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魔女と青年と少女1

 厳しい冬から春の兆しが見えてきた。雪は雨にかわり、底冷えする朝の空気も緩んでいる。寒々しかった庭にもちらほらと新緑が芽吹き、メインストリートのプラタナスも柔らかな葉をつけ始めた。

 日が立つにつれて街は色づいていく。それに連れてセルトアの人々の心は弾んでいるようだった。

 しかし、リネットは春が近づくにつれて、心が重くなっている。


「春が来たらソークは帰っちゃうのよね」


 冬の間の出稼ぎだと言っていたし、ロミアでは果樹園を営んでいるらしい。秋に持ってきてくれた洋なしはコンポートにして、冬のおやつにとパンケーキと一緒に食べてしまった。芳醇な香りのする洋なしは、冷たくて暗い冬を楽しくしてくれる贅沢品である。

 今日は研究所は休みだったので、店のカウンターで仕入れた魔術用具をチェックしていた。エルマーの考案した光のカードは、街の魔術符印刷所が生産を手がけることになり、セルトア中の魔術道具店が買い求めた。リネットも仕入れたカードを一枚一枚点検している所だ。


「この冬……特に何もなかったわ」


 何もなかったというのは、ソークとの関係が進展しなかったということだ。冬至祭で攫われてから、過保護になっている気はする。暗くなる前からリネットを迎えるし、一人で出歩くことを嫌った。

 けれど、それはエルマーやショウ、そっしてサヴィーナも同じだ。迷子探知機は持たされるし、ショウは暴漢を撃退するためのスプレーを開発しだした。


「もうカイロも売れなくなるわねぇ」


 魔術研究所として栄えているセルトアにだって、魔力を持たず、魔術用品を使用できない人々もいるのだ。簡単に暖をとれる携帯カイロは彼らには人気だった。

 点検が終わって、新しい小包みに手をかける。それは手触りのいい高級紙に包まれており、幾何学的な植物がモチーフになっている。セルトアでは見かけないおしゃれな包装紙。おやと手を止めた。差出人を確かめればバーティストだ。


「随分と嵩張っているけど、軽いわね」


 冬至祭のとき、リネットを攫って一騒動を起こしたバーティストは、警備隊から事情聴取されたらしい。なんせ、警備隊が警戒していた魔術師に接触しようとする不審者である。一応は被害者となったリネットも攫われた経緯などを聞かれたが、最終的にはリネットがバーティストを良しとしたので大事にはならなずに済んだ。

 ヴィルは「お人好しも大概にしなさいよ!」とお金の請求くらいしなさいと憤っていた。そのあまりの剣幕に、リネットはさらに冷静になった。


「そういえば……何か送るって言ってたっけ」


 バーティストはお詫びと相談に乗ったお礼として何か品物を贈ろうと、リネットに言っていたのだ。

 まさか本当に送ってくれるとは思わなかったけど。

 包みを開けると丁寧に畳まれた桃色のローブと手紙が入っていた。

 まずは手紙を読むと、舞台女優のジェシカと食事をしたことが書かれている。あれほど夢中になっていたというのに、良い友だちになれそうだと記されていた。その代わり、バーティストは劇場でよく会う同じ年代の女性とお付き合いを始めたらしい。


「君のおかげで、歳をとった自分を受け入れて楽しむことを学んだよ……か」


 それは良かったとリネットは手紙を読みながら自然と微笑む。

 手紙の終わりには「最後に君に必要な物を送った。春を楽しめるように」と締めくくってある。きっとこの桃色のローブことだろう。


「桃色のローブなんて着たことも見たこともないわ」


 いつも灰色のローブばかり身にまとっていたし、研究所で見かけるローブも黒や藍色といった暗い色ばかりだ。さすが芸術の都と呼ばれるアンラスのもの。感心しながらリネットは桃色のローブを広げる。

 綺麗な花の色に白い糸で刺繍されている。白いヴェールを重ねたように施された刺繍は、見る角度を変えるときらりと光っているように見えた。どんな技術が使われているのだろうか。さっぱりわからない。

