! 私と一緒にロミアに帰るのよ!」

「ええと、魔女様。洗濯してからお返しします」

「気にしなくていいわよ」

「……ちょっと聞いているのソーク! ここは危険なの! 早く出ないと……!」

「嫌です」


 まさか断られるとは思わなかったのか、レナは顔を歪めてちらりとリネットを見た。ローブ越しに目があったのだが、レナにはこちらの顔が見えない。すぐに逸らされて深刻そうな表情を浮かべる。

(考えていることが手にるようにわかるってこのことね)

 もともとリネットは落ち着きのあるタイプで、今回の騒動の衝撃からもすっかり立ち直ってしまった。ソークとのやりとりを見る限り、二人はロミア出身で、レナは村長の娘なんだろう。


「まだ魔女の誘惑に掛かっているのね!」

「あの、レナ。落ち着いてください……」


 どこか疲れたソークが呼びかけて宥めるも、少女は一緒に帰るのだ、さもなくば宿泊しているホテルに来い! とソークをリネットから引き剥がすのに必死である。

 二人を見ながらリネットはモヤモヤしたものを感じた。

(仲がいいわよね……? ソークいわく嫌われていると言っていたけど……しかも、レナって名前呼びだし)

 リネットのことはいつまでも魔女様なのに。


「とりあえず、私はまだ仕事がありますし、ロミアに帰るのはもう少し先です」

「……だったら、ホテルまで送って。お父様と一緒に来ているの」

「私がですか……? 一緒にいると汚れると仰っていたのに」

「そうよ! でも力しか取り柄がないんだから、私を守るくらいには使えるでしょ! い、いっておきますけど、絶対に手を繋いだり、触ったりしようとしないでよね!」


 そして頑なにソークが送るまでこの店を出ないと言って動かないレナに、優しい青年は折れた。嵐のようにやってきたレナはそうしてソークを連れて行ってしまったのだった。ぽつんと店に残されたリネットは店の看板をクローズにしてから、ドアに鍵をかけておく。それから念入りに戸締まりをした。自分のお店なのに、残されたことが居たたまれなかった。


「……私が思ったよりも……険悪じゃないんだわ。良かった。きっと、あの子がソークを嫌っているだけね」


 村長の娘という立場故、村の住人は強く言えないのだろう。友達が欲しいと言って泣いたソークを思いだす。ふと、リネットはソークがホテルにまで送ると渋々了承したことに、嬉しそうな顔をしたレナを思い出した。


「私なら、ソークとお友達になれるかしら」


 つきんと棘が刺さったように胸が痛い。ロミアで生きるソークとレナ。今はちぐはぐでもこの二人が寄り添う様子を想像してしまった。

 この日、ソークがリネットの家を再び尋ねてくることはなかった。


 翌日、リネットはすっきりしない頭で研究所へ向かう支度をした。桃色のローブがハンガーに掛けてあるのを見て、それを肩に当ててみる。季節的には少しだけ早いかもしれない。そう理由をつけていつもの灰色のローブを羽織る。

 いつもならソークが呼び鈴を鳴らす時間だが、本日はやってくる気配がない。警備隊の仕事が長引いているのだろうか。それともレナの押しに負けてホテルに行ったのだろうか。


「もうロミアに帰った……ということはないわよね」


 そうだとしたら薄情者だと脳裏に浮かぶ青年を責めたくなる。そんなことはお門違いだとわかっているのに……。一言くらいは告げて行くだろうという期待を勝手にしている。

 細く長い溜息をついて、灰色のローブからコートを着る。そしてドアに鍵をかけて、狭い路地を進んだ。


 今日は天気がよく、空も晴れやかな水色で、視界の端に薄い雲がかかっている。旧市街を抜けてメインストリートに出ると、気の早い店がもう開店準備をしていた。

 今日も暴漢撃退スプレーの開発だ。


(今度のは研究所としては微妙なところなのよね……いつ上からストップが掛かってもおかしくないっていうか……魔術でもカガクでもないというか)


 実は第二十研究室に大量に持ち運ばれた唐辛子を、大量に煮詰める作業をしているのである。研究というよりは料理を作っている感覚だ。ショウに「これってカガクなの?」と聞けば、眠たそうな一重で曖昧な否定をされたのはつい先日のこと。

 実を言うと、唐辛子を煮るだけで大変だ。

 大量の唐辛子の煙を吸い込むだけで目は赤くなるし、咳き込むことなんてしょっちゅうだ。しかも皮膚にうっかり付着するとなると、ひりひりしてかなわない。それで何人の同僚が涙を流したことか。

 ソークのことを考えないように思考を研究に巡らせれば、研究所の前で呼び止められた。


「魔女、止まりなさい!」


 聞き覚えのある声。顔を上げれば、昨日のレナがこちらをきつく睨みつけ、まるで物語に登場する悪鬼のごとく立ちふさがる。研究所まであと数メートル。どうしてここに……という言葉は飲み込む。そこら辺の街の住人に聞けば、リネットが魔術研究所に通ってることなんてすぐにわかるというものだ。