 ローブはウエストから下に向かってひだがあり、裾に向かって緩やかに広がっている。邪魔にならない程度に膨らんだ肩、ボタンも花のデザインになっていた。


「可愛い……これをバーティストが選んだのよね」


 それともシェイドが選んできたのだろうか。そう考えてお付きの従者の顔を思い浮かべる。そばかすの浮いた素朴な顔。しかし、中身は結構なちゃらんぽらんである。彼らが二人で桃色のローブを選ぶところを想像すると笑ってしまう。

 それにしても可愛らしい桃色のローブは刺繍がたっぷり施されているにも関わらず、驚くほど軽く、しっとりとした手触りだ。

 心がときめく。確かにこの一枚があれば春の街を楽しむには充分すぎるだろう。

 けれどふと、自分自身の呼び名を思い出した。


 魔女は桃色のローブなんて着るのかしら。

 そこまで考えてリネットはシワにならないように桃色のローブを畳む。どうしても、この明るくて可愛らしい色のローブを着る魔女を想像できない。カウンターで届いた荷物を整理し終わったころ、律儀にベルを鳴らして訪問者がやってきた。


「こんにちは魔女様」

「ソーク」

「お昼ごはんはまだですか? 良かったら一緒にいかがでしょうか? 嫌じゃなければ、ですが」


 レモンイエローの扉から顔を覗かせたのは、隣人の家を間借りしているソークだった。ソークは薄手のコートを着て、ストールを首元に緩く巻いている。手には片手鍋を持っており、どうやらお昼ごはんの差し入れらしい。

 リネットは彼に駆け寄って、腕を引いて中へ引き入れた。いつまでたっても遠慮がちなので、こうして引っ張っている。


「お昼はまだよ。でも、今朝、買ったばかりのパンがあるわ」

「それはいいですね。牛すじのトマト煮込みを作ったので、温めたパンと一緒に食べませんか?」

「もちろん!」


 ソークの作った料理は文句なしにうまい。そんな彼の手料理を断る理由などない。それにヴィルも最近ではすっかりソークに料理を任せているらしく、ソークが居なくなったら困るわねぇと漏らしていた。


(まぁ、ヴィルはちょっと笑って頼めば、料理を作ってくれる人なんてわんさといるけどね)


 二人は二階に上がってお昼の支度をすることにした。コンロに鍋を掛け、オーブンでパンを熱する。食器棚から二人分の取り皿とスプーンにフォークを用意して、テーブルに並べた。

 ちなみにヴィルは仕事を終えて眠っているらしい。

 口の悪い幼馴染はオペラハウス前のバーで働いている。開演前や観劇後にお客さんがやってくる。お客さんの様子で今日の上演の出来がわかるというのだから、面白い仕事である。


 少しばかりヴィルの話をして、それから熱々の煮込みとカリカリのパンを二人でおいしく食べる。牛すじのトマト煮込みは、牛すじがとろとろに煮込まれて柔らかく、口の中でほろりと蕩けていく。酸味の効いたトマトと仕込んだ赤ワインがまた絶妙だ。煮込みをスプーンで一口、そしてかりっ、ふわっのパンを齧れば言うことなしにおいしかった。

 春の兆しが見えたといっても、まだまだ寒い。ソークの作った牛すじの煮込みは、身体の芯を温めてくれた。

 食べ終えるころには身体はぽかぽかとし、お腹も満足で幸せだ。洗い物をソークがやると言ったけれど、料理をごちそうになった立場である。リネットは冷たい水に負けず、ちゃちゃとお鍋と食器を洗う。


「食後のお茶でもいれる? それともこれから警備隊の方へ?」

「今日は夜の担当なので大丈夫です。ええと、お茶、頂きます」

 遠慮がちにお茶の誘いに乗ったソークに、リネットはケトルに水をいれる。

「ところで、魔女様のご予定についてなんですが……明日は魔術研究所の方へ出勤でしょうか?」

「ええ、いつもの時刻通りに……」


 出勤する。そう伝えようとしたとき、リスの呼び鈴がけたたましく鳴り、リネットは床から数センチほど浮いた。未だかつてこんなに激しくベルが鳴ったことはない。耳に響いて痛いほどの大音量のベルに、ソークも耳を押さえて顔を顰めていた。