 レナは人差し指をリネットに突きつけ、昨日の勢いを全く損なわない口調で激しく攻め立て始めた。朝から元気なことである・


「昨晩は私のお父様まで妖術にかけたわね! あなたのせいで非常識な娘だとホテルの部屋に閉じ込められたのよ……許さない!」


 またもや身に覚えのない理由で罵られ、リネットは怒りを覚える前に呆れてしまった。

(それって自業自得って言うんじゃないかしら)

 普通なら初対面で自己紹介もなしに、相手を罵る人などそうそう居ない。非常識と言われてもしょうがないとリネットは思うのだが……レナにそんな意見をぶつけてみても聞く耳は持たないに違いない。


「どんな魔法を使ったのよ! 呪いを解きなさいよ!」

「だから魔法を使ったことなんてないわよ。そもそも会ったことのないあなたの父親にどうこうできるわけないでしょ」


 しかし話を聞かないと言って、言われるがままというのは、リネットの性分ではない。けれど言い返したことでレナはますます頭に血が上ったらしい。


「うそつきっ! 魔女なんて信用できないわ! 顔を晒して歩けないくせに!」


 レナの怒声は言いがかりのようなものだったので、気にするほどではなかった。けれど、顔を晒して歩けないという言葉は鋭いナイフのように、リネットの胸に突き刺さる。別に顔が醜いとか太陽の光を浴びると焼けるとか、そういうファンタジーな理由で隠しているわけじゃない。


「だからどうしたっていうの。私の顔を見たら、あなたは私を信用してくれるってわけ?」


 リネットの声は刺々しく冷ややかだ。初めて怒りの感情を滲ませたリネットに、レナは怯んで口を噤む。そして大きく息を吸って過激さを増した。


「どうしたってアンタなんかを信用するわけないじゃない! みんなそうよ、魔女だもの!」


 顔を見せないやつは信用できない。魔女と呼ばれる人間は信用できない。ましてや手段を問わず、対価に命を取るような輩だ。大通りでまくし立てられる。早朝とはいえ人通りがないわけではない。通行人が物珍しい視線を投げていく。

 燃えるように赤い髪を乾いた目で見つめる。

 きゅっと唇を噛みしめているけど、それでは言い返すことができない。きっと、魔女だから嫌っているわけじゃない。彼女はリネットの全てが気に食わない。まくし立てるレナに、リネットは何を言えばいいのかわからなかった。


「あら。私はあなたみたいな無神経な人間より、セルトアの魔女を選ぶけれど」


 全身で否定するレナに答えたのはクレアだった。女性らしい身体のラインを強調した洋服に、真っ赤な口紅で鮮やかな唇が攻撃的だ。

 まさかクレアが自分を庇ってくれるとは思ってもおらず、彼女に目を瞠るとにっこりといつも通りの笑みを向けられた。いつもながら挑戦的で人を威圧する顔だ。

 クレアにとっては精一杯の友好的な笑みだったが、リネットはそれを知らない。


「アンタ、誰よ!」

「クレア・クレイドルよ。あなた、研究所の前で魔術師に絡むのはやめたほうがいいわよ。警備隊に警戒されているの、気づいたかしら?」


 クレアの指摘されてレナははっとしたように周りを見た。リネットも周囲を見渡すと、警備隊が数人、そして門番のおじさんまでこちらの様子を伺っている。誰もがレナに批難の目を向けていた。それに気づいた彼女は顔を青くして、そしてわなわなと震えたかと思うと、やはり叫ぶ。

 まるできかん坊みたいに、自分の言いたいことを叫ぶしかできない子どものようだった。


「私が悪いんじゃないっ! 魔女が悪いのよ、そうじゃなきゃソークはどうして冬の間じゅう帰ってこなかったのよ!」

 それはレナの本音だった。

「……ちょっとした意地悪だった。困らせようと思って、仕事がないなんて嘘をついたわ。だから翌日、ソークの家に行ったのよ……! そしたらセルトアに行ったって言うし、少ししたら帰ってくるだろうと思っていたら、セルトアで仕事を始めるって。しかも向こうで暮らすなんて言うんだもの!」

「それってあなたの招いた事態じゃない。言いがかりも甚だしいわ」

「……魔女が居なければ……ソークはセルトアには行かなかったもの!」


 とうとう言葉で存在を否定されてしまったリネットである。自分勝手な言い分にクレアの眉が釣り上がる。怒っていたはずのレナはいつのまにか泣きそうに顔を歪めている。それをどこかぼんやりと眺めた。

 レナはソークのことが好きなのだ。

 以前、話を聞いて「おや?」と思った。まるで好きな子をいじめる子どものようだと感じたから。素直になれない少女は今みたいに、いろんな言葉でソークを傷つけることしかできなかったのだろう。

 それでも「どうして?」とリネットは思う。

 もっとソークのいい所を見てやらなかったのだと。穏やかで気弱な青年が自分は汚れているからと、リネットの手を拒むのだ。

 とても優しくて、あんなに綺麗な色を纏っているのに。

 リネットの引き結んでいた唇が自然と開く。


「そうね、その通りよ。私がセルトアの魔女なんて呼ばれていなければ、ソークは来なかったでしょうね」


 今まで煩わしいと思っていたセルトアの魔女についての噂。


『どんなに高名な魔術師でも解決できない悩みなら、セルトアの魔女の元へ行くがいい。彼女はあらゆる手段を用いて、憂いを霧のように払ってくれるだろう。ただし、魔女の力を借りるには、魔女が気にいる対価を支払わねばならない。それがあなたの命だろうと』


 その噂を信じこんで店を訪ねてきたソーク。初めは朝食を食べそこねて不機嫌に対応した。今度は店の前で泣いていて……しょうがないなぁと思ったのをよく覚えている。


「ずっと噂に振り回されたわ。勝手に魔女と呼んで、失望されて、期待されて、散々だって思っていた! 顔を出せない? 誰が私を魔女にしたと思うの……? あなた達じゃない! そう思っていたわ」


 魔女のイメージを押し付けられて、いつの間にか人々が想像するような魔女の格好から抜け出せなくなった。ずっと胸の内にくすぶってきた理不尽な思いを、リネットは全身で叫んだ。


「皆が私を魔女と呼ぶわ。行きつけのパン屋さんも、お気に入りのチョコレート店も、研究所だって、お店にやってくる人達も!」


 いつの間にかリネットの名前を呼んでくれるのは、両親とヴィルにサヴィーナだけで。そのうち、自己紹介をしなくても魔女という名前で勝手に呼ばれる始末。いつの日からか、リネットは自分の名前を言うのさえ、躊躇いがちになったのだ。

 やがて、リネットに名前を尋ねる人さえ居なくなった。


「私にだって名前があるもの。でも、そうね、私は魔女でいい。セルトアの魔女と呼ばれることでソークと出会えたのなら、感謝したいくらい!」


 むしり取るように目深に被っていたローブを脱ぐ。その下から現れたのは老婆でも醜い顔でもない、レナと同じ年頃の少女である。一点の曇りもない真っ青な瞳がレナを強く射抜く。


「し、知らないくせに! ソークのことなんて!」


 そう言われて何故かクレアがリネットの背中を押した。

 普段、クールでリネットに会えば、嫌味を交じりの挨拶を欠かさないクレア。そんな彼女がレナに対向するように仁王立ちである。まるでリネットの味方だと言わんばかりの態度に、あれ? クレアってこんなにいい人だったかしらと不思議に思う。

 急に冷静になったリネットは周りを見渡して、すっかり往来の注目を浴びていることに恥ずかしさを覚えた。研究所で働く魔術師たちも面白そうに見物している。


 しかも、そのメンバーの中には腕組みをして、満足気に事の成り行きを見守っているエルマー。少し離れたところにはショウや同僚達もわくわくした表情をしているところを発見した。

 すっかり我に帰ったリネットだが、レナとクレアはお互いしか見えないようだ。当事者であるはずの自分自身がすっかり置いていけぼりになっている。


「さぁ、ソークくんのことを話してあげなさい」


 再度、クレアに背中を強く押されて、リネットはレナの前に出ることになった。先ほどよりも縮まった距離が何とも言えず気まずい。なんで研究所の前で言い合いなどおっぱじめてしまったのだろうか。


(今さら頭を抱えてもどうにもならないし……! ここは言うしかないのかしら?)


 レナを見ると真剣な顔で、リネットはどうしても逃げられないことを悟った。息を大きく吸って、羞恥心を捨てる。


「初めは泣き虫だと思ったわ。整った顔で綺麗な金髪に月のような瞳だもの。あんなに綺麗な色を持つ人なんてそうそう居ないんじゃないかしら? でも、それがコンプレックスで、触られることに脅える人なんだって知ったわ。早朝に店を尋ねるのは正直言って迷惑だけど、何故か憎めない所があったし。そんで、お料理が上手ね」

 ここでちょっとだけ考える。

「……特にお菓子は最高だと思うわ。いちごのカスタードパイの美味しさなんて格別だった。さくっとしたパイ生地に爽やかないちごの酸味とカスタードの甘さが程よく絡んで、もう一度食べたいと思ったのよ。モンブランも美味しかったのよ! ああ、滑らかなマロンクリームがたっぷりで、ちょっと洋酒が入っていたのかしら? いい匂いがするのよ! まぁ、妙に自分に自信がないのが欠点ね」


 レナにリネットが知っているソークのことを話すと、彼女の顔が段々と複雑になっていく。何故だろうか。小首を傾げればクレアから小声で「お菓子だけじゃなくて、ソークくん自身を褒めてあげなさいよ!」と声援が届いた。

 充分に褒めたつもりであった。

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