「誰かしら……!」

 眉を寄せたそのとき、隣家から男の低い怒鳴り声が、呼び鈴の音に負けない勢いで飛び込んできた。

「うっせぇな! 客が来てるわよ! この鼻ちび貧乳!」


 女ことばに迫力のある低音を受けて、店先の呼び鈴が止む。しかしリネットがすくみ上がるわけもなく、リビングの窓を開けて怒鳴り返した。毎度のことなのに飽きないとサヴィーナは、弟とリネットのやりとりに呆れていたが、一度はリネットも無視を決め込んだのである。

 確かそのときは鼻たれ娘という呼びかけだった。そしたら一ヶ月もの間、顔を合わせるたびに鼻たれ娘と呼ばれ続けたのである。それからリネットはヴィルが変な呼びかけをしてきたら、いちいち否定することにしているのだ。


「誰が鼻ちび貧乳よ! ヴィルなんて目当てのナイスガイを他の男にとられたくせに!」

「あたしの心の傷をえぐるんじゃないわよ!」


 隣家の窓辺には寝起きのヴィルが立っており、眦をつり上げてこちらを睨みつけている。どこから見ても女ことばを使うようには思えない華やかな美青年だ。その青年が睡眠を邪魔されて怒っている姿を他人が見れば、さぞかし震え上がるに違いない。美人の凄んだ顔は恐ろしい。

 けれど、リネットにとっては寝起きの悪い幼なじみである。


「ヴィル! あんた、肌荒れしてるわよ!」

「……だから、寝かせろって言ってんだろ! またあたしの睡眠を邪魔したら、あんたのとこに殴りこみに行くわよ!」


 勢い良く窓が閉まり、ついでにカーテンもきっちりと引いて、ヴィルは家の中に引っ込んだ。自分の顔が武器だとわかっているヴィルは、肌のお手入れに余念がない。

 とりあえずは再び鳴り出した呼び鈴に、リネットは灰色のローブを目深に被って、階段を転がるように駆け下りた。

 一階のお店にはすでにカウンターの前で待っている少女がいた。年の頃はリネットとそう変わらないだろう。つんと尖った鼻とつり上がった目尻が特徴的な、気の強そうな顔立ちだった。赤い髪はふわふわと肩まで広がっており、まるで怒ると翼を広げるという外国の鳥を彷彿させる。


「アンタがセルトアの魔女? 男を誘惑して誑かす、身の程知らずで恥知らずのババアね!」

 少女の口から勢いよく発せられる身に覚えのない罵倒に、リネットは呆気にとられた。

「アンタみたいなババアに誰も本気になるわけないわ! うぬぼれもいい加減にして、さっさと返しなさいよ! あばずれっ!」


 やはりリネットの与り知らぬ所である。どうして罵られているのかわからない。反応できないリネットに苛立ったのか、ますます口調は激しくなり、顔を真っ赤にさせる少女。


「ええと、とりあえず意味がわからない」

「なんですって!? 私は知っているのよ! あなたが誑かしたんでしょう!? ソークを!」

「……ソーク?」

「ええ、金髪で泣き虫のソークよ!」


 激しく興奮していきり立つ少女が出した意外な名前に、どうしてと首を傾げる。なんせ、あの青年を誑かした覚えはないし、ソークはリネットのことを異性として認識しているか謎だ。金髪で泣き虫ということから、先ほど食事を共にしたあの穏やかな青年のことだとはわかったが……そもそもこの少女は誰だろう? というのがリネットの疑問だった。

 しかし、こちらの意に返さず、少女は敵を見るようにリネットをきつく睨みつける。


 困った。

 以前にもリネットに当たり散らす輩はいた。それはみんな、セルトアの魔女が噂通りの魔女ではなく、しがない魔術師でしかない小娘と知ってから、落胆して罵るのだった。例えば魔女らしくない格好である。物語の魔女は老婆だというのに、出てきたのは小娘で、本物を出せと騒ぎ立てる。魔法を出し惜しみしているとも言われた。とにかくいろいろ誤解をしているのだ。


 きっと少女もその口だろうと検討はつくけれど、リネットはどうして自分がソークを誘惑したことになっているのか理解できない。

 できるならしたい。けど出来ないから、冬の間、何にも進展しなかったわけだ。

 一方的に騒ぎ立てる少女の声を聞きつけただろう。階上から軽やかな足音がして、話題に登っている青年が出てきた。


「あの、私の名前が聞こえたようなので……レナ?」

 穏やかな青年の顔が驚きに染まり、そして目の前の少女の名前を呼んだ。

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